025.凪、リネスタードデビュー
教会広場にて、商業組合傭兵部隊青蛇の爪とブランドストレーム家西南地区組が対峙している中、不知火凪が教会上部より飛び下り参上してきた。
逆に、戦士の目を持たぬからこそ、勇敢になれたのだろう。
ただの一太刀、いやさその前の高所よりのダイブと着地を見ていればそれだけで、凪がとんでもない身体能力と技量の持ち主であるとわかろう。
だが、教会の上から飛び降りてきた凪を見ても、ありえないほど綺麗に両断された仲間を見ても、チンピラたちは怯え恐れることはなかったのである。
「組合の助っ人かてめえはああああ!」
最初に殺されたのはブランドストレーム家の男だ。彼らはすぐ近くにきた凪をまず真っ先に殺しに動く。
剣術も何もあったものではない。こん棒を力任せに振り回しているのと一緒だ。
だが、それでいいのだ。
鉄製の重量のある剣を、振り回し勢いをつけ力任せに叩き付けるのが彼らチンピラにできる最善なのだ。そして防御を一切考慮しないこの捨て身の一撃は、たとえ熟練者であろうと対応を疎かにできぬ必殺の一撃となる。
熟練者ていどが相手であるのなら、だが。
剣を振り上げたその動きだけで、凪はその後に剣がどう動いてくるのかを読みきり、十分すぎるほどの余裕をもって剣の軌道から身をかわす。
かわしながら横に寝かせた剣を引く。それだけで、踏み込んできたチンピラの胴が半ばまで断たれる。
男の胴を斬り抜けた直後、手首を返して剣の向きを変える。ほぼ同時に踏み込んできていたチンピラの肩口に上から斬り下ろす。
前へと進みながらそうしていた凪の前方から、更に二人のチンピラが。
右、左。チンピラが何をする間もなく踏み込み左右に一閃ずつ。チンピラの首が、まっすぐ右と左に飛んでいく。
右左と順に斬ったはずなのに、飛んでいく首は全く同時にかつ同じ勢いで飛んでいっているように見える。あまりの早業に、しばらく飛んでいた首がべしゃりと大地に落ちるまで、残りのチンピラは動くことができなかった。
ここにきてようやく、チンピラたちは凪がとんでもなく危険な相手であると認識したようだ。
そしてこれを見て歓声を上げるのは青蛇の爪の傭兵たちだ。
「おいおいおいおい! なんだよ助っ人か!?」
「やるじゃねえか! ってーか何だよあのとんでもねえ美人は!」
「金髪のシーラ!? くっそ、ふざけんじゃねえ! 俺の獲物かっさらわれてたまるか!」
「おうよ! 俺たちも行くぞ!」
一斉に、彼らはブランドストレーム家のチンピラたちに向かって突っ込んでいく。
凪としてはこのままでも良かったのだろうが、敢えてここは別の手を採る。
ブランドストレーム家を放置で、凪は突っ込んでくる青蛇の爪目掛けて走り出したのだ。
「は?」
先頭の一番足の速い男が、真っ先に首を飛ばされた。
二人目、三人目、四、五、六、七。
すれ違いざまに次から次へと斬り伏せていく。その剣先は傭兵たちには全く捉えられない。
「おっ! おいっ! 馬鹿俺じゃねえ!」
「こっちじゃねえだろ間抜け!」
「い、いやコイツ敵だろ!」
「てめえ騙しやがったな!」
以上、声を出すのが間に合った傭兵の台詞である。全員、発言直後凪に斬られたが。
不用意に近寄ってきた馬鹿を全部殺しきった後で、凪は足を止めた傭兵たちに、そして少し離れた場所のブランドストレーム家のチンピラたちに言った。
「何これ、弱っ」
激昂した二つのチームが、一斉に凪へと襲い掛かってきた。
凪の大暴れ。この観客は、実は結構な数がいた。
まだ街の人間も多数のチンピラ同士が街中でぶつかることの危険性を認識しておらず、怖いもの見たさとでもいうべきものでその激突を眺めていたのだ。
観戦に適した場所は教会広場のすぐ外にある三階建て、四階建ての建物たちだ。これの三階以上の高さから広場を眺めるのが最高である。
