12 あの小説
「今朝方はお騒がせして申し訳ありません」
朝食に呼ばれたヴァネッサは、食堂に入るなり、先に席に付いていた辺境伯夫人に頭を下げた。
ところが夫人は「気になさらないで。 大切なお友達なのでしょ?」と、気にする様子もなかった。
「それよりも………」と、エリスに興味津々だった。
「あなたが、猫になってしまった『エリス』さん、なのね? 不思議なものね………」
と、ひたすらに感心している。
「あら、その石………」
夫人が立ち上がろうとした、その時、咳払いが聞こえた。辺境伯だった。
「遅くなって申し訳ない」
私はやっと、夫人の視線から逃れられた。
―――他愛もない話が続く。 私は、また、お嬢様の足元に逃げ込んでいた。
使用人が気を利かせ、テーブルの下に食事を用意してくれていた。
食後の飲み物が運ばれたきた。
人払いがされ、辺境伯が改めて、私たちの名前を呼んだ。
「ヴァネッサ嬢、エリス嬢。 この後、準備が出来次第『テオーセ』に向かってもらう。その後の事は、そこの者に聞いてくれ」
随分とザックリとした説明だった。
その後、白いワンピースに着替えたお嬢様と猫の私は、スペリオールの騎士に囲まれた馬車に乗りこみ、テオーセへと向かった。
馬車の中には他に、同じ服装の女性が三人乗っていて、この服装は騎士団所属の『治癒魔導士』の正装だという。
これから、テオーセで騎士団の無事を祈願するのだという。
彼女らは、騎士団の魔獣退治に同伴するのだ。
何故か今年は、魔獣の数もそうだが、強さが以前と比較にならない。と言う。
確か辺境伯も、そんな事を言っていた。
彼女たちは「女神の加護が薄れてきたのではないか………」と、心配していた。
「あなたは、新人なのでしょ? 心配しなくても大丈夫よ。 スペリオールの騎士たちは、近衛兵団より強いから。 王国一よ」
どうやら彼女たちは、ヴァネッサお嬢様を新人の治癒魔導士と思い込んでいるようだ。
お嬢様も、彼女たちに話を合わせている。
年齢が近いとわかってからは、もっぱら恋愛の話題で盛り上がっていた。
気のせいか、お嬢様の顔が陰った。
「そうそう、あの小説のせいで、私たち治癒魔導士が狙われているから、気を付けてね」
クスクスと彼女たちは笑う。
「あの小説………って?」
お嬢様が小首を傾げると、彼女たちは「知らないの?」と、驚く。
「『もしも、貴女が聖女だったら………』よ。純愛と取るか、悲恋と取るかは、人それぞれだけど」
「聖女の母親が、有能な治癒魔導士なんですって。 それで、いろんな意味で私たちは注目されているのよ」
「おかげで、誘拐騒ぎもあるしね」
『でも、大丈夫よ。 この制服を着ている限り、スペリオールの騎士が守ってくれるから』
三人の言葉がそろい、顔を見合わせて笑いだす。
そして再び話題は、恋愛話へ戻った。 騎士の誰それが強いとか、優しいとか、かっこいいとか………。
彼女たちの話を聞いていて、僅かに違和感を感じた。
名前が、話題にでる人物の名前が不思議な名前なのだ。
宝石の名前に聞こえる。土地柄なのだろうか。
お嬢様も不思議そうな顔をしながら、彼女たちの話を聞いている。
その様子に気がついた一人の女性が、カラカラ笑い出した。
「私たち騎士団の関係者は、自分の名前を言わないの。言ってはいけないのよ」
「魔獣の魂に引っ張られないように。って、言われているわ」
ようは、退治された魔獣が、死の間際に聞こえた名前の人物を、一緒に地獄へ連れて帰るから。という、言い伝えによるものらしい。
「命名は、テオーセの泉がしてくれるわ」とまた、不可思議な事を言う。
ちなみに自分たちは、リリー、ローズ、スノウだという。
男性は宝石や男性神が多く、女性は花や自然の名前が多いそうだ。
ただ一人だけ、本名を貫く人物がいるという。
「辺境伯の嫡男よ。私たちは恐れ多くて名前を口にできないから、アレス様と呼んでいるわ」
「彼の強さなら、魔獣に引き込まれることはないでしょうね」
「治癒魔導士として戦場にでれば、すぐにわかるわ。 とても色気のある方で、暁の瞳をしているから」
「そうそう、その猫ちゃんの首の石によく似た瞳をしているわ」
