029.金色の剣鬼
秋穂、そして涼太を取り囲むように鉱山街のチンピラたちがゆっくりと動く。
強敵との戦いを終えた直後であったが、秋穂は呼吸を乱しながらも涼太の前に立つ。
涼太は少し青い顔色で誰にも聞こえぬよう小さくぼやいた。
「くそっ、間に合わなかったか」
そして窓の外から声が聞こえた。
「ああああああ! もう終わっちゃってるし! まーにーあーわーなーかっーたー」
ここは二階であり、その窓であるからして尋常な手段でそこにいるのではなかろう。
窓枠に手をかけ、部屋の中を覗き込んでいるのはシーラ・ルキュレであった。
青かった涼太の顔が色を取り戻していく。涼太が待っていたのは正に彼女である。
シーラは秋穂に向かって抗議の視線を送る。
「もー、なんで待っててくれないかなぁ。私、アキホの本気すっごい見たかったのにー」
「これでも随分と遅らせたんだよ。ここからは一緒にやろ、それなら見れるでしょ」
「雑魚散らすのと強いのと本気で打ち合うのとじゃ全然ちーがーうーしー。まあいっか。うしっ、んじゃやろっか」
そう言うと、ひらりと屋内に滑り込んできた。
化け物が増えた。
すなわちこれが涼太の準備であった。
鉱山街のアンドレアスはここリネスタードでも屈指の難敵であると聞いていたので、凪やシーラの襲撃とは時間差をおいて仕掛けることで、上手くいけば援軍も望める状況にしておいたのだ。
鉱山街がもっと積極的に攻勢に出るようであれば、その被害もあろうし涼太たちももっと早く攻めても良かったのだが、鉱山街が完全にその戦力を温存している状態ではその全てを秋穂一人で殲滅するのは難しいと涼太は考えたのである。
店番の男が強気の姿勢を崩さぬまま言った。
「……お前ら、つるんでたのかよ。ってことは、もしかして盗賊砦陥落も狂言か?」
ちょっとむっとした顔になる秋穂だ。
「嘘は言わないよ。エドガーはきちんと私が殺したし」
アンドレアスとの会話が嘘だと言われたのが気にくわなかったようで。
ふん、と鼻を鳴らす店番の男。
「そうかい。だが、こっちもきっちりケジメだけはつけねえとな。この先の全部はそっからだ」
これにはシーラが返事をする。
「無理じゃないかなぁ。だって、もう一人いるんだよ?」
「何?」
部屋に鉱山街のチンピラが一人駆け込んできた。
「やっべえっすよ! イカレたのが一人突っ込んできました!」
鉱山街からは、街の様子を探るべく結構な人員が街の各所に配置されていた。
街の何処でどれだけの敵がどう戦っているのか、この情報をできる限り掌握できるよう、店番の男が事前に備えていたのだ。
仕掛けたのは鉱山街だ。だからこそ、仕掛けた後どう優位に戦うかの策も準備してあったというわけだ。
そして主戦力は鉱山街にて待ち構え、後先の考えられない馬鹿同士がぶつかり合い全て消えてなくなった後で、ブランドストレーム家、商業組合と決着を着ける腹積もりであった。
アンドレアスの存在により三陣営の中で一番統制の取れている鉱山街が、その優位点を活かし勝利するための策であった。
一人の男が、顔中を真っ青にしながら鉱山街へと駆け戻ってきた。
待機している皆のところにくると、彼は青ざめた顔のまま必死に語る。
「やべえよ! やっべえんだって! とんでもねえのが出た! 二十人近くいたブランドストレームの連中、みーんな殺されちまった! 一人だぞ! たった一人でそんだけ殺しちまったすげぇのが居るんだよ!」
彼はブランドストレーム家のグループの一つに張り付く任務を帯びていたが、そのグループが全滅したので戻ったきたのだ。
それからも次々と人が鉱山街へと戻ってくる。
