062.不知火凪、法廷入り
オッテル騎士団正団員ヴェイセル。
彼は本来、ソルナの街にいるような人間ではない。
オッテル騎士団の本拠地ボロースの街にて、若いながらも組織の重大な決定に関わるような立ち位置にある人物だ。
そんな彼は現在、組織の主要人物に疎まれ追放同然にソルナの街に流れついていた。
ここは元々ヴェイセルが生まれた街だ。ボロースを追い出された彼は、ソルナにあるオッテル騎士団支部の補佐としてこの地に放り出されたのである。
組織の主軸から外れたとはいえ、オッテル騎士団正団員の立場はそのまま、騎士団内の人脈も残ったままであり、しかも、ヴェイセル自身はここソルナの街をオッテル騎士団一色に染めるつもりもなく、昔からの馴染みたちが上手くやれるよう各陣営の利害関係を調整するよう立ち回っていたので、街のほぼ全ての組織からありがたい存在として見られていた。
まだ二十代の若さで、非合法組織間の調整役なんて真似をできてしまうのだから、若いながらも優秀で世慣れた人物であるとわかろう。
そんな彼の目から見て、その女の存在は、決して見逃していいようなものではなかった。
「はぁ。どーしてこう、俺ぁ好き好んで面倒ごとに首を突っ込んでるんだか」
その宿の入り口で一つ気合いを入れると、ヴェイセルは宿の扉を開く。
そこは、街の正門で騒ぎを起こした金髪の女が、滞在していると言っていた宿であった。
「何よ、裁判まで待ちきれなくなったの?」
そんな友好的とは程遠い言葉と共に迎えいれられたヴェイセルは、その相手、驚くべき美貌の持ち主、金髪の女を前に、怯えが顔や態度に出ないよう必死に自制する。
「その裁判が始まる前に、確認しときたいことがあってな。今、時間いいか?」
金髪の女、不知火凪は周囲を見渡した後、宿の一階食堂部の一席を指さし自らもそこに腰掛ける。
宿の女中を呼ぶと凪はヴェイセルに問い掛ける。
「何飲む?」
「俺はいい」
「あっそ」
女中が飲み物を持ってくるまでの間に、お互い簡単な自己紹介をしておく。
もちろんヴェイセルは凪のことを調べた後であるし、凪もまたヴェイセルがどういう立場でどういう人間なのかを聞き知っているのだが。
最初の何気ない会話で、お互いがお互いをある程度調べてあることを理解したところで、女中がきて飲み物を置き、そして本番となる。
「今回の裁判だが、あの場で仕切っといてなんだが俺は関わらないことにした。そいつを先に言っておこうと思ってな」
「あらま。じゃあ裁判の仕切りはあの貴族のおぼっちゃん?」
「そういうことだ。それと、教えても構わない分だけでいいから、お前が何者なのかが知りたい。俺に言っておけばソルナの街に広がるのは早いぞ。その話を連中が信じるかどうかはまた別の話だが」
凪は少し困った顔になる。
「と、言われてもねえ。私は凪で、それ以上でもそれ以下でもないわよ。リネスタードから来たのは事実だけど、リネスタードの人間かと言われればそれも違うし。そうね、ちょっと剣が得意な女の子ってところよ」
「俺の知ってる女の子は門衛相手にケンカ売ったり煽ったりしないもんなんだが」
「認識不足ね、今すぐ改善をお勧めするわ。女の子ってのはいつでも頭の中で煽り文句を考えてるものよ」
「…………何しに、この街に来た」
凪はじっとヴェイセルを見る。
「一つ、誤解があるわね。私の知り合いに喧嘩を売ったのはあの門衛たちよね? どうもあの貴族が関わってたみたいだけど、どっちでもいいわ。私は、売られた喧嘩を買っただけよ。あんなふざけた言いがかりがなければ、あの商人たちも、門衛たちも、貴族の彼も、もちろん貴方も。みんなお互い見知らぬ誰かさんのままで終わってたはずよ。ねえヴェイセル、なのにどうして私が喧嘩を売ったみたいな話になっているのかしら」
凪の言いようにもヴェイセルはまったく動揺せぬまま答える。
「そいつの是非は俺とじゃなくあの貴族と裁判で争ってくれ。だがな、お前さんには黙って見逃すって選択もできたはずだ。あの商人が多少の不利益を被ろうとも、お前がその顔を表に出して貴族のぼっちゃんに目を付けられるような事態を、避けることもできたはずだ」
くすくすと笑う凪は、案外上品そうに見えるのだが、中身はとてもとてもそんなシロモノではないと対面経験の少ないヴェイセルにすらわかってしまう。
「なんで、私が、あんな頭の悪そうな奴を、避けて通らなきゃならないのよ。道を譲って顔を背けて、端で震えているべきは私じゃなくあっちのほうでしょ」
