188.涼太の切り札その一
それは、鬼哭血戦十番勝負を彷彿とさせる、壮絶な斬り合いであった。
クスター門下の剣士たちの表情が変わったのは相対するユルキの技量に自らがより劣ると自覚したせいだ。特に二人の高弟は、師が倒した剣士の力量を改めてその目にし、いまだ師に届かぬ我が身に口惜しさを感じているようだ。
この斬り合いに不満気な顔をするのは貴族ぐらいのものだ。
彼の表情に気付いたクスター門下の剣士が慌てて解説をしているが、やはり貴族はクスターがユルキを一撃で倒せなかったことが不満であるようだ。
そして涼太だ。
『やっぱユルキって強いよなー。このクスターってのがいなきゃ、コレ逆に全部斬っちまってたんじゃねえか?』
少なくとも涼太の目から見る限りでは、ユルキとクスターという剣士の間に優劣は見られない。
それはクスター門下の剣士もそう感じているのだろう。師の技量を疑うものではないのだろうが、それでも観戦する態度に緊張感が見られる。
片手で剣を持つ者同士、涼太の目にはフェンシングの試合に似ているとも見えるが、あれよりも横の回転が多い。
そして涼太にとっての比較対象は凪と秋穂になるのだが、この二人が手合わせしている時と比べて、見ているのが恐ろしく思える。
いつ、どちらの剣が破綻するのか全く見えないのだ。次の一撃でいきなり大勢が決まってしまうかもしれないような、そんな不安感がどちらにも見られる。
『やべえ、偉そうなこと言っときながら、割って入るのコレ無理かも』
どーすっかなー、と考えている間に、遂に戦況が動く。
その動きはとても単純なものであった。
クスターの誘いに乗ったユルキが踏み出す。これはクスターの最も得意とする形で、それでいながら敢えて飛び込むユルキの動きに、クスター門下の剣士たちは半数がよしと拳を握り、残る半数が馬鹿めと嘲る。
そして唯一クスターのみがそれを察した。
『んなっ!?』
それは凡百の剣士には絶対にできぬ振る舞い。反射で動けるほどに身体に染み込ませてある敵の逆を取る動きを、意思の力で強引に止め腕を無理やり引いたのだ。
ユルキの剣は無理をして引いたクスターの腕を僅かに掠め、それがこの戦いが始まって最初の出血となった。
先を取ったのはユルキ。その事実に門下生も貴族もが驚き動揺する。
だが、ユルキはといえば、強烈な憎悪の目をクスターへと向けていた。
「貴様、よくも……」
冷や汗を流しながらではあるが、クスターは隠しきれぬ会心の笑みを見せる。
「はっ、ははっ、よもや、そこまでするかユルキ。だが、外した。外してやったぞ」
それはユルキがこの戦いに臨むにあたって用意した必殺の刃。
鬼哭血戦十番勝負は命懸けの勝負であるが、勝ち残った後にあるのは剣士としての栄光の道だ。剣士の道を歩むのに、手足を失うわけにはいかぬ。
だからそういう戦い方になるのだが、今、ユルキにとってソレは問題ではなくなっていた。
最初に言った通りだ。何が何でも涼太を守ると。
ユルキはそれまでの攻防で鬼哭血戦時と同じであると演出しつつ、クスターの必殺を誘い、これにて腕一本をくれてやった上でその首を狙ったのである。
片腕とてクスターさえ倒せていれば、後ろの貴族の首を取る目は残る。
だが、そんなユルキの必殺を、クスターは外してみせたのだ。最後の最後の瞬間にあった、ほんの微かな違和感を頼りに。
正に一流。ユルキほどの剣士が己が将来をすら捨てた一撃を、クスターはすんでのところで回避しえたのだ。
だが、これでクスターが有利になったなんてことはない。
両者の攻防が止まってしまったこの間を利用して、クスターは必死に思考を立て直す。それまで前提としていた立ち回りが全て崩れた。それほどの事態であるのだ、このユルキの覚悟は。
『ユルキほどの剣士が何故ここまで! 鬼哭血戦終了からこれまでにいったい何があったというのだ!?』
クスターにもわかっている。ユルキほどの剣士が今日を限りと定めたのならば、ならぬことなぞそうはないと。
クスターがもう一人いればクスターもまたユルキのこの覚悟に付き合ってやれるのだが、今のクスターは主を守らねばならぬ身だ。
咄嗟に自らの高弟二人の名を呼び命じる。
「男爵をお連れして今すぐこの場より逃げろ! ユルキは命を捨てておる! 巻き込まれれば思わぬ被害を被るぞ! 今すぐ引けい!」
クスターがそう言ってくれたことで、先の攻防の意味を即座に理解した高弟二人は愕然としつつも、師の意図を正しく了解し、即座に行動する。
全く状況がわかっていない貴族を強引に連れ去り宿から出ていく。高弟二人はできればこの場に残っていたかったのだろうが、師に名指しされては如何ともしがたく。
高弟二人が信じる五人を残し、即座に撤収していった。
「おい、おいっ、いったいどういうことだ? クスター、クスター、これ、答えぬかクスター……」
