第8話
ここに来るまでに乗っていた馬車に半ば無理矢理乗せられ、ネスムンへの帰り道を辿る。向かいに座っているジェロックさんがひとつふぅと息を吐く。その音で私は怒涛の展開に置いて行かれていた意識がハッと戻ってくる。
「あ、あの……!」
「どうかしましたか?」
「その……あんなこと言っていいんでしょうか……ルノーヴレのような大国に歯向かって、今後ネスムンが危険に陥ったりなど……」
「去り際に彼に言ったように、フラヴィアさんがこちらにいる限り大丈夫でしょう」
「ですが……」
武力でルノーヴレに勝てる気がしない。それはネスムンに限らず、ほとんどの国がそうだろう。圧倒的な数に押されたら、……ネスムンの人々を虐殺していったら、私はきっと一生自分を責め続けるだろう。私のせいで、彼らは死んだ、と。
そんな未来を想像するだけで、ぶるりと身体が震える。やはり私はルノーヴレに従うしかないのではないだろうか。
「……逆にお聞きしますが、貴女はあのように言われたままでいいのですか?」
「え、……あれくらい、なんてことないです。抵抗したところで、ねじ伏せられるだけで……」
「僕には嫌なことは嫌だと言ってください。貴女の嫌がることはしたくありませんので」
「……私なんかが拒否したら、怒りが湧いてきませんか?」
前世も今も私に拒否権なんてなかった。あったとしても、彼らにひどくされることは目に見えているので、行使することはなかっただろう。ただ言うことに従っていればいい。波風を立てないように暮らせば、なんとか生きてはいられる。
私の質問に、ジェロックさんは少し考えるような素振りを見せて、言葉を続ける。
「……『私なんか』ですか。貴女がそうやって自身のことを下げている時は、少し癪に障りますかね」
「ほら、やっぱりそうで――」
「貴女のことを大切に思っている僕の気持ちまで蔑ろにされたような気がしてしまうので」
「……え?」
「貴女は……フラヴィアさんは、どう思っていますか?」
そう言ってジェロックさんは、膝に置かれてあった私の手を取り、両手で優しく包み込む。彼の行為に心臓がドクンと脈打つ。男性に触られるだけでゾクリと嫌な寒気が襲っていたが、彼は他の人とは違う。彼が触れた場所からじんわりとぬくもりが広がって、心に沁み込んでいく。
「わ、私は……その……」
「ゆっくりで構いませんので、貴女の本当の気持ちを教えてください」
「……ジェロックさんのことは、他の人とは違う、と思って、います……」
「違う、というのは?」
「え、えっと……私は男性が苦手で、ジェロックさんのことも、最初は苦手でした。でも、私の意思を尊重してくれる。私がここにいてもいいんだと、思わせてくれる。言動の端々からそう感じられて、この人は、大丈夫なんだと、そう思いました」
私の言葉で彼が怒らないだろか。彼以外が相手だったら、そう怯えていたかもしれない。でも、今は、彼に嫌われないだろうか。それだけが脳内にある。的外れなことを言って、大切だと言ってくれている彼の気持ちを害していないだろうか。その思いで、握られている手の平に汗が滲む。
「……それは、僕と同じ気持ち、だと捉えても?」
「っ! そ、それは、その……」
そう言い淀んでいると、馬車が動きを止めた。どうやらもうネスムンの城門前に到着したようだ。行きはこんなに遠かったかと思っていたが、帰りはあっという間だった。プラスな気持ちの時間は過ぎるのが早いというのは、本当だったようだ。
ジェロックさんは一度手を離し先に馬車から降りて、私の目の前へと手を差し出す。そんな手助けなどなくても簡単に降りられるのに。それに、今は、私の方から彼へと触れるのは、少し、いやかなり恥ずかしい。どうしようかと手を彷徨わせていると、強引に彼に手を取られる。
「ぁっ!」
「足元、お気をつけください」
「は、はい……」
彼にエスコートをされたまま城内へと入る。ルノーヴレで何があったか報告をしに行くだろう。そう思って、彼から手を離し自室へと向かう。いろいろなことがあって、今日はもう疲れた。夜ご飯の時間までゆっくり休もう。そうしたいのに。
「……あの、ジェロックさん……?」
「はい」
「ど、どうして、私の部屋まで、ついてこられるんでしょうか?」
「そうですね……先ほどの答え、聞かせてもらいたいな、と」
うやむやになって記憶の彼方に行ってしまったと思っていたのに。彼はなにがなんでも、私に明確に言ってほしいようだ。意外と頑固なところがあるらしい。初めて知る彼の一面に、少し嬉しくなる。それは――。
「……えっと……私も、ジェロックさんのことを、大切に、思っています……」
「、……」
「ジェ、ジェロックさん……? わっ!」
何も言葉が返ってこないから、何か間違ったことを言ったのではないかと不安になり、彼の名前を口にすると、勢いよく腕を引かれ彼の胸の中に身体がすっぽりと収まる。抱き締められることが、こんなにもドキドキして、ここにしばらくの間いたいと思えるようなものだっただろうか。
「! す、すみません!」
「い、いえ! 大丈夫ですっ!」
「いきなりどうこうしようという気はありません。ですが、その、愛しくなってしまい……」
「いと!? そ、それは、大変、ですね……?」
彼の突然の言葉に頭が回らなくなってしまった。変な返答をしてしまったような気がする。彼の口角が少し上がったから。
「大変……そうですね。では、大変ついでに口付けをしてもいいでしょうか?」
「えっ! あ、えっと、え?」
「本当に嫌なら嫌だと言ってください。貴女の嫌がることは絶対にしませんから」
嫌じゃない。そう頭で思ったのと同時に、口からも音になって彼の耳まで届いた。その瞬間、彼の顔が近づいてきて私の唇に柔らかいものが触れる。ほんの数秒だけど何十分にも感じられた。
ゆっくりと唇が離れ、横に流された前髪の隙間から覗くアメジストのような瞳と目が合う。すぐに隠すように前髪を元に戻す。今日のその行為は、不吉な瞳だから、という理由ではないように思えた。彼の頬がほんのりと赤く色付いていたのが見えたから。
「……初めて、だったので、その、おかしいところはありませんでしたか?」
「っ! わ、私も初めてなので、分かりませんが、だ、大丈夫だと、思います!」
「そうですか……それなら、よかったです」
そう言って照れながら嬉しそうにするジェロックさんを見て、思わず胸が高鳴る。こんなに誰かを愛おしいと、この人の傍にいたいと、思ったのは、前世から考えても初めてだ。
もう一度彼の胸の中へ収まりに行くと、優しく、けれど、離さないとでも言うように力強く抱き締められる。心地よさに身を任せ、彼とのこれからに思いを馳せてみる。
彼との間に小さな家族ができる日もそう遠くないのかもしれない――。
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