031.後始末
ギュルディ・リードホルムは、今回の騒動の死者数は多くて百人前後であろうと予測していた。
だが、彼のもとにもたらされた報告全てをまとめると、総死者数なんと三百三十一人。騒動当時街にいたブランドストレーム家のチンピラたちと商業組合の傭兵たちはその八割以上が死亡している。
この計算違いは全て不知火凪のもたらしたものである。
「ありえんにも程がある。報告が正しければ実に百五十人以上をコイツ一人で殺してる計算だぞ」
更に一騎打ちにてアンドレアスを討ち取ったという柊秋穂は、他にも盗賊砦のエドガーを始末しているらしい。
シーラは当初の予定通り、商業組合の役員たちとブランドストレーム家の幹部共を片っ端から殺して回り、指導者を失った彼らはどちらも今は身動きが取れなくなっている。
ギュルディはこの間に有力地主に話をつけ、妨害に動く全員を排除したのでリネスタード治安回復のための徴兵計画を推進するよう求めた。
彼らにも状況把握の時間は必要だろうから動き出すのは少し後になるだろうが、これでリネスタードの街がギュルディの望む形になる前提は整った。
ただ一つ。ギュルディの予想を悪い方向に外した件がある。
「……すまん、コンラード」
コンラードの侠としてのあり方を見誤ったのは、ギュルディ一生の不覚であった。
せめても取り返しのつく不覚で済んだことを、ギュルディは神に感謝するのだ。
『あの刺し方で殺さずに済ませられるのきっと私だけだよ、えっへん』
ベッドの上で意識を取り戻したコンラードに、シーラからのそんな伝言を伝えたのはコンラードの治療を担当した楠木涼太である。
「死相出てた気もするけどな。どうだ、調子は」
「……泣きたくなるぐらい腹が痛い。コレはお前の魔術でどうにかならんのか?」
「我慢してくれ。悪いが魔術師としちゃ俺はまだまだひよっこなんだよ」
「怪我を治せる魔術師がひよっこのわけがあるか」
涼太が街の近況をコンラードに説明してやる。
現状、ブランドストレーム家は当主以下幹部が全員死亡し、まとめ役をできる者が一人もおらず、ついでに下っ端もほぼ壊滅しているので活動そのものが不可能な状態で、これは商業組合も同様だ。
商業組合の平組合員である商人たちは無事なので、これの統制はギュルディが行なっている。
ブランドストレーム家を失った地主たちは、徴兵計画でどうにか武力を確保しようとしている模様。
鉱山街は完全に沈黙している。鉱山街のまとめ役である残り九人となった鉱山権利者たちは、地主たちと話し合いの場を持とうとしているようだが、今回の騒動の切っ掛けとなったのはここのアンドレアスなので彼らへの街人の目は厳しい。
「アンタが死にかけてるって話を聞いた時は泡食ったもんだ。なあコンラード、アンタまだブランドストレーム家のために動く気か? ギュルディ曰く、街の人間は皆この機会にブランドストレーム家全部消しちまう気でいるらしいぞ」
「あのシーラの前に立ったんだ、筋は通したってことにしてもらうさ」
「それだよ。お前、さあ。俺にはどうにも理解できないんだが、お前、死ぬのが怖くないのか?」
とても苦々しい表情になるコンラード。
「怖いに決まってんだろ。若い頃はそうでもなかったんだが、この年になっちまうとどうしてもな」
首を何度も横に振る涼太。
「……理解できねえ。死ぬかもしれない危ない真似をするのと、間違いなく死ぬって所に突っ込むのとじゃまるで話が違うだろ。しかも、あそこでお前がシーラの前に立ってもブランドストレーム家のその後が変わるわけでもない。それはお前にもわかってたことだろう」
「この年までこういう生き方しちまうと、自分でもどうにもならねえことの一つや二つはできてくるもんなんだよ。コイツは俺みたいな立場にならないとわからんことだ、今のお前が理解しようとしたところで無駄だぞ」
涼太は年相応に可愛げのある不満顔で口をとがらせる。
「はいはいそうですか、経験不足で悪うござんしたねぇ」
「拗ねるな馬鹿め……ギュルディは商売のタネも全部持っていくって言ってたか?」
「悪いけどそこまではわからん。悪いようにはしないと言ってたからそれを信じるしかない。どの道しばらく身動き取れない、つーか取るな死ぬぞ、だから大人しく状況の推移を受け入れるっきゃないだろ」
「……敗者はすっこんでろってことか」
「ブランドストレーム家は負けたが、俺たちは勝っただろ。後はギュルディに任せてゆっくり休んどけって。多分だけどな、ギュルディは使える奴はとことんコキ使う男だぞ。今は人が全然いないんだから、コンラードも動けるようになったら即座に山ほど仕事振られるぜ」
「仕事の心配しないでいいのはありがたいさ。なあリョータ、お前の目から見て、ギュルディはこの街全てを支配できる器だと思うか?」
