第1話
「聖女様の誕生だー!」
男性がそう耳元で叫んだことで、ハッと意識を取り戻す。強打したはずの頭の痛みはなくなっていたが、代わりに身体が思うように動かず言葉を発することもできない。ただ無性に泣きわめきたい気持ちだけが湧き上がってくる。
「産声だ! やっと、女の子が産まれた!」
「――ヴェレーナ様? そんなっ! ヴェレーナ様が!」
「しっかりしてください、ヴェレーナ様!」
男性が先ほどよりも強く私を抱き締め、小さく「大丈夫、神は私たちの味方だから」と何度も繰り返し呟いていた。
夢のようなその光景に、戻ったばかりの意識が再び落ちていった。
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――十数日後。
「フラヴィア様、おはようございます。本日も……お元気そうですね」
ベッドで寝ていた私の顔を覗き込みながら女性は言った。女性の名は、メリジッタ・モイラ。私のお世話係、メイド、もっと言えば、乳母だ。メリジッタは、赤ちゃんの私の服を手際よく替えていく。本来なら自分で着替えたいところだが、この小さな身体はそれができなかった。自由に動かすことも、意志を伝えることも。
私は生まれ変わってこの世界に来た。そう気が付いたのは、再び目を覚ました時だった。
前世、と言うべきか、このフラヴィア・オーレストの身体の中身は、ただの日本人だった。朝霧香穂。それが、本当の私の名前。
田舎の米農家に嫁ぎ、夫と義父母に虐げられる毎日で、精神も体力も削られていった。どれだけ体調が悪くても家事や農作業を無理強いさせられたり、義母に掃除がきちんとできていない、おかずの味が濃いなどと嫌味を言われ、義父には何度もセクハラをされたりした。
そんな私のことを助けることもなく、夫も常に高圧的な態度で人格や存在を否定してきた。これでも、婚活で出会った時はとても優しく、数回のデートもいろいろと気を遣ってくれた。私がお米を好きなのもあって、こんなに相性がいい人なんていないと思ったから結婚をしたのに、蓋を開けばただのモラハラ夫だった。
いつでも逃げ出すことはできたはずなのに、その思考すらもこの家族は奪っていった。
そんなある日、毎日の心身の疲労から無意識に夫に反抗的な態度をとってしまった。それに逆上した夫に思いっきり突き飛ばされ、運悪く机の角に頭を強打し、気が付いたらこの世界に産まれ落ちていた。
「フラヴィア様、ごはんです」
メリジッタは私の目の前に哺乳瓶を差し出す。中には赤ちゃん用のミルクらしき液体が入っている。これが思ったよりも美味しい。ただ、フラヴィアの中身の私は前世でいろいろと食べてきたので、ミルクばかりだと飽きてしまった。
あの夫との間には子どもはいなかった、もとい、できないようにしていたので、離乳食になるのが明確にいつ頃からかは分からないが、固形物が早く食べたいところだ。
「うぇ」
「あらあら、一度に飲み過ぎましたかね?」
不意に思い出した夫との行為に、ついミルクを吐き戻してしまった。メリジッタは慌てることなく、口の周りを綺麗に拭いてくれた。
結婚してからの行為は、ほとんどが無理矢理だった。嫌だと言っても、それがお前の役目だと押さえつけられた。まだ受け入れる準備ができていないのに強引に押し入れられ、自分が満足したら私のことは放っておく。それが夫の中での普通だった。私は絶対にこの人との子どもを欲しくないと思い、薬を飲んで身体を調整していた。その薬の副作用で体調が優れない日もあった。何も知らないだろう義母は自己管理がなってないなどと小言を並べた。
「全部飲めましたね。お上手ですよ」
メリジッタは背中をぽんぽんと優しく叩きながら言う。
……もう、前世のことなんて忘れるべきだろう。今の私は朝霧香穂ではなく、フラヴィア・オーレストなのだから。
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――3年後。
3歳になった私に、メリジッタと、この国の神官であるプロスト・ヘンリッドは、私がどういう立場に置かれているか、子どもでも分かるように噛み砕いて教えてくれた。
この国には様々な災厄を祓う聖女という存在がいて、聖女は聖女からしか産まれないという。私の母のヴェレーナ・オーレストがその聖女だったが、男児ばかりが産まれ諦めかけていたところに、私が産まれ国をあげてのお祭り状態になっていたらしい。産まれたばかりだったから、私は参加できなかったけど。
次期聖女が産まれたのはよかったが、母は私を産んですぐに亡くなった。そんな私を、日々を過ごしている王宮の人たちは、聖女であることも相まって、とても大事に育ててくれた。
災厄を祓うという聖女の力は、5,6歳で発現するらしく、最低でもあと2年は先になる。その間、力を使える聖女がいないのに大丈夫なのかと気になったが、3歳が聞くには少し大人びているかと思い、疑問は胸にしまっておくことにした。少なくともこの3年は何も起こっていなかったから、聖女の存在は例えるなら消火器のようなものなのだと思った。いつ何時も必要というよりは、非常時に欠かせないもの。
「フラヴィア様は、どのようなお力になるのでしょうね」
「前聖女のヴェレーナ様の力はとても強大でしたから、フラヴィア様もさぞかしご立派なものになること間違いなしです!」
「りっぱ……」
前世の私はなんの力も持っていなかった。言い返すことも抗うことも、逃げることもできなかった、無力で弱い人間。
そんな私が聖女とは言え、すごい力を持っているのだろうか。発現までまだ時間はあるが、もし何か力があるのなら、誰にも貶されないような能力がほしい。そう思いながら、小さな手のひらをしばらく見つめていた。
新作です!
全8話で2/23まで毎日投稿します。
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