057.シーラ先生の防諜術
シーラ・ルキュレの身辺には、最近妙な奴等がうろつきまわるようになってきた。
自分がやらかしたことの大きさに自覚のあるシーラは、それも当然か、とこれを放置する。
というかうろつきまわるなりかぎまわるなりしたとして、それは別段法に触れるでもないしシーラに直接なにかを言ってくるだの時間を取らせるだのでもないので、シーラから文句を言い難いというのもある。
だが、シーラの側で少し状況が変わった。
涼太たちが妙なのを連れてきたのだが、どうもそいつの持つ情報がとんでもない価値のある金になるものであったらしい。
防諜を密にしなければならない、そうギュルディは言っていたのだが、ギュルディの手配より探りにきた連中が動き出すほうが早そうだ。
「ん、じゃあ十日の間、私がどうにかするよ」
「すまん、頼む」
シーラは商業組合の人間に、現在諜報活動に動いている連中の繋がりを確認する。
一番注意しなければならないのはボロースの人間だが、意外にもここの人間はあまり活発に動いてはいない。
ギュルディがボロースの街に対し厳しく当たり始めたことは誰しもが知っていることで、だからこそボロースへの監視は厳しくなっている。防諜に動いている人間以外もが、ボロースへの目を厳しくしているのだ。
その辺は彼らもわかっているのか、無理に動こうとはしていない。代わりにメンリッケという街の人間が活発に動いてるらしい。
メンリッケとは辺境区にあり、ウールブヘジン傭兵団が駐屯する予定だった街だ。
この街のアンデシュという男が先日リネスタードに来た。
シーラに説明する商人は眉根に皺を寄せている。
「問題は、このアンデシュという男、貴族の出なんですよ」
庶子ではあるが、貴族の血を引いているというのはそれだけで力となる。貴族が珍しい辺境みたいな土地では尚のこと。
実際に貴族の血を引いている者ならば、取引の時にも信用を得やすく、生まれの関係で様々な人間とも繋がりがあることが多く、色んな場面で有利に立つことができるのだ。
彼がこの時期にリネスタードに来たというのは、間違いなくリネスタードでの諜報活動のためだ。
ウールブヘジン傭兵団はリネスタードに来る前にメンリッケの街にも寄っていたそうだから、その件の確認もあるのだろう。ならばきっと、シーラに会いたいと思っているはず。
シーラは商人に言う。
「じゃあさ、私その人に会うよ」
「え」
商人はものすごい真顔になった。
「いやだから私が会おうかなって」
「いやまってほんとやめてくださいおねがいしますここはわたしたちがどうにかしますのでどうかどうか」
自分がどういう目で見られているかがこうして他者からはっきりと伝わってくると、とても悲しくなるシーラだ。
「そこまで言うのなら、まあ、いいよ。任せるし」
ちょっと拗ね気味にそう言うシーラだったが、商人はもう焦りすぎているせいかシーラの機嫌の在り処などまるで気付かぬまま、安堵と感謝を混ぜ込んだ表情で頭を下げた。
アンデシュはリネスタードの宿に腰を落ち着けている。取引先の商家が部屋を提供すると言ってきたが、その屋敷はアンデシュがとても満足などできそうもない造りであったのだ。
遠回しにその旨を嫌味っぽく言ってやると、商家は慌ててこの宿を紹介してきた。当然宿代は彼ら持ちだ。
「リネスタードでまともに泊まれる場所なぞここしかないだろうに。なにを考えておるのだ、あのあほうめは」
年齢は三十前。働き盛りの年であるが、あくせく働くのはそもそも貴族のすることではないとアンデシュは思っている。
アンデシュの目から見てすら優れた練度を誇るウールブヘジン傭兵団が壊滅した。それも、たった三人に潰されたというのだ。
その前の、盗賊砦を落としたことといい、街中でリネスタード三大勢力がぶつかったという話といい、本格的な情報収集の必要があるとなったので、こういった時の切り札であるアンデシュが出張ってきたのだ。
アンデシュは側仕えをしている男に今後の予定を問う。
「ギュルディ・リードホルムと直接交渉していただき、情報を引き出していただきたく。そのためにこちらから出せるものは……」
「ああ、駄目だ駄目だ。アイツは駄目だ。あんな馬鹿と話してなにがわかるというのだ。奴がなんなのかお前は知っているのか? あんな守銭奴から聞けることなぞなにもないわ」
「しかし……」
「うるさい。あんな無能にこれだけの事件を差配する力量があるものか。そんな無駄なことに時間を使う暇があったなら、さっさとその三人の戦士とやらを見つけてこい。私が直接交渉してやろうではないか」