上から見ればそれは一目瞭然で、多人数を揃えているブランドストレーム家、青蛇の爪、双方ともにその人数を全く活かせていない。
動いているのは中心に位置する凪と、その周りを取り囲んでいるチンピラだけ。
他は皆、一度に斬り掛かれる人数に制限があるため凪へと斬り掛かることができないので、怒声を上げながらただ囲んでいるだけ。
それにしたところで、上から見ればまだまだ一斉に飛び掛かる余地はあるようにも見える。
まるで順番に殺されに飛び込んでいるような。そんな愚か極まりない行動に見える。
「アイツらあんな弱かったのか?」
そう思わず漏らした観戦者の一人に、興奮した様子のもう一人が声を返す。
「ば、ばかお前、よく見ろ。あの大男グッチだぞ。それにほら、ついさっき斬られて欠片が木の上までぶっ飛んでたのオリヤンだぜ。木の机一発でへし折っちまったあの怪力オリヤンだぞ」
「あ、グッチ死んだ。え? 嘘だろ、グッチめちゃくちゃデカくなかったか? アイツ、縦まっ二つになっちまってるじゃねえか」
窓際にて、六人の男がおしあいへしあいしながら外を見ている。すると部屋の入口から声が聞こえた。
「おおい! ここ見えるんだろ! 俺たちにも見せろよ!」
「はあ!? もうこれ以上入らねえよ!」
「うっせえ! いいから見せろって!」
部屋に更に五人が雪崩れ込んでくる。
広場が見える建物の部屋は、何処もこんな感じであった。
煉瓦職人の男は、友達に引っ張られてその部屋に入る。
「おい、何度も言ってるだろう。必死に戦ってるのを呑気に見物なんてされたら、されたほうは殺してやりたくなるぐらい不快に感じるものなんだぞ」
煉瓦職人の言葉にも彼らは耳を貸さない。
大丈夫、バレるわけない、ただ見てるだけだから、等まったく言い訳にもなってない言葉を並べ煉瓦職人をその部屋に連れてきてしまった。
この男、若い頃に剣術道場に通っていて、剣の心得があるというのが自慢であった。
その目をこのケンカの解説に活かしてくれ、という話である。
散々文句を言っていた煉瓦職人であったが、いざそれを目にすると興奮せずにはいられないようで。
道場でどれだけ鍛錬を重ねようと、やはり実戦の迫力には敵わない。実際に見えるところで人が斬られていく光景というものには、普通はそうお目にかかれるものではないのだ。
煉瓦職人の目に、いやこの光景を見た誰の目にもであろう、真っ先に映るのは金色に輝く豪奢な髪の持ち主である。
「な、なんだありゃ……」
そこだけ世界が違う。たった一人、明らかに速度域が違うところで戦っている。
確かに、鍛錬を積んだ人間の速さはそうでないものとは比べ物にならない。だが、それにしても、この差はないだろうと煉瓦職人は思う。
自身が身をもって体験しているだけに、ああまではっきりとした差異が生じるというのはありえないとよくわかるのだ。
友達が何やら言っているのも聞こえない。食い入るように戦いを見つめる。
「すげぇ、すげぇ、ほんっきですげぇ。なんだよあの捌きの速さ、身体のキレがもうあれ人間の動きじゃねえだろ、つーかアイツ後ろ見えてんのかよ、それと剣っ、剣だよあの剣っ、なんで身体に当たってんのにあんな滑るように動いてくれるんだよ、普通あれ途中で剣止まるだろ、むしろ当たったことで加速してねえかあれ?」
いきなり饒舌に語りだす煉瓦職人に、友達たちは驚いた顔で彼を見つめる。
それからも煉瓦職人は如何に金髪の彼女が凄いのかを興奮した様子で語り続け、そして最後に言った。
「あれシーラじゃないよな、誰だよアイツ。女で美人で馬鹿強いって、シーラ以外にいるのかよ。商業組合もブランドストレーム家もぶっ殺しちまってるけど、アレ何処の何者なんだよ」
返事を期待しての言葉であったのだが、誰からも返事がないことで煉瓦職人はようやく彼らのほうを振り向いた。
