27 祠の結界・Ⅱ
足元の白い雪を踏みしめ、小路を歩く。
私の足音とは別の、もう一人分の足音も聞こえる。
サクサク、ザクザクと雪を踏みしめる音だけが聞こえていた。
頭の中で、様々な考えが浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。
私は、拒絶されたのだろうか。
それなら、なぜ、口吻をしてきたのだろうか。
わからない。
気の迷い?
考えがまとまらない。
モヤモヤした気持ちを抱え、歩き続けた先に、雪に覆われた苔むす祠が見えた。
古めかしく見えるが、丁寧に手入れをされていた。
祠の上には屋根があり、ある程度降り積もる雪から守られているが、私が祈りを捧げる場所は、うっすらと雪が積もっていた。
分厚い手袋をはめた手て、台座に積もる雪を払いのけ、その冷たさが伝わる石の上に立膝をつく。
背後にアレス様の気配を感じた。
いつもなら、心強く感じるのだろうけど、今は、監視されているような感じがした。
私は、大きく息を吐いて、瞳を閉じ、気持ちを集中させる。
おババ様の教えを思い返す。
呪文を………、ただそれを、唱えればいいだけの事。大丈夫。私にはできる。
教えられた言葉を、一語一句間違えないように声に乗せる。
冷たい風が頬を撫でる。 遠くで海獣のざわめきが聞こえる。
ふと、頭の中に音楽が流れ始めた。
それは、母がよく口ずさんでいた唄だった。
母も応援してくれているのだろうか―――。
しばし後、私は大きく息を吐き、ゆっくりと目を開けた。 心なしか、苔むした祠が、うっすらと輝いているように見えた。
『祠が輝いて見えたら、だいたい成功しているから』
ローズの言葉を思い出し、ほっと胸をなでおろす。
アレス様に、儀式が終了した事を伝えようと振り返り、驚いた。
私の周りを、魔獣の死体が取り囲んでいたのだ。
そして、剣を抜いたままのアレス様。
「終わったのか?」
「はい………。ですが、これは?」
「あぁ。 祈りを捧げる巫女の魂は、無防備なうえ、とても美味いらしい。 魔獣たちの恰好の餌というわけだ」
汗をぬぐいながら、剣を鞘に納めるアレス様は「大したことじゃない」とでも言いたげだ。
「じゃ、ブローディアも?」
ヴァネッサは、無事なのだろうか。
クー様がついていると、わかってはいるが、こんなにたくさんの魔獣に襲われるなんて、知らなかった。
「あぁ。彼女は無事儀式を終え、テオーセへの帰路についていると、報告を受けている」
「良かった」
私は再び胸をなでおろす。
台座に膝をついたままの私に、アレス様が手を差し伸べてくれた。
私を拒絶したくせに、こういう所は、紳士のままだ。
彼の手をとり立ち上がる。 と………。
「それで、お前は何をした?」
唐突な質問に、彼の言っている意味が分からない。
(何をした?って、女神の審査の為の結界じゃないの?)
「おっしゃる意味が分かりかねます。 私は言われた通りに、祠で結界を張っただけですが」
「そうじゃない。 一角海獣にだ」
「は?」
私はマジマジとアレス様の目を見つめた。その暁の瞳を。
「私が、一角海獣に何をしたとお思いですか?」
さっぱりわからない。わからない事は、聞いた方が早い。
「海獣が小舟を寄こしてきただろう?」
―――あぁ、確かに。 海獣たちが「小舟に乗れ」と言ってきた。
「彼らに言われた通りにしただけです。 乗れと言われたから、乗っただけです」
「お前は、海獣と話せるのか?」
「皆、話せるのではないのですか?」
「そんな訳ないだろう………」と、アレス様は頭を抱える。
「いいか。テオーセの泉やそこの神殿の女神像をよく思い出してみろ。 側に何がいる?」
ソバニナニガイル………?
