7. まさか
全員が夕食と入浴を済ませたあと、広めの和室に、学部生院生、全員が再集合した。
「学部生には未成年もいるので、お酒はなしで~す」
最初に、合宿の幹事を引き受けてくれている4回生が宣言した。
20歳以上の連中は、
(え~っ)とか言いながらも、実はそんなに残念そうでもない。
みんな、酒なんかなくても、お茶とおしゃべりでめっちゃ盛り上がれる。
むしろ変な酔っ払いがでて、雰囲気がおかしくなることもないので、
なんだか、高校のときの修学旅行のようなノリで、
お茶とお菓子で、わいわい言いながら、座卓を囲んで座って、怪談話を
順番に披露したりしている。
人が誰もいないのに、その前を通ると、柏手を打つ音が聞こえる
小さなお堂の話とか、なぜかそこを通ると自転車が勝手に前に進むとか、
ほんまかいな?と思うような、でも日常にありえそうな不思議話を
面白おかしく、ときには、怖そうに雰囲気を出して語る。
三井さんが、意外に怪談話が上手で。
淡々と不思議そうに語るので、怖がらせようと話を盛る語り手よりも
逆に、リアルでぞくっとする。
僕にも順番が回ってきたので、中学時代の旧校舎の七不思議の話をした。
その校舎は、昔、円形校舎が大流行したころに建てられたもので、
円形校舎の真ん中にらせん階段があって、その周りに扇形の教室が
並び、最上階は広い講堂になっていた。
そのらせん階段が、夜中に上ると段数が増えるとか、いくら階段を登っても
講堂につかなくなるとか、そういう類の、学校あるある的な話だ。
なので、あんまり怖くない。
でも、円形校舎を知らない子たちには、その建物自体が面白かったようで、
僕は、怪談より円形校舎について、話すことになった。
といっても、扇形の教室では、短い弧の方に、黒板がついていて、
その黒板は真平なよく見るタイプのものとは違い、弧に沿うように湾曲していること、
教室の後ろの窓が足元にあって、遅刻したときは、そこから室内にもぐりこんで
自分の席に滑り込み、先生が出席をとるとき、さも前からいたようなふりを装って
た、なんていう話だ。
みんなで笑ったり、怖がったり、楽しく過ごすうち、夜はあっという間に更けていく。
高校の修学旅行と違うのは、就寝時間だから寝なさい!と叱りにくる先生たちが
いないことだ。教授たちは、夕食後、しばらくそのまま歓談して、早々に各自、
自室に引き上げて行ったし、もちろん、早く寝なさいなんて言いに来ない。
「では、12時も近いので、本日はお開きです!」
また、幹事役の学生が宣言して、みんなそれぞれの部屋へと戻る。
僕は、幹事役の学生、箕輪君と二人部屋だ。
彼は、今日一日、目いっぱい、動き回っていたので、くたびれていたのだろう、
「今日は、おつかれさま。ほんまにありがとう」
僕が声をかけると、ニコッと笑い、
「いえいえ、おつかれさまでした。おやすみなさい」
そう言って、布団に横になると、あっという間に、寝息を立て始めた。
僕も、正直、眠かった。
それでも、頭の中を、麻ちゃんの声がよぎる。
そういえば、麻ちゃんの寝息を聞いたことがないな。
麻ちゃんは、眠らないんだろうか。
なんてことを一瞬考えたけど、いつの間にか、眠りについていた。
翌朝、昨日の晩の夕食会場と同じ、宴会場で朝食だ。
昨日は、吉野名産の葛鍋がでたけれど、朝は、焼き魚と玉子焼きと海苔と
味噌汁、というような、ザ和定食、だ。
パンの方がいい~なんてつぶやく声もあったけれど、炊きたての白いご飯は
ツヤツヤ、ふっくらで美味しくて、なかなかいい感じで。
ごちゃごちゃした野菜のおかずがないのも、僕には、ちょうどいい。
野菜は、薄いたくあんと、白菜の漬物くらいだ。
朝食後は、大きな会議室のようなところに集まって、少し真面目に、
自分の研究テーマや関心を持っていること、などを発表しあう時間になった。
それでも、まだ、本格的な発表というわけではないので、気楽なもので、
お互いの発表に、軽く質問をしたり答えたりして、予定の時間通りに、全員が
発表を終えて、終了になった。
この後は阿部野橋駅で解散 と予定には書かれていたけれど、
土産物屋を巡りたい人、少し観光したい人、など、各自の予定に合わせて動くことになり、
実質、宿の前で解散となった。
「伏見さん、私ら、今からちょっと観光していこうか、て言うてるんですけど、一緒に
どうですか?」
三井さんと同じゼミの子たちが声をかけてきた。
