196.ルンダール邸殴り込み、開戦
五大魔王の一人、疾風撃タイストはベルガメント侯爵捜索隊に加わっていた。ここを落とすわけにはいかない、それは当然なのだが、暗殺者たちの最前線で雑魚を相手に戦うのを面倒だと思っていたせいもある。
この捜索隊が取った布陣は、タイストの目から見ても極めて優れたものであった。
内からの突破を許さぬのもそうだが、外よりの侵入にも即座に対応でき、何より内にいるベルガメント侯爵を守らねばならぬ月光イラリを消耗させることにも重きを置いている実に見事なものであった。
「とはいえ、感心してばかりというのも芸がねえ」
そこに捜索網への侵入者の報せが入る。背丈の小さい二人組。かなり腕が立つ。
「強行偵察?」
「恐らくは」
「よし任せろ」
捜索網を作っている暗殺者組織の幹部の一人に案内させ、三階建ての建物の屋上に立つタイスト。
その目はじっと路地の先を見つめる。距離は一キロは離れていよう。距離があるせいで途上に障害が多く、視界が通るのはほんの僅かの空間しかない。そこに、人影が見えた瞬間タイストは動いた。
右に命中。この距離を物ともせぬ一撃に、暗殺者組織幹部は目を見張る。が、タイストも驚きに目を見張る。
「嘘だろ、俺がスカった?」
命中したはずの右の小さいのの、原形が残っているのだ。タイストの攻撃ならばただの一撃で真っ二つのはずだ。
即座に二撃目を放つ。が、なんと初撃をもらった小さいのが隣の小さいのを庇いつつ、二撃目をきっちりかわしてきたのだ。
ちょっと気恥ずかしそうにしつつタイストは幹部を見るが、彼はといえばこの距離でがっつり当ててみせたその攻撃に対し文句なぞない。
タイストは顎に手を当て渋い顔をする。
「やっべえな。そのつもりはなかったが、デカイ作戦だってのに味方が強すぎなもんで気が抜けてたか」
そう呟くと、タイストは配置を移動すると告げる。実際に暗殺者同士がぶつかりあっている最前線に向かうと。
幹部は、五大魔王タイストほどの暗殺者がそうしてくれるのはありがたいが、そこまで負担をかけるのもよろしくないと言う。だがタイストは笑って返す。
「いや、戦の緊張感ってのは実戦で磨くもんだ。コイツは歴史に残る大一番だ。だからこそ、こっちもきちんと尖っておかねえとな」
独特の言い回しであるが、幹部も感覚的にこの言葉を理解できる。
なので彼の最前線への移動に納得したのである。
或いは、疾風撃タイストがこのまま捜索網に残っていれば、ベルガメント侯爵を取り逃がすこともなかったかもしれない。
だがこの時点で、優れた捜索網を敷いた彼らを信頼し、他所に出向くというのも決して間違った判断ではなかった。
なお、タイストの疾風撃は外れてはいない。自身の皮と肉とでタイストの斬撃を逸らすことができるランドスカープで唯一の存在、シグルズがたまたま相手だったせいであった。
ルンダール侯爵の屋敷内であてがわれた専用の部屋にて、五大魔王のまとめ役、幼剣イェッセが深々と嘆息しながら言った。
「君が残っていればさー」
両手で顔を覆っているのは最前線から戻ってきた疾風撃タイストである。
「それを言うなって、俺もへこんでんだからさー」
大魔術師トゥーレはイェッセと違ってタイストを責めるつもりはないようで、しかし失望した表情を隠すつもりもないらしい。
「先制しておきながら最大の標的を逃すというのがそもそもありえん。しかも、カルネウス侯爵の方も逃しただと? どーなっとるのだいったい」
イェッセは幼いながらも苦渋に満ちた顔を見せる。
「そーいう思わぬ事態を防ぐためにボクらいるんだけどなー」
