259.勇気
武術を行使するにあたって、型稽古を繰り返すというのであれば、出来る出来ないであれ完成度であれ、はっきりと成否が見えてくるものだ。
だがこれが対人の動きともなるとそうはいかない。
相手方の受け方一つ、間の取り方一つ取っても毎回同じというわけではないのだ。それは攻めかかる側も一緒であり、前後の状況によって様々な派生があり極めて近しい動きになることはあっても、全く同じ動きになることはない。
故にこそ戦いには紛れが生じるものであるし、どんな腕利きも常に完璧に勝利を得られるなんていう道理はない。
そして確率が正否を分けるというのであれば、それは素養や技術力の高さだけでなく、試行回数もまた重要な要素となるであろう。
『ほんっと、よく防ぐわコイツら』
凪はもう随分と死人兵を斬ったが、いまだにエインヘリヤルの死者はゼロのまま。
これがいつまでも続けば凪が不利であるのは凪にも理解できているが、動揺や焦りで剣が鈍ることはない。
一度二度凪の剣を受けられたからといって、三度目にそうできるとは限らないし、次で斬れる可能性は決して低くはないとわかっている。
よほど運が悪いでもなければ、斬れるまで繰り返すという選択肢が非効率的ではないぐらいには。
『その前に私が斬られなきゃいいんだけどね』
指揮者ヨーナスは、自身が追い詰められているとの自覚がある。
そしてその窮地を、ただの一手でひっくり返すことができることも知っている。
『さりとて、殺される可能性が高いから引き上げさせてくれ、とはちと口にしづらくはあるな、あの方の戦士の一人としても』
だが、ヨーナスの見える場所にいる戦士たちよりもより逼迫した危機を迎えているだろうイェスタフのことを考えれば、早々に決断しなければならないことでもある。
ヨーナスの番号指示を受けてなお、倒しきれぬ戦士がいるなどと。ましてやこの金色の凪は、その上でもこちらの戦士を仕留めかねない異常な戦士であった。
『まだ、保つ。だが、いや、ここまでか。最後の一攻めを凌がれたのならば見切り時か』
ヨーナスは番号指示を切り替える。人狩りコーレ、大剣のエスキル、剣鬼ラーシュ、撃槍リネー、この四人が限界のさらに先に至ってようやく可能な疾風怒濤の如き連携だ。
エインヘリヤルの勇士たちですら容易く仕留めきれぬ怪物を相手に、これ以上彼らを危うい戦いに投じることは、ヘルの手持ち戦力を考えれば不利益の方が大きい。
敵地であっても補充の利く死人兵全てを磨り潰したとて、エインヘリヤルの損失の方がより痛手になりうるのだ。
だから一息に殺せぬのであれば、エインヘリヤルは後退し死人兵のみで徹底的に攻めたてる。何せ五千だ、それこそ相手が魔獣であろうと疲れ果てるまで戦うことになろう。
それがわかっていて最後の一勝負を挑むのは、やはり戦士の性というものであろう。
だが、気配の変化には、この場の誰よりも不知火凪こそが鋭く反応できるのだ。
『ここで殺る』
片手に握った剣を前に突き出しながら走り出す凪。
今こそ、と勇む寸前の、意識の切り替えに滑り込むように凪が進む。
片手握りのままで振り上げ、逆手を柄に添えた瞬間、切っ先の流れが変化する。
剣鬼ラーシュの剣筋の読みは、しかし凪が剣を両手に握ったことにより生じる精緻な変化に対応しきれず。
咄嗟に籠手で受けようとするも、受けの向きが整わぬままにこれをもらい、腕ごと胴を斬り裂かれる。
『一つ!』
袈裟に振り下ろした凪の剣は撃槍リネーの槍の柄に阻まれ動きが止まる。かと思いきや、柄の表面を剣先が滑り進み、膝先をざくりと縦に割り斬った。
そして踏ん張りがきかなくなった足に対し、もう一つ強打を打ち込むともう受けの姿勢を保つことができず、膝から崩れるように薙ぎ払われる。
『二つ!』
前足がそのまま滑り進むほどの勢いで踏み出し、突きの構えから凪は手にした剣を投げ放つ。
同時に凪へと放たれるは人狩りコーレの矢だ。お互い正確にすぎる狙いが故か、コーレの放った矢は凪の放った剣に弾かれる。
コーレ、今度も咄嗟の小手防御が間に合う。だが、短剣とは違う重量の剣をまともにもらい、受けた籠手ごと剣はコーレを貫いた。
『三つ!』