「シーラ・ルキュレとですか?」
「はっ、あれは最後だ。その前に残る二人を探さんか」
側仕えは不満そうではあったがアンデシュの言葉には逆らわず一歩引く。するともう一人の男が口を開いた。
「アンデシュ様。これはつい先日入ったばかりの話なのですが……」
そう言って彼は、ギュルディが各街の投資先から資金を引き上げている話をした。
王都で人間を集めていること、木材を近隣から買い集めていることを説明すると、アンデシュの表情が鋭いものに変わる。
「……奴は確か第二工場を作っていたよな? もう稼働しているのか?」
「はい。ですが、それでは資金の件は説明がつきません」
「まさか、第三工場か? そんなに作って売れるものか?」
「あの値段の布ならば作れば作っただけ売れるでしょう」
「馬鹿な。量を増やせば更に値は下がるぞ。主要販売先から外れた場所で売っているせいで、奴の布は安く買いたたかれているはずだろう」
「買いたたかれている、というほどの値段でもありません。辺境ですし初期投資の額は王都周辺より安く済みます。採算は取れると判断したのでは?」
「辺境で作ったものを売れる場所まで持っていくほうがよほど金がかかるだろう。だからこそ皆王都周辺に工場を作ったのだ。そんなことがわからぬお前ではなかろう」
「はい、ですから奴は、より廉価な商品を作る方向にかじを切ったのでは、と」
「ハタ迷惑な真似を」
舌打ちした後、アンデシュは立ち上がる。
「よし、奴の工場に行くぞ」
「はっ。ですが……」
彼が反論を口にする前に、アンデシュはそれを笑い飛ばす。
「ははは、ギュルディの下っ端如きが、私の歩みを止められるとでも思うのか?」
彼は深く頭を下げた。
アンデシュの工場訪問は、大いなる驚きと共にあった。
建物に入った直後、まず廊下に書かれた線が気になった。後、廊下も部屋も建物も、とても綺麗にしてある。
「私の視察、もしかして連中に報せてあったのか?」
「いえ、そのようなことは……」
「最初はこちらができたばかりの第二工場かと思ったぞ。それに、普通の工場よりやかましくないか?」
「そう、ですね。悪い道具でも使っているのでしょうか?」
なんなんだこれは、と思い中を進むと、作業の仕方も不思議なもので。
一人がやる作業がとにかく少ない。通常ならばもっと幾つもの工程を一人でこなすものなのだが、ここの工場では一人がこなす工程が少なすぎる。
よほど覚えの悪い作業員なのかと思えば、その少ない工程の内容をとんでもない速さで仕上げていっている。
それも一人二人ではない。十人以上の人間が並んで同じ作業を延々繰り返している様は、とても人間のしている作業とは思えぬものであった。
他の部屋も皆それぞれの工程を、短く、素早く、同じ作業だけを何度も何度も繰り返すといった仕事の仕方をしている。
アンデシュは隣の男と顔を見合わせる。
「おい、これをどう思う」
「今、計算しています。が、もしかするとこちらのほうがずっと早いかもしれません。参りましたね、さすがに工員に数字を聞いても正確なところは教えてくれないでしょうし」
工場内を我が物顔で進むアンデシュとその側近たちの後ろを、工場の管理者たちが困り切った顔でついてきている。
もちろんこの工場見学、持ち主であるギュルディの許可を得てのものではないし、アンデシュにここの職員たちになにかを強要する権限などない。
だがアンデシュは貴族の血を引く者なのだ。その行動を妨げるような無礼は、許されるものではないのである。
もちろんアンデシュの傍には権力を誇示するための武力も備えており、アンデシュを妨げようという者あらば、連れてきた護衛がその者を斬り捨てるつもりである。
工場の人間はギュルディに助けを求めるべく人をやったが、ギュルディ自身が彼に抗議すべく工場にきた頃には、既にアンデシュは見るべきもの全てを見て、工場を出た後であった。
「魔術師ダインの工房?」
リネスタードのアンデシュのもとに続々と情報が入ってくる。
その中には、ギュルディが大々的に魔術師を集めているというものもあった。
魔術師ダインは国の管理下に入ることをなによりも嫌うというのは誰もが知っていることだ。
そんな彼の工房を、ギュルディがパトロンとして細々と支援しているということも。
それがここにきての魔術師の大増員だ。
「ボロースの奴等はなにも言ってなかったのか?」
「はい。いつものこととはいえ、腹立たしい限りですな」