「思わぬ事態なのだから、思って備えるなんぞできるわけがなかろう。それ以外の全ての標的を仕留めているというのが、いっそ嫌がらせかと思えてくるわ」
「優秀なのは、ボクらから見てもはっきりとしてたからねー。いやはや、巡り合わせの悪さってのもあるもんだねー」
最初の襲撃から既に十日が経っている。だが、現時点で五大魔王の残る二人が討ち取られたことを、ルンダール陣営では全く把握していなかった。
自由裁量を五人それぞれが与えられているのだ。討ち取られた赤き衝撃ヨーゼフと、三剣のヴェサが、独自に行動していてもそれを咎める者はいない。
そして今の王都では、暗殺者の遺体が多数放置されたままになっている。
王都のそこかしこで市街戦やら暗闘やらが繰り広げられている中、正体を探られたら絶対にマズイ暗殺者の遺体を、どれだけ不憫に思ったとしても片付けようなんて奇特な人間は居ない。
かといって暗殺者たちにもこれを回収している余裕なぞないし、遺体を放置し囮にするなんて罠もこの世界には当然ある。
イェッセは一緒に動くことにしたタイストとトゥーレに説明する。
「現状、ルンダール侯爵陣営の有利は動いてない。ベルガメント侯爵、カルネウス侯爵の生存があった上でも、残る暗殺全て成功させてるんだから、王都じゃよっぽどでもない限りこちらの優位は覆らない。戦力差も大きいしね」
タイストが顔を上げながら言う。
「だが、押し切れるほどじゃあねえ。王都の完全制圧には、絶対にベルガメント侯爵の首がいる」
「そのとーり。むしろ、敵の逆撃の中心になってもらって、その上でこれを仕留めて連中に王都での抵抗を諦めさせる。これが本筋になりそうだね」
ふむ、とトゥーレが納得する。
「その時こそが我らの出番か。明確な出番は無しの予定だったが、ふむ、正にルンダール侯爵の英断が実ったというわけだ」
「どーいうつもりか知らないけど、ヨーゼフとヴェサは単独で動くみたいだし、一番手柄はボクら三人でもらっちゃおー。わーはーはー、おおもうけじゃー」
だが、とトゥーレが懸念を示す。
「ギュルディ様は? 王都でのこの騒ぎに、何故あの方は動きを見せぬ?」
「……これ、ねえ。多分だけど、ルンダール侯爵の作戦案において、仮想敵にギュルディ様がいないってことは、どっかで繋がってるんじゃないかな」
「繋がっているというよりは、手打ちが済んでいるだけなのでは? ギュルディ様ならベルガメント侯爵との繋がりの方がしっくりくるが」
「ギュルディ様にかんしては、正直、得体が知れない。ボクが知る限り、辺境はあそこまで魔境じゃなかったはず。いずれ、何処かで、ギュルディ様はまだ見せていない手札を開いてくる。その時にボクらがどうとでも対応できるように備えておくべき、と思ってる」
タイストが揶揄するように言う。
「そいつはつまり、ギュルディ様にもいい顔しとこうって話か?」
「そーいうこと。多分ね、今ランドスカープで一番のお金持ちはギュルディ様だよ。だからここで、ボクらの力を理解しておいてもらうのさっ」
「ギュルディ様はしみったれだとも聞くぜ。それに、あそこにゃシーラがいるだろ。あの女、絶対にめんどうくせえぞ」
「お金もうけに苦労はつきものなのさ」
「はっ、まあいい。それと、ナギとアキホは現状、ギュルディ様の支援を受けてはいるもののこれの指揮下には入っていない。このふざけた話で通しちまっていんだな」
「殺っても文句は言わない。これだけはギュルディ様自身が全勢力に広報してある。驚きの特別待遇だね。ああ、それともう一つ面白い話が」
「ん?」
「シーラがギュルディ様の正妻になるんだって。多分、戦士は廃業っぽいね」