腕が立つのはヴェイセルにもわかった。それがどれほどなのかを判別することはできないが、少なくともヴェイセルにどうこうできる相手ではないのだけはわかった。
だからこそあの場を穏便に収めようとしたのだし、今もこうして丁寧に丁重に扱うよう気を配っているのだ。
そしてこれまでの会話で、この女は辺境の無頼漢共と似たような精神性をしていることはヴェイセルにも伝わった。
ヴェイセルは猛獣を手懐けるように、慎重に、静かに、言葉を進める。
「そうか。だが、裁判だぞ。裁判となればお前の道理ではなく、ランドスカープの法こそが全ての基準となる。その基準に沿って言うのであれば……」
「裁判は負けるって話?」
「……そうだ」
「ん、それはわかってるわよ。裁判官はあの貴族の叔父なんでしょ。それに、街一番の弁護人を連れてくるって話も聞いてる。でも、ねえ、それが本当に全てなの? それだけで、どんな無理も押し通しちゃえるの? この街は?」
大人の社会を知らぬ子供が駄々をこねているような言葉であるが、これを言っている時の凪の表情がヴェイセルは気になった。
ムキになるでもない、憤慨しているでもない、探るように、試すように、ヴェイセルを見ているその目が、とても気になったのだ。
「判決は、首を落とせだの腕を落とせだのといった話にはならんだろう。順当なところで賠償か懲役のどちらかを選ぶ、といったところなのだろうが今回はきっと、連中お前さんを手に入れることに必死だ。なんとかして懲役にもっていこうとするだろう」
「懲役って牢屋に入れってことじゃないの?」
「懲役の延長にある方の奴隷売買なら、横槍の可能性を著しく下げられるんだよ。お前がその顔晒したら、街の金持ち全員が競売になるよう一致団結しかねん」
このソルナの街のローカルルールを凪は知らなかったようで、目を丸くしている。が、すぐに、とてもとても楽しそうな顔でにたりと笑った。
凪の反応を見たヴェイセルは、口にすべきではなかったか、と後悔しかけたが、いずれ調べればすぐにわかる話だ。
「……もし、お前がこの街で何処かと、誰かと揉めちまって、交渉でどうにかしようって段階になったんなら俺に話を持ってこい。この街ならどこの誰だろうと話を持っていくだけはしてやる」
「その逆の場合は、貴方が話を持ってくるって理解でいい?」
「先方に交渉を頼まれたのならな。まあ俺の立場を考えれば、オッテル騎士団の関係者以外がそうするのは難しいだろうよ。もし、それでも俺が来たってんなら、相手はよほど困ってるんだと思ってやってくれ」
「オッテル騎士団は絡んでこないの?」
「俺のところはな。ただ、オッテル騎士団っつっても色々だ。俺が全部監督してるわけじゃないし、支部がどう動くかは連中が決めるさ」
呆れたように凪。
「まとまりないのねえ」
「自分の腕っぷしに自信のある奴ぁ、どいつもこいつも自分勝手なもんだろ」
それもそうね、と笑いそうになって、そこには自分も含まれてると気付く凪。
「わ、私は違うわよ。理由無しには動かないもの。きちんと建前ってものを尊重してやってるわよ」
「誰もお前がそうだとは言ってねえよ。ただ、そうだな、自覚があるんなら自重も伴ってしかるべきだろうな」
「だからっ! 私は違うって言ってるでしょ!」
「はいはい、そういうことにしておくさ。残りの二人はどうした?」
凪一行が全部で三人であることも知っている、とヴェイセルはきちんと伝えておく。凪はそういったヴェイセルの物言いを理解しているのかいないのか、特に気にした様子はない。
「外出中。そっちにも用事あったの?」
「顔ぐらいは見ておきたかったな。特に、もう一人のフード女。あれも滅茶苦茶強いだろ」
「ふぅん……わかるんだ」
「これで強い戦士はよく見る機会があったんでな。強さを隠す動きってのには敏感なんだよ」
感心したように頷く凪。
「へえ、貴方自身はどー見ても弱っちいのに。大したものね」
「悪かったな弱っちくて。とはいえ、俺の見立てを誰も彼もが信用してくれるわけじゃない。ともかく、俺はこの件には関わらないからそこだけは押さえといてくれ」
「了解。でも、だからって私が貴方と仲良くしなきゃならない理由はないわよね? 正直、あそこでやらせてもらえれば話は早かったと思ってるんだけど。ねえ、それなら裁判なんて話も出てこなかったと思うのよ、私はね。さっさとこの街の衛兵なり軍なりが動いてくれたほうが、面倒はなかったんじゃないかなって」
