表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/39

37 フィヨール

エリス=アテネです。

テオーセの女神は、自身の名前を口にしない縛りがありました。

ですが、現在エリスはアトラス殿下の妃として認知されているので、その辺りは曖昧になります。

呼び慣れている女神時代の名前『アテネ』を口にしたり、アトラス王子妃としての『エリス』を思い出したりと、女神たちも混乱しているでしょう。

強めの夏の陽射しが、フィヨールの海を照らしていた。

大きな窓が開け放たれた、風通しの良いフィヨールの神殿の広間、その広間の人工的な磯辺の前で、プシュケは呆気に取られていた。

人工的な磯に、確かに地下でi海とつながってはいるが………、その磯に一匹の一角海獣がひょっこりと顔を出していた。

今まで、こんな事は起きた事がない。

そればかりか、その一角海獣は一匹の猫を、ブリティシュブルーの猫を床に押し上げ、甲高い声を出していた。


「あんた………」


なにか言いたげな一角海獣に「悪いけど、私にあなたたちの言葉はわからないわ」と、断りを入れたプシュケは、その猫を腕に抱えた。


「この子、まさかとは思うけど、一応言ってみるわ………。アテネ(エリス)なのかしら?」


すると、その一角海獣は「そうだ」と、言わんばかりに、その頭を上下に振っていた。

どれだけの距離を移動してきたのだろうか。 その潮で濡れた毛並みは、バサバサで所々に毛玉が出来てしまっている。 

それに、アチコチに傷が出来ていた。 他の野良猫に追いかけられ、傷つけれらのだろうか。

自分の腕の中でぐったりとしているアテネ(エリス)を、プシュケはマジマジと見ていた。


いったい、何があったのだろうか。


王都での話題は、少なからずこのフィヨールにも入って来る。

アテネ、いやアトラス殿下の婚約者となったエリスは、幸せに暮らしているものだと思っていた。

まぁ、処刑と落雷のショックで高熱を出してからは、記憶障害が出て人が変わったようだ。と、噂されているらしいが………。


プシュケは、ハッと顔をあげ、一角海獣を見やる。


「―――まさか、もしかして、あのエリスはアテネじゃないの?」


「そうだ」と、言わんばかりに一角海獣は、頭を上下に振る。

「何てこと………」

プシュケは途方に暮れる。 こんな、非現実的な話、誰が信じるだろうか。

いきなりアトラス殿下に「あなたのエリスはこの猫です」と、伝えた所でどうなる?

じゃあ、あのエリスは………誰? 

「聖女アンネ………?」

チラリと一角海獣を見やるが、答えは見いだせない。


「困ったわね………」

アレスの聖剣では魂をはがす事は出来ても、入れ替える事は出来ない。 正確に言えば、入れ替えができると聞いたことがない。

本来は、魔物に憑りつかれた女神の魂を救済するために使う聖剣だ。 魔に堕ちないように救う剣だ。


プシュケの一角海獣の短剣も、たまたまエリスから『聖女』を剥がす事が出来ただけで、本来なら命を落としていたかもしれない。


それよりも今は、この衰弱した猫を救わなければならない。 

(とりあえず、清潔にして保温かしら)と、その場を離れようとしたプシュケに一角海獣が何やら『臭い玉』を寄こしてきた。

自身の角でつついて、プシュケの近くに寄せてくる。 鼻に付くほど酷い臭いだった。

その一角海獣は、口をパクパクしだした。


「まさか、これを食べさせろ。と?」


指で摘まむのも(はばか)れる臭いなのに、それをアテネ(エリス)の口に入れろと?

