244.凪と裁判(一年ぶり二度目)
凪と秋穂がスラーインと戦っている間、この街の住人がソレに気付いていなかったというわけではない。
街中で戦いが始まったことにも気付いていたし、スラーインという街の賓客がそうしていることにも気付いていた。
だが、対応に動いた兵士たちは、その人間離れした戦いに手を出しかねたのだ。スヴァルトアールブのやることにケチをつけられぬ、というのもある。
そして戦いの結果は、兵士たちの想像を超えるものであった。
真っ二つに斬り裂かれたスヴァルトアールブを放置し、その場を立ち去る凪と秋穂に街の兵士たちは恐れ慄き道を空ける。
凪も秋穂も、この兵士たちの戦意の薄さに気付いていた。
「どうする凪ちゃん?」
「相手するのも馬鹿馬鹿しいしほっときましょ」
立場上、このまま通すわけにもいかない兵士たちの隊長が、引けた腰で前に出る。
「あ、貴女方にお聞きしたいことが……」
「「あ?」」
凪と秋穂が不機嫌そうに一瞥をくれると、隊長はすぐにその場を飛び退いた。
アーサの人間にとってスヴァルトアールブとは、ランドスカープ人にとってのエルフよりも身近なものだ。
そして身近であるが故にこそ、ランドスカープ人よりよほどスヴァルトアールブの脅威を理解している。
もちろんアーサ人の中にも人間離れした戦闘能力を持つ者もいる。だがスヴァルトアールブは、そのほぼ全てがそういった稀有な戦士であると言われている。
そしてこのスラーインという者は、スヴァルトアールブたちの中にあって敬意を集めている者なのだ。
隊長は全身が恐怖に震えるのを止めることができぬまま、自分に対して言い訳を積み重ねる。
『め、命令は、スラーイン殿に、最大限の協力を、との、ことだ。スラーイン殿を守れなどというめ、命令は、受けてはいない。もちろん、仇を討て、とも』
スラーインの身の危険なんてものを、そもそも誰も想定などしていなかった。
後にこの隊長はこの件を咎められ降格させられる。あくまで結果的にではあるが、彼は最善の選択をしてはいた。それはアーサの誰一人認めるものではなかったが。
咎める者もないまま凪と秋穂は街を出た。
街を出たところにある逃亡用の馬を繋いでいる場所にいくと、そこには予めて決めてあった合図が置かれていた。
その合図に曰く、マグヌスはアルベルティナの救出に成功しそのまま逃亡済み、とあった。ついでにスヴァルトアールブを二人始末したとも。
「うんうん、さすがマグヌス」
「アイツやっぱ強いわよねー、砦に戻ったら私もやっとこうかな。んじゃ、私たちは少しゆっくりと行きましょうか」
「人間はともかく、スヴァルトアールブの残りはー……来るかな?」
「さてね。アレの人望次第じゃない?」
魔術を使う相手となれば、どんな手が飛び出してくるかわかったものではなく、それを相手にしようというのだから、立ち居振る舞いを見て格下だとわかったとしても油断はできない。
できないのだが、凪も秋穂も敢えて目立つ移動をすることで、マグヌスとアルベルティナの逃亡を助けるつもりだ。
そうしているとものの半日もしない内に、アルフォンスの下に向かっていたスヴァルトアールブたち五人が追いついてきた。
「見つけたぞ! 殺せ!」
奇襲をするつもりすらないようだ。それととても怒っている。
馬に乗ったまま凪と秋穂は言葉を交わす。
「人望、あったみたいね」
「居場所を見つけ出す魔術は大したもんだけど」
ひらりと二人が馬から飛び降りる。
「いくらなんでもなめすぎよ」
「エルフと比べても、随分と単純な連中だよね」
本来のスヴァルトアールブという種族からすれば、このような短絡的な行動はありえない。それほどに彼らにとって、スラーインが人間に討ち取られたという事実は受け入れ難いものであった。人望がありすぎたということだ。
だがそんなスヴァルトアールブの事情なぞ、凪も秋穂も知ったことではない。