「いやだからアイツ誰だって」
友達たちは皆一斉に答えた。
「「「さあ?」」」
観戦者たちの中にはあまりに技量が隔絶しすぎているせいか、チンピラたちが手を抜いているのではと疑っている者もいたが、もちろん彼らにそんな余裕はない。
凪のあまりの美人さに、下心満載で襲い掛かった男たちはその全てが殺し尽くされた。
警戒すべき相手だと認識した男たちは、他のチンピラを襲う時のように一斉に飛び掛かるようにしたが、そうした者たちも皆殺された。
どうすべきかわからなくなった男たちは、それでもここで逃げるはありえないと思っていたため、とりあえずでもと剣戟の場へと乗り込み全員死んだ。
そして気が付けば、商業組合の傭兵、ブランドストレーム家、共に全滅していた。
普通ならばそうなる前に対処しきれぬ相手であると理解し、勝てぬとなれば身を引くのが当然の対処法であろう。
だが今回は彼らが対処しきれぬと認識する前に、全員が死んでしまった。どれだけ殺されたかを誰かが確認する前に、あっという間に全員が殺され尽くしてしまったのだ。参加者全員が想像すらしない速度で殺されたが故の、本来ありえないはずの結末、全滅である。
「あ」
全部殺した後で、息を整えていた凪は思い出したように呟く。
「数、数えるの忘れた」
前回ベネディクトに問われた時答えられなかったのを覚えていたのだ。
肩で息をしながら周囲を見渡し死体の数を数える。それはつまり、自分がやらかした惨状を改めてじっくり眺めるということでもある。
「……あんまり気分の良いものじゃないわね」
その程度の表現で済ませている段階で既に異常である。そう断言できてしまうほどの悲惨な光景だ。
何せ凪が斬れば必ず敵の何処かが斬れ飛んでしまうのだから、そこら中に破片が飛び散ってしまっている。もちろん本体のほうも何処かが欠けた状態だ。
そんな景色のど真ん中にあって、平然とした顔でつっ立っていられるのだから凪の異常性は誰の目にも明らかだろう。
二十、三十、そこまで数えたところで、乱れていた呼吸も整ってきた。
「今回は、相手弱かったのかしら。砦よりずっと楽だったわよね」
手足を振り回してみても、疲労は感じられない。
斬った数を数えるのも別段そういう要求があったでもなし、まあいいか、と凪は剣を肩に乗せこの場を離れることに。
片刃の刀ならば肩に乗せるのもアリだろうが、両刃でそうするには準備がいる。凪は予め右肩に厚めの革を乗せていた。
小走りに去っていく凪。これを、教会の中からじっと見ていた者たちがいる。
荒くれ者共が教会前広場に集まってきた段階で、教会の奥に隠れ潜むことにした教会関係者たちだ。
その中でも一番高位の神父が、よろよろとした足取りで入口から外に。
見渡す限り、死体、死体、死体だらけ。
教会広場の、それも教会前を中心に、とんでもない数の死体が転がっている。
これを見て、神父は泣き出しそうな顔で天を仰いだ。
「なんでここでやるかなぁ」
人を教え導く立場の神父としてはもっと他に適切な言葉もあったであろうが、これこそが彼の心からの言葉であった。
凪のもとには、現在展開中の商業組合傭兵隊、ブランドストレーム家双方のチンピラたちの情報が逐一入るようになっていた。
これはギュルディが手配したもので、彼らはギュルディが所属する商業組合とは完全に別枠の人間であり、凪が商業組合側のチンピラを殺害することに関しても当然のことと受け入れている。
この日、不知火凪の姿はリネスタードの街の至るところで見受けられた。
肩に剣をかついで走る金髪の美少女。
通りすがりを見ただけの者の感想はそれだけで済んだ。
だが、チンピラたちと交戦している最中の凪を見た者は皆、その恐るべき戦闘力を目の当たりにし、リネスタードの街に新たな怪物が誕生したことを知る。