そう言って、夜明けの薄雲のような、薄いピンク色に輝く私の首元の石を指差した。
ひとしきりおしゃべりをして疲れきったお嬢様たちは、うつらうつらと馬車の揺れに身を任せていた。
私も、お嬢様の膝の上で惰眠をむさぼっていた。
数日をかけ、ようやくたどり着いたテオーセは、深い山間に囲まれたエメラルドグリーンの湖がある街だった。
テオーセの泉までは、まだ半日をかけ山を登った中腹にあるという。
にぎやかな三人とはここまでだった。
彼女たちと再会の約束をして、私たちは再び馬車に乗り込みテオーセの泉を目指した。
膝の上でうたた寝する私の頭をなでながら、独り言のようにお嬢様は呟いた。
「あの朝の方は、アレス様だったのかしらね?」
見上げると、お嬢様はぼんやりと窓の外を眺めていた。
「エリスはすごいわね。 初対面で象徴の石をもらっちゃうなんて」
その声色から、お嬢様の気持ちを察することはできない。称賛なのか、嫌悪なのか。
ただの気まぐれよ。と、伝えたくて「ニャオーン」と鳴いた。
「フフフ。気にしないで。私は………、あの人が怖いわ」
薄っすらと笑顔をたたえるお嬢様の表情から、何も読み取れない。
なぜか、哀しみが伝わってきた。
新緑のトンネルを進んでいた馬車が、静かに止まった。
ここからは、少し歩くそうだ。
そこは、突如として現れた。
木々に囲まれた洞窟の中、苔むした岩肌から染み出した水は集まり、淡いスカイブルーの泉となっていた。
ようやくテオーセの泉にたどり着いた。
見上げれば眩しい空が覗き見え、差し込む陽射しが、複雑に交わり幻想的な雰囲気だ。
洞窟という表現は、間違っているかもしれない。
神々が降臨する、その神殿のような神々しさがあった。
ところが、厳粛は雰囲気とは、まったく似つかわしくない、騒々しい声が、急に聞こえてきた。
「やっと来たね」
そう言いながらやって来た年配の女性は、若い女性達を従えていた。
「さっそく、始めようか」
そう言うが早いか、ヴァネッサお嬢様の隣にいた私を、むんずとつかみ上げると、そのまま泉の中に突っ込んだ。
お嬢様の悲鳴が、遠くに聞こえる。
―――不思議な気分だった。 息が出来ない。と思ったのだが、何故か苦しくない。
すると、目の前の開けている泉の底に、何かが見えてきた。
一人の若い女性が、王家主催の舞踏会で踊っている。
その相手は、王太子であるライモンドだったり、ディノ公爵子息だったり、はたまた第二王子のアトラスだったりとコロコロ変わる。
その女性の顔が近づき、私はドキリとした。 あの『聖女』だ。
お嬢さまを幽閉した、あの、私だ………。
「………して」
「………返して」
そう言いながら、私がものすごい形相で、私を睨んでくる。
「知らないわ。私は何も取ってないわ」
私は必死に返答する。
「うるさい!返せ!私の記憶を!」
私の顔を持つ彼女は、私の髪を掴み引きずり回す。
頭皮がちぎれてしまうのではないか。と思うぐらいの痛みが襲ってきた。
「やめて! 痛いわ!」
必死に手を振りかざし、彼女から逃れようと試みた。
「返せ! ここは私の世界だ。私の物なんだ。お前の記憶を返せ。それは、私の物だ」
今度は、私の額を岩に打ち付けだした。
あまりの痛みに気が遠くなる。 段々と怒りが沸いてきた。
「あなたの記憶なんて知らない。やめて!」
「うるさい。あの記憶を取り戻さないと、あの女を始末出来ないんだ」
そう言う彼女が指差した先に、ヴァネッサお嬢様がいた。
なぜ、お嬢様が始末されないといけないの?
驚きのあまり、痛みを忘れた。
お嬢様はライモンド王太子と踊っていたかと思えば、ディノ公爵子息に相手が変わり、次の瞬間アトラスに変わっていた。
「あの女に同じ苦しみを与えなけれなならない」
私であったはずの彼女の顔は、見知らぬ人に変わっていた。
「この世界は、あの小説の続編なんだから。 私が、主役なんだから」
まったくもって意味がわからない。
それより、お嬢様を、大切なヴァネッサを傷つけるなんて許せない。
ヴァネッサを守らないと。戦わないと!
その瞬間、私の視界が黄金に輝いた。