五人が束になってかかっても手も足も出ないスラーインを仕留めた二人組に対し、無策で挑むなぞとあまりにも愚かしい行為であったろう。
五つの遺体が転がる野を抜けると、アーサとランドスカープとの国境でもある山岳地帯に入る。
ここで、凪と秋穂はさくっとマグヌスたちを追い越した。
国境越えで何処を通るかに関しては特にこれといった道があるでもないので、山慣れた者による勘を頼りに進むしかない。
で、その勘は当然それぞれの個人を基準に適切な道を指し示すため、凪や秋穂とアルベルティナを連れたマグヌスとは違った道になるし、部隊で侵入しているフレードリクたちとも違ったものになる。
救出すべき対象よりも先に、これを護衛するなんて真似もせずマグヌスに任せっぱなしで、さっさと戻ってしまったと凪と秋穂が気付いたのは、カテガット砦についてからであった。
「なんでマグヌス戻ってないの!?」
アルベルティナを救い出すべく敵地へと乗り込んだわけだからして、これを助けもせずのうのうと戻るなんてことが、如何に恥ずかしいことかは秋穂にもわかっている。
「嘘でしょ!? だって私たちかなりゆっくり戻ったのよ! 雑魚もぶっ殺してからきたし!」
そんな言い訳を並べる凪もまた、自身が恥ずべきことをしてしまったという自覚はある。後、一般的にスヴァルトアールブ五人は決して雑魚ではない。
これでマグヌスが襲われてアルベルティナを取り戻されでもしていたら、大恥なんてものではないだろう。
もっとも、カテガット砦の誰も敵勢力圏のまっただなかに突っ込んで、スヴァルトアールブ重鎮の暗殺なんて真似をしでかしてくれた二人を責めようなんて考えてはいないのだが、当人たちがどう感じるかはまた別の話である。
なので周囲はそれほどでもないのだが、凪と秋穂の二人だけが、何とも居心地の悪い様子で、何度も出迎えに行った方がいいかなどと埒もないことを口にしていた。
そしてアルベルティナを連れたマグヌスが砦につき、凪と秋穂の懸念を耳にして発した言葉がこれだ。
「馬鹿かお前ら?」
「よーっし、マグヌス表に出なさい!」
「今度こそ素手でぶん殴ってあげるからねっ!」
最も重要な仕事をこなして戻った殊勲者に対し、涼太は当然配慮すべしと考えていたので、凪秋穂に説教しつつマグヌスもアルベルティナも砦で十分休めるようにしてやった。
ちなみにアルフォンスは、マグヌスを見つけてはいたが合流はせず、なんかよさげな雰囲気の二人を二人っきりにしたまま後をつけていた。人間二人よりよほど配慮のできるエルフである。
そしてリネスタードへの帰還だ。
アーサによる奪還作戦決行の可能性は低い。凪、秋穂、マグヌス、アルフォンスに加え、魔術師涼太とスキールニルのサポートがある状態での奪還作戦は、それこそスヴァルトアールブ十人以上を必要としようし、質で補うのならスラーイン以上が必要だ。
スラーイン含む八人のスヴァルトアールブを皆殺しにしてきたことを考えれば、最早窮地は去ったと考えてもよかろう。
そんな呑気な帰り道。
その途上で彼らはちょっとした事件に巻き込まれることになる。
「裁判?」
カテガット砦を出てから最初に泊った宿にて、恐れ知らずにも涼太たち一行に声を掛けてくる者がいた。
彼はカテガットに隣接する領地の役人で、涼太たちがここの領主をぶっ殺した事件に関しての証言が欲しい、と言ってきたのだ。
「裁判の本題は領地の継承問題なのですが、先代領主様が皆さま方に非礼を働きその場で処断されたという形が欲しいのです。王都より代官を任されている方を助けると思って、どうかご助力願えないでしょうか」
その件の目撃者は確かに涼太たちしかいない。
そもそもからしてここの領主の継承問題は、喧嘩を売られたからと速攻でここの領主をぶっ殺した涼太たちが原因である。