「まだ無理じゃないか。だけどその意思も準備もあるみたいだし、後は自然と実力も身についていくと思う」
あっさりと答える涼太に、驚き目を見開くコンラード。
「アイツならできると思ったから手を貸したんじゃないのか?」
「『街の支配者』なんて仕事、ギュルディだってやったことないだろうし前任者がいるでもないんだから、本当にできるかどうかはそれこそやってみなきゃわかんないだろ。わかんないけど、ギュルディならそう長い時間をかけずに仕事に慣れてくれる、って期待はある。その辺はコンラードだってそう思うだろ?」
「それはまあ、そうだが。なあリョータ。そういう細かい条件が付くような右か左かはっきりしない話し方、上の連中は皆嫌がらんか?」
「かもな。でも実に幸いなことに俺の上には誰もいないから気にするつもりはないっ」
やはり怪訝そうな顔をするコンラード。
「ギュルディの下につくつもりはないと?」
「凪と秋穂の戦いっぷり、そういえばコンラードは見てないんだったな。あの二人抱えて誰かの下につくはありえないんだよ。どー考えても相手に迷惑がかかる」
「お前が手綱引けばいいんじゃないのか」
「それができれば苦労はねーの。この辺の他の人から理解が得にくい難しさってのを、ギュルディはよーくわかってくれるんだよなぁ」
シーラを抱えるギュルディであるからしてそれも当然であろう。コンラードは笑い出してしまった後で、腹部を襲う激痛に身をよじる。
その様を見て苦笑しながら涼太は言う。
「症状が悪化したらすぐ呼んでくれ。コンラードとギュルディとシーラが相手なら、魔術に代価を取るつもりはないからさ」
「いってぇ……いいのか?」
「数少ない頼れる味方だ。せいぜい大事にするさ」
絶対に無理はするなよ、と残して部屋を出た涼太。
残されたコンラードはベッドに横になりながら呟く。
「最初の時はあんなにビビってたってのによ。若い奴ってな一つ仕事こなしただけで見違えるぐらいデカくなりやがる」
三十代のおっさんなコンラードは、涼太のそういった成長が見られるのをとても楽しいことと思うのである。
戦いが終わると、涼太、凪、秋穂、ベネディクトの三人と一匹は、使っていた宿を出てギュルディが紹介してくれた宿に入る。
ここはギュルディも使っている宿で、少なくともギュルディの味方であるうちは、安心して眠ることのできる場所である。
その一室にて、秋穂は凪の背後に回り、興味深げにむき出しになった肩を見ている。
「もうぜっんぜん、傷跡もないね」
「でしょ? 痛いのもさーって一気に無くなっちゃって。びっくりしたなんてものじゃなかったわよ」
「素晴らしい、の一言だね。前からそうだったけどもう涼太くん、私たちの中核、筆頭、リーダーでいいんじゃないかな」
「うんうん。こんなに頼れる人、そうそういないわよ」
上機嫌で持ち上げまくる凪と秋穂に、涼太はまるで同調しようとせず、じと目で二人を眺めながら言った。
「……なあ、お前らさあ。俺が傷治せるからって、多少なら無茶しても大丈夫になったとか思ってないよな?」
いやいやいやいや、と首を横に振る秋穂。
「そんなことないよ、ないよ、全然ないよー。でもどれぐらいまでの傷なら治せるのかは知りたいかなー」
手をひらひらと振る凪。
「まったくもう、涼太ってば心配性よねぇ。……で、手足斬り落とされてもくっつくのかしら?」
予め涼太とベネディクトでは話し合いをしてあったらしく、この二人にベネディクトが苦言を呈する。
「いいか、よく聞け二人とも。軍において、初めて魔法治療を受けた兵士が直後の戦で死亡する例が多いそうだ。理由はわかるか?」
首を横に振る凪と秋穂。ベネディクトは続ける。
「魔法で治るからと油断し無茶をした兵が、治療の施しようのない怪我を受けたり即死したりする例が後を絶たないからだ。重要器官に損傷を受ければ魔法では治療しえないのだから、下手に治療魔法を前提にした戦いなぞするべきではない。わかるな?」
怒られてしまったので神妙そうな顔で二人は同時にはーいとお返事。
よろしい、と頷くベネディクトと、二人の言葉など全く信用していない涼太である。
「ゲームじゃないんだから、戦闘中の治療なんてもっての外だぜ。結局、戦闘が全て終わった後で、怪我で動けないもしくは動きが鈍る期間が短くなる程度の効果しかないんだから、ほんっとに注意してくれよな」
痛くなくなるだけでも十二分よ、と凪。秋穂は少し考えた後で問う。
「ねえねえ、涼太くん、今もう治療の魔法使えるの?」
「ん? ああ、大丈夫だぞ。怪我あるのか?」
「うん」
そう言うと秋穂は短剣を抜き、自分の腕に深々とぶっ刺した。
いきなりすぎるド派手な自傷行為に涼太が目をむく。
「ちょおおおおおっ! おっ! おまっ! 何してんだお前えええええ!」
「わっ、そんなに驚かなくても。だって怪我してないと治した感じがどんなものかわからないし」
