030.大怪我だって怖くない
「ウチの凪さんがどんどん人間止めていっている件」
そんな涼太の呟きを拾ってくれる者はいない。唯一の味方であるベネディクトは、基本的に人前に出るのを嫌がるので宿でお留守番である。
鉱山街の宿、その二階宴会場にて、秋穂、凪、シーラ、そして涼太の四人は合流した。
下の道路には無数の死体が転がっているが、この宴会場にも死体はある。
鉱山街のアンドレアスと、その配下十数人分の死体は誰にも片付けられることなくそのまま絶賛放置中だ。
下の階からあがってきた凪は、秋穂とシーラと一緒になって何やらきゃいきゃい騒いで、さきほどの凪の大立ち回りの話で盛り上がっている。
そして、鉱山街側で唯一生き残った、つまり秋穂とシーラにつっかかっていかなかった、店番の男が青ざめた顔で涼太に問うた。
「……おい、殺すんじゃねえのかよ」
「んー、最初はそのつもりだったんだけど、鉱山街でアンタの他に生き残りをまとめるなんて真似のできる奴いるのか? いないんならそいつはアンタに頼もうかと思ってな」
「冗談だろ。どの道、鉱山街にはもう商業組合にもブランドストレーム家にも逆らう力は残ってねえよ」
「心配すんな、商業組合にもブランドストレーム家にも、そんな力残さねえから」
おい、と涼太が声を掛けると、凪、秋穂、シーラが同時に返事をする。
「さーて、後もう一仕事っと」
「がんばろーねー」
「私は一度ギュルディのところ戻ってからかな」
店番の男の顔がひきつる。
「まだやる気かよ」
「むしろこっからが本番だろ。一番殺しとかなきゃなんないのが丸々残ってる」
「……なんもかんも殺しちまって、どうしようってんだお前らは」
「はっはっは、自分でやっときながらまるで信じられないんだが、これでも治安回復のために動いてるつもりなんだ」
目を丸くした後で、何やら考え込む店番の男。
「治安、は、確かに回復は、する、か。するのか? ああ、するなぁ。え、ちょっと、おい待てよ。確かに治安を乱すだろう連中はこれでほとんどくたばったろうけどさあ、治安回復ってもうちょっとさあ」
「こんな派手な騒ぎになったのはその大半がお前ん所の大将の仕掛けなんだから、俺たちのせいみたいに言うなよ」
「嬉々として乗ってきといてよく言うぜ。そっちの金髪、とんでもねえ暴れっぷりだったらしいじゃねえか」
「ホントすみませんでした。アレばっかりは俺にもどーにもなんない……っと、そうだ凪、ちょっと待て」
不意に話を振ると、さっさと出発するつもりだった凪は驚いた顔で振り向く。
「え? 何?」
「お前は居残り。その肩の傷どーにかしてからな」
「は? 肩の傷って……あ」
自分で忘れていたようだ。全身返り血塗れでわかりづらいが、肩の傷口は開いてしまっている。
じわり、じわりと凪の額に皺が寄る。
「ちょ、ちょっと涼太っ! なんで思い出させるのよ! これっ! 痛っ! 痛いわ本気でっ!」
驚いた顔なのは秋穂とシーラだ。
「え、うわ、凪ちゃんそれ自分で気付いてなかったの?」
「我慢強いんだなーって思ってたのに、やっぱり痛いんだそれ」
「二人共わかってたんなら言ってよ! あ、やっぱ言わなくていい。ていうかりょーたっ! せっかく痛いの忘れてたのになーんで余計なこと言うのよっ!」
「やかましい。その痛いの俺がどーにかしてやるから少し待ってろ。秋穂とシーラは先に行っててもらえるか」
ん、と小さく頷く秋穂に、にこっと笑って返すシーラ。
全身返り血塗れの誰かさんとは違って、この二人はそこそこ綺麗にしてあったのでこのお返事は殊の外可愛らしいもので、つい余計な一言を追加してしまう。
「二人共気を付けろよ」
「わかってるよー」
「……え? もしかして私にも言ってる?」
何か気を付けることなんてあったかな、と悩みながら走り出すシーラと、そんなシーラを見て苦笑しながら走る秋穂。
そして残った涼太と凪と、店番の男。
「なあ、お前さんもう行っていいぞ。その、なんていうか、片付けとかも、アンタらがやることになるんだろ」
本気で見逃すつもりの涼太に、店番の男の顔は皮肉げに歪む。
「……俺もいっそここで……いや、いい。引継ぎの時間もらえただけでも僥倖って思うことにするさ」
「それと、死体と怪我人、幾人かもらう。文句は言わせないからそのつもりで」
それだけ言うと涼太は店番の男から目を離し、屋内に倒れる死体の一つの傍に近寄る。
