189.暗闘第一幕の終了
王都三大侯爵の一人、カルネウス侯爵は王都の街路を走る。
自身の足でそうしたのはもう何年振りか。若い頃、護衛の者たちを困らせてやろうと屋敷を抜け出した時以来だ。
マウリッツの弟子たちが周囲を囲み、共に走っている。以前はまるで気にもしていなかった彼らの姿が、大きく、雄々しく見えるのはこんな窮地にあるせいかもしれない。
敢えて難点を挙げるのであれば、護衛対象の前でこのやたら殺気立った顔のままでいるのはいかがなものか、とカルネウス侯爵は思う。
『案外に、私にも余裕があるものだな』
カルネウス侯爵家の屋敷まで道半ば、といったところで一斉に攻撃が仕掛けられてきた。
侯爵の傍を走るのは五人のみ。飛来するは六つの閃光。カルネウス侯爵にはこれをどう防いだのかもさっぱりわからない。
だが、左後方にいた一人の叫びが聞こえた。
「不覚っ! 先に行けい!」
誰一人、この声の主を振り返らぬまま走る。護衛は四人になったはずだ。なのに、何故か五人目が傍を走っている。
だがカルネウス侯爵はもうそんな不思議にも驚かない。ずっとそうなのだ。護衛が減る度、何処からともなく補充され、侯爵の傍には常に五人が走る形になっている。
剣撃の音がそこかしこから聞こえてくるが、走る侯爵の目に障害の姿は見えない。
『誰が手配したのかは不明のままだが、この私を狙うに五人や十人ということはあるまい。ふふっ、なるほど、護衛と暗殺者との戦いとはこういうものであるか』
侯爵の目に入らぬところで、追いすがる暗殺者とこれを防ぐ侯爵家の護衛とで人知れず死闘が繰り広げられているのだろう。
暗殺にかんしての知識などないカルネウス侯爵だが、走り逃げる間にどれだけの護衛が入れ替わったか、剣撃の音の数、そういったものから類推し、護衛たちと暗殺者たちとの人数を想像する。
その結果が出る前に、いつのまにかカルネウス侯爵邸についてしまった。門を抜け屋敷に入ると寄り添っていた護衛の一人が玄関口で怒鳴り、屋敷の護衛たちが一斉に動くのがわかった。
指示出しを終えた護衛が、これまでの状況と現状、これからの展望を説明してきた。
一応、窮地は脱したようだ。ただ、どの陣営が差し向けた暗殺者かはわからぬまま。
報告していた護衛が、怪訝そうな顔になる。
「侯爵、さま? その、何か、おかしいことでも?」
「ん? おかしいとは?」
「い、いえ、侯爵様が笑っておられるので……」
言われて気付く。確かに愉快ではあると思っていたが、まさかそれが顔に出ていようとは。
「どうやら私も平常心を保ててはおらんようだ。道中、不安も恐怖も全くなかったわけではないのだが、そうだな、アレが私に言った言葉が真実かどうか、見極めてやる好機だなんて思ってもいたのだ。そして、アレの言葉は真実であったと知れた。それが、どうにも愉快でな」
カルネウス侯爵が思い出すは鬼哭血戦で敗死したマウリッツの、弟子たちの言葉だ。暗殺者を差し向けられたとして、最も重要なその初撃を防げるのかとの問いにその男は迷いなく即答した。
『可能です。もちろん犠牲は出ますが、そのためにこそ我らは日々積み重ねておりますれば』
これを言った当人は最初の襲撃時に斬られたのを侯爵が見ている。だが、斬られた胴から腸を落としながらも、この男は、更にもう一人の敵を仕留めていた。
『そうよな、我ら古き貴族の最も大きな財産よ。私の年が若かろうと幼かろうと、こやつら郎党がいる限り、カルネウス家を決して侮らせはせぬ』
郎党たちは見事使命を果たした。これより先は、敵を見定め攻撃指示を出すのはカルネウス侯爵の仕事だ。
屋敷の防衛の一切を護衛たちに任せ、カルネウス侯爵は貴族間での情報収集と戦力の結集を試みる。やられっぱなしは貴族家の沽券にかかわることであるのだから。
ルンダール侯爵陣営が仕掛けた時、彼らがカルネウス侯爵の必殺を確信していたのは、カルネウス侯爵の身辺警護の状況をほぼ把握できていたせいだ。
敵がどれだけの戦力でどのように守っているのかがわかっているのだから、これに十分対処できる戦力で攻めれば当然暗殺は失敗しない。
だが、カルネウス侯爵の護衛たちは直前に侯爵の言葉を聞いていたのだ。これからも頼むぞ、頼りにしている、との今まで聞いたこともない言葉が、どれほど彼らを奮起させたことか。
警備責任者は感動と責任感から、改めて警備体制の見直しを行ない、またこの話を聞いた警備の者たちも皆がより忙しくなる新たな警備体制を喜んで受け入れ、それが暗殺者たちの計算違いを引き起こしたのである。
言ってしまえば偶然の産物である。カルネウス侯爵家の警護体制では本来、ルンダール侯爵による暗殺は防げるものではなかった。