「出た! シーラが出たぞ! 速攻でデニスやっちまいやがった!」
「金髪だ! 見たことのねえ金髪が大暴れしてやがる! ありゃ人間じゃねえ! あんな、あんな、草刈るみてぇにすぱすぱ人殺すなんざありえねえだろ!」
聞こえてくるのはシーラと金髪の話ばかり。特に金髪の話が多い。
ブランドストレーム家も、商業組合の傭兵も、どちらも構わず殺して回るイカレた金髪女は、いったい何が目的なのかもわからぬまま次々と集団を潰して回っていた。
報告者は全員が全員、金髪の女はとんでもない美人だと口にしているのだが、聞かされる人間離れした戦果があまりに異常すぎて、誰もそこに注意を向けはしなかった。
「信じられねえよ! アイツ! 壁! 壁走ってたんだぜ!」
「速ぇんだよ! めっちゃくちゃ速ぇの! あの剣遠くからでもぜんっぜん見えねえぐらい速いんだよ!」
「怖ぇなんてもんじゃねえぞアイツ! 近寄っちまったらもう誰が何しようとどうにもならねえ! 身体のどっかそこらにぶちまけて死んじまうんだよ!」
「ただの一合だって剣合わせられた奴いねえんだぜ! どいつもこいつも全員受けすらできずに一発だ! 一発でやられちまった!」
「鬼だよ! アイツ人間じゃなくって鬼なんだよ! 剣の鬼だ!」
さんざ不安をあおるような報告が続く中、遂にその報せが届く。
「来たああああああ! 例の金髪がこっち来やがったぞおおおおおお!」
待機中の鉱山街のチンピラたちは、一斉に外に飛び出し襲撃者に備える。
シーラ以上の脅威と伝えられてきた彼らに油断はない。
弓も槍も用意して、魔獣だろうと殺せる態勢でその時を待つ。
ソレは、とりたてて盛り上げるなんて話もなく唐突に現れた。
「あら?」
角を曲がって通りに出てきたのは、軽快な歩調で歩いていた一人の女。
殺気立った様子で待ち構えていた鉱山街のチンピラ全てがその容貌に見惚れた。
報告者が真っ先にそう言ったのがわかる、特に目立つ金の髪だ。結わえた金の尻尾が左右に一つずつ、歩くにつれてふわりふわりと波打っている。
一瞬、誰しもがそこに目を取られる。そんなとても目立つ金髪であるが、すぐに皆髪の色のことを忘れる。
そして馬鹿みたいにぼけーっと突っ立ったまま、その顔に目が釘付けとなる。
目を離せない。これを見るよりも価値のあることがこの世に存在するとは思えないのだから、いつでもいつまでも見続けるのが正しい行いだ。
美とは絶対のもので、絶対であるが故に不変でもある。だから、美が美でありながら表情が変化していくことに驚きを禁じ得ない。
表情のない顔、驚いた顔、そして僅かに微笑んだ顔。全てが絶対であるが故に、全てが均一に価値あるものだ。
彼らが正気を取り戻したのは、事前にこの金髪女こと不知火凪の戦いを見ていた者がいてくれたからだ。
「お前らしっかりしろ! アレはシーラと同じだ! 見た目に騙されてんじゃねえ!」
そしてシーラという絶世の美女でありながら辺境随一の剣士という似た存在がいてくれたおかげだろう。
正気を取り戻せば彼らにもわかる。あの金髪女の危険さが。
抜き身の剣を肩に担ぎ、返り血塗れの服のまま、何が楽しいのか愉快そうに微笑んだままで一歩ずつ歩いてくるのだ。
今この場では最も立場の強い鉱山街チンピラの一人が、己を鼓舞するように大声で怒鳴る。
「てめえ! 何者だ! ブランドストレーム家と商業組合! どっちともやりあったって聞いてるぞ!」
凪はこんなドチンピラ共と会話を交わすつもりなぞない。
なのでまだ使っていなかった短剣を服の内から一本取り出し、これみよがしにゆっくりと振り上げ、投げた。
「いぎゃっ!?」
