072.加須高校生の今
リネスタードの街は、現在ちょっとした混乱状態にあった。
とはいえ悪い意味ではない。街全体で抱えている仕事が多すぎて、誰も彼もが忙しく動き回っているせいだ。
仕事が多いのは、今後更に増えていく仕事に対応できるよう、新しい人間を次々街に招き入れているせいもある。
街の住民たちは、誰もが不思議に思っている。
これまで、リネスタードの街は三派に分かれて争っていたはずなのだ。なにかとこの三派はお互い邪魔をしあい、競り合っていたはずなのに、何故か今は全くそんなことにはならない。
これまでの積み重ねからくる恨みつらみは、その大小の差はあれど誰しもが持っている。なのに、それが原因で揉め事にまで至ることがほとんどない。
商人たちは鉱山街から受け取った思っていたよりずっと正確に記されている資材調達の依頼書を見ながら、農民たちは商人たちが手配した新しい農具や肥料を手にしながら、そしてまた鉱山街の職人たちはそれまではほとんど手に入れることのできなかった新鮮で甘みの強い果物を食べながら、平和に忙しい日々を過ごしていた。
幾人かはその原因に気付いた。
今まで、他所に一番文句をつけていたのは、彼らの一番上の人間であったのだ。
一番上が文句を言うのであるからして下もまた揃って文句を言い、時に行動しなければならない。今は下が文句を言ったところで、上が同調しないのだから文句はただの愚痴にしかならない。
思うところがないではないが、自身のメシの種のためならば、より便利でより豊かな生活がその先にあると信じられるのなら、リネスタードの人間は感情的な部分を抑え込むことはできるのだ。
そうやってリネスタードに仕事が溢れていることの元凶の一人であるところの、加須高校三年生橘拓海は、魔術師ダインと共に森の中の加須高校の校舎に来ていた。
ダインは以前に建築の仕事もしていたようで、鉄筋コンクリートというものにいたく感心していた。
ダインの工房を訪れてからの議論と研究の日々は、拓海の人生の中でも三本の指に入るほどの楽しく充実した時間であった。
研究のことしか考えていない自分勝手な人物に見えた魔術師ダインであるが、研究自体には誠実であるようできちんとそれまでの研究を弟子や新しくきた魔術師に引き継いでいた。
その引き継ぎの量が膨大なもので、ダインは随分と機嫌が悪そうでもあったが。
おかげでできた時間に、拓海はこれまで駆け抜けるようにしてやってきた実験や議論の整理を行なっている。
既に成果が挙がっているものもあり、それらはリネスタードの鍛冶屋だったり、農家だったり、木工職人だったりのところで実際に製作に入っている。
加須高校生の中には今、技術復活班というものがあり、如何に現代技術をこちらの世界で再現し、利便性の高い生活を享受するかを専門に研究している。
本来ならば歴史の本にある通りに技術開発を進めるのが正解なのだろうが、この世界には魔術がある。
これを利用することで、一足飛びに実現できてしまう技術なども存在するのだ。
「今やってるのなんて、その最たるものだよな」
魔術師ダインと拓海が今取り組んでいるのは、空中浮遊術である。
昔からあった有名な魔術の謎の一つとして、極めて強力な防御術を展開すると、何故か術者が空に浮いてしまうことがあったという。
最初、魔術防壁が重力を遮断した、なんてことも考えたのだが、重力波なんてものを捕まえるのに現代の人間ですらとんでもなく技術と研究を要している。そこまでの精度をこの時代の魔術が出し得ているというのは拓海にとってはあまり納得のいく話ではなかった。
だが遮断ではなくとも、なんらかの干渉を起こしているのは確かだ。
その辺を、重力とは、といった基礎的な知識をダインたちに説明したうえで魔術の実験を重ねた結果、一メートル四方の板一枚を、数十センチ浮かせることに成功したのだ。
ダイン曰く、魔術で空中に物を持ち上げるのとは全く異なる新たな術式らしい。
「これってSFで言うところの反重力とかそーいうのじゃないのかねえ」
揚力すらまだまともに研究されていない段階で、反重力だか慣性制御だかで空を飛ぼうというのだ。
その面白さをダインたちと共有することはできないが、時折そういった愉快さに思い至り笑いがこみあげてくるのである。
「タクミ! 悪いがこっちを見てくれないか!」
声を掛けてきたのは、引き継ぎを早々に終わらせたダインの弟子の一人だ。
