18 カーラ伯爵夫人の神託
辺境伯親子と別れた、おババ様こと、テオーセの最高神官メアリは、テオーセの泉の神殿で、二人の女神の誕生を感謝し、一人静かに祈りを捧げていた。
エリスの母、カーラが命をかけて変えた未来は、聖女が引き起こす混乱を回避できているのだろうか。
なにより、エリスの未来は変わっているのだろうか
すべてが未知だった。
彼女は、あの日告げられた神託を思い返す。
敬虔なテオーセ信者であり、良質な魔法を扱い女神の名を持つ治癒魔導士カーラが、突如、幼子を連れ現れた、あの日の事を。
「私の娘が、国を滅ぼす手助けをしてしまう」
カーラは、取り乱していた。
よくよく話を聞いてみれば、朝の祈りの最中に、神託を授かったのだと言う。
それは、自分たちの事故死の後、ビスク侯爵家の養女となった娘エリスが、侯爵の娘から嫌がらせを受ける事から始まる、という。
「だから、私たちの死後、子供たちをテオーセの者に託したい」
突拍子もない申し出に驚いたメアリだったが、取り乱すカーラの気持ちが落ち着くのなら………と、面倒をみる約束したが、半信半疑だった。
その後カーラは、「領内の祠の結界を確認したい」と言い、スペリオール騎士団の遠征に同行した。
その間、母と離れたエリスは、テオーセでメアリや巫女たちと共に母の帰りを待っていた。
祠の結界を確認し、戻ってきた彼女は恐ろしい事を言い残した。
「祠に異変が起きたら、禁忌である『聖女召喚』が行われるわ。 そして、魔物が増える。 その時が来たら、私の子供たちをお願いします」
ーーー代わり映えのしない平和な日々が続き、いつしか、カーラの神託を忘れていた。
スペリオールとエリュクスの交流が、頻繁ではなかった事もあるかもしれない。
ところがその日は、突然やって来た。
エリュクス家の侍女が、二人の姉弟を連れ、前触れもなく、スペリオール家を訪ねてきたのだ。
訝し気に思うスペリオール辺境伯だったが、ふと、最高神官メアリから聞いていた、カーラ・エリュクス伯爵夫人の話を思い出した。
直ぐにメアリを呼び寄せる手配をした辺境伯は、エリュクス家の侍女に「何があったのか?」と問いかけた。
彼女自身も、よく理解をしていない様子だったが、言葉を選びながら話し始めた。
―――それは、いつも通りの朝だったと言う。
いつものように、衛生班の手伝いにむかう為、馬車に乗り込もうとした伯爵夫人が、ふと、立ち止まり空を見上げ、顔を曇らせた。
「今すぐ、子供達を連れて来てちょうだい」
急な事に戸惑いながらも、執事は言われた通り、侍女に指示を出す。
ところが、連れてこられた子供達を、ギュッと抱きしめた夫人は、涙を浮かべながら「今すぐ、スペリオール辺境伯の元へと向かえ」と言い出した。
「しかし………」と、執事が異を唱えていると、騒ぎを聞きつけた伯爵がやって来た。
夫人の取り乱し様を見た伯爵は、夫人をなだめる事もなく、まるで予測してかのように、執事に言った。
「話はついている。 何も無ければ追って連絡をする。それまでは、何があっても辺境伯の元へと向かいなさい」と。
理由もわからず使用人達は、スペリオール家へ向かう準備を急いだ。
そして、慌ただしく出発準備を終えた侍女と子供達は、伯爵夫人が乗るはずだった馬車に乗り、ここ、スペリオール家にたどり着いたのだと言う。
辺境伯は、悟った。
きっと、伯爵夫妻は亡くなっているのだろう、と。
恐縮している侍女に、辺境伯は伝える。
以前から頼まれていた件である事。そして、子供たちは、約束通り預かると。
