3 目覚め
優しい声が私を呼んでいる。そんな気がして、私は目を開けた。
雲に横たわっているかの様な感覚と、見たこともない豪華な調度品もさる事ながら、私を見下ろす『第二王子』に驚いた。
いつも、遠くから眺めていた貴人だ。
『アトラス殿下!』
と、叫んだはずなのだが、私の耳には「ニャニャニャ」と、聞こえた。
不思議に思い辺りを見回すと、ベッドの上に寝そべる、一匹の猫が鏡に映っていた。
「あぁ、猫がいるのか」と、納得したのも束の間、何かがおかしい。
アトラス殿下が「驚かないでね」と言いながら、キョロキョロと辺りを見回す私を抱え上げた。 近い。顔が近いッ。
(抱えた? 抱えた!?)
雲の上に住まわる貴人に抱えられるなんて! 令嬢の憧れの華に! もう、死んでもいいかもしれない………。
シャープな顎筋にスッと通った鼻筋。 中央で別れたハチミツ色の金髪から、見え隠れする紺碧の瞳。
もう、ずっと見ていられる。
それにしても、高位貴族は何故、みな、こんなにも美しいのか。
うっとりアトラス殿下に見惚れていた私に、殿下は「ほら」と声を掛けた。
そして、殿下の視線の先をたどると………、そこには、ブリティッシュブルーの猫を抱えた、アトラス殿下の姿が………。
私は、アトラス殿下の腕の中で卒倒した。
―――私は、夢を見た。
ヴァネッサお嬢様が王太子の婚約者になっていた。
そこに、異世界から聖女がやってきて、あっという間にお嬢様の居場所を乗っ取ったのだ。
その上、どういう事か、お嬢様は幽閉されてしまった。
高笑いをする聖女。 その声に聞き覚えがあった。
ヤツの顔を見てやりたいと思うのだが、どうやっても影になり、顔を見ることが出来ない。
そして、聖女がお嬢様の幽閉されている塔へとやってきた。
「今まで、お疲れ様」
鼻で笑う聖女の姿が、暗闇の窓硝子に映る。 その横顔は、私だった。
「!?」
私は、飛び起きた。 文字通り、飛び起きた。
かなりの勢いで飛び跳ねた私は、そのまま床へと転げ落ちた。
何という夢なのだろうか。
おぞましさが残っていて、呼吸ができない。 息が苦しい。床が近い。
視界に映るブリティッシュブルーの短毛の足。
見上げた鏡には、やはり猫が映っていた。
(助けて。誰か………)
カッカッカッと急ぐような足音が近づいて来て、「大丈夫か?」と、私を抱え上げたのは、やはりアトラス殿下だった。
安堵を覚えた私は、必死にしがみつく。
私が、お嬢様を蹴落とすだなんて。 私が、お嬢様の婚約者を奪うなんて。
ありえない。あってはいけない。
ましてや、私が聖女だなんて。
そして、なぜ、猫なの?
アトラス殿下は、私の背中をポンポン叩きながら、なだめるように優しく声をかける。
「大丈夫。大丈夫だから、落ち着いて………」
リズミカルな振動に、呼吸を合わせると、だんだんと楽になってきた。
涙目になりながら見上げた彼は、私と目が合うなり言った。
「君、エリスでしょ? ビスク侯爵の所の侍女の」
驚きの余り、涙がひっこんだ。
そして、ニッコリ微笑むアトラス殿下から、目が離せなかった。
*****
つまり、私は猫になったのか。
アトラス殿下に抱えられ、再び見せられた鏡には、確かに『殿下に抱かれた猫』が映っている。
動かした手は、確かに猫のそれだった。
繰り返すが、しつこく繰り返すが、ブリティッシュブルーの、短毛の毛が生えている。 肉球もプニプニだ。
理解しようにも、理解できない。 したくない。
このまま猫として生きていかないといけないの?
お給金が貰えなかったら………、弟の学費はどうすればいいの?
