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21 ヒギエアの祭・Ⅱ

 遠征から戻ると、今度はヒギエアの祭の準備が始まる。

 休む間もない。


 穢れ落としの為に、雪山に登り滝に当たらなければならない。

 そんな私たちに同行するのは、アレス様と噂のクー様、そして、何故かディノだった。


 噂のクー様は、氷の貴公子と言いう二つ名がぴったりの銀髪蒼目の貴公子だった。

 伏し目がちな瞳が、色気を感じさせる。

 アレス様とは、また違う雰囲気のある騎士だった。


 浮足立っているのはローズだけで、寒さが嫌いなリリーは、変わらず不機嫌だった。

 そして、またもやヴァネッサまでもが、不機嫌だった。


 出発当日、いつも通り早起きをした私は、急いで支度を終えて、いつもの場所、泉の裏にある丘へに向かった。


 吐く息が白い。 凍えるような寒さが身にしみる。

 コートの合せをしっかりと閉じる。


 今日は少し雲が多い。 

 眼下に広がる雲海が、まるで生き物のようにうごめいていた。

 その雲海が、だんだんと色づいていく。ゆっくりと。


アテネ(エリス)は、本当に夜明けが好きなんだな」


 背後から聞こえた声に振り向くと、いつの間にかアレス様が、そこにいた。

 心が跳ねる。


 彼は私の首筋の鎖を持ち上げ、自身の色の石をコートの上に出した。

 私の胸の鼓動が、指先から彼に伝わってしまわないかと心配になった。

 その石が、反射する光が、アレス様の頬を薄く、紅く照らす。


「えぇ。アトラス殿下に教えていただいたんです。悩みが晴れると」


 アレスの指先が、ピクリと震えた。


「猫だったときは、よく殿下と夜明けを見ていました」


 視線を雲海に戻した私は、ふと懐かしくアトラス殿下との日々を思い出していた。

 思い返してみると、共に過ごした時間は短いが、いつも私の不安な気持ちを、ほぐしてくれていたように思う。

 本当に、感謝しかない。


 紅く色づいていた雲海が、黄金色に輝きながら晴れていく。ゆっくりと。

 ふと我に返り振り返ると、もうそこに、アレス様は居なかった。


 ********


 私たち五人を乗せた馬車が、雪道をゆっくりと上がっていく。

 祭事を行う滝までは、数時間で着くというが、足元から上がって来る冷気に身震いする。


 暖が取れる魔法石が、車内においてあるのだが、あまり役に立っていない。


 リリーは「だから嫌だったのよ」と、悪態をついている。

 私も、ここまで寒いとは思わなかった。


 窓の外を見れば、アレス様たちが風に吹かれていた。

 馬の呼気が、白い煙となって流れている。


 彼らは厚手のコートを着込んでいるが、車内でもこれほどまでに寒いのだ。

 王宮生活の長いディノは、大丈夫なのだろうか。と心配になる。


 程なくして私たちは、滝近くの山小屋に着いた。


 前もって手入れが成されていたようで、こじんまりとした室内は、清潔に整えられていた。


 暖炉には火が入り、一本足を踏み入れると、気が抜ける程の暖かさに包まれる。

 リリーは、暖炉の前にへたり込んだ。 もう、一歩も動かないだろう。


 広間を中央にして、個室が配置されている。

 個々の部屋も、同じ様に暖炉に火が入り、そして、清潔に整えられていた。

 しかし、個室の扉は………、足りない。 六つしかない。


(アレス様たちは、どこで休まれるのだろう?)