ヴェイセルは無表情を維持するのに必死だ。これを誤魔化すように口を開いた。
「……お前、もしかしてシーラ・ルキュレか? その髪は魔術かなにかで誤魔化してるとか」
「あはは、諦めなさい。シーラはシーラで別にいるわよ。私と、シーラと、うっかりぶつかったら洒落じゃ済まないのは一人じゃないのよ」
そうかい、覚えとくよ、と残してヴェイセルは店を出た。
ヴェイセルの部下はオッテル騎士団の店で待っているが、そこには向かわない。
しばらく歩いて、自分の借りている宿の部屋に帰って、そこでようやく荒々しく息を吐けた。
「ヤバイ、ヤバイ、あれはヤバイ。ミーメさん並にヤバイ。なんだ、なんなんだアイツは。なんだってあんなモノがいきなりソルナの街に来る。ギュルディの奴、二人目のシーラを見つけ出しやがったのか。アイツ、あんなの二人も三人も抱えてんのかよ。絶対どうかしてるぜ奴は」
殺せるのなら殺さなければならない。だが、可能なのか。ヴェイセルにも判断はつかない。
「ははっ、そもそも殺せるんならこんなにビビってないな」
すぐに動かなければならない。あの脅威を認識しているのは今この街でヴェイセルだけなのだ。
ソルナのチンピラ共が目立つ奴につっかかるのはもうしょうがない。オッテル騎士団にしてもワイアーム戦士団にしても、そこに集まっているチンピラというのはそもそもがそういう生き物だ。
だからせめて、間違っても舐めてかかるような真似だけはしないように。きっと、ヴェイセルにできることなどそのていどでしかないのだから。
事前の交渉にて、武器の携帯は不許可だがボディチェックは行わない、ということでまとまっていた。
隠し持つていどの武器なら問題にならない、といった話である。もちろん所持が見つかったなら裁判において著しく不利になる。
凪にとっては何処の誰とも知らない奴に身体を触られるようなふざけたことがないのなら、どうでもいいという話だ。
凪が気にしたのは、たくさんの人の前に出ることになるのだから衣服は恥ずかしくないものにしないと、といったところで、ソルナの街の高級衣料品店にてそれっぽいものを見繕ってもらっていた。
その店の人間は凪が裁判をするなんて話を聞いていなかったようで、凪の容姿を見て、それはそれはもう張り切って服を選んでくれた。
当日、凪は堂々と道を行き、裁判所の建物に正面から乗り込む。
毎日の日課である朝起きてすぐの髪結いは特に念入りにした。凪のトレードマークでもあるツインテールは、今日も綺麗に二つ、凪の後ろにたなびいている。
凪が宿を出る時、一人の男が走って去っていったのが見えた。恐らく凪が出たのを報せに行ったのだろう。だからきっと居るだろうなと思っていたらやっぱりいた。
「ナギ、よくきたな」
上機嫌の極みのような顔で、後ろに兵士を五人も引き連れて、門の前で凪と揉めた若い貴族が待ち構えていた。なにが理不尽かといえば、凪は武装を許されていないのに彼は腰から剣を下げていることだ。
建物の入口前にいるので、どうやっても避けることはできない。だが凪はそんな彼を一瞥したのみで、足は止めずに建物の中へと。一応、彼の脇を通って。
「弁護人は何処にいるんだい? ああ、手配できなか……っておい!」
話し掛けてくるが凪は無視。若い貴族はそういった態度を取られることに慣れていないのか、驚き慌てたうえで、怒り声になりながら凪に一歩踏み出す。
その瞬間、五人の兵士も全く気付かぬうちに、凪の手が若い貴族の耳を掴んでいた。
これを引っ張って若い貴族の首を自身の胸の高さにまで引きずり下ろしたうえで、凪は彼を見下ろし言った。
「人の名前を気安く呼ばないでちょうだい。それを許した覚えはないわよ」
五人の兵士が慌てて動こうとするが、そちらに向かって若い貴族を突き飛ばし、彼ら兵士に侮蔑の視線を向けた。
「馬鹿が間抜けたことをしないよう見張るのも貴方たち護衛の仕事でしょう。役に立たないわね」
凪はそのまま建物に入ると、騒ぎを見て驚き怯えていた職員の一人に声を掛ける。
「控室への案内と今日の段取りの説明をお願い」
そんなことを言われるとは思っていなかった職員は、どう答えていいものかわからず口籠る。凪は、その襟首を片手で掴む。
腕のみの力で職員を吊り上げる。彼の足が床から完全に離れたところにまで持ち上げながら、凪はゆっくりと言葉を発する。
「二度、言わせる気? それとも、仕事する気、ないのかしら?」