わかりやすく投げてやったのに、怒鳴った男はこれをまともにもらってしまう。彼は当然警戒していたのだが、その投擲速度は想定していたより遥かに速かったのだ。
凪は無言で剣を肩の上から外し、手招きしてやる。
これで凪の意思は十分に伝わっただろう。殺しに来たぞ、かかってこい、だ。
彼ら鉱山街のチンピラは、アンドレアスという絶対の存在に率いられていたため、他と比べれば統率の取れた集団であった。
だがそれはあくまでアンドレアスの強烈なカリスマや逆らう気すら失せるほどの圧倒的な武の力あってのこと。
彼らの根本は、ブランドストレーム家や商業組合の連中と大差ない。
敵の強さも測れず、根拠なく己が強いと過信している、度し難いほど愚かな一兵卒なのだ。
「やっちまえええええええ!」
「ぶっ殺せえええええええ!」
「突っ込めおらあああああ!」
それまでさんざ警告されておきながら、チンピラたちはただの一人も躊躇を見せなかった。そう、その警告を発した当人ですら。
或いは躊躇も恐れもあったのかもしれないが、勇敢に突っ込んでいくことにこそ価値があると信じていた彼らは誰一人弱気な態度を見せなかった。
総勢百人弱だ。
今ここに集まっている鉱山街のチンピラたち全員が全速力で走り出す。
弓を手にした者すらこれを投げ捨て剣を握って走り出したのは、彼らの美学に飛び道具は卑怯という思いがあったせいだろう。
握った剣を振りながら、顔に皺を寄せ筋肉を漲らせ、たった一人に向かって殺到する。
彼らが夢想するのは、こうした時何時でも真っ先にそうする彼らのリーダー、アンドレアスの姿だ。
殺すと決めた相手に向かい脇目も振らず一直線に突っ込んでいく、恐れ知らずの男の中の男アンドレアスに憧れ、自らもそうなれると信じ彼らは走るのだ。
これは鉱山街ならではの光景なのだろう。
百人弱の男たちが、衆を頼んでではなく己こそが殺す者であると信じながら、たった一人目掛けて突っ込んでいく。
全員が己こそが主役と断じ、さりとて他の仲間の邪魔をするでもなく、それぞれが別個にありながら一人の標的を狙う一塊となる。
「あ、あははっ、これすっごいわ」
男たちの歓声にかき消されそうな声で、凪は呟く。
盗賊砦の盗賊たちは皆、愚かでありながらも有利に優位にあろうとする工夫が随所に見られた。
リネスタードの街で蹴散らしてきたチンピラたちは、数の多さと無知故の蛮勇を頼りに無策無謀な突貫を繰り返した。
それでも何処かに怯えの色はあったし、怯えているからこそより傍若無人に振る舞っているように見えた。
商業組合もブランドストレーム家も一緒だったので、鉱山街もそうだと思っていたのだが、コレは明らかに違う。
凪は率直すぎる感想を、とても愉快そうに漏らした。
「絶対頭おかしいわよ、アンタたち」
この時、凪は肩の傷を完全に忘れた。
剣を両手に握り、自らのありったけを振り絞り、この馬鹿共を真っ向から迎え撃ってやろうと足を踏み出す。
このまま止まっているなんて真似はできない。
凪は自身で意識していなかったが、その行動はこう言っていた。
『アンタたちはとんでもない馬鹿だけど、私だって負けてないわよ』
連中に負けないぐらい勢いよく、凪は百人に向かって突っ込んでいったのだった。
凪の周囲を刃が飛び交う。
剣術としてはありえないほどの無様な攻撃であっても、当たれば殺せる、そんな攻撃を仕掛けられているのだから攻撃者としては十分及第点であろう。
そんな刃の嵐の中に、好んで飛び込むのが不知火凪である。
見落としは即、死に繋がる。
ただの一人も、ただの一撃も、見逃してはならない。
『できるけどね』
