003.柊(後編)
楠木涼太と不知火凪、柊秋穂と白ネズミのベネディクト、この二人づつに分かれ手分けして探索を進めることにした。
柊秋穂はその肩にしゃべる魔術師白ネズミことベネディクトを乗せながら、山道を歩いている。
手には片手持ちの剣が握られている。
これを器用にくるくると振り回しながら歩く秋穂に、ベネディクトが呆れたような感心したような声で言う。
「アキホは剣の扱いに慣れていると言っていたが、今までにどんな戦場で戦っていたのだ?」
「ん? 戦場なんて出たことないよー」
「では狩人なのか? いや、だとしてもあの大猪を苦も無く倒すアキホだ。人間なぞ麦穂を刈るようなものだろう」
「いやいや、だからっ。私たちの世界は平和だって言ったよ。もちろん私も人なんて斬ったことないし」
「……平和な世界とやらで、何故にそこまで戦う力を磨き上げていたのだ? 敵がいるからこそ力は磨くものだろう?」
秋穂の剣の振り回し方は、それこそ大道芸でも通るぐらいの素早い動きだ。右手から左手へ、右肘を回り、左肘を逆回り、腕の振る動きと剣の回転が全く一致しない、目が吸い寄せられてしまうような動きだ。
うーん、と秋穂は少し困った顔で言った。
「改めて聞かれると、自分でもよくわかんないや。おばあちゃんが厳しい人だったから、ってのも理由の一つだろうけど、きっとそれだけじゃなかったとも思うし」
秋穂は剣回しを片手のみの動きに変え、逆の手で拳を握る。
手の平から返ってくる握り具合は、秋穂の知る秋穂の握力とは比べ物にならないものだ。
『早く、時間作ってコレに慣れないと』
歩きながら剣を振り回しているのも、ただの遊びやら手癖やらではなく、少しでも手に今の力と剣とを馴染ませるためである。
秋穂の耳に異音が入る。
それ、と思った時にはもう逃げられない場所にまで音は近づいてきていた。
『ありゃ。馬って、案外速いんだ』
山道を駆ける馬が、その音に気付いてから姿を現すまでの時間の短さに驚く秋穂。
隠れられないほどでもなかったのだが、突然のことすぎて反応し損ねてしまった。できたのはせめても抜いた剣を収めることぐらいだ。
「女?」
騎馬は三騎。
馬を止め、先頭の男はそう呟くが、後ろの二騎は明らかに興奮した様子である。
「はあ? おいおいおいおい、なんだってこんな山奥にこんな良い女がいるんだよ。魔物か? なんかどっかでそういう話聞いたことあっぞ」
「ばっかおめー、こんだけ良い女なら魔物だって構いやしねえよ」
「確かに。やっぱおめー頭は悪いが真実を見抜く目っつーもんを持ってやがるなよしやろうそうしよう」
「おうよ魔物女に人間様の雄々しさっつーもんを教えてやるぜ」
呆れた声なのは先頭の男だ。
「自分で答えを言ってるのに何を寝ぼけたことを。こんな良い女が道端に転がっているわけないだろう。どうせ何処かの盗賊団なりの女が山ではぐれたって話だろうよ。それもこれだけの女だ、相手はよっぽどな奴だろうぜ。お前ら、それこそ有名な団の頭やってるような奴と、女で揉める勇気あるか?」
後ろの二人は、とてもとても悲しそうな顔をしていた。
で、と先頭の男は厳しい顔で秋穂を睨む。
「お前は何処の者だ? まさかとは思うが、逃げ出したってんなら容赦しねえぞ。誤魔化しも許さねえ、どうしてここにいるのか、きっちり一から十まで説明しな。もし、後で嘘だってわかったならてめぇの上がなんだろうと知ったことじゃねえ。絶対にてめぇからケジメ取ってやっからそのつもりで慎重に言葉を選べよ」
肩に乗っているベネディクトはすぐ傍にいるせいか、秋穂のまとう空気が変わったことに気付けた。
「おい、アキホ。もしかしてやる気……」