突如、殺意と気配が失われた凪に対し、それでも遅れることなく構えられた大剣エスキルであったが、間合いを見誤り振るった大剣は空を切る。
恐るべき速度で切り返してきた大剣に、凪は頭を下げて低く潜り込む。
凪が手にするは短剣。だが、凪が勢いと重量を乗せこれを突き刺すと、本来防御を考えなくてもいいほど厚い装甲に守られている腹部をただの一撃で貫通する。
「ぐっ!」
絶命に至るほどの苦痛であったが、エスキルの動きが鈍ったのはほんの一瞬のこと。
それでも凪の次の動きには十分な猶予であった。
懐深くに踏み込んだ凪はエスキルの大剣を片手で握り、その場で回転しながら大剣を奪いつつこれを振り回し、エスキルの胴を大剣の根本で横一文字に叩っ斬る。
『四つ!』
瞬く間の速攻。指揮者ヨーナスが失策に気付いた時にはもう全ては終わっていた。
流れるように、凪の身体が跳躍する。
そのまま死人兵を六人連続で斬り伏せたその先に、最後の標的ヨーナスがいた。
「なんて、こった」
己の不覚を呪う暇すら与えられず、ヨーナスも斬り倒され、かくしてヘルが誇る精兵部隊エインヘリヤルはその全てが失われたのである。
だが、やはり死人兵に動揺は見られない。
凪はその後、息つく暇もないまま死人兵との戦闘を続けるし、その戦いがそれまでと比べて楽になったということもない。
既に、死人兵五千による包囲は完成しているのだ。
またこれを、通常の兵ではありえぬほど細やかに掌握しているヘルは、戦いを続ければ続けるほどに対凪秋穂戦闘の熟練度を上げていく。
戦いは続く。いやさ、五千人との戦いは、まだまだ始まったばかりである。
最前線となる予定の陣地にて、騎士トシュテンはその報せを聞く。
敵の追撃が急になくなった、なんていう話から、たった二人の殿に千人がかりで襲い掛かっているだの、更に援軍がきた総勢五千の死人兵を、二人の兵が足止めしているだの。
軍事的常識を弁えているトシュテンは、故にこそ現実を受け入れるのに少々時間がかかったものだが、最前線であるその陣にいたこともあり、少なくとも敵が追撃をやめたことだけは事実である、というのがわかった。
『えいくそ、ここで怯んでおれるか』
気合いを入れ直し、トシュテンは馬を使って、殿を買って出た凪と秋穂が戦っているというその場所を見るために陣の外へと飛び出した。
トシュテンは騎馬単騎であるからして、結構無茶な道でも通り抜けることができてしまう。
なので一般的に追撃隊が使うであろう道を避け、人の行くような道ではない場所ばかりを抜けると、山というには少し足りない大きめの丘陵を越える。
そこで、最初にソノ戦いを目にすることができた。
「……嘘だろ」
その戦を目にした誰しもが口にする言葉、いや、凪と秋穂の戦を見た全ての者、というべきか。
あまりに遠すぎるため、多数の兵士たちが無駄に一所に留まり何やらわちゃわちゃやっている、という風にしか見えないが、そのわちゃわちゃの中心に凪と秋穂がいると聞かされているのだ。
本当にあそこにいるのか、いるのなら一体どんな真似をすればアレと戦うなんて行為が成立するのか、そんな疑問を確認するため、より近い場所に近寄ろうとするトシュテン。
丘の上から見渡せば、恐らく味方の軍であろう一団を見つけることができた。
『何をしとるんだアイツらは』
殿が踏ん張ってくれているのだから、その間に逃げるのが残る兵士の役目だ。
文句の一つも言ってやるつもりで丘の上を出た後で、移動途中に気付いた。彼らは陣地を出て追撃隊にびくびくしながら戦場をうろついている自分と一緒だと。
なので彼らに合流する頃にはもう、怒りも呆れも消えてなくなっていた。
「おい、状況を説明してほしい」
トシュテンがきたことにも彼らはまるで悪びれる様子がなかったのは、そこで戦場を見続けるという行為に、兵士として一切恥じるところがなかったためだろう。
彼らはトシュテンに説明を一切せず、ただアレを見ればわかるとだけ告げる。
およそ五十名ほどの兵士が集まっているその場所からは、凪と秋穂の顔の識別ができるほどに戦場がよく見えた。
なので二人の戦いっぷりをじっくりと眺めた後で、トシュテンは隣にいた兵士に問う。
「……アレ、いつまで続くんだ?」