それにしたところで、涼太たちからすれば知ったことではないのだが、やらかした結果によって周囲に迷惑を振りまくのもまた本意ではない。
すぐに凪が立候補する。
「裁判なら前にもやったし、私やっとくわよ」
前と違って今回は凪自身が揉める話ではない。領主殺害を咎めるという内容であればまた話は別だが、そこはもうここの代官が綺麗におさめてくれたとのこと。
領地の今後に関わる大切な裁判で、当事者の証言が欲しいというのであれば、多少手間をかけるぐらいならば構わない、と凪が話に乗ってやる。
なんか不安だ、と涼太が付き合うといえば、残る面々はじゃあ任せた、とこの宿にて少しのんびりすることにした。
アルベルティナが、じっとマグヌスを見上げる。
「……わかった。郊外まで付き合おう」
にまーっと笑うアルベルティナに、そっちのが面白そうだとアルフォンスと秋穂はアルベルティナの歌を聞きに行くことに。
失敗した顔の涼太は他所に、四人はさっさと歌を聞きに行ってしまう。
凪は笑って涼太に言う。
「どうやらあの偉そうな豚殺した後始末してくれたみたいだしさ、少しぐらいは手間かけてもバチは当たらないでしょ」
「まーな、いつも俺ら知らないところで迷惑かけてるもんなー」
領主の後継者争いに関し、これを裁定するのは王都より派遣されし裁判官だ。
争っている者としては、領地のこと、家のこと、と突っぱねたくなるものであろうが、それで兵を動かし殺し合いなんて真似までされれば、それこそ叛逆反乱の罪を問わなければならなくなる。
故に、領主の引き継ぎに関しては明確な法が定められており、特に今のような王の権限が強まっている時期はこれを厳格に運用することになる。
だが、ただ王都の裁判官の言いなりになるつもりは、この領主一族にもなく、こうした法律に強い弁護人をわざわざ王都から招き、裁判官と対決させる、というのもよくある話だ。
そして代官ももちろん出席する。
王都よりこの地に派遣された代官は、ようやくここまでこれたか、と疲れた顔で法廷入りする。
「親族共は信じられぬほどに愚かであるが、どうかよろしく頼む」
共に法廷入りした裁判官は、代官に同情の目を向ける。
「事前の打ち合わせで見ましたよ。今回は多少度が過ぎますが、地方というものは概ねこういったものでしょう。何をするにしても、中央のやることが気に食わなくて仕方がないんですよ」
「それを表に出して無事で済むと思える神経が信じられん……」
「実際無事に済んできたのでしょう。田舎の中だけでその全てが完結している内は」
たまらんな、とぼやきながら席に着く。
そして裁判官、代官共にげんなりとした顔を隠すのに気合を込める。
「はっ! 結局今日まできてしまったか! 恥の上塗りだな!」
「救いようのない愚者とは正に貴様のことよ! この期に及んでまだわからんとはな!」
「あのー、裁判官殿がこられましたので、発言は控えられたほーがー」
「はっはっは、この私めが叔父上の味方ですからな、もう勝負は決まったも同然でしょう」
「どうしてこの席にあのような愚劣な者がいるのでしょう! 汚らわしい!」
わざわざ王都から裁判官が来てくれたというのに、親族たちは好き勝手に騒いだままだ。もう、礼儀云々とか以前に、当たり前の決まり事だけでいいから守ってくれ、と代官は泣きたくなっていた。
そこに、最後の人物が登場する。
「「「は?」」」
決していてはならぬ者がいた。
せめてもその者、美しい金髪を二つ、後ろに垂らした絶世の美女たる、金色のナギは、親族共とは違って言葉も発さず、静かに席についていた。
誰か事情を知っている者は、と振り返った代官は、とてもにこにこ顔をしている秘書の一人に気付き、引きつった顔のまま目で問うた。
「はい、ちょうど街に逗留してくださっていたので、証言を頼みました。いやあ、運が良かったです。あの方の言ならば親族の方々も納得してくださるでしょう」