恐怖と不安が押し寄せる。
私は跳ねた。跳ねて、アトラス殿下の腕の中から、逃げた。
テーブルの上の書類を蹴落とし、本棚の本を、前足に引っ掛けて落とした。
ベッドに置かれたふかふかのピローも、爪でめちゃくちゃにしてやった。
アトラス殿下の私室を、縦横無尽に駆け回り、彼の手を、腕を拒否し続けた。
そうして、目も当てられない位にめちゃくちゃになった彼の部屋の真ん中で、彼に羽交い締めにされた私は、ようやく気分が落ち着いた。
そうか、やっぱり猫なのか。
息を切らしながらも、しっかりと私を抱きかかえるアトラス殿下と目が合った。
その額に浮かぶ汗を、ペロリと舐めてみた。
しょっぱい。
驚き、目を見開く彼の、鼻の頭もペロリと舐めた。
夢じゃない。現実なのだ。
降参だ。諦めよう。私は猫である事を受け入れよう。
力が抜けた私の身体に気付いた殿下は、優しく、そして、なだめるように言葉を紡ぐ。
「安心して。僕の居城は結界が張ってあって、魔法攻撃が効かないんだ。 だから………、もしかしたら、君の魔法も早く解けるかも」
「ニャァ………」
ペロリと頬を舐めた私に「わかってくれて、嬉しいよ」と、アトラスは微笑んだ。
「それにしても、不便だ。 君の言ってる事がわからないのは」
『そりゃそうでしょ。私、猫なんだもん。 それより、お嬢様は心配してないかしら?』
しばらく私を見つめていた(睨んでいた?)アトラス殿下は、私をぐちゃぐちゃになっているベットに、ゆっくりと下ろした。
そして、なにやらゴソゴソと部屋中を探し始めた。 隣室に続く部屋も荒らしている。
お行儀よく座っているのも飽きた私は、ぐちゃぐちゃのベットにゴロリと寝そべった。
ウトウトしていると、「あった!」と喜ぶ、アトラス殿下の声が響いた。
それは、幼子が文字を習う時に使用する、文字盤だった。
やけに、物持ちがいい。
関心しながら、彼の動きを見つめていると、イソイソやって来て、その文字盤を私の目の前に置いた。
「お前は、エリスか?」
期待に満ちた、そのキラキラした瞳が物語っている。
私が『はい』を選ぶのを期待しているのだろう。
私は、いまだ見慣れない猫の手で、『はい』を選んだ。
とたん、殿下は私を抱きかかえ、ゴロゴロとベッドの上を転げ回る。
「やった!やったよ。 これで、君と会話ができる。聞きたいことだらけだよ」
頬ずりしてくる殿下が、少し鬱陶しく思えた。
「あの令嬢たちが、何をしていたか、わかる?」
『いいえ』
「なぜ、あの場所にいたの?」
『匂い』『魔法陣』『悪』
「えっ?」
一問一答での会話は、なかなか意思疎通をするのが難しかった。
身振り手振り………、とにかく全身を使って、一人芝居をした。
途中から、私自身もワケガワカラナクナッテシマッタ。
「つまり『匂い』を辿った先に『魔法陣』があった。 それは『悪』い魔法だった。って事でいいのかな?」
………微妙に、ニュアンスが違うように思ったのだが、まぁ、良しとしよう。
『はい』
その答えを聞いた殿下は、長ぁーい溜め息をついた。
その時、私は大切な事を思い出した。
私が猫になっている間の『お給金』だ。
この姿では、お嬢様の侍女は務まらない。 当たり前だが。
弟への仕送りができなくなると、彼は貴族学園を退学になってしまう。
彼は今、ビスク領を含めたアルト州の貴族が集まる貴族学園で、寮生活を送っている。
伯爵家の跡取りとして、貴族学園の卒業は必須だ。
部屋を出ていこうとしている、満足げなアトラスの後ろ姿を、必死に呼び止める。
『ニャニャニャ』としか言えないのだけど。
振り向いた彼に訴える。
文字盤を並び替え『学校』『弟』『金』の三文字を、必死に指し示す。
不可思議な面持ちの彼に、前足で必死に訴えた。
『金』の文字に、特に多めに前足を打ち付ける。
ーーーようやく『学費の仕送り』を意図している事に気付いてもらえた頃には、とっくに陽は暮れていて、部屋に灯りが灯っていた。