凪が抜き身の剣を肩に担いだまま走っているのには、不意打ちに対応するためというきちんとした理由がある。
ただこれを見る者が、血の滴る剣をこれ見よがしにかついで走る姿を見て、恐怖を覚えたのもまた事実。
そしてそのままの姿で絶賛襲撃中のチンピラ集団の前に現れれば、もうそれだけで凪の意図は明確に伝わる。
「てめえ! 何処の者だ!」
「一人だあ!? シーラの真似か!? 笑わすんじゃねえぜ! ぶっ殺してやるぁ!」
「おいばかよせやめろ。あんな美人に何する気だおめーら、雑してねえできちんと丁寧に確保しろっての」
「つーか襲撃とか後回しでいいだろ。俺アイツとやってるからおめーら勝手に暴れてろよ」
「馬鹿おめー抜け駆けとか殺されてーのか俺も混ぜろ」
「われもわれも」
「……ここからは大人の時間だな」
速度を一切落とさず突っ込んでくる凪に、血の気の多い者が真っ先に前に出る。そしてそれを止めようと数人が左右からその男を押さえにかかり。
「何してんのよ……」
全員まとめて、一瞬で斬り殺された。
もちろん雑に剣を振り回したなんてことではなく、一人一撃ずつ素早く強い攻撃を正確に急所に振り下ろし、これを人数分繰り返して全員を仕留めたのである。
盗賊砦からこっち相当な数を斬り、慣れてきたせいもあってか今の凪の人を斬る技術はかなりのものとなっている。
ここにいるのは商業組合の傭兵たちであり彼らは革鎧で急所を守っていたのだが、刃をねじこむように、滑り込ませるように振るって鎧を無効化していた。
彼らは傭兵とは名ばかりのチンピラでしかないが、それでも暴力に生きると考えた者なのだから、剣術を学んでいる者も中には紛れている。
「あ、ありえねえ……なんだ、今の剣は……」
凪の身のこなし、剣の速さをきちんと理解できる者もいるようで、凪は少し安心した。
『贅沢かもしれないけど、どうせ殺すんならきちんと戦って殺したいのよね』
凪の技量がわからぬ相手ではそれも叶わぬ。
それでも、凪の腕前の全てを察しうるほどの猛者はおらず。
「おいお前ら! 手加減するんじゃねえ! 道場の師範より強えぞコイツ! みんなで囲んで一気に殺せ!」
そう叫んだ剣術を学んだ男は、この集団の中でそれなりに一目置かれている人物のようで、男がそう怒鳴るとチンピラたちの態度が多少なりと変化した。
それぞれが思いつくがままに斬りかかるのではなく、同時に、一斉に、飛び掛かることを意識し始めたのだ。
『ま、連携の訓練してないんじゃ、やっぱり話にならないんだけどね』
せーの、で飛び掛かればいいなんて簡単な話ではないのだ。
初撃で相手の受けの形を制限し、その制限された形では受けきれない斬り方を用いる、といったものが連携である。一人でこれを行えばそれはコンビネーションと呼ばれるものになる。
大雑把な連携ならば素人にもできよう。だが、凪とチンピラほども速度差があったならば、そんな雑な動きが通用するはずもない。
チンピラ側からすれば同時に、凪側からすれば順々に、飛び掛かってくる敵を処理していくだけだ。
凪が一番気になったのは、彼らの顔だ。
怒っている。全員がとても怒っている顔だ。だが、盗賊砦の盗賊たちとは大きく違う。大半のチンピラたちが、凪は見ていても凪の動きは見ていない。中には目をつぶっている者までいた。
『なに、これ』
気味が悪い。
刃を交えているにもかかわらず、彼らは戦ってはいないのだ。彼らは武器を振り回し暴力を用いてはいるが、それは戦闘ではなかった。彼らの動きの前提は一方的な暴力であったのだ。
凪が有効な反撃を行うなんて前提で動いていない。だから振るった武器が当たらないことに苛立ち、そして凪の一閃で自分が斬られれば信じられぬといった顔になる。
逆に、ここが凪の居た世界であったならこれもまた理解できたかもしれない。殺し合いを具体的に想像できない人間がいるのも、当然と言えば当然であろう。
