043.戦争終わらず、むしろここから
フロールリジが指揮できない状況の場合、優男が部隊の指揮を執るのが当たり前になっていた。
部隊全体がそう考えるほどの信頼を積み重ねた優れた男であったのだが、さしもの彼もその事態には即応できなかった。
部隊の要、大将フロールリジが一騎打ちにて敗れたのだ。しかもほぼ同時に、祖国でも有数の戦士と言われていたシャールまでもが。
呆然としているとトドメの一撃がきた。巨人の末裔、最強の女戦士レスクすら、敗れ倒れてしまった。
『三人、とも、常勝不敗の戦士なんだぞ。しかもっ……皆、魔法の武具を持っていた、のだ……それが、三人揃って敗れるだと? いったい、何が起こっている?』
取り返しのつかない大きすぎる損失だ。
そのあまりの大きさに、現実味が感じられない。
「愚か者めっ!」
口に出してそう言ったのは、思考の回らぬ己を叱咤してのことだ。
予言により配された千人の兵、歴戦の戦士、それが何故必要なのか。
たった三人のみでウールブヘジンの前へと進み出た不可思議を考えれば、この三人こそが、予言の指し示す滅ぼすべき者であったのではないか。
優男は胸を張り、大声で指示を放つ。
「第二歩兵小隊は金髪を! 第六歩兵小隊は黒髪を! 第七歩兵小隊は青いのを囲め! その三人! 決して生かして帰すな!」
誰もが信じられぬ思いでこれを見守っていたが、兵たちは優男の指示でようやく現実を認識できた。
彼らが誇る、信じる、尊敬する主たちが殺されたのだ。このまま黙って見過ごすなぞありえない。
指示を受けた小隊は嬉々として三人を囲み、剣を抜くと一斉に襲い掛かっていった。
「第三から第五までの小隊は金髪の包囲に加われ! 第八、第九は黒髪へ! 残る歩兵小隊は青髪だ! 騎兵は下がれ! 弓兵は本陣に集まれ!」
次々と指示を出すと、彼らは言われるがままに動き出す。
優男は更に騎乗している伝令兵を呼ぶ。
「隠れている三百に伝えろ。街に見つかっても構わんから大至急合流せよと」
「はっ!」
伝令も疑問を口に出すことはない。命令を受けるやすぐに走り出した。
騎馬隊には間違っても三人に逃げられないよう見張らせつつ、逃走の動きを見せたら即座にこれを阻止できるよう待機させておく。
街の動きも監視させる。
この混乱に乗じるのは当然の動きだろう。だが、ウールブヘジンが備えをしていれば防げるはずだ。リネスタードには大した兵力は残っていないはずなのだから。
あまりまっとうではない動きをしている自覚は優男にもある。
だが、そもそも予言というもの自体が非常識極まりないものなのだ。
そしてその指示に従って街一つを焼き尽くし、殺し尽くそうとしていたウールブヘジンもまた。
考えれば考えるほど、優男は自分の考えが正しいと思えてくる。
七百の軍の前にたったの三人で進み出て、百の歩兵隊をただの一撃で粉砕する。あれは相当な練度が必要な必殺の歩兵陣であったはずなのに。
挙げ句ウールブヘジンが誇る三人の怪物、フロールリジ、シャール、レスクの三人共を一騎打ちにて討ち果たすような敵なのだ。
これを殺しておかねば何かしらよくないことが起こる。それも国家が動くほど規模の大きな出来事が。そう言われても、これほどの三人ならば、と素直に思える。
だがそれもこれも、この信じられぬ出来事を直接目にしたからだ。話に聞いただけならば絶対に信じなかっただろう。
「だから、今、ここで、私がコイツらを殺さねばならない。なんとしても」
この三人の危険度を知った優男は、これが祖国の敵に回ったのならば、予言に出さねばならぬほどの脅威となる確信があった。
『兵の全てを磨り潰そうとも、この三人だけは絶対に生かしてはおかぬ!』
失われた三人に対する想いが無いとは言わない。だが、祖国の未来のためにこそ、優男はここでこの三人を必ず殺すと誓ったのである。
シーラの魔剣が敵兵士を、受けた剣ごと斬り伏せる。
『や、やっと十三人』
全周囲を敵に囲まれることの厄介さは、シーラの想像していた以上であった。