彼が今研究しているのは、魔力の遠隔地への輸送だ。遠隔地と言ってもほんの数メートル先なんて話だが、電線の存在から着想を得たこの技術にはとんでもない可能性が秘められている。
魔力を実際に魔術に変換する作業自体は、必ずしも魔術師を必要としないのだ。
かなり面倒な装置を使うしそのための工作精度も厳しいものだが、リネスタード鉱山街の職人ならば不可能ではないレベルだった。
そして工作精度のハードルを越えてしまえれば、魔術師一人では到底考えられない大規模術式も視野に入ってくる。
魔力は魔術師当人から離れてしまうと凄まじい勢いで減衰していくもので、これまで複数人で大きな魔力を扱うという術式は、全員が密集し、かつ減衰しきる前に術式を完成させねばならないという魔術師当人のスキルに大きく依存したものであった。
これが緩和されるということだ。彼の研究は魔力の輸送であり、保管でもあるのだ。
「今行く! 新しい送魔線は完成したのか!」
彼はとても嬉しそうな顔で答える。
「鉛だ鉛! 七種類作ってもらったが鉛が一番だ! 魔力との親和性の低さが逆に良かったらしい!」
減衰阻害に周囲を囲む物質の密度が関係しているとしたら、魔力というものは謎の理不尽不思議パワーなんてものじゃなくて、拓海の世界には存在していないというだけの新しい元素なのでは、なんてことは少し前から拓海も考えていたことだが、高校にある実験器具やらで確認できることなどたかが知れている。
それに拓海の考えが見当違いである可能性も高い。ダインも他の魔術師も、それぞれに推論のようなものは持っているのだが、それらが正しい保証など何処にもない。
彼に招かれ新しい送魔線のチェックに向かいながら、拓海はやはり笑うのだ。
『とりあえずで色々試してみて、偶々でも上手くいったものを採用すると。なんで上手くいったかなんて誰も説明できないのに、上手くいったんだからそれでいいって。ははっ、案外に、中世レベルの技術なんてそんなものの積み重ねなのかもしれないな』
現代ほど失敗の余波は大きくないとはいえ、おっかない話だ、なんて思いながらも拓海に手を止める気は一切ない。これもまた、技術者らしい、と言われるようなあり方なのかもしれない。
高見雫はその報告を事務所で受けた時、思わず報告者に向かって言ってしまった。
「また?」
「ああ。正直、もうアイツら何度か痛い目に遭わせてやればいいんじゃないかって思えてきた」
リネスタード住民による加須高校女生徒への暴行(メディア的表現)未遂事件はもうこれで十件を超える。
原因ははっきりしている。幾人かの女生徒たちが現代の感覚で、現地人的には肌の露出甚だしい恰好をしながらふらふらと不用心に歩き回っているのが、全ての元凶である。
ましてや今は新たな住民が凄まじい勢いで増加している時で、そんな街を年頃の女性が単身で出歩くなぞ正気の沙汰ではない。
幸いにして加須高校生はその全員が極めて重要な人員であるとリネスタードには認識されているおかげで、衛兵も気を配ってくれるし善意ある街の住民も気にはしてくれているので、事件から未遂が取れることはこれまでなかった。
女生徒たちは、はっきりと言ってしまってこの街ではかなりモテる。この世界で言うところの貴族並の生活を送ってきていたのだから、見た目が整って見えるのも当然であろう。
これに浮かれた一部の馬鹿な女生徒がこうした問題を引き起こしているわけだ。
襲う方が悪いのは当然にしても、だからと犯罪を誘発するような行為もまた許されざるものであろう。
「……コンラードさんに頼むわ」
「尻でも叩いてもらおうって?」
「ええ、それよそれ。理不尽な罪状で牢屋にでも入れてもらいましょ。一週間もそこで過ごせば嫌でもここがどういう場所か思い出すわよ」
報告者はとてもドン引いた顔をしていた。
校舎で必死に生き残らんと足掻いていた頃は彼女たちももっと危機感を持っていたのだが、今は街に入って生活が安定したおかげで随分と緩んでしまっているようだ。
最低限守らなければならない部分を守ってくれるのならば緩もうとハメを外そうと大目に見るのだが、人間なかなかそう上手くはやれないものだ。
雫は秘書として雇っている現地の人間に代筆を頼み、コンラードへの手紙をしたためる。
すると事務員が部屋の入り口に来た。
「シズクさん、合議会議員の方が……」