ふらふらと覚束ない足元で部屋を出る店番の男。彼が小声で残した言葉の意味は、涼太にはわからなかった。
「逃げる……できるわきゃねえか」
涼太は部屋の中の死体の一つに近寄って、静かに精神を集中させる。
凪はその様を興味深げに見守っている。
涼太のかざした手の下に、死体の首元の傷口がある。これが、涼太の呪文の詠唱と共に少しずつ塞がっていく。
「え、嘘、こんな簡単に傷治っちゃうの?」
凪の言葉にも涼太は集中を崩さない。
傷口を完全に塞ぐ。が、もちろん相手は死体だ。それで動き出したりはしない。次に胸の位置に手を当て術を唱えるとこちらにも手応えはあった。
涼太は死体の目を見て、そして今度は頭部に手をかざしそちらにも魔術を使う。
が、詠唱は途切れすぐに手を引っ込める。
「くそっ、やっぱり無理か」
死体の損傷部位を治し心臓を動かし、そのうえ頭部にまで治療を用いる。その狙いは凪にもすぐにわかった。
「……うわぁ。怪我治せる魔法覚えたと思ったら、速攻で死人が生き返るかどうか試すんだ」
「一番気になる所だろ? だが駄目だ。脳の損傷は治療の魔術を全く受け付けない。……俺の知識不足か? いや、そもそも治療ってのはそういうものだって考えれば……」
今度は別の死体の内臓器官を治療しようとするが、わかりやすい傷は治せても、内臓の形が大きく崩れてしまっているものは涼太の魔術を受け付けなかった。
ちょっと前まで死体を作るだけで、怯え震えて真っ青になっていた涼太が、今ではもうこんなにも逞しくなっている。
と凪が思っていたら、やおら涼太が立ち上がり、部屋の外へと走っていった。
おげーおげー、と音が聞こえたことから、何をやっているのかはすぐにわかった。
「いや、そこまで無理しないでも」
涼太の後を追った凪は、部屋の外で蹲っている涼太の背をさすりながら呆れた声を出す。
「大丈夫? 試したいことあるんなら動物で試せばいいのに」
「人間と動物は違うだろ。それにそもそも、死体やら怪我人やらにビビってるようじゃ治療行為なんてできないだろうが」
「ごもっとも。……それでも、きちんと段階を踏みなさい」
「次からはそうする。けど、お前の傷治すのにぶっつけ本番ってわけにもいかないんで、今回はしょうがなかったって思ってくれ」
「そう、ね。怪我人や死体がそう都合よくそこらにある機会なんて滅多にないか」
次は、とまだ息がある者を探し、これに治癒を施す。やはり傷口を塞ぐといった行為は問題ないが、内臓のような複雑な器官を完全に再生させるのは今の涼太には無理であった。
確認すべきことが確認できたところで、涼太は凪の肩の傷を治療する。
傷は深いが極めて単純な切り傷であったので、涼太の治癒は問題なく作用した。またこの術は打ち身ねんざにも効果があった。
「あ、あははっ、すごいすごい。涼太凄いわよこれ。もうぜんっぜん痛くない」
嬉々として腕をぶんぶん振り回した後で、真顔になった凪はじっと涼太を見つめる。
「今初めて気付いたけど、涼太ってすっごいかっこいいよね」
「喧嘩売るんなら二度と治してやんねえぞ」
「あーうそうそっ、ごめんごめんって」
それはそれで腹立つなおい、と口をへの字に曲げる涼太に、いつもの邪気の欠片もない楽しそうな笑みを見せる凪。
その場で怪我を治した左腕で逆立ちをした挙げ句、足を大きく開いて高速回転。
「よーしよしよしっ! 完全っ! 復活っ!」
回転の勢いを足を振り回すことで縦の回転に切り替え上へと跳び上がり、余計に一つ回ったうえで片足で着地。
「おっけーい! じゃあ行ってくるわね!」
はいはいいってらっしゃい、と手をひらひらと振る涼太のほうを振り向きもせず窓から外に飛び出していった。
商業組合所属傭兵団赤狼のリーダー、イェルド・ネレムは自制心に欠け、短慮で自尊心の強い男であったが、そんな山盛りの欠点を抱えながら人の上に立てるだけの何かを持ち合わせている。
赤狼への出資者、という名の恐喝先へのブランドストレーム家の襲撃を防ぐと、イェルドは威勢よく騒ぐ部下たちを他所に、一度この場での情報収集を優先する。
戦力を減らすのは嫌なので、イェルドは街の協力者に情報の収集と提供を強要する。つまり、お前ちょっと行って探ってこい、というやつだ。
すると来るわ来るわ。
「し、死体だらけだ。ひでぇっすよイェルドさん。通りに死体が何十もぶちまけられてて……」
話しながらその光景を思い出した報告者がおげー、と吐きその場に崩れ落ちる。