涙ながらに「自分も残りたい」と懇願する侍女は、「一度、伯爵家に戻るように」と辺境伯に説得されながら、後ろ髪を引かれるように伯爵家の馬車に乗り込んだ。
小さくなっていく馬車を見送るエリスに、あの頃の幼さは無く、不安気な弟の手を握りしめていた。
メアリの到着を待ちきれなくなった辺境伯は、すぐさま姉弟を連れ、テオーセへと向かった。
カーラ・エリュクス伯爵夫人の望みを叶えるため。
*******
その数週間後、エリュクス伯爵家の執事からの早馬がついた。
急いで、手紙を書いたのだろう。 少々、字が乱れていた。
伯爵夫妻が事件に巻き込まれ、治療の甲斐なく命を落とした事。
葬儀は、ビスク侯爵主催の元、行われた事。
そして『子供達の今後について話し合いたい』と、侯爵が申し出ている事が書かれてあった。
「ビスク侯爵………」
最高神官メアリが言っていた。 彼の娘にエリスは虐げられると。
「どうやって、断るか………」
とは言うものの、やはり、両親が亡くなった事は伝えねばならない。
辺境伯は、テオーセの二人に向けて、重い筆を取った。
ほどなくしてビスク侯爵本人が、辺境伯との面会の許可を求めてきた。
麓の街に滞在しているという。
辺境伯は、テオーセで治癒魔導師見習いのエリスと、騎士見習いの弟をと呼び戻す手配をした。
それと同時に、侯爵に面会の日取りの連絡を入れた。
なんとしても、エリスたちを守らなければならない。と覚悟を決めた。
ところが、ビスク侯爵と面会した辺境伯は拍子抜けした。
メアリから聞いていた話とは違った印象の侯爵は、開口一番、エリスとその弟に謝った。
「すべては、自分の傲慢な態度のせいだ」と。
彼は言った。 何度もアレキサンドライトの衛生班から苦言を申し入れられていた、と。
「いくらカーラ伯爵夫人の治癒力が高いからといって、騎士たちの命を軽んじてはいけない。 どんなに治癒できたとしても、受けた痛みは変わらない。 いつか、恨みを買うことに事になる」と。
それなのに、自分は態度を改めようとしなかった。
そして、その矛先はカーラ伯爵夫人へと向かった。
カーラ伯爵夫人さえ居なくなれば、自分たちは無謀な扱いをされなくなるのではないか。と考えた一部の下位騎士たちが、カーラ伯爵夫人と彼女を迎えに来たエリュクス伯爵の乗った馬車を襲ったのだ。
「謝って済むことではない。ビスク侯爵の名をもって、一生償っていく。 それを証明するために、エリュクス伯爵の所領安堵を約束してもらった」と王家の書状を見せてきた。
後継人の名前は、スペリオール家とビスク家の連名になっていた。
これで、二人ともエリュクス伯爵令嬢とエリュクス子爵の身分が保証された。
あとは、辺境伯がサインを入れるだけだ。
カーラ伯爵夫人が、エリュクス伯爵夫妻が命をかけて変えた未来だ。
辺境伯は、ゆっくりとペンを取り言った。
「二人に不都合があれば、全兵力をもって二人を救いにビスク領へ向かう」
辺境伯は、侯爵を見据えサインをした。
スペリオール辺境伯とテオーセの最高神官メアリに見送られ、エリスとその弟の乗った馬車が、石畳の坂を下りていく。
心配性になってしまった辺境伯は、二人に何かあれば、すぐに連れ戻せるように、配下を数人ビスク家に忍び込ませる手筈を整えた。
ーーー口元を緩めたおババ様は、ゆっくりと目を開けた。
カーラは言っていた。「自身の命を懸けて、ビスク侯爵に恩を売る」と。
「そうか。うまくいったんだな………」
おババ様は、一人呟いた。
カーラの見た未来とは、確実に変わっている。 今のところは。
あとは、聖女が現れてからの未来だ。