場違いに明るい貴族の声は、徐々に徐々に遠くなっていった。
クスターはその場に残り、ユルキの追撃を我が身をもって防ぐ算段だ。
色々と主に対し言いたいこともあるクスターであったが、主を守る戦士としての心得を違えることはない。
「見事、見事よユルキ。その覚悟を示されればこちらも引かざるを得ぬ。だが私も流派の長を務める身。命を賭したとて、容易く越えられると思うでないぞ」
命を賭すことが重要なのではない。ユルキほどに磨き上げた剣士が、鬼哭血戦十番勝負に出てくるほどの高みに登った剣士が、命を捨てるからこそ生まれる威力であるのだ。
ユルキの覚悟を知り、クスターもまた腹をくくった。ここで逃げるようなら剣士なぞ最初からやってはいない。
もちろんユルキも、この場にきた時から後退の二字は捨て去っている。
両者共、強烈すぎる必殺の意思を向け合い、そして、決着の時を待つ。
そういった緊迫した空気を感じ取ることはできる涼太であったが、こちらもまた最初から言っている通り、ユルキを死なせるつもりなぞない。
「あー、なんか盛り上がってるところ悪いんだがな。そっちのクスターっての。アンタの勘違いを一つ、訂正させてもらっていいか?」
最早ユルキもクスターもお互いしか見えぬといった姿勢であるが、涼太は構わず訂正作業をさせてもらった。
クスターもまたユルキに全神経を集中させてはいるものの、敵である涼太から意識の全てを外していたわけではない。外していたわけではなかったのに、クスターの意識から涼太の姿がじわりじわりと消えていく。
咄嗟に後退するクスター。涼太に対し不審がある状況で、ユルキに必殺の間合いに入られてはさすがに対応できない。
そして涼太に対し背を向けているはずのユルキも動揺を隠せない。背後に感じていたはずの涼太の気配が、ある時を境に消えてしまったのだ。
ユルキにとっては気配が消えただけだが、クスターにとっては距離を取って確認しても姿は最早見えず。それは残った五人の門下生にとっても同様で。むしろ涼太を押さえるのは自らの役目と思っていた五人の方がよほど動揺している。
そして、何処からともなく声だけが聞こえてくる。
「わかったか? 理解したか? お前らが何十人でこようと、どれだけの達人を用意していようと、俺を仕留めるのは不可能だ。もちろん、ユルキを殺すのもな。試してみるか? 鬼哭血戦十番勝負の勝利者に敬意を表せばこそ手出しは避けてやろうかと思ったが、ユルキを斬るってんなら容赦はなしだ。剣ではなく魔術で、抵抗の余地もなく死ぬか?」
そこで言葉を切った後で冷徹に告げる。
「覚悟を決めたユルキ一人でそのザマのお前らが、ユルキと俺と、二人を相手に生きて帰れるつもりか? これ以上俺とやろうってんなら、お前らを殺した後で、逃げた貴族の一族も皆殺しにしてやるだけだ。俺たちにそんな真似はできないと言い張るんならそれでいいさ、かかってこい。さあ、どうする?」
姿が完全に見えなくなる魔術、である。そしてユルキが気配が消えたと感じたのは、消えた後で涼太の身体はまた別の魔術により宙に浮いていたからだ。
凪と秋穂に確認してもらったこの透明化と空中浮遊の組み合わせは、二人をしてすら位置を見抜くのが至難であり、この状態から涼太は敵を攻撃することもできる。凪と秋穂にも見抜けぬ技を、クスターに防げというのは無理があろうて。
ハッタリでもなんでもない。涼太はユルキと二人でならば、確実に連中を皆殺しにできると確信していたのだ。
クスターよりの返答はない。出来ない、がより正しいが。もちろん残った五人の門下生もだ。この五人も間違っても雑兵などではないのだが、姿を消し気配を消す魔術師を相手に、どう戦えばいいのかなど思いもよらぬ。
彼らの追い込まれ追い詰められた表情を見てしまったせいか、涼太よりの殺意は薄れる。そも、涼太は残る二人と違っていつまでも殺意を維持できる人間でもない。
かたん、と音がしてクスターたち六人の目が一斉に音のした椅子の方に向けられる。
椅子が勝手に後ろに引かれ、これを引く涼太の姿が少しずつ見えてくる。そして椅子に腰かける頃には完全に姿は見えるようになっていた。
「判断できないか。ま、兵士にそれをしろってのも無茶な話かもしれないな。もういい、とにかく少し話をしよう。そっちもよければ椅子にでも座れよ」
と言われて素直に椅子に座る者もおらず。涼太は構わず話を進める。
「まず、最初に確認しときたいんだが。お前ら、俺に手を出すってことは、凪と秋穂の敵に回るってことなんだがわかってやってるか?」
何を言い出すのやら、といった顔のユルキであったが、クスターがこれに答える。
「ギュルディ様の配下だろう、その二人は。個人的に親しいなんて話があろうと、そう易々と動くものでもあるまい」
そのクスターの返答に、ユルキが信じられないといった顔をする。そんな顔をされたことにクスターが驚いている。