彼はとても苦しそうにしながら了承の言葉を述べると床に下してもらえた。呑気にせき込む猶予も与えられず、職員君は凪を一室へと連れていく。
貴人用の控室にて優雅に時間を待つ凪。職員がお茶と菓子を用意してきたが、さすがにこの場で出された物を口にする気にはなれなかった。
この部屋に若い貴族が乗り込んでこなかったのは、恐らくは凪のあの動きを警戒した護衛が止めたせいであろう。
凪を控室に案内しその世話をすることになったその不幸な職員は、お茶を用意している時、別の職員に声を掛けられた。
「お前……プライドってものがないのか? 幾ら美人だからってそこまで下手に出るかよ普通。しかもアイツ、奴隷落ちがほぼ確定してる相手だぞ」
不幸な職員は彼をちらと見た後、怪訝そうな声で答える。
「美人? ……ああ、ああ、なるほど、美人、綺麗な人、な。は、はは、なんだ、お前、俺が美人だから従ってると思ってたってことか? ははっ、はははははっ、お前、平和でいいなぁ。悪いことは言わない。お前は今回の裁判、絶対に見に行くなよ」
「は?」
「……俺もいっそ、お前ぐらい間抜けになれたら人生楽だったんだけどなぁ……いやまあ、短い寿命と引き換えって考えりゃ、そのていどの幸福感は認めてやるべきか。なあ、お前が長生きできるかどうかは完全に運任せだけど、せめても俺ぐらいはお前の長寿を祈っておいてやるよ」
その口調も態度も完全に馬鹿にしたものであったので、声を掛けたほうは不愉快そうに顔を歪めるが、なにを言っているのかが全くわからなくもあるので、なんと言い返したものか。
結局、女好きも大概にしとけよ、という会話になっていない捨て台詞を残して彼は去った。
不幸な職員は、極力あのナギとかいう金髪の女とは接点を持ちたくないと心から思っていたが、応対に手を抜いたらとんでもないことになると直感していたので、自らのありったけを振り絞ってその饗応に努めた。
もしこの女が不幸な職員に暴行を働いたとしたら、当然ここの警備兵が駆けつけてくれる。それは心配していない。だが、どれだけ警備兵が優れていようとも最初の一撃は絶対に避けられない。
そしてその最初の一撃を受けることはきっと、今回の裁判の相手側にとっては極めて有利なことであろうが、不幸な職員にとっては取り返しのつかない致命的な事態になる、そんな予感がしたのだ。主に掴み上げられた襟首の辺りから。
なんでこんな危険な気配漂う相手に拘束無しでの出廷が許されたのか、と内心で衛士たちに文句たらたらな不幸な職員であるが、上の判断に文句をつけたところで自分が痛い目をみるだけなのはよくわかっている。
なので彼にできることは自分の置かれた状況において、最善と信じる選択を選ぶのみである。
裁判場の準備が整い、凪の出番となったところで彼女を呼びに部屋に入る。
「あ、そう」
部屋に備え付けの書に目を通しながら、凪は動かない。
怯えている、尻込みしている、ここにきて負けるのが怖くなった、なんて者を職員は何人も見ているが、絶対にそういうのとは違うと断言できる。
なので丁寧に、あくまで自然な調子で、不幸な職員は問い掛ける。
「なにか、粗相でもございましたか?」
「ん? いやいや、最初はともかく、貴方の対応は悪くなかったわ。けど、ほら、ね。真打は遅れて登場するものでしょ。ていうか私が待たされるの腹立つから遅れていくわ」
「かしこまりました」
即答してやると、凪はそんな職員の態度に満足気であった。
催促の人間が二度部屋を訪れた後で、ようやく凪は腰を上げた。
職員は恭しく問う。
「もう、よろしいので?」
凪は、少し照れくさそうに言った。
「偉そうに言っておいてなんだけど、やっぱりふんぞりかえって人を待たせてるのってちょっと落ち着かないわ」
「ご配慮、感謝いたします」
彼に案内され、法廷へと。当たり前の顔で凪は法廷の扉の前に立つ。これを受け、扉前に居た職員は訝し気な顔をするが、不幸な職員君がすぐに対応し、凪に代わって扉を開いた。
彼の横を通り過ぎる時、凪はくすりと微笑みながら彼に言った。
「お見事。対応が雑だったらきちんとさせるつもりだったんだけど、余計な心配だったようね」
その言葉で、不幸な職員は彼の対応が正しかったと悟る。きっと彼女の言うきちんとさせるという行為は、それはそれはもう受け入れ難いナニカであろうと、職員には思えてならないのである。
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