051.ボロースの商人
一年生、文系女子五人組。
そういった名前で呼ばれているわけではなく、生徒たちにとってはそんな印象で一括りにされているという話だ。
このような事態にありながら、積極的になにかをするでもなく、意見を交わすでもなく、おずおずと言われるがままに行動するのみの五人組を、他の生徒たちは若干の軽蔑と共に見下していた。
そんな彼女たちであったから、百人近くが移動する最中、うちの一人が足を挫いてしまったことで残る四人の歩みも遅くなり、徐々に徐々に集団から離れてしまっていても、他の生徒たちは特に気にかけるでもなくほっといて先に歩いていってしまった。
そして彼女たちもまた緊張感に欠けている部分もあったのだろう。まさか置いていかれるとは思ってもみなかったのか、気が付けば彼女たち五人のみで、他の生徒の姿も一緒にきていた商人の連れていた兵士も、見えなくなっていた。
「ま、まずいよ。急ごうっ」
そう言って足を挫いた子の両脇を一人ずつが抱え、彼らが進んでいったと思しき方向に向かって進む。
足を挫いた子の荷物は更に別の子が持っている。
足を挫いた子はもう、今にも泣きだしそうだ。
「ごめんね、ごめんね。私のせいでごめんね」
「だ、大丈夫だよ。すぐ追いつくから、ね」
これ以上迷惑をかけまいと、足が痛いのを堪えながら必死に歩く。
もうかなりの距離を歩いている。それも足場の悪い森の中を。
腕力体力的な問題から水汲みもしていなかった五人にとって、慣れぬ森の中の移動はそれだけで相当な重労働である。
せめても結構な人数が通った跡があるので、道に迷うことはなさそうなのがありがたかった。
必死に後を追う五人だったが、百人を先導している商人たちは、全員が健康そうな若者であるということから、とりたてて歩く速度に気を配ってはいなかった。
それでも平均的な運動能力の者たちは当たり前についていけたのだが、文系女子五人組のように、体力に難のある者にとっては厳しい道のりである。ましてや、足手まといがいるというのであれば猶更に。
時間が経つにつれ距離は開いているのだが、きっと縮んでいると信じ五人は歩く。
何時間もそうしていると、いきなり付近を風が吹き抜けた。
「うわっ。人っ? もう追いついちゃった?」
風が吹き抜けた先、木の上から降ってきたそれの姿を、五人組の一人はよく見知っていた。
「柊さん!?」
「え? あ、井上さんだ。ひさしぶりー」
そう、その風の名を、柊秋穂といった。
あまりに勢いよく走っていたせいで、一つに縛った長い髪が後ろに伸びていて、そして急停止したせいで今度はそれが前方へと投げ出されている。
そんな動きのある髪が、普段おっとりした様子の彼女とはまた違った雰囲気を醸し出している。
「あーあ、見つかっちゃったかぁ。でも、どうして井上さんたちだけこんなに離れたところいるの? 他の人たちもうずっと先だよね」
秋穂の言葉にいたたまれなさそうな顔で足を挫いた子が顔を伏せる。
秋穂は全員の顔ぶれを見る。皆一年生で、同じクラスは一人だけ。その子以外は顔はおぼろげながら見たことがある気はするも名前は知らない。
「ねえ、井上さん。なんで学校出ちゃったの?」
いやそんなことよりもお前がなんでここに居るんだよ、的な視線を残る四人から感じた秋穂であったが華麗にスルー。
「ん、と。ヨドちゃんの先輩が、二年生にいて。一緒に行こうって言われて。柊さんは学校に居なかったけど、何処か別のところに?」
「ま、そんなところ。んー、さすがにこの子たちに、ってのはやりづらいなぁ。ねえ、学校に戻る気、ない?」
秋穂も凪と思考は似通っている。
なのでやろうとしていることも似たようなものなのだが、怪我人を抱えて集団についていくこともできず、しかし友達を見捨てることもできずのたのた歩いている貧弱女生徒たちから殴って荷物を奪うのは、ちょっと、さすがに、と思っている模様。
「あんまり他人のやることに口出ししたくないんだけど、きっと学校に戻ったほうがいいことあるよ。もう少ししたらリネスタードの街とも交易できるようになるだろうし」