とても戸惑った様子でタイストとトゥーレが内容を聞き返し、事実だと知るや猛烈な勢いでそうした場合の問題を指摘し誤報の可能性に言及するも、イェッセはそれらをギュルディが他貴族に返した言葉で丁寧に問題を解消していく。
それら全てを聞くと、納得は全くできないが、自身の立場でそれを言っても大して意味はないと思ったか、この件に関してこれ以上タイストは言及しないことにした。
トゥーレもまた同様であったが、ぼそりと一言だけ残している。
「思ってた以上に、ギュルディ様は肝の太い方であるようだな。私ならどれだけ金を積まれようとアレを妻に迎えるのはごめんだ」
この一言も含め、ギュルディがシーラを嫁にするという話を聞いた人間の反応として、これらは極めて一般的なものであった。
ルンダール侯爵は開戦より、屋敷から一歩も外には出ていない。
暗殺者を多用するからこそ彼はその暗殺者の威力を知っている。これを防ぐことが如何に難しいかも。
だからこそ、彼ほど傲慢な人間でも守られる立場というものもわかっている。経済性を優先させてしまうところのあるベルガメント侯爵やギュルディとは、そういうところで差異がある。
ただ、機嫌の悪さだけはどうしようもない。
「こ、れ、だ、け、人員を確保しておいて、どうすればベルガメント侯爵を逃すなんてことになりえるのだ?」
怒りのあまり、感情表現が平坦になってしまっている。こんな侯爵を周囲の誰も見たことがない。
気持ちは全員が理解できる。報告を聞いた時、侯爵の側近たち全員も今の侯爵と同じだけの怒りを覚えたのだから。
ただ、いつもならばまず侯爵の怒りを発散させてから話を進めるのだが、今はさすがに余裕がない。いや、作ればあるのだろうが、ここで馬鹿をやって後々まで引きずるような失策をしでかしたなら取り返しがつかないとわかっているのだ。
側近たちはベルガメント侯爵を取り逃した話以外に関する報告を並べ、戦況は有利であること、最後に五大魔王を用いた襲撃にて締める作戦案にてベルガメント侯爵を仕留め、決着とする予定を告げ、今後の対応に専念してもらう。
つまり不機嫌なのはルンダール侯爵のみではなく、その側近たちもそうであるということだ。
首脳部全員が不機嫌の極みでぴりぴりしているところに、屋敷を警護している暗殺者たちから、聞くに堪えぬ愚かしい報告がもたらされたのである。
「これ、ほんっとーにこれでいいのか? どー考えてもありえんと思うのだが」
「イラリ、お前さんに理解できんのもわかるがな、ケンカというものはこういうものだぞ」
「ケンカ、ケンカか。私は、暗殺に挑むつもりで話に乗ったのだがな」
「なーに言ってんの。相手は暗殺の専門家よ? なんでわざわざ相手の得意な場所で勝負しなきゃなんないのよ」
「そうそう。こういう時はきちんと開き直っちゃった方が、上手くいくもんなんだよ」
ルンダール侯爵の屋敷へと通じる街路は、王都でも大きめの道路になっており、イラリ、ランヴァルト、凪、秋穂、コンラードの五人が横並びに歩いてもまだまだ余裕はあるほどの広さだ。
中央を歩くは月光イラリ。
元暗殺者であるが、鬼哭血戦やベルガメント侯爵の脱出を行なって以来、かなりその性質が変わってしまっている。
剣士として堂々と姿を現しながら、その威風は王都圏最強の一角として恥ずかしくないほどのものがある。
その歩む姿はとても暗殺者のものとは思えぬ剛勇と尚武の化身のようだ。
隠れ潜むなぞ決してありえぬ溢れんばかりの覇気を備える、剣士の中の剣士である。
その右には王都の頂ランヴァルトがいる。
