表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瞬きの終わる前に  作者: 原田楓香
9/50

9. 夜の底

「なんかお腹空いたな」萌がつぶやく。

「麻さん、ごめんね。麻さん食べられへんのに、あたしら食べるけどいい?」

「大丈夫。慣れてるから。それに、お腹すかないし」

「じゃあ、ちょっと、そこのスーパー行ってなんか買ってこよか」

僕が立ち上がると、萌も立ち上がって、

「大ちゃんに任しとったら、どうせ、おにぎりと野菜ジュースくらいしか買って

こなさそうやし」

「ピンポーン!正解」麻ちゃんが、横から笑いながら言う。

「もうちょっと、ちゃんとしたもん食べたいから、あたし、行ってくる」

そう言って、僕に手を差し出した。やむなく5千円札を渡す。

「諭吉でもいいねんけど。デザートも買うし」

5千円を回収して、ご指名の入った諭吉を渡す。

「しゃあないなあ。じゃあ、任せるけど、とりあえず、豚肉とキムチは買って来てや」

「あ、豚キムチ作るん?いいねえ~。了解。で、玉子あったっけ?」

「ない。玉子も買うてきて」

「わかった。6個入りでいいね?」

(なんか、この街の住人になった気分やわ、スーパー行くのって)と、

嬉しそうに萌は出かけて行った。


麻ちゃんと僕は、一晩ぶりに、2人きりになった。

「麻ちゃん、びっくりしたやろ。ごめんな、萌が急に来て話しかけて」

「ううん。大丈夫。・・・ていうより、なんか嬉しかった」

「そう?そやったらいいねんけど。あいつ、けっこう強引なところあるから」

「大ちゃんのこと、大好きなんやね。大ちゃんが毎日どうしてるのか、

いろいろ聞いてた」

「それにしても、まさか、僕の留守の間に、2人がいろいろ話してたとは思わんかった」

「そやろ?」

「あ、麻ちゃん、萌の影響だいぶ受けたね。萌としゃべると、みんな関西弁うつるねん」

「うん。萌ちゃんもそう言うてた。日本全国あちこちから来てる友達が、専攻の言語

覚えるより先に、関西弁覚えそう、って言うてるって」

2人で笑う。

せっかく外国語学びに来てるのに、それより先に関西弁覚えてしまいそうって、

そら困るやろ。

「語学好きっていうところも、すごく話が合ってね」

「そうみたいやね。さっきも、めっちゃいろんな外国語の文字の話とかもしてたもんな」

「うん。ほんとに、面白い。なかなかいてないよ。こんなに話の合う子って」

感心したように、麻ちゃんの声に力が入る。

「・・・僕は?」 少し、恨めしそうに僕は言う。

「お、やきもち?」麻ちゃんが、軽口をたたく。機嫌のいい証拠だ。

「かもね」

僕は、頬杖をついてわざと横を向く。

どっちに麻ちゃんがいるかわからないけど。

少し、笑いを含んだ声が言う。

「昨夜は、誰とも話せなくて、すっごくさみしかったよ。大ちゃん」

「うん」 (誰とも、ね。話せたら誰でもええんやね?) 

僕はそっけなく短く答える。

「大ちゃんがここに引っ越してきてから、話さない日は一日もなかったから」

「うん、そやね」

「毎日、話するのが当たり前で。・・・なんか落ち着かなかった」

「うん。・・・僕もや」

「だから、大ちゃんが帰ってきて、ただいまって言ったとき、めっちゃ嬉しかった」

「うん。僕も、おかえりって麻ちゃんの声聞いたとき、ホッとして、嬉しかった。

萌の声と2人分で、ちょっとびっくりはしたけど」

ふふ。滲むように笑う気配。

「大ちゃん。・・・おかえり」

「ただいま、麻ちゃん」

昨日家を出てからずっと聞きたかった声が響く。

僕は、麻ちゃんを、今、すごく抱きしめたいと思った。

―――抱きしめるかわりに、組み合わせた両手に、そっと力をこめた。



萌が、買ってきたのは、伏見家特製の豚キムチの材料。それと、いろんなお惣菜。

今日は、久しぶりやから、あたしが作ったげるわ、そう言って、萌がキッチンに立つ。

ここの台所はけっこう使いやすいね、とか言いながら、萌は案外手際がいい。

僕ら兄弟妹は、基本、家事は自分のことは自分で、をモットーにした両親の方針の下に

育ったので、たいがいのことは、できる。

できるのはできるけど、上手いかどうかは、別だ。

一番上手なのは、たぶん、和兄だと思う。その次が萌で、僕が一番ヘタかもしれない。

そんな僕に、ちゃんとしたご飯を食べさせようと気にかけてくれる萌が、ありがたかった。


夜も更け、萌は、明日は朝から国際マンガミュージアムに行く!と言って、

となりの部屋に敷いた布団に横になると、あっという間に寝息を立てている。

いつもながら、寝つきがいい。うらやましいくらいだ。


夜、なかなか寝つけないとき感じるのは、夜の底に一人っきりで

取り残されたような、何とも言えない焦り、そして孤独。

どんなに目をつぶっても、眠り方が思い出せない。

早く眠りたいのに、どうしても眠れなくて、

焦れば焦るほど、頭が冴えてしまう。

そうやって、眠れないまま迎えた朝は、昨日の夜の続きの中にあって、

暗い沼に足をからめとられているみたいに、空気が重い。

みんなは新しい一日に向かってスタートを切っているのに、

自分だけが、昨日と今日の狭間に落ち込んでしまったような、

そんな気持ちになる。

でも、この部屋で暮らすようになって、僕は、そんな孤独をすっかり忘れていた。

「麻ちゃんのおかげやな」

「ふふ。お役に立てて光栄です」

そんな話をしながら、僕と麻ちゃんは、一緒の時間を過ごす。


夜は暗い沼の底ではなく、青く透明な湖の底ようだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