囲まれたこと自体は過去にもあるし、そんなときの立ち回り方も知っている。
だが、単身で十重二十重に取り囲まれることのキツさは、シーラの想像を絶するものであった。
『ナギのばかあっ! こんなのどうやったって無理だよ!』
何度も戦場に出た経験のあるシーラは、戦闘中にも体力配分を考えながら戦うようになっていた。
何処までやれそうか、何処からは無理か、そういった基準をシーラは持っていたのだが、その基準から言えばこの戦闘は明らかなオーバーペースである。
このままでは五十人も殺す頃には完全に失速してしまっているだろう。
『かと言って……』
シーラを包囲している歩兵の群、その奥には恐らく騎兵たちが逃亡を防ぐべく配備されているはずだ。
逃げ出すには歩兵の群を突破した後、更に追いすがる騎兵たちをも振り切らなければならない。
『逃げるんなら今すぐにでも動き出さないと間に合わなくなる。けど……あーもうっ、二人が何処にいるかわかんないしっ!』
この状況からの逃走は、単身ではきついが三人で合流できれば可能だろう。
シーラは女の子であるからして、同年齢の男性と比べれば背は低い。
つまり周囲に殺到してくる兵士たちより低いということで、そんな兵士に取り囲まれていてはその先が見えないのも道理だ。
あまりやりたくないんだけど、と脳内で愚痴りながら、シーラは十四人目に斬り伏せた兵士が倒れる前に、大きく上へと跳び上がる。
倒れ込んでくる兵士の頭の上を蹴り、反対側の兵士に向かって更に飛ぶ。倒れ込んでくる兵士は脱力しきっていて、とてもではないが跳躍の台となれるようなものではなかったはずだが、シーラの全身は羽毛の如き軽やかさでひらりと宙へと舞い上がる。
空中にて、ぐるりと四分の一回転ほど周囲を見たところで秋穂を発見。
まだ健在の敵兵士の頭を蹴ってそちらに向かって飛ぶ。いきなりの縦の動きに敵兵士は対応しきれず、落着と同時に十五人目を斬る。
ここからは剣は無しだ。
二歩踏み出しながら体を外に向かって払う。体当たりのようにぶつかった敵兵士が押し出され、進路が開く。すぐにまた踏み出して逆側の兵士に身体を押し付け、身体を返すとその兵士もまた外に弾かれる。
『うっひー、怖い怖い怖いー』
敵兵士の群に突っ込む形だ。あまりに近すぎて視野は狭くなるわ、敵の動きはわからないわで、ほぼ勘任せである。
気の利いた兵士がシーラの動きを読んで、進行先に剣でも置いておかれたらそれだけでシーラは殺られるだろう。
そんなおっかない状況でシーラは兵士を弾いて弾いて包囲の外へと駆け抜ける。
そして、わかっていたことだが包囲を抜けた先にも兵士がまた取り囲んでいる。
シーラが抜けてきたのを見るや、彼らはこれ以上は進ませじと進路を塞ぎに動く。
だが、本包囲の外側を大きく薄く覆っていた兵士たちであり、隙間は今抜けたきたものより大きい。
更に先ほど上から見た感じ、秋穂の包囲はぎっしりと兵を詰めるといったことを意識して避けているようだ。よほど最初のアレが衝撃的だったようで。
シーラは叫ぶ。
「アーキホッ!」
少ししてから返事が聞こえた。
「シーラ! 今行くよ!」
互いの声と声からお互いの位置を把握し、後は最短距離を走るのみ。
走りながら、シーラの前を塞げる位置の者だけを斬る。
斬ると走るは、実は同時に成立しづらい。
走るための重心と斬るための重心は交わりづらいものだからだ。だが重さがなくともシーラと魔剣ならば人一人斬るぐらいは造作もない。
腕の力だけで剣を振り、急所を滑らせ敵を斬る。それでも走る速度は多少なりと落ちてしまうが、立ちはだかる妨害を蹴散らしながら進む速度としては破格のものだ。
シーラの耳に音が聞こえてきた。
戦いの音は無数に聞こえるが、彼女の音は独特だからわかりやすい。他の兵士の音は概ね似通った響き方をするのだが、彼女、秋穂の戦いの音はそれはそれはもう特異な聞こえ方をするのだ。
ずしん、と響いたかと思えば、戦場にあるとはとても思えぬ軽快な音だったり、或いは大地を滑る音であったり。これらが周囲の音と違いすぎるせいでそこだけ浮いて聞こえるのだ。