「さあ。ですがね、アレ、俺たちが撤退し始めた頃にはもうああでしたから。それから、ずーっと今までアレっぱなしなわけでして。見た感じ、疲れてるようにも見えますが、そんなもん最初に見た時からずーっとそうですしね。いや、ホント、アレ、もしかして本当に、五千の死人兵殺し尽くせちまうんですか」
「とんでもない速さだ。敵の兵士とはもう完全に、住む領域からして違ってしまっているだろ」
そうトシュテンが何気なく漏らすと、兵士たちは堰を切ったかのようにしゃべりだした。
「そうなんだよ! まるで獣だ! 二本足で四本足の獣並みに動けるというんだから意味がわからん!」
「膂力もとんでもない! 俺は殴られた敵が人の背の上にまで殴り飛ばされるのをこの目で見たんだ!」
「いやいや、真に恐ろしきはそれほどの力速さを、長時間にわたって発揮し続けられることだろう」
「馬鹿者共、剣術を見ろ剣術を。ただの一振りとて凡庸な剣はない。戦場なんていう場所にありながら、ああまで綺麗な剣術をよくもまあ使えるものよ」
「おうよ! 獣に例えたりガルムに例えたりする者がいるが、あれほどの見事な剣を獣やら魔獣やらが使えてたまるか!」
「やっべえって、めっちゃくちゃかっこいいよアイツら。アイツらがもし男だったら俺抱かれてやってもいいぐらいだ」
「てめえのきたねーケツなんぞ誰が使いたがるかボケ。……でもなんでアレでアイツら女なんだ? もう男でいいだろ、そっちのがあいつらのイカレた子孫もっと多く残せるぜ」
彼らの賑やかな話を聞き流しながら、トシュテンはじっと戦場を見つめ続ける。
あの二人の監視役を仰せつかったトシュテンに出来る、唯一のことがそれだ。あの五千の人波の中にある二人に、トシュテンが出来ることなぞ何一つないのだ。
そう思っていたトシュテンが、自身がまだまだ覚悟が足りていなかったと自覚したのは、もう一人の乱入者を迎えた時だ。
「誰か、誰か、アレを、説明できる者はおるか?」
彼もまた馬に乗ってこの場にきており、身に着けた武具はそれだけでもう相手が貴族だとわかるものだ。
歴戦の戦士、といった気配ではない。決して動けぬではなかろうが、こうした戦働きを引退して長い時が経っているのだろうと見ただけでわかる中年の男だ。
「メシュヴィツ子爵、どうしてここに」
そう口にしたトシュテンを見て、メシュヴィツ子爵は皮肉げに言う。
「我が家の事情、聞いておらなんだか?」
「!?」
その一言で察する。
メシュヴィツ家はもう、どうにもならないぐらいに大きな失策をしてしまっている。
それを確定付けたのは誰あろうトシュテンだ。
この現だか元だかわからぬメシュヴィツ子爵が、首をすら差し出さねばならぬほどに重大な過失を犯した子爵が、アクセルソン伯に対し面目を施すにはもうコレしかあるまい。
『死にに来られたか。確かに、戦場が領内にあるなぞという幸運は、今の子爵の状況で見過ごすことはできまい』
だが、兵も無しではどうにもなるまい。
せめても先のアクセルソン伯の突撃に間に合っていれば、とも思う。いずれ間の悪い御仁だ、と彼の目を見返す。
その目に一切の迷いがなく、顔には死相が出たままであるのを見れば、最早彼にとって兵の有無なぞ問題ではないのだとわかる。
『単身でも斬り込むおつもりか。あの二人を見てすら驚いていないどころか多少なりと悔し気に見えるのは、ああ、先を越されたとでも思っているのか』
あのイカレた二人に対し、先を越されたなんて考えるのはランドスカープ広しといえどメシュヴィツ子爵ぐらいだろう、とそこまで考えたところで、唐突にトシュテンの頭にひらめくものがあった。
『あ、ああっ、待て、待てよ、これは、つまり……』
トシュテンがずっと見ていた戦場、そこにあった違和感に気付けたのだ。
この子爵のために、何処に突っ込めばほんの僅かなりと死人兵の軍なんてものに恐怖を与えられるか、を考えた時、トシュテンはこの戦場にあった幾つかの違和感の答えを得たのだ。
『不自然でないていどに分厚い陣。だが、敵が単騎で突っ込んでくるようなイカレた化け物であると仮定したならば、絶対に失われてはならないものを守ろうとするにはそれこそが必然となるであろう、隠しながらも重厚さを失わせるわけにはいかない場所』