躊躇しているプシュケを急かすように、一角海獣が甲高い声を上げた。


「わかったわ。わかったから、止めて! 頭に響くわ」


プシュケは耳を押さえ、一角海獣に声を上げないように懇願した。

一角海獣が角でつついている『臭い玉』を、人差し指で摘まみ上げ、おそるおそる猫の口を広げその奥へと『臭い玉』突っ込んだ。


猫がゆっくりと咀嚼しだした………と思ったら「くさっ!」と、猫が喋った。

背中を丸め、今食べた物を吐き出そうかとするように、えずいている。


「何これ、臭いんだけど」


猫が顔を洗う仕草で、悪態をついている。 それも、懐かしいアテネ(エリス)の声で。

「あんた、本当にアテネ(エリス)なの?」

ブリティシュブルーの猫は、その黄金色の瞳をプシュケに向けた。

「プシュケ………」

そう言ったかと思うと、パタリと倒れ込んだ。 

慌てて抱え上げたプシュケの腕の中で、猫のエリスは疲れを癒すかのように、眠り続けた。


―――数日後。


プシュケは、目の前で顔を洗っている『喋る猫』をマジマジと見ていた。


数日間、眠り続けたかと思えばいきなり「ナビルクに連れて行ってほしい」と言い出した。

理由を聞けば、彼女の母から「そこの祠を護れ」という()()()があった。と、荒唐無稽な事を言い出す。

ナビルクと言えば、近々プシュケが夫と共に赴任する神殿があり、そこには確かに()もある。


「連れて行くのは簡単だけど………」

「ダメなの?」


猫のエリスが、可愛らしくプシュケを見上げる。


「偽エリスが、ナビルクでの療養を希望してるのよ。 それで、王族ご一同さまがナビルクに来ることになっているの。 その準備が忙しくなるだろうから………」


黄金色に輝く瞳を見つめながら、数日前に届いた、おババ様からの書簡の内容を思い起こした。 

『エリスがナビルクに行きたがっている。 ()()が起こるだろうから、十分に気を付けて準備をするように』と。


スペリオール領への立ち入りを禁じられたエリスが、王族の権威を振りかざし、領内に立ち入る事へ反発する者たちの事だろうか?と、考えていたのだが、きっと()()()の方の事だろう。 偽エリスが何か仕掛けてくる。と言いたいのだろう。


まったく、人が悪い。


キョトンとした様子の猫のエリスは「私がナビルクに行きたがっているですって? 領内の立ち入りを禁止されたのに?」と、驚いている。


「王族となったエリスの言葉には、誰も逆らえないわ。 あっちのエリスが、()()()を知っていて強引に進めたのか、知らないで言い出したのかはわからないけど………。少なくとも、私の知ってるアテネ(エリス)は、権威を振りかざして自分のワガママは通さないでしょうね。 確かにナビルクは療養に向く土地ではあるけれど、ほかにも避暑や療養に向く土地はあるからね」


そう言うと、プシュケは猫のエリスを抱え上げ「少なくとも、私は、今、貴方がアテネ(エリス)だと確信したわ」

と、猫のエリスに頬ずりをした。


「それで、偽物のエリスに会ってどうするの?」

プシュケにジッと見つめられた私は、答える事ができなかった。


「悪いけどアテネ(エリス)。 女神の名を語っている以上、偽物のエリスを野放しには出来ないわ。 私がテオーセの女神で、このことを知ってしまったからには、彼女を始末することになっても、文句は言わせない」


ーーーその夜、プシュケと共に、彼女の夫キースにすべてを話した私たちは、今後の計画を立てた。

一角海獣の短剣で、私の身体を乗っ取った聖女アンネの魂を引きはがせたのだから、再度、同じようにしてみようと。


「出来ればアレス様の聖剣がいいんだけどね………」


そう言うプシュケの顔は、申し訳なさそうだった。

「失敗したら、あんた一生猫かもしれないけど、いいの?」

この計画を立てている間中、何度も問いかけられた言葉だった。

「かまわないわ。 私の身体で好き勝手される方が嫌だわ」

私はプシュケの瞳をまっすぐ見据えて答えた。


その時、ふと思い出した言葉があった。

女神の試練の時に、ブリティシュブルーの猫型魔獣に言われた言葉だ。

『立ち行かなくなった時は、その身を()(ゆだ)ねよ』


「ねぇ、プシュケ。 万が一の時は………、上手くいかなくてエリスが死んだら、亡骸を水に流してくれる?」

「えぇ………」


プシュケとキースが悲しげに頷くのを見て、私は訳もなく安堵した。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