音が近づく。
兵が一人こちらを向いていて、すぐ隣にシーラに背を向ける兵がいる。
シーラは自らに背を向けているほうに走る。そして、背を向けている兵の後ろから首を飛ばす。向こうから駆けてきていた秋穂が、同じく秋穂に背を向けている兵の首を斬った。
一歩を強く踏んで止まるシーラ。その背後に背を預け合うように滑り止まる秋穂。
「アキホ、ナギは?」
「あはは、夢中で暴れてたからわかんない。ちょっと待ってね」
すう、と息を吸うと、秋穂は空に向かって声を張り上げた。
「なっぎちゃああああああん!」
少ししてから返事があった。
「……あっきほーっ!」
少し遠い。それと戦闘の喧噪で方向がわかりづらい。
概ね合ってればそれでいい、とばかりにシーラと秋穂は動き出す。
どちらも右利きなのでお互いが右手に剣を持ち、前へと進みつつお互いの位置を入れ替えながら進む。それは一定の方向に回りながらの移動であり、これならば、お互いに死角を補いあいながら戦える。
秋穂とシーラ。背を預け合って戦う二人であるが、両者の戦い方は全く違う。
秋穂の剣は、そもそもこれが剣術の動きなのかどうかすら定かではない。剣の定石から大きく外れた挙動をしてくる。
なのでこれを受ける方はもう何処からどんな剣が飛んでくるかわからず、受けるも避けるもできぬままいいようにやられていくのみだ。
剣で斬ることにすら拘らず蹴りやら拳打やらまで交えてきて、これで崩されたうえで剣を振られれば対処なぞしようもない。
シーラの剣は、こちらはもっと剣術らしさを残している。
決して剣速が速いわけではない。少なくとも兵士たちにはそう見えている。この理由は緩急である。
そう動いたとしても速く見えないところで速くしているのだ。だから敵はシーラの剣を見誤る。そして斬る寸前に鈍速化するのにも訳がある。
魔剣の硬度を考えるに、シーラにとって敵の鎧は決して斬れぬものではない。これを綺麗に、素早く、引き斬るために丁寧に刃を当てているのだ。
秋穂とシーラで一番違うのは、内心にて思っていることか。
『体力の消耗、かなりキツイね。急がないと手遅れになるかも』
表には出さないが焦りの見えるシーラに。
『うーん、絶好調っ。シーラもいるんならまだまだ全然やれるねー』
表には出さないが上手くいっていると喜ぶ秋穂。
秋穂とシーラとで、体力に大きな差があるというわけではない。何処まで戦えるのかの線引きが異なっているだけだ。
三人の合流はなんとしてでも避けねば、と兵士たちは動き出しているが、秋穂もシーラもその動きが常識的な戦闘と大きく異なっているせいで、どうしても対応に漏れが出てしまう。
そうこうしている間に、秋穂とシーラはそれを見た。
「おりゃああああ!」
叫び声と共に、人が空を飛んでいるのが見えた。
「どっせえええい!」
まただ。今度は真上高くにくるくると回りながら人が飛んでいる。
焦りを忘れて噴き出すシーラ。
「あれ、目印のつもりだよね」
声に出して笑ってしまう秋穂。
「凪ちゃん。あの掛け声はなんとかなんないのかなぁ」
兵士壁をぶち破り、秋穂とシーラが飛び出す。
すると、秋穂の前に兵士の背中が見えて、その兵士目掛けて、足刀蹴り、というか足裏で力任せに蹴り飛ばす凪がいた。
「わっ!?」
目の前に兵士が吹っ飛んできた秋穂は、大慌てで飛んでくる兵の背中に手を当てる。
そこから身体を捻る。その捻った動きに如何な力があったものか、飛来した兵は斜め上方へと向きを変え、むしろより加速したかのように空に吹っ飛んでいった。
「あちゃー」
「あちゃー、じゃないよ凪ちゃん! もー」
「いやぁ、ごめんごめん」
凪は剣を抜いていない。素手で戦っていたのは、今やっていたように敵をぶん投げたり蹴り飛ばしたりするためであろう。目印にするためとはいえ、体力の無駄遣いにもほどがあろうて。
呆れたというか、疲れたというか、そんな微妙な顔でシーラが言った。