「ねえ、そういう貴方たちはいったい誰なの? 名前も、所属も、聞いてないんだけど、私」
先頭の男は秋穂の言葉を精一杯の強がりとでも受け取ったのか、鼻で笑いながら答える。
「所属と来たか、随分と育ちの良さそうなことで。俺たちぁな、『赤い空』のモンよ。他所の連中にも筋は通すが、なめられるのだけは我慢ならねえ。いいか、忘れるなよ? 言葉一つ違えたら引っ込みつかねえからな」
先頭の男の後ろで、二人の男がこそこそと言い合っている。小声で聞こえていないつもりだろうが普通に聞こえてくる。
「なあ、ごちゃごちゃ言ってねえでさ。コイツ、ヤっちまわねえ? バラして捨てちまえば誰にもバレねえって」
「そ、そうだよな。こんな良い女、見逃す手はねえぜ。半日、いや一日丸々潰してもコイツなら惜しくねえ。こんな良い女と一日中ヤってられるとか、盗賊冥利に尽きるってもんだろ」
もちろんこの声は先頭の男にも聞こえているが、特に彼らを咎める様子はない。それどころか、二人の言葉を聞くなり目の色が多少なりと変わったのは、この冷静に見える男も乗り気になったということではないのか。
秋穂は肩の上のベネディクトに目を向ける。ベネディクトは秋穂にだけ聞こえるよう小声で言った。
「コイツがここら一帯を縄張りにしている盗賊団だ。まさかすぐにぶつかるとは運が無い。コイツら総勢二十とも三十とも言われてる。下手な真似をすれば……っておい、アキホ。お前もしかして、笑っているのか?」
「え? そう? ふーん、そっか、私、笑ってるんだ。うん、確かに、笑うかも」
だって、と続ける秋穂はやはり、笑っているように見えた。
「こんなにも何をやってもいい相手なんて、私、初めてだから」
まずは馬を全部潰した。
三頭とも足の一本でも傷つけてやればそれで済む話だ。
しかる後、全員に全力の拳を打ち込んだ。位置の良い者には蹴りもだ。相手の怪我を一切気にせずむしろ壊すつもりで拳足を振るうなんて、秋穂の人生の中でも数えるほどもない。
全てにケリがつくまで一分もかかっていない。
三人の男たちは呻き声を上げ地面に転がっている。全員、何処かしらの骨が折れていよう。秋穂が殴る蹴るして足を折った馬は、折れた足を引きずるようにして既に逃げ出している。
男たちを倒したことよりも、そちらのほうにこそ驚くベネディクトだ。
「う、馬の足を素手の一撃でへし折るのか……先の大猪といい、信じられぬことをするものだな」
「この程度なら、妙に強くなった力がなくたってできるよ。さて……」
秋穂は苦痛に呻き蹲る男たちの襟首を掴み、順に山道から茂みの中へと引きずっていく。
その途中、秋穂はベネディクトに問う。
「この盗賊団のこと、他に詳しく知らない?」
「こちらは魔術師の集団だったんだぞ。盗賊も好んで近寄ろうなどとはしなかったよ。街からの荷物運び等を手伝わせていたからそういう存在が居る程度は知っていたが、詳しい話はわからんよ」
「うん、なら聞こう。根城とか、活動内容とか、きっと盗賊しか知らない話を聞いておけば、後々有利なんじゃないかな」
「後々?」
「人里に行くつもりなら、こういう悪い人たちの情報って、きっと喜んでもらえるよ」
三人の中で秋穂は最初に、先頭にいて一番冷静であった男をまず殺した。
胸元に剣を突き刺し、ゆっくりとこれを奥深くにうずめていく。男は情けない泣き顔でこれを見守っていたが、腕と足が一本ずつ折れていた男に抗する術はない。
ちくしょう、と何度も溢しながら彼は死んだ。
そして残る二人だが、秋穂は片方の意識を刈り取る。間違って死んじゃってもいいや、といった勢いで。
残る一人は、それはそれはもう哀れさを誘えるほどに怯え震えてしまっている。
「私ね、今度街に行くんだけど、色々と盗賊の話聞かせてもらえないかな。今後の襲撃計画とか、そーいうのあると嬉しいよっ」
