第6話
「ここは……」
「厨房です。お腹が空いているようでしたので。そのままでは眠りにくいでしょう?」
「い、いえ、そんな……」
「それと、そのコメとやらを食べてみたくなったので」
そう言って彼は私の手を見つめる。
確かに見た目はネスムンで食べているものと同じだとしても、味や食感までが同じとは限らないし、味見、とはまた違うが、国で流通しても大丈夫なものかを確認したいのだろう。
彼が用意した鍋に、ザラザラと手のひらからお米を必要な量だけ生み出していく。二人で軽く食べるだけなら一合もあれば十分だろう。
「あとは、水を――」
「あっ」
「、っと……どうかしましたか?」
思わず声が出てしまった。彼が一合分よりも多く水を入れそうになったからだ。
私が今まで食べていた感じだと、かためでもやわめでもなくちょうど中間のお米だから、水は適正の量でいい。生み出す度に違う食感ということもなかったから、おそらくずっと同じ品種だろう。
でも、彼は水が多めの方が好みなのかもしれない。そもそも私が口を出していいわけが……。
「あ、いや、えっと……」
「……もしかして、調理法が違いますか?」
「! あ、あの……水が、その……」
「ネスムンでは、たくさんの水でふやかして溶解させ、様々な調味をしています」
彼の言った通り、私と彼では食べ方が異なっていたようだ。基本的には粒が立ってしっかり噛めるくらいに炊く私とは違い、ネスムンでは主にリゾットやおかゆなどに近い方法で食べているらしい。
そうやって食べるのも悪くはないが、やっぱりお米というのはたくさん噛んで甘みを味わって食べるのが一番だと私は思う。もちろん思うだけで言うことができるわけではない。
そう悶々としていると、彼は私の前に鍋を差し出してきた。
「フラヴィアさんが普段食べているようにやってみてくれますか?」
「え? で、でも……」
「他にも食べ方があるなら知りたいです」
「……わ、分かりました」
王族なのに得体のしれないものを食べて問題はないのだろうか、と少し思いはしたが、彼がやれ、と言うなら、それを断ることは私にはできない。
鍋の中に指を入れて水の量を見る。それほど多量というわけでもなさそうだったから、そのまま鍋に蓋をして少しの間浸水させた後、火にかけて様子を見ながら炊きあがるのを待つ。
30分ほどが経ち、鍋の中の水分もなくなった頃合いで蓋を開けると、ぶわっと蒸気が鍋から立ち上る。しゃもじ、ではなく、木のヘラのようなもので、炊きあがったごはんを粒を潰さないようにかき混ぜる。よかった。いい感じに炊けてる。
「……これで、出来上がり、ですか?」
「は、はい。これ自体に、味をつける食べ方もありますが、基本は、これで完成です」
「……」
「! す、すみません! やっぱり、これでは、駄目、ですよね、すぐに片付け――」
炊きあがったごはんを見て黙ってしまったから、不満に思ったのだろうと思い、慌てて鍋の中のものを処分しようしたら、彼の手によってそれは阻まれた。
「駄目、とは一言も言っていませんよ。なるほど、と感心していただけです」
「感心……」
「このような食べ方もあったとは、と。早速頂いてもよろしいですか?」
「あ、……は、はい!」
用意されたお皿に少量だけ乗せて、彼に手渡す。
彼が口元へとごはんを運ぶさまを、ドキドキとしながら見つめる。口に合うだろうか。……気に入ってくれるだろうか……。
「……調味していないと、こんな味になるのですね……」
「……お口に、合いませんでしたか?」
「いえ、美味しいですよ。いつも味がついているので、少し物足りないくらいですかね……」
「! そ、それなら、調味料、少しお借りしてもいいですか?」
「こちらにあるのを自由に使ってください」
そう言って、彼は厨房の一角にあるたくさんの陶器を指し示した。手の甲に中身を少しだけ出して舐めては、なんの調味料なのかを一つずつ確認していく。
……あった。
目当てのものを見つけ、お皿に盛ったごはんの上にティースプーン1杯に満たない程度の量をパラパラと振りかけ、混ぜ合わせる。それから、その混ぜ合わせたものを適量手に取り、形を整えていく。俵型や丸型も好みだけど、やっぱりここは綺麗な三角にしよう。できればラップがあればよかったんだけど、さすがにそういうものはなさそうだったので、時折水を手につけながら、完成形へと握っていく。
「……で、きました」
「これは?」
「えっと……塩むすび、というもので……」
「シオ? ……この調味料のことですかね」
「はい。私の、一番好きな食べ方、です」
彼はお皿に乗った二つある塩むすびの一つを取って、まじまじと観察した後、ゆっくりと口に運ぶ。数回噛んでごくりと喉が鳴った後に、小さく美味しいと呟いた。
その感想を聞いて嬉しくなり、私も残ったもう一つの塩むすびを食べる。久しぶりに人とごはんを食べた気がする。そう思った瞬間、緊張の糸がほどけたからなのか、一気に涙が溢れてきた。
「っ! フ、フラヴィアさん? 大丈夫ですか……?」
「ぅ……っご、ごめ、なさ……っ」
次から次へとこぼれる涙はとどまることを知らなかった。彼はどうしていいのかと少しの間おろおろとした後、椅子に座っている私よりも低い位置まで屈んで、自分の服の袖で涙を拭ってくれた。
そんな彼の行動に驚いて、今まであまり見ることができていなかった彼の顔をジッと見つめる。屈んだからか私を見上げる形になった彼の、前髪がはらりと横に流れて、その隙間から彼の瞳が見えた。
アメジストみたいな瞳だった。
「……きれい……」
「え? ……あっ!」
いつもよりも視界がクリアに見えたから気がついたのだろうか。私が何に対して綺麗と言ったかを理解してすぐに、前髪を直して眼を隠してしまった。
「すみません。気味の悪いものを見せてしまいましたね」
「気味悪い、だなんて……そんなこと、全然ないです。綺麗な色です」
「……この国では、不吉な色だと言われていて、この前髪で隠れるまでは周りは僕のことを避けていました。それくらいに、嫌われる眼、なんです」
「わ、私にとっては、不吉ではなくて、本当に綺麗、ただそれだけです。ずっと見ていたいくらいに」
「……そう言ってもらえると、嬉しいです。少しむずがゆいですが……」
彼は照れくさそうに小さくはは、と笑ってそう言った。
男の人はもう嫌だと思っていた。無理矢理結婚させられて、男性に私は下の立場なのだと圧倒的な力でまた押さえつけられるんだと思っていた。使えない力を持っていることを黙っていたから余計に、だ。
でも、彼――ジェロックさんは違った。
私と似たような痛みを知っている彼になら、心を開けるかもしれない。
私の使えない力をそんなことないと、私のごはんを美味しいと、言ってくれた彼なら。
ジェロックさんも同じように思っていてくれたのか、その日の夜を境に、私たちの心の距離はとても近くなった。