004.異世界だけど堅実に
楠木涼太と不知火凪の二人は、森を出てすぐの所にある村に辿り着いた。
だが、涼太はこの村に入ることに消極的になっていた。
原因は先程遭遇した盗賊とのあれこれである。凪が容赦なく人を斬ったことへの驚きはあるし、怖い女だとも思っている。だが今涼太が問題と思っているのはそこではない。
『不知火ってさ、異世界でもやっぱすげぇ美人なんだよなぁ』
ベネディクトもそう言っていたが、やはりこちらの世界でも不知火凪は古今稀に見る美人らしい。また、ベネディクトが甲乙つけがたいと言っていた柊秋穂も同様に美人扱いされるだろう。
遵法精神の著しく低い輩が、治安なんて概念の通用しない地域で、そういった美人がふらふら歩いているのを見れば当然ちょっかいを出してくるだろう。
それはもしかしたら村人なんていう犯罪者ではないだろう人たちもそうなのでは、なんて思えてしまうのだ。
涼太が凪に対して怯えたことで、二人の間は多少なりとぎくしゃくしていたのだが、涼太は懸念をすぐに口にする。本気で怯えた相手にこれを平然と口にできるのは、楠木涼太という人間の特異な性質の一つと言っていいだろう。
不機嫌そうに拗ねていた凪であったが、涼太の言は考えるに値する意見であり、少し考えこむ。そしてやっぱり拗ね気味に口をとがらせ言った。
「じゃあ、どうしろっていうのよ」
「なにかで顔、隠せないか。女かどうかわからなければ、問題も起こりづらいだろ」
凪の拗ね顔が更にねじくれる。なんで私がそこまでしなきゃならないのよ、といった声が顔から聞こえてきそうである。
苦笑する涼太。
「色々言いたいことがあるのもわからんでもないけどさ、世の理不尽全部にケンカ売るには俺たちまだまだ力不足だろ?」
涼太の言い草に、思わず噴き出す凪。
「なによそれ。力が足りてればそこら中にケンカ売って回るつもり?」
「お前はそーしたそうな顔してたぜ」
「わ、私だってそこまで馬鹿じゃないわよっ」
そうかぁ? なんて言い返すと凪もムキになって乗ってくる。そんな言い合い一つで簡単に二人の間の気まずさが消えてくれるのだから、それが若さというものなのか、はたまた凪と涼太の二人の間だからこそ生じたものなのか。どちらにも判断はつかなかった。
どの道、ちょうどよく凪の顔を隠せるようなものも持ちあわせていないので、二人はこのままで村に入ることにした。
村に入り、最初に顔を合わせた男に涼太が声を掛けるが、彼は全く涼太のほうを見てくれなかった。
ぼけーっとした顔で、失礼だのなんだのといった思考を吹っ飛ばし、まじまじと凪を見つめている。
そんな態度にも慣れているのか、凪は男と視線を合わせぬままだ。
涼太はわざとらしく咳払いをした後、男に声を掛ける。
「あー、俺たち、森の大猪を狩ったんだが、この肉、村で買い取ってはもらえないか?」
持参したのは小さく切った猪肉だ。これを男に見せてやると彼はとても驚いた顔をした。
「ほ、本当に猪肉なのか? こんなものどうやって……」
そこで、男は何かに気付いたようで得心した顔になる。
「あー、あー、なるほど。アンタ方魔法使いの一行か。それなら猪も狩れるな。だが、悪いんだがウチの村にゃ猪の肉買うような金はねえよ」
「身の回りのものと交換でいいんだ。服とか、穀物とか、なにか交換できるようなものないか?」
「おうおう、それでいいんなら俺っちの……っと、いけねえいけねえ。こういう話は村長に話通さねえとマズイわ。それでいいかい?」
男と涼太はごく自然に会話を行なえているように見えるが、男はものすごい頻度で凪をチラ見し続けている。
その必死っぷりがあまりに笑えるので、涼太は男に対する警戒心をすっかり解いてしまっていた。凪は相変わらず顔を合わせようとせずそっぽを向いたままだが。
そんな凪の様子が、少し珍しいと思えた涼太だ。
『こういう時、不知火みたいなのが一言添えるだけでかなり話が早くなるものだけど……不知火、そういうの嫌いなのかね』
凪ほどの美人ならば、ほんの少し会話するだけでも色々と便宜を勝ち取れるだろう。凪視点での世界はきっと、凪に友好的な人間が多いのが当たり前の世界であるだろうに、と涼太は思っていたのだが。
