046.戦闘直後の模様です
喉がからっからに乾いている。
凪の周囲から敵の姿がなくなって、真っ先に思ったのがそれである。
こちらの世界に来てから、飲料水の確保はかなり手間のかかる作業となった。
だから無いのなら仕方がない、と我慢することも多くなったのだが、今はどうにも我慢する気になれない。我慢したくない。
『あ、そうだ』
兵士は水を持っているのでは、と思いつき、そこらの死体を足でひっくり返す。
死者への敬意云々は今の凪の頭にない。死体はそこら中に転がっているせいで有り難さも薄く、そもそもこの死体を作ったのも凪であり、死体になる前にぶっ殺してやると思っていた相手に遠慮するのも馬鹿らしいと思ったのだ。
腰に革袋があった。
「おしっ」
この形の革袋には中に水を入れるものだと凪は知っている。
さっそく口紐をほどいて喉に流し込む。
酒か水かは二分の一ぐらいだと思っていたが、幸いこれは水であった。
中身全て、一息で飲み干してしまった。そしてその後。
「ぷっはああああああああ!」
あまり品のよろしくない声を上げる。満面の笑みだ。
「水、おいっしーわ。よし、もっと飲もうっ」
そこらの死体の革袋を片っ端から頂戴する。ついでに保存食もあったので口にしてみたが、あまりおいしいものではなかったので一食分だけ食べたら後は放置した。
シーラと秋穂にも持っていってやろう、と思って二つ革袋を確保すると、凪は歩き出した。
戦闘中とは比べ物にならない鈍足だ。時折足元がふらついてさえいる。
凪は歩きながら我が身に負った傷の確認をする。
腰を捻って背中を見ようとすると、目の前で光が瞬いた。
景色が消えていき、薄暗い、それでいて眩しい明滅が視界全てを覆っていく。
『あ、これ、マズッ』
これはぶっ倒れる前の風景だ。
視界が利かない中で凪は両膝に手を突き足を止める。
大きく息を吸って吐く。目の前はくらつくが、頭の中は気持ちいい感じがする。
じっと足を止め深呼吸を繰り返していると、明滅は収まり視界が戻る。
「あっぶなぁ。これ、戦闘中だったら間違いなく死んでるわよ」
再び足を進めるが、何か怖くなって傷を見るのは止めることにした。どうせ今は傷がどうあろうとどうしようもないのだし。
ふらふらと歩いていると、同じようにふらついている人間の姿が見えた。
「お、おーひ」
ひ? と自らの発声に驚く。大きな声を出そうとしたら変な声になってしまった。
だがそんな変な声でも届いてくれたようで、向こうも手を振ってきた。
「なーぎー」
「しーらー。無事でなによりっ」
シーラは、もう全身がドス黒く染まっていて、ぱっと見ではもう体表全部傷なのでは、と思えるような小汚い有様で。
だが、案外にしっかりとした足取りであり、二人は並んで歩きだす。
「ほら、言ったでしょ。なんとかなるって」
「これ、なったって言うの? 言っちゃ悪いけど私、一度の戦でこんなに何回も死にかけたの初めてだよ」
「んー、まあ、確かに、兵士は強かったわねぇ。これ後五百もいたら無理だった、かな?」
「兵士もそうだけど、最初にあの指揮官級三人共一騎打ちで仕留めてなかったら、絶対負けてたよ」
「アイツら強かったわよねぇ。あんなに大きいのもらったの久しぶりだったわ」
凪が革袋を渡すと、シーラはそれを見て初めて喉の渇きを思い出したようで。
凪同様、シーラもこれを一息に全部飲み干してしまった。
時折どっちもふらつきながら、残る一人を探して歩く。
本陣周辺には来ていない。だから前衛部隊の方かと足を向けるが、遠目にはわからない。
人の死体が積み上がっていたり、大地の起伏のせいで高さが一定でなかったりで、立っている人間の姿が見えなかったのだ。
段々と、凪もシーラも無言になっていく。
立っている人だけでなく、倒れている人も確認しながら進む。
不意に声を上げたのはシーラだ。
「居たっ! 居たよナギ! あそこ!」
中腰の高さ。
いやあれは膝をついている。
二人が駆け寄ると、秋穂の姿が、惨状がよく見えてきた。