だが、物事は結果が全てである。カルネウス侯爵はこの事により彼らへの信頼を新たにしたし、警備陣もまた今回無事侯爵を守りきれた理由を理解し次も必ず守れるよう考えるだろう。そういうものだ。
ルンダール侯爵が仕掛けた今回の暗殺にて、標的を仕留め損なったのはベルガメント侯爵とカルネウス侯爵の二例のみ。残る二十を超える暗殺計画は全て計画を全うしている。
凪と秋穂が防いだイェムトフントの作戦すら、二人にそれと知られぬ間に標的自体は三剣のヴェサが仕留めているのだ。
そんな稀有な例の二つが、いずれも最も地位の高い侯爵であるということは、攻撃側防御側双方にとって今後の戦況に大きく影響してくるものとなろう。
王都圏にて暗殺者を抱えているのは何もルンダール侯爵のみではない。そういった非合法暴力を、暗殺より生き残った、もしくは重要人物を暗殺された家は当然反撃に用いてくる。
これらが、王都にて激突することになる。そして更に時間が経てば、各領地より兵が送り込まれよう。
王都の騒動は、ここからが本番なのである。
「「よし殺そう」」
凪と秋穂が同時にそう言うのを、涼太が普通に止めた。
戻ってきた時、秋穂はともかく凪は結構な損傷を受けており、これの治療を終え、お互い情報交換している時の話である。
現在、クスターよりの報せを受けた男爵親族がまずは謝罪と和解の打診をギュルディにしたところだ。
当主の所業を咎めるなんて真似が、思いついてその日の内に完遂できるはずもない。
さすがにその辺は涼太にもわかっているし、男爵家としてはこれ以上揉めるのは断固として避けるべしと必死になって動いているようなので、現時点では涼太もどうこうするつもりはない。
まだ涼太からの要求をあちら側に伝える段階にすらなっていないし、そもそも王都中がそれどころではない大騒ぎの真っ最中である。
男爵家ではその大騒ぎを放置してまでこちらへの対応に専念しているというところで、きちんと凪と秋穂の脅威を理解できる相手だとわかったので、静観もそれほど悪い手ではない。
ちなみに、涼太はギュルディの宿にありながら自身が前に出たことをほぼ全ての関係者から怒られている。
凪、秋穂は言うまでもなく。コンラードやギュルディも、ギュルディの宿での揉め事を横からかっさらうとかギュルディの宿の戦士を侮辱する行為だと怒っていた。
シーラは、暗殺者が表立って動いている今は、それこそ五大魔王みたいな化け物がいつ何処で出てきてもおかしくないのだから、勝算があったとしても涼太の立場で前に出るのは論外だと冷静に駄目出ししてくれた。この辺はニナも大きく頷いていたところだ。
首を傾げた凪はシーラに問う。
「ん? 五大魔王って、シーラ知ってるの? たしか、エライ強かった奴がそう言ってたよーな……」
「げ、ナギ、五大魔王とやってたの? 王都で一番危ない暗殺者だよソレ」
「あー、道理で。でも、あれが一番かー。良かったわ、あんなのにゾロゾロ出てこられたらさすがにたまんないし」
珍しい、と驚いた顔の秋穂だ。
「今回は凪ちゃんが当たり引いたんだ」
「秋穂の方は、なんか暗殺特化みたいなおじいちゃんだっけ?」
「そうそう。魔術の組み合わせは絶妙だったけど、まあ腕はそこそこ、だったよ」
その特化した暗殺が非常識なまでに強力であったのだが、対処可能、という意味で秋穂にとってはそこそこであった。
嘆息するシーラ。
「予想してたとはいえ、やっぱり五大魔王動いてたかー。ギュルディが掴んでるのは内の一人が動いたってところまでだけど、コレ、下手すると五人全員動いてるかもねー」
警護の段取り、考えないとなーとかぼやくシーラに、凪と秋穂は目を丸くしている。
「……あー、そうなるのねー今のシーラは」
「うわー、恋愛フィルターおそるべしだねー。強い敵とやりたいーって部分、すっぽり抜けちゃってるよ」
細めた目で二人をじとっと見るシーラ。
「二人だって、いくら強い剣士と戦えるって言われても、リョータが狙われてるって知ってたらつっこんだりしないでしょ」
「「そのための二人だし」」
「……よゆーあるんならこっち手伝ってよー」
凪と秋穂は、自身がついさきほど戦った二人を思い出す。まずは秋穂が。
「アレなら今の備えで防ぎきれるかなー。というかシーラ込みだと今のギュルディの護衛、突破して殺しきる自信なんて私にもないよ」
凪も首をかしげる。
「どうかなー。アイツの魔術はデタラメに強かったけど、腕の良いのがあれだけ揃ってればできることはある。どの道守るだけじゃどうにもならないんだし、攻め手も必要よ」
そもそも、と涼太が口を挟んでくる。
「今の動きは、ルンダール侯爵がベルガメント侯爵に仕掛けた、って話だろう。ギュルディはどっちにとっても蚊帳の外だ。とばっちりが多少飛ぶていどって話は何も間違っちゃいなかったさ。自分から突っ込んでヤバイ敵にぶつかった奴の話は知らん」