「……無理に、頼んだ、のか?」
「いえいえ、丁寧に頭を下げましたら、とても快くお引き受けくださいました」
秘書の声を聞いた代官、聞こえてしまっていた裁判官、そしてやりとりをしている様子から察した弁護人の三人が、同時に内心で叫ぶ。
『余計なことをっ!』(←ギュルディ一派のため、公になっている事件は全て把握している代官)
『待て。え? これ、死んだぞ』(←五大魔王の存在と、これを誰が打倒したかを知っている弁護人)
『ダメだ! 逃げられん!』(←シムリスハムンでの式典に請われて参加していた裁判官)
それぞれに、今すぐこの場を捨て逃げ出せる手を考えたのだが、全員責任ある立場にあったため、どうにもならない。
誰か一人、この危機的状況を理解し喚き叫んでくれれば、自分もそれにのってさっさと逃げだせるのに、と周囲を見渡す三人であったが、誰一人、ここが死地と化したことに気付いている様子はない。
それどころか目敏く美人の凪を見つけだし、下卑た顔をみせている者までいる。
動揺著しく、身動きが取れなくなっていた裁判官に、その補佐をする者が不思議そうに先を促すと、裁判官も動揺を内心のみに押し殺し、裁判の開始を告げた。
シムリスハムンにおける凪と秋穂の千人殺し。これをリアルタイム視聴させられた裁判官が、震える手を隠し、激しく鳴る心臓の音を無視し、物静かに裁判を進行させていく様はある種の荘厳さすら感じられるであろうが、生憎とそんな裁判官の事情を知っている者もいないので、他の者からすればいつも通りでしかなかった。
『アレは今、信じられぬことだが大人しくしているっ。ならば、このまま、このままアレの機嫌を損なうことなく進行し続ければっ』
表には出さぬが裁判官は正に必死であった。
だが、今は突発事項のあまりの凶悪さに忘れていたが、当初裁判官が予想していたように、この裁判はそんなにあっさりと終わってくれるようなものではなかった。
先代領主の弟が音を立てて席を立つ。
「このような茶番はもう結構! 法に照らし合わせれば正しき後継者は明白だ! さあ! 裁判官殿から宣言してください! 誰がこの領地を継ぐに相応しいかを!」
明白じゃないから私が呼ばれたんだろーが、と内心で返答する裁判官。そしてこれに対抗するかのように先代領主の息子の一人が立ち上がる。
「統治能力どころか貴族としての資質すら疑わしい愚か者が何をぬかすか! いまだ貴様が貴族籍にあるのは先代様の慈悲故よ! その先代様も最早おらぬ! 貴様のような一族の恥晒しは今すぐこの場より出ていけ!」
そして始まる口喧嘩。
あまりにも醜いその争いに、裁判官はおそるおそる凪の表情を見る。
基本的に表情を隠さない凪さんは、見るからに不機嫌そうな顔をしていた。
『まっずーーーーーーーい! 急ぎ対策を……』
席を大きく叩く音が響く。
これを為したのは弁護人であった。
「今、発言を許されているのは、裁判官殿と、そして弁護人たる私のみだ。聴衆が法廷の最低限の定めすら守れぬとあらば、私は弁護人の役をおろさせていただく」
その手があったか、と思わず自分も同じ手を使えぬかと模索を始める裁判官と代官。
だが、実に残念なことに弁護人のその凛とした態度に親族たちは皆口をつぐんでしまった。
内心、ふざけんなあっさり黙るなもっと粘れよ、と思いながら弁護人は裁判の進行を促すと、裁判官も頷き粛々と話を進める。
途中、何度か親族が口を挟み喚き散らす場面もあったが、これを裁判官と弁護人が睨み付け、どうにか進行することができていた。
だが、これを見ている代官にも、最大の山場が近づいていることがわかる。
『しょ、証言を、本当にさせるのか』
そう、先代領主殺害の下手人が、その親族を前に何があったかを話す、なんていう揉め事必至な状況が待ち構えているのだ。