「いいね。 でも、いまから、実家に寄ることになってて、帰らなあかんねん。
ごめんな」
「そうなんや・・・ざんねんやけど、じゃあ、また学校で」
「うん、楽しんできてね」
三井さんたちに手を振って、僕は、ひとまず駅に向かう。
駅のそばのお土産物屋さんで、桜ようかん、を2本買う。
抹茶色のようかんと桜色のようかんの2層の上に、透明な寒天の部分があり、
その透明な部分に小さな桜の花が封じ込められている。
上品な色合いと、小さな桜の花が可愛らしい。
泊まるかどうかはともかく、お土産を持って、いったん実家に寄ってみよう、
そのことは決めていた。
念のため、今朝メールすると、土曜にしては珍しく、両親も午後には家にいるようで、
(じゃあ、合宿の帰りに、昼からちょこっと寄るわ)と僕は、メールを送った。
タイミングよくホームに滑り込んできた電車に乗った。
行きと違って、学生もいるけれど、乗っている人は様々な年齢層だ。
集中して本を読むことにした。
実家に着くと、母親も父親も、ちょうど午前中の部活の指導が終わって
帰宅したところだった。3人とも食事がまだだったので、
3人で昼食を食べることにした。
「ホンマ久しぶりやねえ。ほとんど電話もしてこーへんし。ちゃんとご飯は食べてるの?」
「たべてるたべてる」
「まあ、顔色は元気そうやな」
「そやろ」
「大学は、どう?面白い?」
「うん。面白い。手に入る文献の数が、はんぱなく多いし。学生もみんな面白い子ら多いし」
「よかったなあ。気ぃよう行けるのがなによりやわ」
父親も母親も、ホッとしたような笑顔を見せる。
今の大学に、院生として進学することになるまで、本当にいろんなことがあった。
なので、僕が平和に穏やかな日常を過ごせることを、彼らは心から願ってくれているのを
ひしひしと感じる。
そのたびに心配かけたよな‥と、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
少し話は遡るけど、
高校2年の終わりに、僕が書いた小説が思いがけず賞をとり、それがコミック化や
映画化されることになった。
名前も顔も出さない約束になっていたので、表向き、僕の日常に大きな変化はなかった。
ただ、映画化の際に、一度だけ、撮影の様子を見せてもらう機会があって、
そのときにヒロイン役を演じた女優さんと出会ったことで、僕の穏やかな日常は
変わってしまった。
スキャンダルになる前に、彼女の事務所が動いて、ニュースになるようなことには
ならなかったけど、正直、僕は受験どころではないくらいに、振り回される日々を過ごした。
残念ながら、その女優さんと僕の間にロマンスが芽生えた、というような甘い話ではなく、
ちょっと情けないけど、僕は、彼女と彼女の恋人の間の、恋の駆け引きに利用されてしまった、
というちょっとマヌケな顛末なのだった。
こんなことになるなら、小説なんか書かなければよかった、と思ったときもあった。
それでも、一つだけ、よかったこともある。
映画はそれなりにヒットしたし、小説も版を重ねたし、おかげで、僕は、自分の学費や生活費を
自分で賄えるようになった。
受験は、第1希望だった今の大学にこそ入れなかったけれど、なんとか現役で受かることが
できて、4年間を過ごした大学も、今では僕の大事な母校になっている。
だから、あの頃のことは、もう過ぎたことだと冷静に思える。
そして今、そのときの女優さんと恋人の俳優は、とうに別れて、それぞれ別の相手がいるらしい。
けど、もう僕には一切関係のないことだ。
「今日はどうする?泊まっていく?」
母親が、お代わりのご飯とカレーよそって、僕に渡しながら、きく。
「あ、ありがと。いや、今日は泊まらんと帰るわ。借りてる資料があって、早く読んで返さんと
あかんねん」
(ほんとは、読み終わっているけど。)
「そうなんや、それやったら、あのこ、萌がそっちに泊まるっていうてたけど。じゃまやよねえ。
泊まらんと帰っておいでって言うた方がええかしら」
「え?! 萌、京都に行ってるん?どこか遊びに行ってるだけやと思ってた」おどろいた僕に、
父親が、大盛にしたごはんにたっぷりカレーをかけながら言った。
「うん、朝から、大きいカバンもって、泊りがけで行ってくる~って言うてたで」
「えええ」
僕は、ちょっと焦る。
麻ちゃん。
萌。
どうやろ。
まさか、ふたりで話はせーへんよな。