さっぱりわからない。 そんなに真剣に見ていなかった。
もしや、女神の審査に関わるような、重大な事案なのだろうか。
「さぁ………?」
そんな私を、アレス様がギロリと睨んだ。 怖い。
「数日前に聖女と言われる女が、王都から来ていたのは聞いているよな?」
正確には聞いていない。 立ち聞きをしただけだった。
黙ったままの私に「歩きながら話そう」とアレス様は言った。
ーーー聖女と呼ばれる女が、王太子と共にこのフィヨールの地を訪れた。
その目的はわからない。 視察と言われれば、それまでだった。
その聖女が「小島に渡りたい」と言い出した。
アテネの儀式が近い事を理由に、神殿の者が断ったのだが、聖女は一部の神官をほだして、島に渡ろうとした。
「その時、一角海獣が現れて、橋を壊したんだよ」
「………」
私は、黙って聞いていた。
直ぐに、橋をかけ直したのだか、直した側から一角海獣が現れて、橋を壊していく。
まさに、いたちごっこだ。
そうこうしているうちに、聖女があきらめてフィヨールを離れた。
とたん、一角海獣が橋を壊さなくなった。
「それなのに、昨日になって再び橋が壊されたんだ」
アレス様が立ち止まり、私を見据えた。
「そして、これだ」
アレス様が指差す先には、飛び跳ねる一角海獣が見えた。
「この地の伝説を聞いたことがあるか?」
「いえ………」
「海の魔物に襲われた一角海獣を、テオーセの女神が助けたんだそうだ。 そのとき、この小島に結界を張って海の魔物から一角海獣と、フィヨールの街を守ったと言われている」
「その時、女神がどうやって小島にわかったかわかるか?」
「もしかして………」
「そう。お前と同じく海獣の船で渡ったんだよ。 女神像をよくよく見て見ろ。 その傍らに一角海獣がいるから」
「アテネ。いや、エリス。 お前は、女神の聖獣に認められたんだよ。 聖女を拒絶し橋を壊し、エリスを認めて橋を壊す。 なんと難解な聖獣なのか………」
ーーーその日、フィヨールの神殿は大騒ぎだった。
『女神の誕生だ』と。
神殿に戻った私は、女神像をマジマジと見た。
確かに、女神の足もとには、泡立つ波と一角海獣が鎮座する。
母は『女神』だったのだろうか。
神官も言っていたではないか、「海獣を手名付けていた」と。
そのような話を、母から聞いたとこは無かった。 多分。
幼いころの記憶がおぼろげで、なんとも言えない。
母とこの地に来たことも、アレス様と出会っていた事も知らない。わからない。
聖女の記憶と関係があるのだろうか。
広間では勝手に、女神生誕の宴が開かれていた。
もう一つの試練である『魔獣に治癒を施す』がまだ、終わっていないのに。
(もしかしたら、母の時も騒ぎになったんじゃないかしら?)
そう考えた私は、どこかにあるであろう書物庫を探すことにした。
奇異な出来事なら、書物に記録があるかもしれない。
通路を歩いていると、すれ違う巫女たちが、何か言いたげな視線を寄こす。
でも、話しかけてくることは無い。
そして、私の後ろ姿に同じ事を言うのだ。
「きっと、アレス様と婚約するわよ」
「やっと、アレス様も報われるわね」
そんな事、あるわけないじゃない。「すまない」って言われたのよ。
私は、振られたの。
大声で、泣き叫びたい衝動に駆られる。
私は、鼻の奥がツンと痛くなるのを我慢した。
「あなた。何してるの? 暇なら広間に顔を出しなさいよ。 女神さん」
ずいぶんと棘のある物言いだった。
振り返ると、やっぱりプシュケだった。
この人は、私を疎ましく思っている。と感じていた。
「まだ、女神の試練も通っていないのに?」
「あら。 そこはちゃんとわかっているのね」
絡まれないうちに通り過ぎようと、彼女の横を通り過ぎると、むんずと腕を掴まれた。
「ちょっと、付き合いなさいよ」
「私、書庫に行きたいんだけど」
「書庫なんて行かなくても、あなたの疑問にはすべて答えられるわ」と、彼女は不敵な笑みを浮かべた。