緊張の極みのような代官を他所に、裁判官は凪の名を呼び、証言を頼む。
実に幸いなことに、皆の前に進み出てきた凪は、その美貌で聴衆による即座の発言全てを封じてしまっていた。
この間に素早く裁判官が具体的に何処がどうだったのか、といった質問形式で証言を促す。
弁護人、この時にようやく確証を得る。
『やはりか。裁判官殿もコレの危険さを認知しておられる。よしっ、よしっ、それならばまだ生き残る目はあるっ!』
凪が下手な失言をしないよう、それと気付かれぬようにしながら発言を促すその手腕は、さすがは王都の裁判官よと唸るものがあった。
それでも、空気を読まぬ馬鹿には通用しないらしい。
「お待ちください! そもそも! 先代様を無礼討ちしたというのが納得いきませぬ!」
裁判官、弁護人、代官、共に内心にて叫んだ。
『『『お前! よりにもよってそこにツッコムか!?』』』
そもそも、と声高らかに語る彼に対し、弁護人が割って入る。
「裁判官殿! 本題とは無関係の議題です! そもそも彼にこの場での発言権はありません!」
「その通りです。今すぐ発言を控えるか、退廷かを選びなさい」
「裁判官殿!? 私はこの領地の……」
「衛兵、退廷させなさい。今、すぐにっ」
強く裁判官が告げると、衛兵も顔を見合わせた後で指示に従い、ぎゃーぎゃー喚く彼を退廷させた。
そして有無を言わせぬ口調で凪の証言を続けさせる。
この間に、代官は一つ思いついたことがあり、自身の秘書に小声で指示を出すと彼は多少納得いかなそうな顔をしたものの、指示に従い彼もまた退廷した。
裁判官のこの行為、聴衆たちにはひどく印象が悪い。
現地の人間の代表者の一人であったのだ、彼は。その意見をロクに聞きもせず放り出すというのは、そこに法的根拠があろうとも集まったこの領地の有力者たちにとって気分の良いものではなかろう。
裁判官は静かに告げる。
「既に定まったものをひっくり返すというのならば、当然約束された事柄の履行もなされぬということ。ソレを約したのは私ではないが、当然、あちらもそのように対応するであろう」
代官が涼太たち一行による領主殺害をこの一族に納得させるために、相応の利益供与と面目を守れるような配慮を行なっている。
今更この件を蒸し返すというのなら、それらも全て破棄されるぞ、と裁判官は告げているわけだ。
普通はこれで黙ると思う。裁判官もそう思ったし、代官もそうだ。弁護人もそこには関与していないが、それでも状況は把握しているので頷いた。
だが、この供与された利益の分配に与れなかった、もしくは足りぬと感じた者は、そんな台詞で止まったりはしない。
「定まったと申されるが裁判官殿、我らはただ先代様がとても考えられぬ蛮行に及んだと聞いているのみ。貴族として到底ありえぬ真似をした、と言われはいそうですかと納得するわけにもいきませぬ。そも、先代様がたまたま通りすがっただけの者に危害を加えようとした、などという話、何処の誰が信じるというのですか」
一族で受けるとなったのだから一族の中で話はつけておけ、と当然裁判官は思った。代官も弁護人も思った。
だが彼らはそうは思わぬようだ。困った奴だ、といった顔で、裁判官に目を向けるのみ。上手く言いくるめてくれ、とでもいうつもりであろう。或いはコイツにゴネさせ余計に利益を得ようという魂胆か。
裁判官も、通常時であったなら、そのぐらい受け入れてやるぐらいの度量はある。当然後でその分を補填させるが。
だが、今は無理だ。
『いっ! まっ! やるかそれをっ!? ……はっ!?』
裁判官の視界の隅で、弁護人が頷くのが見えた。彼もまたナギの脅威を正確に認識していると裁判官も理解している。
『おおっ! すまん! 助かる!』
弁護人に目で発言を許すと、彼は立ち上がり言った。
「失礼! 私が依頼されたのは、領主の引継ぎの件のみです。それ以外を話し合うというのであれば依頼外のこと。私は退席させていただく」