深く嘆息する雫。現在高見雫はリネスタードの最高意思決定機関である合議会議員の一人となっている。
そして議員は議会に備えて根回しやらをするもので、拡張政策の最中にあるリネスタードは議題も利権もてんこもりだ。当然根回しせねばならぬ内容も多く、議員同士のすり合わせや、議員への依頼も多い。
これらを一つ一つ対応しなければならないのだ。
慣れぬ異郷の地にあって、万を超える人口を持つリネスタードの未来を定める権限を与えられた高見雫が感じる重圧はどれほどのものであろうか。
雫が若年でありながらこの立場を得たのは、極めて特異な存在である加須高校生の代表という意味ももちろんあるが、人間を管理する、運用する、そういった手法に関してこの世界の人間よりも数世代分先の技法を知っているからだ。
写本が進んでいるこれらが書かれた本を読ませればいい、そういう部分もあるが、その本の作者が考える読者の前提は、現代に生きる現代の価値観を知る現代の義務教育を終えた、そんな人間だ。そうでない人間が読んだところで、よほどの天才でもなくば作者の真意を読み取るのは難しいだろう。
雫は現代の管理ノウハウを、わかりやすいよう噛み砕きながらリネスタードの重要人物に惜しげもなく伝えていた。
代わりに雫は合議会議員としての立場を与えられ、そういった立場の人間の立ち居振る舞いを学ばせてもらっているのだ。
統治者としてのあり方を学ぶなぞ、本来貴族や豪商の子弟といったごく一部の人間にしか与えられぬ超が付く特権だ。
それを許されるほどに、雫はギュルディだけではなく、リネスタードの他の有力者たちにも認められていた。
「やあシズク。壁外商業区画の件なんだがね、少し時間いいかい?」
部屋に顔を出してきた老商人が気さくに声を掛けてくれるが、雫はそんな彼の態度にも油断はしない。
「……奥の応接室を使います。どーせ長引くんでしょうから」
老商人の本命は壁外商業区画ではなく、メンリッケの街への経済協力という名の利権配分の相談である。
「ははははは、シズクも随分と話が早くなったものだ。最早一人前と言ってもいいのではないか」
「そーやって毎回毎回おだてに乗るかどうか試すのやめてください。どの議員さんも試すって名目でやり放題してくるんですから、いいかげん食傷気味です」
「それもこれも、シズクの成長を願えばこそよ」
「なーに言ってるんですか。こっちが乗ったらここぞと人の利益吸い上げにかかるでしょうに」
「わはははは、心配せんでもお前の食い扶持全部を奪うよーな真似はせんよ」
「されてたまるもんですかっ。あと、メンリッケの領主さまには配慮するってギュルディさんの話、忘れたフリしても通じませんからね」
「うぬう。シズクよ、最近君、可愛げがなくなってきたと思わんか?」
「さんざっぱら人で遊んどいて何が可愛げですか。いいですか、私からこれまでにかすめとった分、いずれ利子つけて返していただきますからね」
雫の傍には加須高校生が三人ついている。
彼らは雫同様、管理者統治者となるべく海千山千の老人たちを相手に悪戦苦闘の最中である。
内の一人は思う。
『立場は人を作る。高見さん、もう向こうで学生やってた頃とは比べ物にならないぐらい大きくなってるよな』
校舎ではリーダーを張り、今ここでも街の代表の一人として活動している。
高見雫は間違いなく、加須高校生の中で最も成長した人間であろう。そうでなければ、生き残ることはできなかった。そしてそれは、これから先もそうであろう。
『高見さんだけじゃだめだ。俺たちみんなが必死にならないと飲み込まれて終わる。ここじゃ、力のある存在であり続けないと、俺たちが納得するような待遇は受けられない』
今のうちに加須高校生に十分な価値を付与できなければ、最後はそれこそ女生徒たちを売春宿に放り込むぐらいしか生きる術がなくなってしまう。
他の生徒たちはまだ今は、夢中で走る楽しさと、成果を挙げる達成感だけでいい。だが、管理者側になるというのなら、現状の危うさを正確に把握していなければならない。
そういった危機感を彼含む三人は共有している。それは雫にとっても、とてもありがたい話であった。
その日はリネスタードの街に来ている加須高校生たちが集まっての宴会であった。
「第四回! 技術復活班主催! お前らどんだけ頑張ってんだ報告会を開催しまーーーーす!」
いえー、と数十人もの人間が一斉に声を上げる。実にやかましい。