両膝を大地につき、顔は地面を見下ろし、その姿勢のままぴくりとも動かない。
秋穂の前方から近寄る二人。秋穂の顔には額から頬下にかけてざっくりと斜めに傷が入っていて、腕と足には刺さったままの矢が二本見える。
「ちょっ! 嘘でしょ秋穂!?」
近寄ると更にヒドイものが。
秋穂の背中全体が赤黒く染まっていて、その中心に、十文字に斬られた二筋の大きく深い傷が見えた。
駆け寄ったシーラが声を掛ける。
「アキホ!? アキホ声聞こえる!?」
シーラの声に反応して、秋穂の口が僅かに動いた。
「……おば、ちゃん……わか、る……」
「生きてる! 大丈夫! よかったアキホ!」
「……おばあちゃ、ん。もう、あんまり、痛くない……よ」
完全に意識が飛んでいる。
凪が焦りに焦った声で叫ぶ。
「しっかり! しっかりしなさい秋穂! シーラ! 急いで運ぶわよ!」
秋穂の両脇を凪とシーラで抱える。どちらも消耗と怪我がひどすぎてその歩みは(二人の基準では)亀のように遅い。
聞こえるわけもない声を張り上げるほど動転している凪。
「りょーた! りょおおおたあああああ! 急いでよ涼太! 秋穂がまずいって! このままじゃ……」
街道の先から信じられないものが見えた。
「……おーい! 無事か! ……」
涼太が走ってきている。凪は、涼太が来たのは今凪が呼んだからだと理由もなく勝手にそう信じた。
「あー! 涼太急いで! 秋穂がぴーんちっ!」
それでも、まだ秋穂には息があってこうして涼太が駆けつけてくれている。
ならきっと秋穂は助かる。そう凪には信じられたのだ。
ウールブヘジン傭兵団決死の戦いにより、柊秋穂に刻み込まれた多数の傷を涼太は診断する。
全治六十分である。この後凪とシーラの傷もその場で見て、それぞれ全治九十分と二時間であった。なんやかやと急所には一切もらっていなかったおかげであろう。
もちろん向こうの世界では考えられぬほどのスーパー外科医であるマジカル涼太の治療だ。三人には傷痕一つ残ることはなかったのである。
最早リネスタードの街で、凪、秋穂、そしてこの二人の保護者である涼太の三人に下手な口出しをするような者は存在しない。
シーラを含む三戦士。これはもう、辺境最強だのといった次元の戦士ではない、と誰もが信じていた。
きっと、神の国に招かれるのはこういう戦士なのだろうと。むしろ招くほうではないのかと思っている人間も少なくはない。
今回の戦でリネスタードが負った損害らしい損害と言えば、ウールブヘジン傭兵団三百を雇うために支払った金ぐらいであろうか。
凪も秋穂もシーラもかなりの怪我を負っていたはずなのだが、これらは涼太の治療であっさりさっくりと快癒した。
疲労は残っていたのでその日と翌日は三人共寝転がったまま起きようとしなかったが、その次の日にはもう元気いっぱいに回復しもりもりと食事をしたかと思うと、周辺に散らばっていった敗残兵狩りに出かけていった。
コンラードはほぼ出ずっぱりだ。敗軍とはいえ数百の兵がそこらに散らばっているのだ。これをたかだか五十だか六十だかの兵で狩り立てねばならないのだから、忙しいのも仕方があるまい。
幸いなことに戦場は街の外であったため、後片付けもそれほど時間はかからず。
ギュルディは戦闘の三日後にはおおよその収支報告を受け取っていた。
並んで歩いている涼太は興味深げに中身を問う。
「で、どうだった?」
「連中の残していった魔術のかかった武具はかなりの価値があるし、奪えた物資だけでも、まあとんとんと言ったところか」
「一方的に攻められたにしちゃ上出来だろ。で、捕まえた奴が言ってた予言ってのに心当たりは?」
「隣国のドルイドは魔術師にも不可能な未来を予知する力があると言われている。が、何処まで本気なんだか」
「隣の国から金は取れないのか?」
人が悪そうな顔で噴き出すギュルディ。
「もちろんやらせてもらうさ。ただなぁ、こればっかりは上次第としか言いようがない」
ギュルディにはそもそも他国と交渉する権限などないのだ。