そのまま弁護人は席を立つ。死地よさらば、弁護人、堂々退場す。
そして裁判官の悲鳴がその内心のみで響いた。
『謀ったな貴様ああああああああああ!』
かつかつと靴音高らかに弁護人は室内中央にある通路を進む。
そしてちょうど証言をしている凪の脇を抜ける時、凪はぼそりと呟いた。
「収拾つかなくなるけど、いいの?」
言葉の内容以前に、凪に声を掛けられた瞬間、びくりとその場に震える弁護人。
彼は声の語尾をふるわせながら問い返す。
「……穏当な結審がお望みで?」
「まあ、ねえ。そのために私もわざわざこんなところに出向いてきたんだし」
かくして、弁護人も逃げ道を封じられた。
「わかり、ました。ではお付き合いいたしましょう」
「いいの? ごめんね、ありがとー」
そのまま席に戻る弁護人。小刻みに全身が震えているのも無理はない。彼は王都における五大魔王の脅威を熟知しており、それをすら打倒した凪の恐ろしさを、そして数多の非常識な武勲が真実であると確信してしまっているのだ。
無表情を装おうとして失敗し、口元がひくひくと揺れてしまっているのは裁判官である。
『ざ、ざ、ざまああああああ!』
『くっ! おのれ裁判官っっっ!!』
お互い妙な因縁ができてしまったが、基本的にこの裁判においては裁判官と弁護人の話し合いを主に話は進む形になっている。
なので弁護人が依頼主である領主一族の利益を守る形で主張し、裁判官がその是非を定めるといった繰り返しで話し合いは進められていく。
親族たちも口を出したいのだろうが、裁判官も弁護人も、それぞれの仕事において王都でも通用するほどの凄腕だ。
単純に知能の高さが違いすぎるため、この二人が本気で連携したならば親族如きでは口を挟むことはできない。
そのまま綺麗に、法に則った形で、代官が許容できる範囲で、かつ親族にもそれなりの利益を配分する形で結審した。
そして、結審してから喚き散らすのが馬鹿の馬鹿たる証である。
「待ってもらおう! 今の話し合いは明らかに不足してるものがある!」
「納得いかん! 我ら地方を蔑ろにするが如き愚行! 王都の陛下もお嘆きであろう!」
「おい! 弁護人には私からも金を出しているのだぞ! なのに何故このような話になっている!」
一族の中でも、十分な利益を得られなかった者たちが騒ぎ出した。そして、一族をまとめる立場の者であったり、十分な利益を得ている者たちは、彼らを咎めようともせず、自身の分は確保したのだから後は勝手にしろと言わんばかりである。
そして当然、先代領主の死亡に関して口を出してくる者も出てくる。
既に結審したのだから強引に締めてしまえばいい、という考えもあるが、その場合、一族の馬鹿が凪にちょっかいを出す可能性まで出てくる。
そんな裁判官の迷いを見てとったからか、彼の視界の端にて代官が請け負ったと頷いてみせる。
彼の傍にはいつのまにか人が一人増えている。
『あれは……そうか、派遣された兵たちの隊長か』
つまり、王都より派遣されてきた兵士たちをこの場に呼んだという意味だ。
ならばいける、と裁判官は結審したからと強引に裁判を締めてしまう。喚き裁判官に詰め寄ってこようとする馬鹿共。
そして代官が合図すると扉が開き、兵士たちが雪崩れ込んできた。
ふう、と一息。裁判官は代官に目礼し、弁護人に向け苦笑を見せる。
そんな彼らを他所に、特に見咎められることもなく、凪は席を立った。
傍聴席にいた涼太と合流した凪は、裁判の感想を述べる。
「なんか、よくわからなかったけど、あれで良かったの?」
傍聴席から、必死になって凪の脅威から裁判(と己の命)を守ろうとしていた裁判官、弁護人、代官の三人の奮闘を見ていた涼太は笑って言った。
「俺は十分楽しめたよ。同じぐらい申し訳ないと思ったけどさっ」