怯えた男から聞き出せるだけの話を聞きだした後で、秋穂はまだ生きている二人の男を引きずって移動を開始する。
盗賊の死はそれほど珍しくもないのか、ベネディクトはこの扱いに関しては特に言及もしないし眉を顰めるようなこともない。
「で、コイツら連れてどうするつもりだ?」
「んーとね、まだこの人たちが本当のこと言ってるか、確認できてないでしょ?」
「……これだけ怯えているのだから嘘はついてないだろうが……確認する方法があるのか?」
「私ね、おばあちゃんからやり方教えてもらったんだ。十分な水があれば何処でも誰でも簡単にできるの」
「何を?」
「ごーもんだよっ」
悪意の欠片もない顔でそんなことを言われたベネディクトは、その時初めて、秋穂の所業に眉を顰めたのである。
「アキホお前、人を斬ったことが無かったなんて絶対嘘だろう……」
村との接触は涼太と凪に任せてあるので、秋穂とベネディクトは山中にあるという盗賊の根城を確認することになっていた。
だが先程遭遇した盗賊たちから得た情報により、状況が変わる。
秋穂はまっすぐ前を向いたままで、肩の上にちょこんと乗ったままのベネディクトに尋ねる。
「ねえ、さっきの盗賊たちの話。ベネくんはどう思う?」
盗賊から聞いた話によれば、現在各地から様々な盗賊団がこの地に集まってきているという。
盗賊王と呼ばれている男の呼び掛けに、かなりの盗賊が応えているようだ。
「……正気か、と最初は思ったものだが、ここは辺境で大規模な駐留軍もなく、他国より攻められる前提のない土地であることから援軍の想定もしていないだろうと思い至ってからは、案外いけてしまうのでは、とな」
「近くに大きな街あるんじゃなかったっけ?」
「その街にある戦力を上回る自信があるからこそであろう。占領までやる気か? いや、違うな、連中は盗賊だ。武力を背景に領主と話をつけるか。ここら一帯を盗賊たちの根城にしてしまえば……」
白ネズミの表情の変化など秋穂にはわからないが、その怯えたような口調からベネディクトがかなりの危機感を持っているとわかる。
「なんという気宇壮大な企みだ。とても盗賊の考えることとは思えん。……これはここら一帯だけの話では済まんだろう、いずれ数年かけて国中の治安悪化に……」
そこまで口にして、ふと我が身を省みたベネディクトは苦笑する。
「よく考えれば私も連中と大して変わらんか。なあアキホよ、私がネズミの姿になったのは違法とされている魔術に手を出し、国から手配されてしまったからと話したな」
「うん」
「その後もあまり他人に言えたものではない生活をしていた。あげく君たちを巻き込むような魔術実験に手を貸していたわけだ。そんな私が盗賊たちを非難しようなぞとおこがましい話であったな」
「どうだろ。ベネくんが良い人だろうと悪い人だろうと、盗賊が悪い人じゃなくなるなんて話はないでしょ? 悪い人見たら、危機感持つのも腹が立つのも当然だと思うよ」
「それはまた、随分と割り切った話だな」
秋穂は邪気のない笑みで答えた。
「だって、ベネくんが悪い人だったとしても、私たちはベネくんを頼りにするしかないんだし。どうせ一緒にいるんなら気持ちよくそうしたほうがいいでしょ?」
今度は小さなネズミのそれでもわかるぐらい片目を捻らせるベネディクト。
「……本当に色々と割り切っているんだなお前はっ。一応言っておくが、私はお前たちの助力なしにはこうした遠距離の移動もできぬ身だ。感謝もしているしできる限り誠実であろうとも思っているんだぞ」
「うん、わかってるよー」
やっぱり無邪気な笑みのままの秋穂に、誤魔化されたような、取り込まれていくような感じがしてならないベネディクトだ。