宴会とは言うものの、誰も酒は飲んでおらず、たくさんの食事がこの会のメインである。
「ではトップバッター! 六班のアホ共だあああああ!」
「はいはーい! みんなテーブルの上にあるもの、気が付いてるよね!? 匂いしてるよね! そう! ふわっふわのパン! 遂に完成しました!」
おっしゃー、よくやったー、と皆が嬉しそうに歓声を上げる。
スープつけなきゃとても噛めない硬いパンには皆辟易していたのだ。
さっそくこれを手に取り、久しぶりの柔らかいパンに泣きそうになりながらかぶりつく。
「よーっし次の英雄は交易班からだ! 頼むぜ!」
「こちらは現物は無しよ。でもね、王都に向かった連中から手紙が来てる。以前から噂にあった特上布による下着、実際に試してみたそうよ。製法は明らかにされていないけど、シルクと同等、って感想と王都にいった女生徒全員が給料前借してこれを揃えたって報せがきてるわ」
きゃー! 魔法ばんざーい! なんて女生徒たちの黄色い声が響く。
下着関連はこちらに来た直後から女生徒たちの懸念材料であり、これが、ようやく改善の兆しが見えてきたのである。
男子でも幾人かは拳を握ってガッツポーズだ。特上布の下着はとんでもなく高価であると伝え聞いてはいるものの、金を稼いでなんとしてでもこれを手に入れてやると皆鼻息は荒い。
「よーしよしよし盛り上がってきたなおい! じゃあ次は……」
各班から次々報告があがってくる。
生徒たちの中でも一度皆を見捨てて学校を出た面々は、負い目があるためかなんとかここで皆の評価を得て挽回したいと考えているようだ。
普段は皆の羨望の的である魔術師見習い組も、この場では少々居た堪れないものがある。魔術師としての訓練が優先されていて、他の生徒たちのように仕事にはそれほど力も時間も割けないのだ。
報告は多岐に渡る。パン組のように早々に成果の出る組もあれば、実験検証に年単位で時間がかかるようなことをしている班もある。
その内の一つ、七班が壇上に上がると、司会者は力強く言い切った。
「はっきりと言い切っちまうぜ! 今回最大の英雄はこいつらだ! 七班頼むぜ!」
七班の研究は紙に関することだ。
植物紙の作成を行なっており、既に何種類もの紙を作り上げているし安価で原料にも困らぬだろう紙がどれなのかは既に見つけてある。だがそれでも、彼らは紙研究を続けていた。
生徒たちも、紙の価値も利便性も知っているが、敢えてこれが最大だという理由に思い至らず困惑している。
七班の班長は、訴えかけるように皆に言った。
「普通の紙は作れた。安いインクも研究が進んでいる。けど、俺たちが最優先で研究しなければならないのは柔らかい紙だ。柔らかくて、使い捨てても構わないほど安価で大量にある紙だ。リネスタードの全市民分とは言わない。俺たち加須高校生全員が、毎日使えるだけあればいいんだ」
班長の言葉に、皆がその意図を察し大きく目を見開く。
「トイレットペーパーだ! コイツを俺たちは絶対に作ってみせる! だから頼む! 製紙研究への予算削減を皆でなんとか防いでくれ!」
本日一番の歓声であった。
加須高校生皆の心が一つにまとまり、七班の予算削減を防ぐべく断固たる決意を表明する。
本来は恥ずかしがったりするようなデリケートな話題でもあるが、学校での一月の共同生活、そしてリネスタードで一つ屋根の下で暮らしている間に、互いの間に存在する垣根も随分と低くなっているようだ。
出戻り組との確執や問題児の存在などまだまだ加須高校生にも解決しなければならない問題は多い。だが、目の前に与えられた数多の仕事が、これらへの情熱が幾多の問題をも飲み込んでくれる。
働いて、工夫して、改善して、それらがそのまま直接自身の生活に返ってくる。
なんと甲斐のある仕事であろうか。そうして得た快適な生活を仲間たちと共有し、共に喜び、競い合い、更なる先を目指していく。
異世界にきて、彼らはたくさんの不足を感じているだろう。列挙する気にもなれぬほどの物が、こちらの世界に来ることで失われてしまっている。
友の死も見た。地獄のような目にも遭った。今でも恐怖の思い出に震えることすらある。それでも。
豊かな未来を信じることのできる仕事、遣り甲斐をこの上なく感じることのできる仕事、仲間に胸を張って誇れる仕事に就き、日々を忙しく過ごしているのだ。
誰がなんと言おうとも、加須高校生の彼らは今、幸福の中にある。