学校での凪の評判を思い出す。
『……美人も外から見ているほど、いいことばかりじゃないって話か』
これを直接凪に問いたいと思った涼太だったが、さすがにまだそこまで踏み込めるほど親しくもなっていないので今は遠慮することにした。
男の案内で村に入ると、村への客人が珍しいのか顔を出してきた村人たちが無遠慮に涼太と凪をじろじろと見る。
二人が着ている衣服は学校の制服で、その珍しさだけでも人目を引くに十分なものであるが、やはりここでも凪の容貌が注目を集める。
凪はそんな村人の視線にもまるで気付かぬ風で、誰とも目を合わせぬまま歩いている。涼太が見るにそれはとても窮屈な歩き方だと思えた。
楠木涼太、不知火凪の二人は、柊秋穂、白ネズミのベネディクトと出会い、お互いの状況を確認し終えると、ベネディクトの勧めで秋穂とベネディクトが出会った召喚儀式が行なわれた洞窟へと向かう。
本来の召喚魔術であるのなら召喚対象は召喚者の傍に現れるものなのだが、洞窟の傍に出たのは秋穂だけであったようだ。
洞窟に入ると、案外に中は広くなっていて、居住スペースがやたら大きかったりと妙に生活感溢れる洞窟であった。
ベネディクト曰く、ここは隠れ家で、貧乏生活に全く慣れていない魔術師たちが四十五人も集まっていたのだから当たり前だろう、ということらしい。
魔術師の他に、この周辺には日常生活を手助けする使用人たちが多数いたのだが、全員、魔術師が全滅したと知るや脇目もふらずに逃げ出したそうな。
彼らに森に生息する獣を突破する能力や知識があるとは到底思えない、とベネディクトは少し悲しそうに言っていた。
洞窟最奥にある儀式の間にあった魔術師たちの遺体は、既に秋穂が片付けた後で洞窟の中には人はもちろん死体すら残っていなかった。
なので一時的な拠点として用いるには最適の場所である。
雨風を凌げる場所を確保した三人と一匹は、ここでようやく今後のことを落ち着いて話し合うことができた。
そして出た結論に、涼太は渋い顔を隠せない。
「結局、国に帰る方法はわからんまま、と」
一方凪と秋穂の二人はといえば、それほど気にしているとも思えない気楽な様子である。
凪は魔術師が持ち込んだらしい、座り心地の良いソファーの上でふんぞり返っている。
「ま、とりあえず食事と寝床は確保できたんだし、それほど深刻になることもないんじゃない?」
秋穂はお行儀悪く、椅子の背をまたぎ寄りかかるような形で座っている。
「そうそう。あ、でも山の麓の村なりから、穀物仕入れたいかも。お肉ばっかじゃよくないからね」
「うん、それは必須ね。さすがに異世界の食べられる野草なんて見分けつかないし」
後この場所は水の便が悪い、だのといった話を凪と秋穂の二人が交わしている間に、とても不思議そうなネズミの顔でベネディクトは涼太に問うた。
「あの二人、もしかして国に帰りたくないのか?」
「いやぁ、それは……ない、と思いたいけどなぁ。俺の気のせいならいいんだけど、アイツらココきてから妙に生き生きとしてる気がするんだよなぁ」
「気のせいじゃないだろ確実に」
「……言わんでくれ。なんか泣きたくなってきた」
凪にも秋穂にも帰れる帰れないで悩んでいる様子は微塵も見られない。
ここでいかに生きていくか、そして、ここがどんな場所なのかを知りたがるのである。
二人の好奇心だかなんだかのおかげで、ここがランドスカープという国の辺境であることや周辺の地理は概ねベネディクトから聞き出し終えている。
更に。
「うん、造りは、まあイマイチだけど、こうまで実用性一辺倒だと嬉しくなってくるわ」
凪は洞窟にあった諸刃の剣を手に取り、もう何度目になるか、嬉しそうにこれを抜き放つ。
血抜きの溝が云々と語りながら刀身を眺める様は、おもちゃを買ってもらった子供のそれである。
凪がそうすると秋穂もまた凪に倣って剣を抜く。
「見た目ほど重くないよね。剣っていうより、鉄の棒振り回してる気分かも」
これに凪が抗議する。
「あら、そうかしら? これでも斬るには十分じゃない?」