「そ、そうなんだ。で、でも。ヨドちゃんの先輩が、怒るかもしれないし」
「んー、それなんだけどね。リネスタードでボロース商人のやり方聞いた涼太くんの言葉なんだけど、今学校で一番わかりやすく商品価値があるのって、井上さんとかみたいな女の子たちなんじゃないかって」
「……え?」
「こっちの人間と比べても、さ。肌は綺麗だし発育もいいし、それに損得勘定ができるぐらいには頭がいい。そういうのってさ、娼婦として高く売れるんだって。多分学校の女生徒全部、そういった高級娼婦として売り出せるだけの素材なんだって」
驚いた顔で井上嬢とは別の生徒が口を挟んでくる。
「そ、そんなヒドイことをどうして……」
「言葉も通じない、仕事もできない、でもって力ずくでこられたら逆らえない、となればわざわざお金かけてここまできた商人がソレを躊躇する理由なんてないと思うよー。脅すわけじゃないけどさ、その五条って人にそういうのから守れるだけの力、本当にあるのかなぁ」
「だ、だって男子も何十人もいるし」
「それだけ居ても、殺し合いできるのが何人いるんだかね。まあ、信じられないっていうんなら好きにすればいいよ。涼太くんにも無理に助ける必要ないって言われてるし」
ただそのバッグだけは、と続けようとしたところで、井上が口を開く。
「あ、あの。戻ったら、高見先輩、許してくれるかな」
「どうかな。高見さんが許しても他の人が許さないかもしれない。でも、私が思うに、ボロースに行くよりかはマシな生活できるんじゃないかなぁ」
井上が振り向き、残る四人と話し合いを始める。
やはり彼女たちも高見や橘に悪いことをしたとの想いはあるようだ。それでも先輩の勧めには逆らい難かったのだが、今この場にその先輩とやらはいない。
うちの一人が思いついたように言う。
「じゃ、じゃあさ。ごめんなさいって意味で、私といのっちで水汲んでいこうよ。五条先輩たちいなくなっちゃったら、水汲みも難しくなるかもだし」
いやそれで二人がトカゲにでも食われたらどーするの、と即座に思った秋穂だったが、五人はそんな何処か抜けたような話を真剣に話し合っている。
その後秋穂のアドバイスもあり、小細工抜きの直球で謝るのが一番、と話はまとまり、五人は学校に戻ることにした。
足を挫いた一人を連れて、残る四人がこれを助けながら森を戻るわけだ。
「あーもうっ、しょうがないなぁ」
秋穂も戻らざるを得ないのである。その足挫き娘は秋穂が小脇に抱えて運ぶことにした。背中に乗せるほど信用はしていない。
四人はひーこら言いながら、秋穂は余裕すぎて欠伸が出るようなペースで、足挫き娘は申し訳ないような居た堪れないような感じで、六人は学校へと戻った。
入り口前で秋穂を出迎えた涼太は、笑って言った。
「ちょうどいいところに戻ったな。クソ共が来るぞ、秋穂も参加してけ」
「へぇ、それはそれは」
五人は校舎の中に入り、外には涼太、秋穂、そして先に戻っていた凪、それに一応交渉がまず先だとのことで高見雫がいる。
涼太も凪も、他の生徒から借りた学校の制服を着ていた。
涼太が偵察した通り、その集団が森を抜け姿を現す。
総数五十。
こちらは商人なんてものではない。全員兵士だろう。それもあまり品のよろしくない傭兵たちだと思われる。
その先頭にいる男だけは奇妙なほどに身だしなみが整っているが、こちらに歩み寄る彼の笑顔が笑えるぐらいに邪悪だ。
先頭の男は高見と何度か交渉経験があったようだ。アレを見た涼太は、そりゃ高見さんも信用しねーわ、と思ったとか。
顔で人を判断するのはよくない、なんて考え方もあるのだろうが、幾らなんでもあんな邪悪な、醜悪な笑顔を作れる人間を、信用しろと言われても理性ではなく感性が拒否してくる。
この辺の反応は凪や秋穂がより顕著だ。
凪が涼太の右肩を叩く。
「涼太。アイツには、ほんの一瞬でも油断しちゃ駄目よ」
秋穂が涼太の左肩を叩く。
「涼太くん。あの商人、なにがなんでも今この場で殺しておくべきだよ。覚えておいてね」
ひでぇ言われようだ、と笑う涼太。
商人は、二人のみを護衛としてこちらに歩いてきた。後方に五十人を控えさせ、脅しとしておきながら。