「探るのはそっちがやれ、だが情報は渡さん、か。確かにいつも通りのボロースだな。ならばせいぜい情報は高く売りつけてやるさ」
「はっ、では」
「うむ。魔術師ダインの工房に行こうではないか」
もちろんリネスタードからの抗議はきている。だがそれらをのらりくらりとやり過ごし、まともに相手をしない。
またアンデシュが穿った穴より、リネスタード各所に諜報の種を仕込んでいく。
下手に手を出し、アンデシュの実家が出張るなんて話になったらもうどうにもしようがなくなるのだ。庶子のために家が動くかどうか、そんな判断を辺境の一商人が容易くくだせるはずもない。
そして多少詳しい人間でも判断は難しい。庶子であろうとそれがきちんと利益を出す内容であるのなら、実家が手を出すことも十分にありうるのだ。
だからアンデシュは強気に出れるし、アンデシュの配下たちも思い切った手を打てるのだ。
商業組合側もなんとかこれを抑え込もうと手を打つが、アンデシュはメンリッケの街だけでなくボロースの街からも支援を受けており、アンデシュは強気の姿勢を崩さない。
もちろん、彼を黙らせる手段は存在する。だが、それには時間が必要なのだ。
そしてその時間が経つ前に、アンデシュはリネスタードを丸裸にしたうえでさっさとこの地を去るつもりだ。
恐らく次回以降、アンデシュはリネスタードの城壁を潜ることはできなくなるだろう。だが今回だけは、アンデシュは無敵時間を謳歌することができる。
そしてアンデシュはそれと気付かず、最大の戦果を得ようとしていた。
アンデシュ一行はリネスタードの街から離れた場所にあるダインの工房に向かう。
その道中で、彼女を見つけた。
アンデシュの前に護衛が立つ。辺境にいるのなら、その顔だけは決して忘れてはならないと言われている女。
辺境の悪夢、シーラ・ルキュレである。
だがアンデシュはそんな彼女にも恐れる様子はない。
「ふん、貴様との面会は最後にしてやろうと思っていたのだがな。そちらから来てくれたというのなら話が早い」
「話?」
「……まあいい、辺境の野獣に礼儀云々を言っても仕方があるまい。盗賊砦、そしてリネスタードであったブランドストレーム家の失墜、そしてなにより、ウールブヘジン傭兵団を襲ったというお前の話を聞かせろ」
くすり、とシーラは笑う。
「なんだ、そっちか。この先の工房の話じゃないの?」
「工房は直接見る。お前は聞かれたことにだけ答えればいい」
「やーだよっ」
「…………一度だけ、馬鹿にもわかるように言ってやる。お前の雇い主の立場を考えろ。ギュルディの商売全てを台無しにしてやってもいいんだぞ」
「あはは、それは無理だよ」
「貴様如きになにがわか……」
護衛は一瞬たりとも気を抜いてはいなかった。
なのに、シーラの姿は彼らの視界から消え失せ、そして。
「死人には、なに一つできることなんてないからねー」
シーラの顔が、アンデシュのすぐ前に。腕利きの護衛が前を固めていたはずなのに、これを易々とすり抜けアンデシュの眼前にまで迫ってみせたのだ。
「うおっ!」
驚き下がるアンデシュ。振り返り慌ててシーラに飛び掛かる護衛二人。
アンデシュの脇にいた別の護衛は咄嗟に剣を抜き、シーラに対して壁になるようにアンデシュの手を引きその前に。
シーラへと飛び掛かった前側にいた護衛二人は、その途中で目標を失いふらふらと歩き、シーラの左右に分かれるように倒れる。
アンデシュの脇にいた護衛は、アンデシュを引っ張った反動で前に身体が揺れ、そのまま前方へと倒れた。
アンデシュの側近は全く動けないまま。そんな彼らにシーラが言う。
「抜いていいよ。待っててあげるから」
側近の一人が腰に手をやって気付く。彼は剣なんて持ってきていない。もう一人の側近は剣を持っていないと両手を上にあげ、必死にこれを振って主張する。
どちらも斬られるわけだが。
これでアンデシュ以外の全員が斬られたことになる。
アンデシュはあまりの口惜しさに歯軋りする。
「貴様……貴様っ! なんという愚かな真似を! これで貴様らは破滅だ! ギュルディも! リネスタードも! 全てが終わりだ! 貴様の愚かさのせいでな!」
「うんうん、元気でなにより。これから色々と教えてもらわなきゃだからね、元気がないと困るんだよ」
シーラが合図を出すと、隠れていた人間が数人、荷馬車を引いて現れる。
彼らはアンデシュを無視し、シーラが斬った人間を荷馬車の上に放り投げる。その扱いの粗雑さが、アンデシュを一切無視しシーラにだけ一礼し作業を続ける無機質さが、アンデシュには恐ろしくてならなかった。