凪の学んだ技術は一対一のためだけのものではない。
多数を相手に如何に立ち回るか、たった一人で多数を迎え撃つための術理が凪の身体には叩き込まれている。
もちろんそれは、大きな技量差、体力差を前提とするものだ。
本来ならば長時間そうすることはどれだけ鍛えていようと不可能だ。だが今の凪には、この世界にきてから身についた未だに原因不明の力がある。
山中を丸一日駆け回っても尽きぬ体力が、巨木を手刀の一撃で叩き折る膂力が、文字通り天高くへと跳び上がる脚力が、備わっているのだ。
『だからっ、この、私が、負けるわけないでしょ!』
駆ける凪の周囲に血の嵐が吹き荒れる。
右に、左に、上に、下に、ただの一振りとて無駄にはできぬ。
余裕なんてものはない、はずなのに凪の顔には笑みが張り付く。
凪が父より学んだ集団剣術は、あくまで一時的な対策だ。この対集団の状態から如何に抜け出すかを主眼に置いた動きである。
これを応用する。
逃げではなく攻めに、全周囲の敵を把握するのはその剣より逃れるためではなく、その全てを斬り倒すため。
歩法は重く鋭く。踏み出す足や身体が敵にぶつかるのは当然で、弾いてどかす威力を備えながらも素早く進む。
『ほらっ! できる!』
時代劇みたいに一人ずつ襲い掛かるなんて真似はしてくれない。
一度に三人四人が突っかかってくる。見えない場所から、お互いを支えあうようにして。
『それでも! 勝てる!』
剣で千切り飛ばしながら、殺意の渦の中を突き進む。
不知火凪の存在全てがここで試されている。
両手に握った剣を振り下ろし、凪に避けられるかと問うてくる男の腕を剣で払い落とす。
後ろから不意打ちならどうだ、と突きかかってくる男に、知ってたわよと剣を避けざま首を飛ばす。
剣を腰溜めに、三人が同時に突っ込んできた。隙間なんてない、けど、凪が身体をねじ込んでやれば通り抜けられる。
全部、応えられる。
だから言っていいのだ。凪はコイツらに。殺せるものなら殺してみろと。
もう、肉が飛び散り臓物が弾け血飛沫に視界が染め上げられようと、凪が恐れることはない。
いやむしろ。
『もしかしたら、こここそが、私の本当の居場所なのかもしれないわね』
とても他人に言えたものではない感想だが、凪は今この場所が、とても居心地が良いと感じているのだ。
常軌を逸した勇猛さを如何なく発揮した鉱山街のチンピラたちであったが、あくまで彼らの根っこは凡人だ。
いつまでも熱狂を維持し続けるのは難しく、ましてや勝算がないとわかっている戦いにいつまでも挑み続けるような真の勇気は望むべくもない。
悲鳴と恐怖の雄叫びをあげ彼らが背を向けだすと、凪は敢えてこれを追撃しようとはしなかった。
その場に留まりゆっくりと呼吸を整える。
建物の二階から声が聞こえた。
シーラと秋穂がいた。
そちらに笑顔を向けた後、ふと気が付いて周囲を見渡す。
ここは一際ひどい惨状であった。
他所以上の数が、他所以上の勇猛さで突っ込んできていたのだからその損耗も他所とは比べ物にならない。
その全てを凪がやった、無残な死体がそこらに転がる。
『……前言撤回』
込み上げてくるものがある。感情的にではなく肉体的な意味で。
『いや、やっぱこれ、自分でやっといてなんだけど、流石の私も引くわ』
血が、肉が、臓物が、人の欠片がそこらに散らばるこの世の地獄の如き光景は、その全てを凪が作り出したのだ。
勢いよく戦闘の熱が引いていくのがわかる。
『ない、ない、絶対に無し。……人間、興奮すると見える景色も違ってくるものなのね……』
凪は嘆息し、肩を落とし、その場を離れるのだった。