王都圏における剣の頂点と言われ、そうあるよう振る舞わねばならぬ、そんなあり方であったのは過去のこと。
今はもう、荒れ狂う狂暴な剣気を、抑えようともしていない。
ただ一個の剣士として、無分別に剣を振り回し、命を投げ捨て、無慈悲に死をばらまいていく。悪評なぞ歯牙にもかけぬ。
剣士たる者、明日を憂うべからず、ただ今日を限りと死に狂え。ランヴァルトの目が、そう言っているのだ。
左側には金色の凪がつく。
この世界にきた当初とは比べ物にならぬ。濃密な血臭はかつてのシーラをすら彷彿とさせよう。
歩くだけで、進むだけで、血の滴る音がする。鉄分過多な香りがする。ぬめる飛沫の感触がある。
ほんの寸毫たりとて道を譲る気なぞない。望むがままに道を選び、これを塞ぐ全てを斬り伏せ胸をそびやかす。
言葉もない、道理もない、あるのは敵への命令だ。前に立て、そして死ね、と。
右端には侠人コンラードが並ぶ。
こちらは剣士の佇まいが見られない。剣士ではある。剣術を学んだ者の歩き方をしている。それでも剣士には見えぬ。
そも型が見えない。視界にはっきりと映るのは、定型のない暴威だ。狂暴な圧力のみだ。
剣気のような鋭さはない。大気そのものが泥土と化したかのような、重苦しい圧力こそがコンラードである。
素早さもある、巧みさもある、鋭さもあれば剣筋は綺麗なものだ。だがより以上に、分厚い威勢こそがコンラードなのだ。
左端の黒髪の秋穂。
剣術の達人ならば、その歩く姿にまず奇妙さを覚えよう。重心が低く重く、そのくせ足の進みが妙に滑らかで。
異なる術理、異なる技術、異なる思想。なのにわかる。伝わる。アレはまごう事無き強者であると。
背後に揺れる一つにまとめた黒髪と、こちらもまた何処か異国の雰囲気を残しながらも誰が見ても美形とわかる顔立ち。
不気味だ。理解が及ばぬ。戦い方も、考え方も、何を積み上げてきたのかも。ソレが、殺しにくるのだ。
五人は、早足になることもなく、ゆったり、焦らず、むしろこの道行きを楽しむように進む。
会話も途切れない。ケンカと戦の違いや、暗殺適性の話、遂に公開されたシーラとギュルディの婚約話や現在の王都の戦況の話なんてものをとめどなく続ける。
話題は更に、その日の朝食の是非や、適切なパンの硬さ議論、最も効果的な暖炉の大きさを語り合ってみたり、衣服の生地の好みなんてものも話し合われた。
相手の立場に配慮なんてしない、遠慮も何もあったものではない言いたい放題を続けながら、五人は街路を並んで進む。
とっくに周囲を取り囲まれていることにも気付いているが、姿も現さぬ腰抜けを相手に返す言葉などありはしない。完全に無視だ。
ようやく、本当にようやく五人の前に立ちはだかる者が現れた時には、もうルンダール侯爵邸のすぐ近くまで来てしまっていた。
「貴様ら! これより先はルンダール侯爵の屋敷ぞ! いったい何用あってここを通るか!」
ずらりと並ぶは腕に覚えのある暗殺者たちが三十人。どいつもこいつも一癖も二癖もありそうな曲者揃いだが、五人の誰一人そちらには目もむけず、発言者を見てせせら笑う。
この一行の中心、まとめ役は、当人以外の四人によって、言い出しっぺである月光イラリの役目と決まっている。
「用事なんて一つしかないだろう、見てわかれ馬鹿めが」
さらん、と剣を抜き放ち、イラリは笑う。イラリがそうすれば、残る四人も続いてくれると知っている。
一気に緊張する暗殺者たちと違い、凪も秋穂もランヴァルトもコンラードも、実に楽しそうに剣を抜く。
「ルンダール侯爵に伝えろ。今から、殺しに行ってやるってな。お前ら、やっちまえ」