ルンダール侯爵の初撃はほぼ終わっている。現時点でその成否はギュルディも把握していないが。
ここからは王都に戦力を置いていた者による反撃や、逆にルンダール侯爵側による追撃、もしくは交渉によって改めて敵味方を識別した上で再襲撃といった段階になっていくだろう。
この時点で凪と秋穂が動いたこともルンダール側に伝わっているが、ルンダール、ベルガメント双方にとって現状中立である立場のギュルディを味方につけようと両陣営が動き出すであろうし、ギュルディの宿に仕掛けるなんて馬鹿はもうそう簡単には出てくるまい。
そして、新たに涼太たちが味方戦力として認識したニューカマー、剣士ユルキである。彼は護衛の夜番に備えて早めに就寝している。
彼に加えてコンラードも宿に残ると言ってくれたことで、涼太の護衛に関しては凪も秋穂も納得の布陣となってくれた。
「……俺、最近自分が囚われのお姫様かなんかな気がしてならないんだが」
涼太を取り巻く戦力を考えたあとで、コンラードが言ってやる。
「救出は諦めろ、特に最後の難関二人がもうどーにもならん」
「コンラードが言うんならそりゃよっぽどだな」
で、と涼太はコンラードの話を促す。
「街の様子はどうだった?」
「それがな、少なくとも今の段階ではまるで秩序が乱れた様子はない。数百人規模の暗殺者が動いていたはずなんだが、全てきちんと暗殺だったようで、街の官憲が動いている様子も、街のチンピラが騒いでいる様子もない。勘の良いのはかなりぴりぴりしてるようだけどな」
「官憲が見逃してるってのは?」
「大いにありうるな。ただそれが、全部を見てみぬふりをするのか、無関係の者に手出しをしないという前提でそうしているのか、判断はつかん」
そんな話をしているコンラードのすぐ傍から、じっとシグルズがこれを見上げている。
「ん? なんだ?」
「コンラードは何を見てそー思ったんだ? 俺も街見たけど、全然わかんなかったぞ、そーいうの」
「そーいやシグルズはニナに諜報教わってるんだってな。俺のはその手の調べものとは違うんだよ。何処にでもいるヤクザもん同士ってのは、これで案外横の繋がりもあるし、ヤクザもん同士なら初対面でも話は通しやすいんだぜ」
「へー。なんかさ、俺コンラードのこともっとへぼいって思ってたんだけど、この間の鬼哭血戦といいコンラードって実はすげーんだな、驚いたよ」
「…………おう、そうか」
容赦なくげらげら笑っている涼太を他所に、コンラードはへの字口のまま、ヤクザな世界のことをもっと知りたがるシグルズの話を聞いてやっていた。
また王都のヤクザ者がコンラードに配慮してくれた理由は横の繋がりなんて話ではない。
剣士という連中は、街のそういった非合法暴力組織と繋がりやすいものだ。だが、一般的に剣士として身を持ち崩した先がそういったヤクザな世界なのであり、名の知れた立派な剣士というものはその手の脱落者を見下している。特に王都ではそういった意識が強い。
そんな中、気配佇まいからしてもう剣士ではなく侠の人間とわかるコンラードが、貴族階級で高名な剣士を剣士の晴れ舞台にて打倒したわけで。
この世界の親分衆は賭け率からもまるで期待されていなかったコンラードの勝利に、賭けの勝ち負けそっちのけで大いに盛り上がった。
天晴見事とコンラードを称える彼らの内に、偉そうな態度をとり続けてきた王都剣士たちへの反感も多分に含まれているのだろう。
もちろん親分衆だけではなくチンピラたちの間でも、コンラードが必殺の一撃を放つ前に言った言葉『我が必殺の剛剣、見事受けきってみせよ。さすれば勝利は貴様のものだ』は今年一番の流行語になる勢いである。
なので、コンラードが情報収集に彼らを頼った時は、もうこれでもかと力になってくれたものだ。
ギュルディの宿にて涼太の護衛が必要であるのは、当然、凪と秋穂は護衛をしないからである。
怪我を治し、食事を取ってゆっくりと休んだ後で、凪は腕をぶるんぶるんと振り回しながら言った。
「おーっし、またバリバリ狩るわよー」
「おー」
「……ギュルディの許可出てるし文句はないんだけどさー」
この機会に王都の暗殺者を削り取っていくことは、ギュルディの意図に大いに沿う話である。とはいえこれを凪と秋穂がやらなければならないという話でもない。
凪と秋穂が暗殺者共を殺して回る理由は、ギュルディの意向だからなんて理由ではなく、暗殺者なんてものの存在が偉そうに王都住民の選択行動を制限しているという事実がムカツクから、である。
凪秋穂基準からすると隙間だらけの官憲による捜査能力の限界をついての暴力行為、というのが二人から見た暗殺という行為である。
それを、おもしれーだったら私らの前でやれるもんならやってみろよ、というのが二人がここで暴れる理由なのである。