最悪、死人兵を壁にして逃げるに適した場所。その逃げるをすら隠しおおせる、そんな幾つものこの戦場ならではの要求を満たし得る、特別な場所だ。
『あそこだ。あの、低い丘の上。推測以外に根拠は何もないが、本陣を、死人使いを置くのならばあそこ以外に、ないっ』
左右にゆっくりと首を振るのは、この結論を否定したわけではない。
ここから、あそこまで、どう移動するのが最適かを見定めんとしていたのだ。
この場に残る他の兵士たちの顔を見る。
皆、戦士の顔をしていた。トシュテンと同じ、アクセルソン伯領軍の勇猛なる戦士の顔だ。
ならばこの光景を見た時、トシュテンが感じたものと同じものを彼らも感じているだろう。そう、彼らは今、後ろめたく思っているのだ。
あれほどの雄姿を、あれほどの剛勇を見せつけられながら、武はともかく勇であれば負けはせぬと思っていながら、彼らの奮戦を無にすることだけは断じてできぬ、と飛び込むことを許されない。
それを後ろめたく思っているのだ。
だからこそ、今トシュテンがソレを口にしてしまえば引っ込みがつかなくなることがわかっている。わかっているから、今この時こそが、最も勇気を必要とする場面であった。
『……ふん、何を悩むことがあろう。戦地にて、勇気を試され引き下がる者が我がアクセルソン伯領軍におるものか』
トシュテンの声が鋭く響く。
「皆、聞け! 私に一つ策が……」
ヘルは、外聞も憚らずぼろぼろと泣き出していた。
「うっ、そんなこと、言わないでよお。私を置いてかないで、よお」
エインヘリヤルはヘルの術によって生きながらえている者たちだ。これが失われれば誰よりも先にそれを知ることができる。
最後に残ったエインヘリヤル、指揮者ヨーナスは、今わの際に、死人兵に向かって語りかけていた。
『どうせ貴女のことですから、これまでの全てが無駄になっただのと、それこそ無駄なことを考えているのでしょう。ですが、そうではありません。アレこそ、あの二人こそが、我らナグルファルが派遣された最大の理由なのです。アレを倒す、最悪足止めをすることこそが、我らが今日まで長き時をかけ積み上げてきた、理由なのです』
べそべそ泣きながら、ヘルはヨーナスの声に耳を傾け続ける。
『アレを殺すにはもう超常の力を頼る他ありません。ともすればニーズヘッグ、ヨルムンガンドですら、打倒しかねぬ勇者の中の勇者。ですが、我らナグルファルならば、アレを倒し得るのです。それこそが五千という圧倒的な数。確かにアレらの体力は尋常ならざるものです。ですが、それは決して絶対ではない。ああして僅かなりと消耗の跡が見られるのですから、何処まで行ってもそれは程度問題でしかない。そして持久戦ならば、我らこそが最大の災厄となりえましょう。オージン王の采配は、正しかったのです。さあ、後は貴女が、最後の最後まで戦い抜くのみ。どうか、我らに、勝利、を』
そう言い残し、ヨーナスは死んだ。
死んだ死者を更に蘇らせることは、できる。記憶の欠損、思考力の低下を招くことになるが、ヘルならばできてしまう。
だがそれも、死をもてあそんだヘルに対する天罰たる死神そのものであるかのようなあの二人がいては、到底成しえまい。
こんな動揺の最中にあっても、ヘルが死人兵たちを操る動きに乱れはない。
だからヘルはそうし続けるだけでいいのだ。ただただ、殺せと命じ続けるだけで。
怯え竦み、未来を悲観し、王の采配を疑って引き下がらなければ、それだけでいいのだ。
そのために必要なことを、最後にヨーナスがしてくれた。数多の死者を操る冥府の王、ナグルファル船長ヘルは、ヨーナスの最後の言葉によって持ち堪えることができたのである。
ここから先は、五千対二の正面衝突だ。
どちらが先に滅びるかの、紛れの入らぬ一大決戦。
これに水を差す、もう一つの戦狂いが突っ込んできたのは、一千もの兵が失われた頃である。
それは如何なる偶然か、この戦いは凪と秋穂による二度目の千人殺しとなった。
こちらもこちらでイカれた集団だ。
たった五十人ほどで四千もの兵に対し、帰り道など知らぬと敵本陣を強襲し、死人繰りの術者であるヘルを討ち取ってしまったのであるのだから。
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