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29 女神誕生

 月明かりに照らされ、キラキラときらめく水平線が、だんだんと白み始める。

 ゆっくり、ゆっくりと。


 季節は移ろい、もう、外套は必要ない。

 磯のかおりを乗せた涼やかな潮風が、磯辺に立つエリスの頬を撫でていた。


 あの日、エリスを寒さから守ってくれたアレスも、もういない。

 アレスからの手紙も伝言も、エリスの元には届かない。


 エリスは、水平線を見つめながら自分自身に言い聞かせる。

 (彼がいなくても、寒くない。 大丈夫)

 それなのに、もう、寒くないはずなのに、エリスの身体は震えていた。


 エリスの頬を、涙が伝う。

「もう、大丈夫」と何度も言い聞かせているはずなのに、彼女の心は言うことを聞かない。

 いまだ、アレスを求めていた。


―――遠くの海の端が、朱に染まっていく。

 あの人の瞳の色に。


あの日、私は、『聖女』に乗っ取られた。

そして、刺された。

 私の中の『聖女』ごと。


 プシュケが言うには、アレス様の聖剣で、私と私の中に潜む『聖女』を切り離すはずだった。

 ーーーらしい。

しかしながら、私はプシュケの一角海獣の角に刺された。


 最後の女神の試練の前に、憂いを除いておこう。と、考えて行ったことだった。

 本来の目的とは違ってしまったが、魂の歪みは解消できたらしい。 

 ひとまず、成功と見ているようだ。


 最後の試練は、プシュケの婚約者と行った。

「アレス様程ではないけど、クーには引けを取らないから安心して」と、彼女は頬を紅潮させながら言う。


 あの日以来、プシュケは私に親切だった。 気持ち悪いくらいに、親しげだった。


 現れた最後の試練の魔獣は、大型だが可愛らしい黄金色の瞳を持った()だった。

 それも、『ブリティシュブルー』の毛並の。


 プシュケの婚約者は「このような魔獣をここで見たのは初めてだ」と、驚いていた。

 熊型や狼型の魔獣が相手だろう。と、考えていたそうだ。 実際、そのような魔獣がこの時期の試練には、よく出現するそうだ。


 少しも抵抗することなく、プシュケの剣に倒れた黄金色の瞳を持ったブリテッシュブルーの猫は、私の治癒魔法で再び立ち上がった。

 そして、言った。


「娘よ。立ち行かなくなった時は、その身を()に委ねよ」


 まるで預言のような言葉を残し、その猫は森に姿を消した。

 プシュケの婚約者の顔を見れば、「わからない」とでも言うように、左右に首を振っていた。


 神殿に戻りプシュケに報告すると、「今までそんな事例は、聞いたことがない」と不思議そうにしていたが、無事に女神の試練を終えた事を喜んでくれた。


 そして、祝福の言葉の最後に、プシュケは言う。


「アレスを恨まないでね。 仕方ない事なの」と、あの日以来、同じ言葉を繰り返す。


 女神となった()も、アレス様は私に会いに来てくれない。 


 それとなくプシュケに尋ねてみれば、「騎士団は魔獣退治に忙しい」と濁される。

 確かに、プシュケの婚約者も最後の試練以降、姿を見ない。


「それならば、テオーセに戻りアレス様の帰りを待ちたい」と願えば、「それは、叶わない」と却下される。


 そして繰り返し諭される。

「アレスを恨まないでね。 仕方ない事なの」と。


 ーーーいつの間にか、水平線は黄金に輝きだしていた。


 私は、踵を返し夜が明けた海に背を向けた。

 そろそろ、心を決めなければ。


 プシュケに刺されたのに、女神の試練を無事終えたのに、アレス様からは、手紙一つ言葉一つない。


 あの瞬間、プシュケは私を殺すつもりでいた。

 テオーセの女神として「生かしておくわけにはいかなかった」と、彼女は言った。

 アレスが剣を振るわなかったから、プシュケが私を殺した。


 死を意識したヴァネッサは、ディノに告白した。

 私もアレス様に伝えたい言葉があったのに。 それなのに………。


 物珍しさから私に近づいたの?