「やあやあ、度々申し訳ありませんねえ、シズク。いえね、実は今回、もう一つ君に商談があったのですよ」
雫は苦々し気な顔だ。
「よくもまあ、いけしゃあしゃあと」
「まあまあそうおっしゃらず。それにね、シズク。これからは口の利き方に気を付けなければなりませんよ。私これでも雇用関係には厳しいものでして。っと、それよりも。そこの美人二人を紹介してもらっても? いやはやシズクも人が悪い、こんな素晴らしい女性がいたなんてこれまで気配すら感じられませんでしたよ」
「この二人は私の管轄外よ。交渉があるんならそちらとしてちょうだい。で、商談とやらは?」
「はーい、ではそちらは後程。で、ですね、シズク。貴女ほどの聡明な女性らしくもない鈍いフリはおやめなさい。残る人間、全員ウチで引き取らせていただきます。もちろん、貴女もね」
心なしか青ざめた顔の雫。その肩を後ろから涼太が叩く。
「後はこっちで引き受ける。大丈夫、高見さんも、後ろの連中もみんな大丈夫だから」
そう言って雫の前に立ち、にやにや顔を崩さぬ商人に向かって涼太は言った。
「リネスタードの者だ。お前ら、ここが何処だかわかって手を出しているのか?」
商人の表情が硬化する。
黒髪はこちらでは珍しく、ここの異邦人はそんな黒髪だらけだという認識であった商人は、当然黒髪である涼太も異邦人の一人だと思っていたのだ。
「この森はその全てがリネスタードの管轄だ。お前ら、そこに手を出そうってのに、リネスタードに話は通してあるのか?」
商人は動揺をほぼ表には出さず。即座に切り返してくる。
「貴方はそれを私に問えるほどの立場にあると? 名前も名乗らずになんのつもりですか」
「俺はリネスタード商業組合の名を出していいことになっている。下らんブラフも面白みのない誤魔化しも結構だが、さっさと俺の問いに答えろよ。お前、リネスタードに話は通しているのか?」
「もちろん。ウチは昔から領主さまとも取引があり懇意にさせていただいておりますからね」
「問いに、答えろと言ったんだ。はいかいいえで答えろ。この建物に手を出すにあたって、お前は、リネスタードに、話は通してあるのか? リネスタード商業組合の名を出した俺の問いに、お前は答えないつもりか?」
口先では誤魔化せぬ、と理解すると彼は飄々とした態度で肩をすくめる。
「これはこれは、参りましたな。事実はわかってらっしゃるようなのですし、そう虐めんでください。現状では、両街の間での揉め事はお互い好ましくないでしょう?」
「街の揉め事になる? 笑わせるな木端商人が。お前がボロースの領主に切り捨てられてそれで終わりだ。立場の違いがわかったんなら今すぐここの人間全部連れてこい。一人欠けがある毎に、お前らの配下十人の血で贖ってもらうぞ」
商人は左右に目を向ける。
護衛についてきた二人の戦士は順に口を開いた。
「いいや、旦那。後ろの奴らに調べさせたが、兵を潜ませている気配はないそうだぜ」
「俺の勘にも引っ掛からねえ。敢えて気味が悪いことがあるとすりゃ、そこのとんでもねえ美人二人だ。ありゃ油断しねえほうがいい」
「貴方でも勝てませんか?」
「勝てるかどーかなんてやってみなきゃわかんねえっての。だが、やるんなら後ろの連中も突っ込ませるべきだな」
「なるほど、そこそこの強者は揃えてきたと。ただ、二人だけですか?」
「おうよ」
含むように笑う商人。その邪悪すぎる笑みに、思わず涼太は半歩ほど下がってしまった。
「くっくっくっくっく、強気に出てますが、なるほど、こちらの戦力を見誤りましたか。この規模の村を制圧するのなら、確かにこんな人数は不要ですよ。ですがね、村の全員が若い衆だというのですから、一応、ね、警戒はしておくのですよ、私はね。無駄金になることも多いです。けどね、私、こういう時のために、いつもいつでも、用心してるんですよ、クッフフフフフフフ」
邪悪な笑みのまま商人は告げる。