そしてシーラはアンデシュに答え合わせを頼む。
シーラたちが把握しているリネスタードで活動している諜報員の名前の答え合わせだ。アンデシュが把握している限りの人員は全てシーラに知られていた。
中にはまだ年若い女性もいる。
「おい、お前、奴らをどうする……」
「そりゃ、ねえ」
「馬鹿なっ、まだ年端もいかぬ女子もいるのだぞ」
「大丈夫だよ、私と大して変わらないじゃない」
っていうか。とシーラはにこにこ笑いながら続ける。
「ウールブヘジン傭兵団の紹介状とか書いてたんだってね、メンリッケの領主は。そのことについてなーんにも連絡はないって聞いてるよ。なのにすぐこんなことするんだもん。そりゃ殺されちゃうよ」
ただ剣が強いだけでは「悪夢」などと呼ばれはしない。
貴族であるリネスタードの領主代行が恐れるのは、当然ただ強いというだけが理由ではない。
事情通の貴族たちは知っているのだ。シーラ・ルキュレは本当に貴族を殺しにくると。
ランドスカープの国でも有数の剣の腕を持つと言われ、辺境中に名が知れている、しかも絶世の美女だ。そんな彼女を、辺境都市のたかが一商人が雇っている、本来はそんな状況がそもそもありえない。
飼い主だろうと、高貴な血であろうと、この女には関係ない。
敵とみなしたなら殺す。結果として国にいられなくなるかもしれない、お尋ね者として窮屈な生活を送ることになるかもしれない、刺客を送り込まれ眠れぬ夜を過ごすことになるかもしれない。それでも、シーラ・ルキュレは殺す。彼女はそんなどうしようもなく手のつけられない狂犬なのである。
事情を知っている貴族ならばこの女に手を出す時は、相応の準備を整えてからやるだろう。
アンデシュは、自らが触れてはならぬ者に触れたと理解した。
この女はアンデシュどころか、メンリッケの領主をすら全く恐れてはいない。
まだアンデシュが十代だった頃。辺境に行かねばならなくなったアンデシュに、友人たちは皆口々に辺境の恐ろしさを語った。
辺境には王の威光が届かない。そこに住む人間を正気だと思ってはならない。王都ではとても考えられぬ悪行がまかり通ってしまうのが辺境だと。辺境にきて十年以上経つが、友の言葉を心から実感したのは今この時が初めてである。
「た、助けてくれ。まだ、私はやらねばならぬことがあるのだ。わたしにはまだ小さな子供も……」
かつて王都で垣間見た底知れぬ王都の闇。これを思い出し、アンデシュは貴族の矜持もなにもかもが吹き飛んでしまった。
そもそもこれは命懸けの仕事ではなかったはずだ。法の内側でどちらがより優位に立ち回れるかという、そんな勝負であったはずなのだ。
「死人を出すほどの話じゃないだろう。無理に殺さなければならない話でもないだろう。頼む、お願いだ、どうか、考え直してくれ」
シーラはとても理知的で冷静な命乞いに驚き目を丸くした後、短く答える。
「やだ」
嫌な理由を説明するのもめんどうくさくなった。この男はきっと、諜報の結果なにが起こるとか、利益が失われた結果誰がどれだけ傷つくかなんて、想像すらしていないのだろう。そんな人間になにを言ったところで無駄である。
聞くべきを聞き終えたシーラはアンデシュを斬った。
シーラ・ルキュレは、相手が貴族だろうと斬るとなれば斬るのである。
商人が青い顔でシーラに謝る。
「……すみませんでした」
自分がやると言っておきながらのこの体たらくである。面目がないのもそうだが、やはり本当に貴族を斬ってしまったことに怖れおののいているのだろう。
その青白い顔に免じて、文句を言うのはやめてやるシーラだ。メンリッケの他の諜報員を捕まえるのに彼は十分に役に立ったことであるし。
メンリッケから来た諜報活動をしている全ての人員を、シーラの指揮のもとただの一人も残さず殺害した。
アンデシュ一行の死体はリネスタードから離れた街道沿いの崖下に捨て、他の諜報員もまたメンリッケへの街道沿いに捨てた。
そしてリネスタードからメンリッケ領主へ手紙を送る。
そちらで内輪もめでもしているのか、と。何故か不思議なことにメンリッケの人間が大量に、一度にまとめて、行方不明になってしまったぞと。
明瞭明快な脅しである。
ついでに言うならばこの脅す相手はメンリッケだけではない。ボロースに対しても、それ以外の街に対しても、なめた真似をするのなら生かしては帰さん、という強烈な意思表示であった。
シーラに任せるというのは、こういうことなのである。