次の男もまた、誰がやったかもわからない死体がそこらに転がってたと告げる。誰が死んでいたかを聞いても、あまりにヒドイ死体ばかりでとても確認できなかったと言われる。
基本的に、街に住む人間が見る死体は病死や衰弱死だ。人の形は保たれた死体ばかりであり、それが刃物による殺傷であったとしてもそこまでヒドイ死体にはなっていない。
戦場に出た経験でもなければ今街中に転がっているような死体を見ることはないのだ。
人の形を残さぬ死体の有様は、たとえ頭部が残って個体識別が可能な状況であろうと、とてもとてもこれをじっくりと見て誰が死んでいるかなどを並の人間が確認なぞできぬものだ。
「イェルドさん、いったい何が起こってるんですか。シーラっすか? 辺境の悪夢ってなここまで、ここまでひでぇ真似ができるんっすか? アイツ、本当に人間なんっすか?」
報告者の顔色は、それはそれはもうヒドイものであったが、共にこれを聞いていたイェルドの部下たちは全くその深刻さを理解していない。
「ははっ、シーラだったら味方じゃねえか。味方が強ぇのにビビる馬鹿があるかよ」
「そうだぜ。それによ、俺がぶった斬ってやったブランドストレームのボケもよう、そりゃもうひっでぇザマだったんだぜ」
「けっ、俺が殺した奴ほどじゃあねえな。俺ぁよう、クソ野郎の腕ぶった斬ってやったんだぜ。ははっ、地べた転がりまわってよ、みっともねえったらなかったな」
「死体なんざもう動きゃしねえのにそんなもんにビビってんじゃねえよ、根性のねえ奴だ」
少し前にあった戦いの戦果を誇り自慢げに語る部下たちを、イェルドはとても苦々しい顔で見ていた。
ここでイェルドは、以後の報告を部下のいない別室で聞くことにした。
以後も続々とくる報告から、ブランドストレーム家、そして商業組合の傭兵の、双方のチームが潰されていることがわかる。
シーラではない。金髪のとてつもない美人らしい。その戦いの目撃者はこぞって言った。あれは人間ではない、死の神の御使いであろうと。
たった一人で十人も二十人もの集団全てを殺し尽くす人間なぞ、報告者の想像を超えていた。
イェルドは知っている。そういう化け物がこの世に存在することを。
『やべぇ……女で、金の髪で、そういう奴の話は聞いたことがねえ。つまり、全く新しい化け物ってことか』
そうした化け物が皆の口の端に上るようになる時、大抵一番初めの事件の時は皆がそれと知らずに対処を誤り、信じられないほど大きな損害を出す。
商業組合側にはシーラがついているが、鉱山街にはアンドレアスが、そしてブランドストレームと商業組合を襲う鉱山街側の可能性がある金髪の女が。
シーラは辺境中に知れ渡る化け物の中の化け物だが、二対一で本当に勝てるのか、イェルドにもわからない。
そして何よりシーラだ。
イェルドはシーラの動きが鈍すぎることに気付いている。普段の対応から、商業組合自体にシーラがそれほど執心していないことも。
イェルドの頭には、シーラは頼れないのでは、という考えがあった。
無条件に味方だと信じ込んでいる部下たちと比べればイェルドは比較的マシであるのだろう。この場合、比較的、で十分である。
イェルドは自身の片腕である傭兵団赤狼副団長に主力を任せ、少数のみを傍に残し街への出撃を命じる。
お偉いさんへの対応は自身が引き受けるから、お前たちは暴れてこい、と言うと彼らは喜び勇んで飛び出していった。
「あ? なんだあいつ?」
「うおっ……すっげぇ美人。おいおいおいおい、何これなんだよこれ。あんな女この街にいたか?」
「いきなり生えたんでも構いやしねえよ。お前、あれ、そのまんま見過ごすわけじゃあるめえな。なあ副長、あれ、どーすんのよ」
「ばっかお前。ありゃすっげぇなおい。俺な、俺一番な」
「副長欲望漏れすぎだろ。あ、俺ももう今日はケンカはいいや。後はお前ら任せた」
「やべぇ、止めてくれるイェルドさんいねえでやんの。つーか副長よー、あんだけの女壊しちまったらぜってーイェルドさんキレるぜー」
「バレねーようにバラしちまえばいいだろ」
「上手いこと言ったつもりかよそれ。ま、どーせシーラが暴れてんだろうし、俺たちが少しぐらいサボってても構いやしねえか」
リネスタードの街で叩き潰された大半のチンピラたちがそうであったように、彼らもまた不知火凪が生来生まれ持った不可避の罠にはまりこんでしまった。