だがここは、シーラのような殺人鬼が徘徊し、盗賊たちは躊躇なく笑いながら人を殺す世界なのだ。そんな場所で殺傷能力のある武器を振り回していながら、技量による裏付けも無しにどうして自分は殺されないなどと思えるのか。
敵は弱い。
だが凪に手を抜く余裕はない。彼らのこれだけはあり余っているように見える殺意と、自分が殺されぬと妄信しているが故の捨て身の仕掛けは、圧倒的な技量の差をすら埋めうるのではと凪には思えたのだ。
チンピラたちの中には武術を学んだと思われる者もいた。
凪にとってはむしろこちらのほうが御しやすい。その行動の結果起こるリスクにリターンが見合っていない行動は、そういった者たちは取らないからだ。
最も手に負えない者は武術を全く知らぬ者だ。それが明らかに無謀かつ運頼りの行動であっても、彼らは無知故に胸を張って全力で行なってしまう。
結果としてチンピラたちは極めて不利な状態に陥るが、それは凪の意表を突く行動であり、逆にこの圧倒的な技量差を埋めうる選択になる。もし、とんでもない幸運に恵まれた男が、凪が見落としている隙を偶然上手く突くことができたなら、大金星もありえる行動であった。
「……あっ」
そして、今日の凪は、とてつもなく不運であった。
斜め後方から踏み込む男。
別の男のすぐ後ろから突っ込んできたのは、単にその場所からしか飛び込めない位置に自分がいたせいだ。
それにしたところで、男の前で別のチンピラがおっかなびっくり踏み込んでいたので、彼を押しのけて前に出るなんて真似もできない。
だが、偶々、男の前に立って突っ込んでいった男が、怯えと恐怖から足をもつれさせ盛大にすっころんだのだ。それも、後ろからくる男の進路を綺麗に空ける形で。
またその瞬間は凪が二人から目を離していた時で、転倒の音を聞いた凪が確認のため一瞬だけこちらに目を向けてきた。
それすらも間に合わなかった。前の男が転倒しなければ、それこそ前の男にぶつかるような勢いで突っ込んでいたせいだ。
万に一つを拾い上げたその男が突き出した剣は、凪の首後ろに突き立てられた。
「なんだぁ!?」
凪の身体が真横にブレた。
敵の視認はできていない。踏み込んできた足音のみで危険を察し、横に動いた凪がより勝った。それでも、全てをかわしきることもできなかった。
「おっしゃあああああああ!!」
歓声が上がる。
凪の左肩が後ろ側からざっくりと突き斬られてしまっていた。
これを為した大金星の男は、しかし確実に首を貫いた自信があったというのに肩をかすめるしかできなかったことが不満であり、もう一度その場で剣を突き出そうと動く。
「痛いわね」
突くために剣を引いたところで、男は首を刎ねられた。
凪は、どうしてこんなことになったのか、焦る思考を抑え込みながら極力冷静に自らを振り返る。
剣の、いやさ戦いの術理全てを無視した挙げ句、本来捨て身にすらなりえない馬鹿な動きをしていたはずの男が、偶然としか思えぬ幾つものありえないを乗り越えて、凪に痛打を与えたのだ。
凪は父の言葉を思い出す。
『一対一ならともかく、相手が複数いるというのなら絶対に事故は起こるものだぞ』
父も、父の親友も、そうやってできた大きな傷跡を幾つも身体に刻んでいた。
「そういうもんかって思ってたけど。実際に自分でくらうとこれ、とんでもなく腹が立つわ。こんな馬鹿げた理不尽で死ぬこともあるのよね? あー、そりゃーまー、殺し合いなんてそうそう簡単にするもんじゃないって話にもなるわコレ」
左肩はそれほど痛くはないが妙に痺れている。
試しにと手を握ってみたが、かなり握力も落ちている。
そして手傷を負わせたと調子に乗るチンピラたち。
「……身の程って奴を、教えてあげるわ」
敵に対してではなく不運と自らの不甲斐なさに対して激怒していた凪は、片手で剣を持ちこれを振るう。