 興味が失せれば、それまでなの?

 面倒に巻き込まれたくなかったのね………。 だって、スペリオールの次期当主だもの。


 潮騒が、私の嗚咽を打ち消してくれていた。


 ********


 やっとテオーセに戻る事が決まった日、不思議な夢を見た。


 ーーー遠くに、懐かしい声が聞こえる。

 重たい瞼を開けてみると、母の姿が見えた。


「お母様?」


 私を抱いた母が、古城の正門の前で家令に懇願していた。

「お願い。メアリ様に取次を。私の娘が王国を滅ぼしてしまう」

 困った様子の辺境伯の後に、幼いアレス様の姿が見えた。


 ―――突風が吹いた。

 私は、ヒラヒラ飛ばされた。


 テオーセの寮館のようだ。

 母が、()()()に字を刻.んでいる。


「エリス。 母の名前が刻まれた祠は、全部で三つあります。 ここテオーセには、女神が産まれた祠。 フィヨールには、女神が愛を唱えた祠。そして、ナビルクには、女神の墓となる祠。これらをしっかり守りなさい。 あなたが貴女であり続ける為に」


 ―――また、風が吹いた。

 再びヒラヒラと、私は飛ばされる。


 両親が襲われた街はずれの街道だ。

 崖の上の賊が見える………。

 いや、あれは………、アレキサンドライトの紋章だ。


「そんな………、身内に殺されたの?」


 驚き目を見開く私の眼下で、両親の命が果てていく。


「お前が………、お前が治癒なんてするから、俺たちは道具のように扱われるんだ!」

「いくらケガが治ったとしても、この痛みは無くならないんだ!」

「お前のせいで、俺たちは死の苦しみを永遠に味わう羽目にっ!」


 騎士たちの暴言に、思わず耳を塞いだ。

 フワフワと漂っていた身体が、両親の側に舞い降りる。


 母と父の唇が、血の気の無い唇が、僅かに動いていた。


「これで、エリスの運命が変わったはずよ」

「そうだな。後は、辺境伯とおババ様に任せよう」


 そう言った二人は微笑み、そして動かなくなったーーーー。


 夢から目覚めた私は、すべてを悟った。

 今、自分の身に起きている出来事は、母が預言し回避してきた結果なのだと。

 私が、私のままであり続けるには、母が教えてくれた()()()|祠を守ればよい。

 そうすれば、あの不快な女の思い通りにはならないはずだと感じた。


 テオーセの泉にある祠に異変は無かった

 フィヨールの祠は、私が結界を張り直したし、一角海獣もいる。


 あとは、ナビルク。 その祠は何処にあるのだろうか。


(テオーセに戻ったら、おババ様に聞いてみよう)

 そう思いながら、私は帰路に付く準備をする。


 ********


 帰路につく馬車に乗り込む私に、プシュケが綺麗に装飾された一角海獣の()をくれた。

『女神の聖剣』だというその角は、護身用だという。


 女神たちが、魔獣の魂に飲み込まれた時に使用する剣だという。

 自害するのだ。 運が良ければ、魔獣の魂が剥がれる。


 そして、プシュケが耳もとで囁く。


「今、あなたの中に『聖女』の存在を感じる事はできないけど、本人と対峙したとき、何が起こるかわからないわ。 本来、魔獣の魂を引き剥がす為の聖剣だけど、あなたに絡みついた『聖女』にも通用したわ。だから、万が一の時は、自分で幕を引きなさい」


 私は、プシュケに渡されたその剣を胸に忍ばせ、テーオセに向かう馬車に揺られていた。


 その剣にそっと手を置き (私の中でくすぶるアレス様への想いも、この剣で亡くせればいいのに………) と、思うのだった。

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