「で、次はお定まりの台詞ですか? 『俺がここに来ているのは上も知ってる、俺が戻らなければタダではすまんぞ』と。クッフフフフフフフ。いいですねぇ、その台詞の結末を見せてあげたいですから、貴方、生かしといてあげましょうか。ねえ、ボロースの商人がどんなモノかってことを、教えてさしあげますよ」
商人の台詞に涼太は、怯えるでもなく怒るでもなく、しみじみと呟くのだ。
「お前ってさ、ほんっとにその笑顔にぴったりの邪悪さしてんのな。人間の顔ってあるていど年いったら自然と生き方が出るもんだって聞いてたけど、お前、ほんと、そのまんまだよなぁ」
後方の五十人が進み出てくる。商人の前に二人の戦士が並ぶ。
涼太は命じる。
「まずその三人。商人は腕だけで」
「おっけー」
「りょーかいっ」
凪と秋穂が抜きざま踏み込み、二人の戦士をただの一刀で斬り倒してしまった。
「は?」
驚き顔の商人の、凪は右腕、秋穂は左腕、それぞれ切り落としてやる。
商人も、後ろから歩いている五十人の傭兵も、なにが起こったのかよくわかっていない。
二人の護衛は既に事切れているので論外である。
涼太は両腕を失い呆然としている商人に言う。
「お前らさ、リネスタードがウールブヘジン傭兵団に攻められた話どころか、リネスタード騒乱の話もほとんど聞いてないだろ」
「は? 攻められ? なに?」
「耳が遅いっての。ナギとアキホ、地獄に行く時はこの名前を二度と忘れんなよ」
涼太が剣を抜き、激痛によりロクすっぽ避けることもできぬ商人の足に突きたてる。
これを合図に、凪と秋穂が五十人に向かって突っ込んでいった。
ウールブヘジン傭兵団との戦いを経て更に熟達した二人の剣術に、彼ら傭兵五十人、しかも指揮官と部隊最強戦士を失った後では抗しようもなく。
三分の一が斬られた時点で皆逃げ出そうとしたのだが、背を向けた彼らが森の中に逃げ込む前にほとんどが斬られ、なんとか森の中に逃げ込めた数人も追跡を逃れられず傭兵たち全員が死亡した。
一部始終を見ていた雫の引きつった顔に、涼太はことさらに静かな口調で言う。
「口で言ってもわかりづらいと思うんだよな、こういうの。だから、高見さんだけじゃなくて他の生徒たちも全員、一度見ておくべきだと思ったんだわ」
涼太の言葉に驚きそちらを見る雫。生徒たちには校舎の中にいるように言ってあったはず。
だが涼太は彼らに校舎の中からでいいから絶対に目を離さないよう言っておいた。もっとも、ほっといてもこんな騒ぎが起これば皆様子を見ていただろうが。
人間同士の剣を用いた殺し合いなんてもの、彼らは初めて見ただろう。
そして人知を超えたとしか言いようのない二人の戦士の動きも。
今頃校舎のほうはひどいことになっているんだろうな、と他人事のように考えながら、涼太は少し離れた場所に移動して魔術を使う。
といっても校舎で見ている者にはなにをしているのかわからないだろう。遠目通耳の術を用いて校舎周辺の森を探っているのだ。
『いっやぁ、まさか今日のうちに襲撃に来るとは思ってなかったからなぁ。凪がすぐ戻ってきてくれて助かった』
商人の襲撃は涼太にも予想外であったようで、この後もこんなことにならないよう、涼太たちが出撃するのならば周辺の安全は確保しておこうという話である。
涼太の魔術の目は現在上空より森を見下ろしており、木々に視線は遮られるも数人ならばともかく数十人の集団を見落とすことはない。
そのまま商人たちの一次キャンプ地を発見。ここにかなりの数の生徒たちと商人たちと護衛の傭兵たちがいるのが見える。
またこのキャンプ地は森の中でも開けた場所にあり、この場所からは細く頼りないものではあるが道のようなものが伸びている。
それにキャンプ地に見える生徒たちの数も三十人ていどで。既にボロースの街に出発している隊もあると思われた。
「面倒だが、二手に分かれるしかないか」
色々と上手くいかないなぁ、とぼやく涼太であるが、結局五十人の傭兵はその襲撃を事前に察知しえたのだし、こうしてボロース商人たちの動向は涼太たちが動く前から概ね把握されてしまっている。傭兵たちの人数も伏兵の有無も。
これだけ有利を重ねておきながら上手くいっていないとはどういうことか、とギュルディやコンラードあたりには怒られるであろうて。