「ば、馬鹿な。クスター、お前まさか、リョータがナギとアキホの仲間である、と知らないのか? ナギとアキホに物を言い聞かせられるのはそれこそリョータぐらいしかおらんという話も、知らない、のか? リネスタードを調べてあれば、狂獣の飼い主と呼ばれているリョータの話なぞ幾らでも拾えるぞ」
ユルキの返答にクスターが目を丸くしている。いや、そのまま顔中が青ざめていっている。
涼太はといえば、こめかみを押さえて机に肘をついている。
「……そんなところだろうと思ったけどさー。いや、この件の非をアンタに言ったところでしょうがないってのもわかるんだけどな。でもさ、誰かあの馬鹿に、一言言ってやる奴はいなかったものかねぇ」
あの馬鹿が誰のことを言っているのかはさすがのクスターたちにもわかる。そして、六人全員がそんな発言をした涼太に敵視の目を向ける。
そしてこの期に及んでそんな反応しかできない彼らに、涼太は机に向かって突っ伏してしまう。
「なー、ゆるきー、もう俺コイツら帰しちゃっていいかー。説明するのもめんどくさくなってきたんだがー」
とても心苦しい様子でユルキは答える。
「すまん、せめて私から説明だけでもさせてもらえると……」
「アンタもそこまで詳しくはないだろ。ああ、わかったよ。話せばいいんだろ、話せば」
涼太はクスターと視線を合わせ言う。
「まず、既に手遅れだ。それを自覚してくれ。ここはギュルディが資金を出している宿、なんてものじゃない。王都におけるギュルディの滞在先であり、屋敷に相当する。そんなところに殴り込みかけといてお前ら本当にタダで済むと思ってるのか? 気付いてない、っつーか気付かれないようにしてもらってたんだが、宿の戦士たちが本気で動いてたらあの貴族も絶対に逃げられなかったぞ」
そして二つ目、と続ける。
「お前らは、俺に向かって剣を抜いた後だ。もう言い訳も何もない。俺たちは、つまり凪と秋穂もだ、絶対にお前ら男爵家を許さん。ギュルディが口添えしようと何が何でもケジメは取る。邪魔するってんなら男爵家全部潰すつもりで来い。後ろ立てがどんだけデカかろーと俺たち三人は絶対に引かんぞ。教会との一件で、デカイところとのケンカの仕方も学んだからな」
そこで言葉を止めじっとクスターたち六人を見る。
二人ほど、そんな脅しは通用しないみたいな顔をしているが、クスター含む四人はきちんと涼太の言葉を理解しているようだ。凪と秋穂の二人の危険さを、少なくとも鬼哭血戦十番勝負で見た分ていどはわかっているのだろう。
アレを見た剣士ならば誰でも理解できよう。凪と秋穂が二人で突っ込んできた時、これを防げる家なぞランドスカープでも数家しかいないだろうと。もちろん、クスターたちにも無理だ。
ただ、こんな話をクスターたちにしたところで、クスターたちに判断する能力も権限もない。涼太がこんな話をしているのは、驚くほどにお人好しな善意からである。
「今すぐ、男爵のところじゃなくて次代の男爵か、もしくは先代にでもこの話を持っていけ。あの男爵じゃ家潰すまで馬鹿やらかし続けるぞ。あの様子じゃ周囲に忠言できる人間もいないんだろ。アレがこれ以上やらかす前に止められる、誰でもいいからそんな人のところに急いで走れ。こんな馬鹿馬鹿しい話で鬼哭血戦十番勝負の勝者を失ってんじゃねーよ」
涼太の言葉は、やはりクスターには判断できぬものであったが、これにユルキが言葉を添える。
「クスター、悪いことは言わん、リョータの言う通りにしておけ。ナギとアキホを完全に敵に回してしまったんだ。ギュルディ様は絶対に取りなしてはくれんし、ルンダール侯爵が出張ってきたらもっと話はややこしくなる。ただでさえ微妙なこの時期に騒動の種を持ち込むような者に、配慮してくれるほど王都は優しくはなかろう。家を潰したくなければ急げ、一刻を争うぞ。まともな政治判断のできる者ならば、必ずやそう動いたお前を評価してくれる」
涼太の言葉もそうだが、クスターはユルキのこの説得に心動かされた。
鬼哭血戦を戦った同士で、クスターはユルキを斬っている。だが、互いに決死の覚悟で向かい合った相手だからこそ、クスターはユルキを信じられる、信じたいと思った。ユルキがクスターを助けたいと思ったのもまた同じ理由だ。
クスターは涼太とユルキに礼を言うと部下を引き連れ退去していった。
残ったユルキが涼太に感謝を述べると、涼太は疲れた様子で答えた。
「馬鹿が死ぬのは自業自得だったとしても、馬鹿に振り回されて死ぬのはあまりに不憫だからな」
涼太の頭の中ではこの一件の落としどころはもう決めてある。
金も利権も貸しもいらない。あの男爵の首一つで全て収めてやる。そうできないのなら、また戦だ。
当たり前に人一人の首を要求してしまう自分に対し、涼太はもう不思議に思うことすらなくなっていた。