先は長いと大きな動きを抑え気味に動いていた凪であったが、ここからはもう全力戦闘だ。
片腕になった程度でこんな雑魚にすらなりえぬ有象無象に後れをとるつもりは、凪にはなかった。
逃げることすら許さず全員を斬り殺した凪は荒い息を漏らしながら、そこでようやく自身の負った傷に目を向ける。
思い切り身体を捻ってようやく見える場所だ。
「うわぁ……」
思っていたより傷は深いし、出血もある。
ただここはちょうど市でもあり、凪の求めるものも探せばすぐに見つかった。もちろん市を開いていた者たちは皆避難済みだ。
凪の予想通り、瓶に入った酒は重すぎて全部持っては逃げられなかったようだ。
不純物の多そうな酒だったら嫌だな、と思って覗いてみると無色透明の澄んだ液体が瓶に溜まっていた。
「ん、これなら」
凪は街路の影に向かって手招きする。そこに人の姿は見えなかったが、凪の合図に応え一人の男が姿を現す。
「怪我の治療なら良い医者がおります。案内しますので……」
「あー、いいいい。それより貴方、針と糸ない? もしくは今すぐに何処かから持ってこれない?」
男はすぐに凪の意図を察する。
「裁縫屋がすぐそこに避難していて、きっと彼が持っていますが……まさかご自分で?」
「自分じゃ手が届かないわよ。だから貴方やってよ。傷口縫うだけだしそんな手間でもないでしょ?」
冷静そうに見えた男は、もう見るからに狼狽した顔をする。
が、腹の据わった男であったのか、少し間をあけてではあるが、わかりました、と返事をする。
お見事、と内心で称賛しながら凪は酒を肩にぶっかける。
そして全く躊躇した様子も見せず、右手で傷口をこすりなでる。
『んぎぃっ!』
めっちゃくちゃ痛い。だが、傷口に入った汚れを掻きだすため、傷口の奥の方にまで指を突っ込みなでまわす。後、痛そうにしてると思われるのが恥ずかしいので、必死になって平静顔を装っている。
時々酒を追加でぶっかけて、ひととおり傷を洗えたと思った凪は、裁縫屋から針と糸を借りてきた男に向かって言った。
「じゃ、後よろしく」
男はとても驚いた顔をしていたが、彼もまた表情の変化をすぐに引っ込め頷く。
男が傷口を手で押さえ込む。とても痛いがさっきまでの指で傷の中をぐりぐりするような真似に比べれば天国のようなものだ。
かなり手先の器用な男で、彼は針と糸で丁寧に傷口を縫っていった。
縫ってもらっている間は暇なので、凪は男に街の状況の報告を頼む。
男にとってはまるで慣れぬ作業をしながらであったが、男は元々器用なタチであったのかどちらも澱みなく行えた。
『ギュルディ、良い部下揃えてんじゃない』
傷口を縫い終わると、男は表情を出さぬまま大きく息を吐いた。
露店には生地を売る店もあったので、これを包帯代わりに傷口を縛ると完成だ。
「ん、これなら問題ないわね」
じんじんと鈍痛があり、左腕はあまり力が入らない。そもそも左腕使ったら間違いなく傷口が開いてしまうだろうから、こちらは使用禁止だ。
それでも、凪は止まるつもりはなかった。
「じゃ行ってくる。ありがと、助かったわ」
男が何を言う間もなく、凪はさっさと走っていってしまった。
先の戦闘も含めこの治療の模様は、周囲の建物からかなりの人間が見ていた。
彼らは思った。
「アイツ、痛みねえのかよ。不死身かっ」
「え? 何あれ? 美人で豪傑? どういう組み合わせだよ」
「あのめっちゃくちゃ綺麗な顔でありえねえぐらい雄々しい動きなんですけど」
「剣も馬鹿強くて不死身って、もうどうしようもねえじゃんあんなの」
そして凪の治療をした男も、凪の後を追い走り出す。
『ギュルディ様が入れ込むわけだ。片腕でも全く動きが鈍った様子はなかったし、治療の間ですら顔色一つ変えなかった。いったい何処からあんな化け物を見つけてきたのか……』