「そいつを確認したいってだけかよ!? どんだけ思い切りいいんだお前は!」
「え? ええ? だって、いきなり本番とか怖いでしょ? だったら、ほら、試してみといたほうがいいかなーって、ねえ」
「……それだけの理由でナイフ自分に刺せるお前の神経がわからん。痛くねえのかよそれ」
「痛いよー、すっごい痛い。だから早く治してくれると嬉しいかなー」
「はいはい」
秋穂が短剣を抜くと傷口から勢いよく血が噴き出してくる。
「ホントにもうさ……心臓に悪いからもうこういうのは勘弁してくれよ」
「ごめんごめん、そんなに驚くと思わなかったから」
そんなお前に驚くわ、とぼやきながら傷口に手を当て、ゆっくりと詠唱を行う。
治療自体は詠唱開始から一分も経たずに終わる。
秋穂の傷口は、正に魔法のように、くっつき塞がり傷痕すら残らず。
「うわ、うわ、うわぁ。本当に痛くなくなった。何これ、もしかして涼太くんってすっごいすっごいかっこいい?」
「凪と同じこと言ってんじゃねえ」
これをじっと見ていた凪はというと、ぼそりと溢した。
「んー、秋穂と交互になら、いけそうかな」
これを聞いた秋穂は、難しそうな顔で首をかしげる。
「どうだろ。戦闘の場に涼太くん連れていくって前提がそもそも厳しいんじゃないかな」
「そうよねぇ。ねえ涼太、その魔法、離れた場所からでも……」
「やっぱお前ら戦闘中にやらせる気なんじゃねえか! 距離はこれ以上離せねえからそれやるんなら俺は命がけになるっての!」
はぁ、と凪と秋穂は同時に嘆息した。
「涼太は私たちの生命線だしねぇ」
「そうそう、涼太くんさえ無事なら大抵のことは後からどうにかなってくれそうだし、やっぱ無理させるのは無しだね」
「……お前ら俺に期待しすぎだろ」
二人からの評価と期待が重くもあり嬉しくもある涼太であった。
今回のリネスタード騒乱の結果、ギュルディ・リードホルムが想定していた今後のリネスタードの街のあり方からはかなりかけ離れた結果となってしまった。
方向性は問題ない。だが、一気に話が進みすぎてしまった。
ブランドストレーム家は消滅させる。これはほぼ確定路線だ。
そして商業組合もその形を大きく変えることになる。生き残った役員は全てが穏健派であり、その中でも今回の騒ぎにおいて最も優れた武力を有していたギュルディが大きな発言権を有する。
辺境の悪夢シーラに加え、今回の騒乱にて初めて認知された新たな怪物、ナギとアキホの二人共をギュルディが抱えているのだから、最早リネスタードの街でギュルディに逆らえる勢力は存在しない。
街の人間の大半は、ギュルディはこの機に一息に街全てに影響力を及ぼす立場を確保する、と考えていたのだが、ギュルディは権限を幾つかに分け自分一人で全てを手にしようとはしなかった。
この辺りの立ち回りは強欲な商人らしからぬ動きであったが、農業従事者たちは地主たちが、鉱山街は鉱山権利者たちがそれぞれまとめる以前からの方法を踏襲するようにしたおかげで、街の活動に混乱はほとんど生じなかった。
商業組合は他の街との輸送のための護衛戦力を失ったが、元々護衛のみを目的とするならば過剰すぎる戦力を有していたので、護衛のみであるのならば金銭にて補充は可能であった。
その分はブランドストレーム家が有していた利権の数々を奪ったことで逆に利益が出ており、商業組合は今回の騒乱にて比較的損失の少ない一派であったろう。現在は今回の騒乱の勝利者であるギュルディがこれをまとめているのだから妥当な扱いではある。
他方、農民や地主たちはブランドストレーム家を介して得ていた利権を幾つか手放すことになったし、鉱山街は今回の騒動を大きくするきっかけでもあったことから、三派の中で唯一けじめを要求されておりこれに応じていた。これらは金銭と血にて贖われた。
地主たちの新たな頭がギュルディに問うた。
「鉱山街はあれでいいのか? 金も大した額ではなし、けじめもチンピラの首一つとは随分と生ぬるく思えるが」
「これまでとは違うんだよ。鉱山街は敵じゃない。地主たちもな。もちろん、私たち商業組合もお互いを標的とした戦力の拡充なんてするつもりはない」
「……それが、各々の代表者を出し話し合いにて街の今後を決するという合議会というやつか」
「自分の都合だけじゃない、街全体の利益をも考えられる人間が今は各派の主流だろう? 今なら成立させられるさ。後はコイツがどれだけ儲かる仕組みか街の人間が理解できれば維持も可能だろう」
「お互いの邪魔をせず協力しあえるというだけで、得られる利益は大きく違ってくるだろうな」
「そういうことだ。私はな、非効率的で生産性のない行為が、心底から嫌いなんだよ」
わかっていても中々できんのが人間というものだろう、と地主頭が言うと、ギュルディは笑って返した。
「できるさ。これから、私たちがそうするんだからな」