「少なくとも大猪を斬るようには造られてないかなって。人を斬るなら十分過ぎるだろうけど」
恐ろしく物騒な話が聞こえてきたので、涼太は聞こえないフリをしつつベネディクトとの会話に逃げ込む。
「……とりあえず、猪の肉なら取引材料になるんだよな? コレ使って、村行って物々交換してこようか」
「そちらは任せる。ネズミのこの身で対人交渉はありえん。私は周辺の安全確保だな」
ベネディクトの用いる魔術にて、涼太たち三人もこちらの言葉を話すことができるようになった。
また極めて簡単な魔術を涼太はベネディクトより教わっている。
ベネディクトは、魔力があるのに何故魔術を使っていなかったんだ、と本気で不思議がっていたが、そんなことを言われてもと涼太は困惑するしかない。
「案外、向こうにあったインチキ臭い魔法ってのも、やってみれば上手くできたのかもしんないな」
「少なくともお前が私に教えてくれたような魔術もどきでは、絶対に魔術は発動しなかっただろうがな。今ならお前にもわかるだろう? 魔術が発動するのに必要な魔力の感覚が」
「教わらなきゃ一生わからんままだった自信あるっての。でも……」
自分の手の平を見下ろしながら、涼太はにまーっと口の端を上げる。
涼太が教わった中で一番わかりやすいのは光の魔術だ。
ベネディクト曰く、初歩にして基礎にして、魔力があるなら子供でもできる単純極まりない魔術、だそうだが、これを本当に使えると確信できた時の涼太の興奮はヤバいものがあった。
ほんの一言の詠唱と精神を魔術に相応しい形に整える、それだけで、涼太の目の前に薄く輝く光の玉が現れたのだ。
これで興奮するなと言うほうが無理だ。ちなみに一番騒ぎ喚いていたのは凪である。
『なんでよ! なんで楠木ばっかり! ずるいずるいずーるーいー! 私と今すぐ代わりなさいっ! 代わってよお願いいいいいいいいいい!』
凪と秋穂に魔力はない。そうベネディクトが言った時の凪の絶望顔はちょっと忘れられそうにない。それでも綺麗だとか可愛いだとかそういった感想が出てしまう辺り、不知火凪の持つ美人度のヤバさがわかろうものだ。
凪はどうやら魔法というものに並々ならぬ思い入れがあるようだ。それ以来魔法の話題が出る度不機嫌極まりない顔で睨まれている涼太の知ったことではないが。
その後、涼太と凪、そして秋穂とベネディクトの二チームに分かれて行動することになった。
この時涼太もベネディクトも、まさか二チームに分かれた双方で殺人案件が発生するなどと夢にも思っていなかった。
洞窟に最初に戻ったのは秋穂とベネディクトだ。それからさして時間も経たず涼太と凪も戻ってくる。
双方に起こった出来事を報告し合う前に、凪と秋穂は、お互いを見て驚いた顔をしていた。
「あら? もしかして柊さんも殺ったの?」
「ありゃりゃ、もしかしてそっちも?」
二人が何を根拠にそんな言葉を口にしたのか、涼太にもベネディクトにも全くわからない。だが、どちらも確信めいたものがあるようで、一言ずつのやりとりのみでその事実を受け入れる。
獰猛に口の端を上げる凪。
「その顔、まるで後悔してないみたい」
秋穂は苦笑で返す。
「不知火さんもね。初めて、でしょ?」
「そりゃさすがにね」
「だったらもうちょっと可愛げがあるフリでもしたほうがいいんじゃない?」
「嫌よそんな面倒なの。でも、嬉しいわね。ねえ柊さん、ちょっと向こうで話さない?」
「うん、私もそうしたいと思ってた。ごめんね、楠木くん、ベネくん。私たちちょっと向こう行ってるから」
見目麗しい美少女二人が両者笑顔で語り合うの図、であるのだが涼太には二匹の肉食獣が獲物自慢をしているようにしか見えなかった。おそらくベネディクトも同じ気持ちであろう。
ものの半時間もせず戻ってきた二人がお互いを、凪ちゃん、秋穂と名前で呼び合い、今までよりもずっと親し気になっているのを見て涼太は、混ぜるな危険、と思ったとか。
涼太たちは既に盗賊を数人斬ってしまっている。だが、遭遇した盗賊全員を斬っているため、まだ彼らと交渉の余地はある。
ただベネディクト曰く、この洞窟に魔法使いたちが集まっていることは盗賊も知っているので、彼らがこちらに近寄ってくることはないそうだ。