 そう、不思議に思っているうちに、扉の一つが開き、食欲をそそる匂いと共に、侍女たちが食事を運び込んできた。

 中央の大きな丸テーブルに、続々と匂い立つ皿が並んでいった。

 ところが、用意されたカトラリーの数が足りない。 アレス様たちの分が。

 思わず、ヴァネッサと顔を見合わせた。


「さぁ、食事を始めましょう。 じゃないと、彼らがいつまでも食事にありつけないわ」

 そう言うスノウの視線を追うと、窓の外でクー様が手を振っていた。


 侍女に誘導されるままに椅子に腰を下ろすと、隣に座るローズが「私たちが、部屋に入ってから、アレス様たちが()()で食事を取るのよ」と、教えてくれた。

「夜の間は、アレス様たちが交代で()()で仮眠をとるの」と、フォークの先でテーブルを指し示す。


 食事を終えた私たちは、互いに挨拶を交わし、あてがわれた部屋へと入る。

 ランプの灯りがチラチラと辺りを照らす薄暗い部屋の中、私は急いでベットにもぐりこんだ。


 室内に足音が響き、アレス様たちが入ってきたのが分かった。

 カチャカチャとカトラリーか触れ合う音が響き、アレス様たちの会話が聞こえる。

 内容まではわからないが、なにやら堅苦しい話のようだ。


 私は、アレス様の耳障りの良い低音の声を聞きながら、眠りについた。


 ―――頬を撫でる冷気に身震いをして、目が覚めた。

 まだ、陽は昇っていない。 壁にランプの炎が揺らめいていた。


 起き上がり時間を確認すれば、夜明けが近い頃合いだった。


 雪山の夜明けが見たい。という好奇心に負けた私は、足元から上がって来る冷気に抗いながら、一人着替えを済ませ、昨晩用意されたのだろう厚手のコートに手を掛けた。


 そっと扉を開けると、暖炉の前のソファーに()()が休んでいた。

 規則正しい寝息が聞こえる。

 彼を起こさないように、ゆっくりと外扉を開ける。

 急いで表にでた私は、凍えるような冷気が吹き込んでくるのを、抑えるように扉を閉めた。


 (凍るわ………)


 猛烈に後悔した。 冬の早朝の寒さを甘く見ていた。

 そして、こんなに寒い中、外で見張りをしてくれているアレス様たちに感謝した。


 凍り付いたカチカチの雪の上に、ゆっくりと一歩足を踏み出す。 滑らないように。

 地面だけを見て、一歩一歩ゆっくりと歩を進める。 転ばないように。

(滝まではすぐだったはず。 もうすぐ、つくはず)


 好奇心と後悔と戦いながら足を運ぶ私の耳に、轟音が響いてきた。

 滝だ。 もうすぐだ。


 顔を上げた私の目の前に、月明かりに照らされた、青白く光る滝が現れた。

「はぁ………」

 思わずため息が漏れた。 美しい。

 見上げれば、濃蒼の夜空に煌めく星たち。その、滝の上が、うっすら薄紅に色づいている。


 寒さを忘れた私は、期待に胸を膨らませていた。

 どんな素晴らしい夜明けが見れるのだろうかと。


 ーーーその時


「死にたいのか!」


 叫び声が聞こえたかと思うと、後ろから羽交い絞めにされた。

 アレス様だ。


 急なことで、声も出ない。

 そして、気がついた。

 滝しぶきが、私の身体を凍り付かせていた事に。

 厚手のコートは重く凍りつき、私の頬は、薄氷に覆われていた。


「まったく、お前は………」とアレス様は呆れながら魔法で氷を融かし、私を温めてくれた。

「どれだけ夜明けが好きなんだ?」と、私の手をひき、何やらガゼボのような建物に誘導された。


「ここからでも、夜明けは見えるから」とベンチに腰を下ろしたアレス様は、私の手を引き寄せ、自身の膝の間に座らせる。

 アレス様は自分のコートの前を開き、私を包むように抱きしめる。

 まるで、後ろからハグされているような恰好だ。 いや、ハグされている。


 驚くほどの密着ぶりに、身体を固くすると「こうしなければ、魔法で温める事ができない」と耳元で囁く。

「風邪をひいたら、今日の儀式が延期になるぞ。 リリーを雪山に閉じ込めることになって、怒られるぞ?」

 理解できるけど、理解できない。私の身体は、硬直をやめない。


「ほら、見て見ろ。 陽が昇る」


 私の見上げる視界に、急激に色が移り変わりゆく、暁から黄金に輝く滝が飛び込んできた。

 滝口から、放射状に伸びる光線が眩しい。

 そして、氷の結晶がキラキラと輝きながら空を舞っていた。


 ーーーエリスは、気恥ずかしさも寒さも忘れ、自然が織り成す風景の美しさに見入っていた。

 アレスの吐息が、彼女の首筋に当たり、その腕に力が籠るのにも気づかない。


「アトラスとは………、見たことがあるか?」

「いえ、こんなに美しい景色は、初めてです………」


 アレスは、エリスが景色に見とれているのをいい事に、彼女の髪を除け、その首筋に顔を埋めた。


 (彼女は、アトラスを慕っているのだろうか)

 アレスは、考える。 彼女の匂いに包まれながら。


 初めてエリスに出会った時、彼女はブリティシュブルーの猫だった。

 しかし、猫に重なるように立っていた魂は、今のエリスそのものの形を成していた。

 あまりにも人外な美しさの魂に、アレスは魔物を疑っていた。

 その美しい魂を、アレスは気に入った。


(自分の物にしたい)


 瞬時にそう考えたアレスは、彼女に渡したのだ。自分の象徴の石を。


 ところが彼女は、第二王子のアトラスの愛猫として過ごしていたというではないか。

 猫の姿のままだが、寝室も共にしていたと聞いた。

 その物言いから、王子を慕っているのでは?と、アレスは考え悩むのだ。


(今一時、今この一瞬だけは………)


 口に出来ない思いを胸に秘め、気づかれないようにアレスはその唇を、エリスの首筋に静かに落とすのだった。



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