金髪が出た。そんな話はこの場から去ろうとしていたイェルドの耳にも入ったのだが、内心はともかく表向きはさして気にした風もなく彼は言った。
「美人の一人ぐらいくれてやれ。行くぞ」
足早にこの場を離れるイェルド。
『やべええええええ! ぎりっぎりじゃねえか! あぶねっ! あぶねっ! あっぶねええええええ!』
部下たちに対し面目を施しつつ、どうにかこうにか逃げ出すことに成功したのである。
首尾よく逃げ出したイェルドは、これから一切の情報を遮断しなければならなくなった。
傭兵団赤狼が大きな被害を受けた話を聞いてしまえば、これに対しイェルドは面子に賭けて対応しなければならなくなる。が、知らなければ対応も何もなかろう。
そんなイェルドがやったことは、商業組合の各役員や主要商店の見回りをすることだ。
目立たぬよう移動しながら、これらを回って役員たちに報告をして回る。街中で勃発してしまった今回の騒乱に対し、彼らがイェルドに抗議してくるのはわかっていたので、きちんと答えられるだけの言い訳を用意して彼らのもとを訪ねる。
だが。
「……おい、こりゃあ……」
イェルドは絶句する。
一件目はまだ我慢できた。
「イェルドさん! ウチの当主が殺されちまった! いつの間にか! 死んじまってたんだよ!」
犯人も見つかっていない。屋敷の内にいて、一人になったところを殺されたらしい。
これと同じ話が、二件、三件と続くのだ。
イェルドに従っていた部下たちも、その尋常ならざる事態に怯えの色が見てとれる。今イェルドが連れているのは、威勢のままに暴れるような馬鹿ではなくきちんと利益を考えて動けるような者ばかりであるのだから猶更だ。
そして四件目にて、聞き捨てならない話を耳にする。
「いや、はっきりと見たわけじゃないんですけど……その、犯人っぽい奴、青い髪だったような……」
リネスタードで青の髪と聞いて真っ先に出てくる名前はシーラ・ルキュレである。他に全くいないわけではないが、とにかく珍しい髪色なのだ。
この話を聞いたイェルドは理ではなく勘でシーラの裏切りを確信する。
そして、イェルドがこの街で手にした全てのものが確実に失われることを知った。
その失望、喪失感はイェルドのこれまでの人生の中でも最大級のものであったが、イェルドの心中にあるのはより以上に、逼迫した生命の危機である。
『やべぇ、死ぬぞ俺』
イェルドにはまだ今回の騒ぎの全容なぞ把握できていない。
何処の誰がどうやって動いているのか、結果街中で何が起きているのか、全ての情報など手に入れようもない。
それでもイェルドは、街中各所で新たな化け物が暴れていることと、シーラが裏切った可能性が高いこと、商業組合の役員が次々殺されていることを知ると、それがどうしようもないほど危険な己の生命の危機であると考えられたのだ。
自制心に乏しく、数十人を束ねるていどのことすら暴力を振りかざさなければ成し得ない愚者であったが、彼の死を避ける嗅覚だけは本物で。
イェルドは部下たちに待機を命じると、服をボロに着替えて全てを置き去りに逃げ出したのだ。
現段階でそうできる人間なぞそうはいまい。誰もが予想だにしなかったイェルドの才により、イェルドは死の気配漂うリネスタードの街を抜け出すことに成功した。
そこまでであったが。
「ざーんねん」
「しっ! シーラ! お前どうして……」
リネスタードの正門を抜けてすぐのところで、イェルドは背後より声を掛けてきたシーラに驚き問い掛ける。
「あぶないあぶない、まさか逃げられそうになるとはねえ。キミ、やっぱりあぶなっかしい子だったねぇ」
「お、お前ほどの奴が、俺ていどを追うなんざ……」
「身の程を知ってるようで何より。でも、それ、ちょーっと遅かったよね。私、都合よく利用されるのキライなんだよー」
利用しようとはしたがまだそうできてはいなかった、なんて言葉を飲み込みイェルドは言い訳を並べようとするも、直後のシーラの言葉に絶句する。
「それに私、そもそもキミみたいな人キライなんだ」
シーラもまた全てを口にはしない。イェルドのような知恵の回る小悪党は、必ず後々になってシーラの悪評を振りまき、シーラにとって都合の悪いように動き出す。
だからシーラにとってイェルドとは、最初から殺すべき優先度の高い相手であったのだ。
わざわざ一手間を割いて殺しにかかる程度には。
「じゃあ、ね。死者の国ではその分不相応に態度の大きなところ、直しといたほうがいいよ」