ギュルディの案内で涼太は倉庫に入る。
テーブルや棚がずらりと並ぶここには、雑多な品物がとても整理されてるとは思えぬ様で置かれている。
見るからに金目のものもあれば、美術品や工芸品もある。
武器もあるが、装飾過多なものばかりだ。
きょろきょろと見回す涼太にギュルディは目当ての武器を手に取りながら言う。
「気に入ったものがあったら言えよ。相談に乗るぞ」
「置いてある物の価値もわからないんだから、気に入るも何もないだろ」
ギュルディが手に取ったのはウールブヘジン傭兵団団長、フロールリジの使っていた武器である流星錘(秋穂命名)だ。
「こんなモノどうやって使うんだか」
他に回収できたものとして、レスクの使っていた魔法の籠手と、シャールの使っていた魔法の腰帯である。これに加え、倉庫の端に置かれている魔法の戦車がある。
この四つだけでリネスタードの年間予算を超えるらしい。ただこれに関してはその所有権は、あくまで一般論ではだが、倒した者たちにこそその権利があるとされている。
涼太は苦笑する。
「籠手はデカすぎて使えず、流星錘は秋穂ぐらいしか使いこなせないうえに、かさばるから秋穂もいらんとか言ってる。腰帯と戦車は、魔術がかかってるのはわかるが用途不明。こんなんもらってどーしろってんだよ」
「戦車も腰帯も壊れないよう硬くしたってだけでも結構な価値になるんだがな。用途がはっきりすればもっと価値も上がるかもしれんぞ」
「金はあれば嬉しいが持ちきれないほど欲しいわけじゃない。どうせ魔術道具もらうんなら、普段の生活が便利になるもんのが嬉しいよ」
この倉庫にはブランドストレーム家から押収した宝物も一緒に置いてある。
涼太の興味はそちらに移っていったが、とある物品の前で涼太は足を止める。
「お、気に入ったのあったか? お前らへの報酬、全部金で渡すのはキツイんだから、何か選んでくれないと……」
足を止めた涼太の顔があまりに深刻過ぎるもので、ギュルディは言葉を止める。
「どうした?」
「……ギュルディ。コイツの出所、大至急調べてもらえるか?」
涼太が目を止めたのは机の上に置いてあるもの。
小さく細長い棒だ。だがその材質が何であるかギュルディにもわからない。鉱山街の連中にでも聞いてみるか、と思っていたのでギュルディもその品物を覚えていた。
それは、涼太の記憶にある、ボールペンと呼ばれる品物であった。
盗賊砦もあるこの森には魔獣も生息していることから、あまりこの地に足を踏み入れようとする者はいない。
それこそ腕に自信のある盗賊たちや、森に慣れている付近の村の人間ぐらい。最近は魔獣の数も減ってきたことから、多少は森に入る人間も増えてきたが、それでも森の深部へ入ろうという者はおらず。
盗賊砦も、魔術師たちのねぐらも、どちらも森の比較的浅い場所にあるものだ。
森の深部は、だからとより凶悪無比な魔獣がいるということでもないのだが、森の奥深くというだけで人が入り込むのは難しくなっているし、最近森の浅い場所で魔獣が減ってきた原因である二人の怪物もそこまでは踏み込んでいないため、以前と変わらぬ魔獣遭遇率があるので準備のない者が足を踏み入れるのは無謀な行為だ。
そんな森の奥深く。
その場所は、突如森が途切れ、開けた空間になっている。
何故突然森がなくなったのか、理由はわからない。
だがその開けた場所には無数の木々がへし折れ倒れており、何かしら強大な力が発生しそうなったのであろうと思わせる。
幾本もの倒れ砕けた木々たちの中心。そこに、巨大な石造りの人工建造物があった。
砦、これを発見したウールブヘジン傭兵団別動隊の斥候はそう評していたが、所謂砦とはその造りも何もかもが違う。
ソレが何であるのかの表記は建物の外壁にあり斥候も目にしてはいるのだが、それが文字であるとはついぞ気付かぬままであった。
そこに書かれた文字を読めるのは、リネスタードでも三人のみ。
『県立加須高等学校』
彼らにのみ読める文字でそう書かれていた。