盗賊が何十人集まろうと、魔法使いの集団に勝てるわけがないのだから。
なのでここを拠点に村と行き来するぐらいならば、増えているとはいえそうそう盗賊に遭遇することはないだろうと。
涼太は思った。
『だったらそもそも、二手に分かれた双方に盗賊が出るのはおかしいんじゃねえのか?』
だが、秋穂が盗賊から聞き出した話によれば、彼らが近くを通ったのは全くの偶然らしい。なので涼太はこの点をつっこむことはしなかった。
三人と一匹は村との取引がまとまったので、洞窟に腰を落ち着けてから新たに狩った二匹の大猪を持っていくことにした。
総重量数百キロになるだろう巨大なシロモノであるが、凪と秋穂が一人一匹ずつずるずると引きずっていく。
「ホント、これどういうことなのかしら?」
「ま、楽だからいいんだけど。ちょっと気味悪いよね」
「それよ。自分で鍛えたでもないのに腕力だけ強くなってるとか、毎日の鍛錬を馬鹿にされてるみたいで腹が立つやら気味が悪いやら」
「降って湧いたように身についた力だしねぇ。いつ消えるかわかったもんじゃないけど、身体を慣らしとかないとマズくもあるし。悩ましいよねぇ」
巨大な風船を引っ張っているようにしか見えない、気軽で気安い様子の凪と秋穂だ。
人類の域を軽く超えているだろう二人の怪力に、涼太は羨ましそうにしつつ秋穂の肩の上が定位置になってきているベネディクトに尋ねる。
ベネディクトは秋穂の肩で数歩助走すると、並んで歩いている涼太の肩へと跳び移る。その挙動は誰がどう見てもネズミのそれで、彼のネズミ生活の長さが窺える。
「なあ、俺にもこういうの無いのか?」
「知らん。というかこの二人、元々凄い腕力があるんじゃないんだな。魔術を使ったでもなくいきなり強くなるなんて話は私も初めて聞くぞ」
「無意識に魔術を使ってるというのは?」
「無意識で魔術が使えるものかっ。魔術の使い方も理屈も教えただろう」
「まあ、な。なんつーか、意味のわからんことが多すぎて何をどう判断したもんだか」
ベネディクトは二本の後ろ足で涼太の肩の上に立ちながら、ネズミとはとても思えぬ見事な動きで肩をすくめた。
「探究の徒である私としては業腹な話ではあるが、正直に言って見当もつかんよ。どうしてお前たちがここに来たのか。どうすればお前たちが帰れるのか。こちらに来てから突如生じたというナギとアキホの怪力。……生活が落ち着いたなら、少し実験に付き合ってほしいな。それまでに幾つかあたりをつけておくとしよう」
「頼むぜ。今の俺たちはお前しか頼れる奴居ないんだ」
「それは奇遇だ。頼れる者がお前たちしか居ないのは実は私もなんだ」
一人と一匹は同時にくすりと笑う。
女同士とは別に、男同士もまたそれなりに仲良くやれているようである。
そんな男同士の話に女の子たちも混ざってくる。凪は少し咎める口調である。
「そんな先の話よりまずは生活基盤の確立でしょ。調べものだなんだって話するにも、衣食住揃えてからでないと」
うんうんと頷いている秋穂。
「住む場所も洞窟だけってのは良くないし、食べるものだって肉だけじゃ駄目だよ。それに、着るものの予備もぜんっぜん無いんだから、まずはこれを全部解決しないと」
異世界だの怪力の理由だのといった未知の現象には目もくれない。これも男女の差かね、と涼太が問うと性別云々関係なく知識欲旺盛なベネディクトはやはり肩をすくめるのみだ。
涼太は改めて自分たち三人と一匹の姿を見る。
歩いているのは山道だ。道幅は狭く、起伏も激しい。そんな山道を大猪を引きずりながら歩くとなれば、猪の巨体が道から外れ木々や茂みに引っ掛かったりもしよう。それらを腕力のみで引きずり細い木々程度ならばへし折って進むのである。
『バックするブルドーザーだな』
とりあえず人力で動いているとはとても思えぬ有様なのである。
凪が先を行き、後に続く秋穂が更に道をならす。これにより、獣道のような細い山道は倍程の広さに削り広げられていた。
深く嘆息する涼太と即座につっこむベネディクト。
「これも男女の差かね?」
「お前は女性という生き物をなんだと思っているんだ」