そういった不気味としか言いようのないはずの感覚を、全く不快に思わせない口調、表情は、女性ならば誰しもが持っているものなのか、それとも秋穂独自のものなのか、ベネディクトには判断がつかなかった。
盗賊王なんて二つ名に、ホーカン・ポールソンはそれほど価値を見出してはいなかった。
チンピラ共は己の二つ名を随分と気にしているようだが、これまで行なってきた悪行あっての二つ名であるのだから、二つ名のみを気にすることの無意味さを彼はよく知っていた。
なので蔑むような内容でないのなら放置することにしていた。
ホーカンの背は人並であるが、肉の厚みのせいでか大柄な男とよく見られる。
それもまたホーカンが見た目の説得力というものを考え、これを維持するための努力を欠かしていないおかげである。
顔や腕に付いた傷跡も全てホーカンが自分の手で付けたものだ。他者から見えやすい場所にばかり傷があるのだから、少し考えればその不自然さに気付けそうなものだが、今まで誰からもこれを指摘されたことはない。
『幾つも傷跡が付くような戦い方をしていて、いつまでも生き残れるわけねえだろ』
そして、そうしたいつ死ぬかわからないような奴を頼りにするなどありえないだろう。とホーカンは当たり前に思うのだが、他の盗賊たちは違うようだ。
盗賊たちの中にあって、ホーカン・ポールソンは際立って知能が高い。故にこそこうして多数の盗賊たちの頭なんて立場になれたのだろうが、いざこの馬鹿共の頭になってみると、彼らのあまりの愚かさに何度絶望したことか。
だが、ホーカンの側近二人は彼が満足できるほどに優秀な男で。
盗賊たちの中にも稀にこういった優れた知能を持つ者がいる。そういう男を集めればもっと大きなことができるだろう。それが、ホーカンが盗賊同盟なんてものを考えた最初の理由であった。
それが気が付けばこんな大規模な話になっていた。
街を乗っ取ろうと思ったのは、ここらをまとめ上げる街の兵士長が死んだことが一番の原因だ。
武勇も武勲も並ぶ者なしと言われた剛勇の男であったが、寄る年波には勝てず。いや、寄る年波に勝てる者など居はしない、とホーカンは知っていた。
誰もがそれまでの武勲を恐れて手を出さなかったこの男を、老齢からまともに立ち上がることもできなくなっていたこの男を、ホーカンは人を使って殺させたのだ。
辺境の街最大の英雄が盗賊の手によって殺された。これが、欲しかったのだ。
この名声を頼りに盗賊同盟を、と考えていたホーカンであったが、その後の街の兵士たちの混乱っぷりを見て、ホーカンならば街を獲れる、と確信した。
盗賊が街を獲る。その聞いたこともないような企みに、近隣の盗賊たちは皆がこぞってこれに参加せんと集まってきた。
儲け話とみているのもある。だが、男と生まれたからには誰しもが前代未聞の大きな仕事を成し遂げたい、そう思ってしかるべきだろう。
盗賊が街を獲るという話は、それほどのことであるのだ。
『く、くっくくくくく……街の兵士も半ば以上を抑えた。北の街の貴族にもツテができた。そうだ、こうやって、静かに、少しずつ、染み寄っていけばいい。馬鹿共の機嫌取りにリネスタードの街は落とさなければならんが、そこから先は俺の好きにやらせてもらう。いずれは、この国全てを俺の狩場にしてやる』
生業に盗賊しか選べなかった、そんな生まれの男でありながら、王都の貴族とも対等に立ち回れるほどの知性を身に付けている。それが、ホーカン・ポールソンの持つ独自性であり、こんな大それたことをしでかせてしまえる理由であった。
ホーカン・ポールソンは盗賊王の二つ名に相応しい、国の内に深く根を張る盗賊の王国を築き上げようとしていた。