「……あのさぁ、ナギはもう少し、物事の道理ってものを考えたほうがいいかなぁ」
「あれ? 何か私責められてる? こ、こっちの場所、わかりやすくしたんだけどわからなかった?」
はぁと嘆息するシーラ。三者の合流を防げなかったが、ウールブヘジンの兵士たちはこれ以上はやらせないとばかりに厚く固く包囲を整える。
だが、三人揃った凪、秋穂、シーラは三人共が不敵に笑う。
「ふん。アンタたちの強さは、大体わかったわ。止められるものなら止めてみなさい」
「そうそう。みんな剣で来る潔さは買うけど、それだけじゃ殺されてあげられないよー」
「んじゃ、私たちはそろそろ逃げるから、邪魔できるものなら邪魔してみたらいいよ」
最後のシーラの台詞に驚き凪と秋穂が振り返る。
「「え?」」
驚かれたことに驚くシーラ。
「え?」
「逃げる?」
「なんで?」
「…………え? え? え?」
凪と秋穂の二人はどうやら認識を共有しているらしいが、シーラとの間には何か致命的なまでの齟齬が発生している模様。
そしてかつて涼太がそうであったように。どんなに正しいまっとうな意見であろうと、この場において多数決が行われれば、結果はシーラの思う通りにはいかなくなるのである。
リネスタードの城壁上からだと、戦場はこれでもかというぐらいはっきりと見える。
七百人の人の群。それだけならばいい。だがアレは、七百人の兵士の群だ。
盗賊やらチンピラなんて半端者ではない。戦う術を、それも集団での戦い方を心得た者たちなのだ。
魔物の襲撃にすら耐えうる城壁があろうと、迎え撃つリネスタード側には余裕なんてない。兵士の群、軍隊を敵に回すというのはそういうことだ。
この世で最も恐るべき集団、人の作り出せる最強の組織、そんなシロモノに向かって、たった三人で突っ込んだ馬鹿がいる。
開戦直前まで、城壁上でこれを観戦していた者たちは、本当にそうするなんて思っていなかった。
あんなにも楽しそうにしている三人が、年頃の女の子らしく騒ぐ様が城壁の上からでも見てとれた三人が、躊躇なく兵を斬り捨てた時、誰しもがそれを見間違いだと思ったほどで。
その後、とんでもない乱戦になった。
兵の群に圧し潰される、誰しもがそう思ったが、いつまで経っても三人は止まらぬまま、三人の進んだ後にぽつぽつと零れた雫のように兵が倒れていた。
城壁の上には、リネスタード合議会の議員全員が集まっていた。
あの三人の戦いがどんなものか直接見ておくべきだとギュルディが告げ、彼らは全員その言葉に従ったのだ。
「シーラ・ルキュレ。あそこまで、あそこまでの化け物か。ギュルディ、巷で流れている風聞でも、あそこまでの話はなかったはずだが」
「巷の風聞でもあのぐらいはやってたぞ。ま、話半分に聞くのが普通だろうがな」
地主の一人が、目を凝らしながら言う。
「あの金色が蹴ったら、馬が空飛んでなかったか? なんだあれ? あんな真似コンラードだってできんだろ」
「そのコンラードをシーラは斬ってるんだぞ。ならアイツらがコンラード以下ってことはないだろ」
「え? これってそんな普通に受け入れるよーなことなのか? これが異常事態だって認識してるワシがおかしいのか?」
「逆に考えろ。あのぐらいできなきゃ、軍に突っ込むなんて真似できるわけないと」
ギュルディの言葉に、そういう考え方もあるか、と皆が納得しかけていたその時、それが起こった。
その地響きのような轟音は、距離のある城壁上にまではっきりと聞こえた。
そして百人近くの密集陣形が、一瞬で蹴散らされてしまった様もよく見えた。
アンドレアスを殺したと言われている黒髪がこれを為したのだろう。衝撃の起点に立つその姿は、黒髪故に良く見えた。
納得しかけていた合議会議員全員が、この世のものならぬ出来事に言葉を失う。
そう全員だ。ギュルディさえ、目の前で起こった出来事が現実なのかどうか、我が目を疑っている。
しばらくそうしていた議員たちの一人、鉱山権利者の老人が呟く声が妙にはっきりと聞こえた。
「……そりゃアンドレアスも負けるわ」




