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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第十一章 王都への浸透
175/272

175.剣士、不知火凪


 ランヴァルトは主君ベルガメント侯爵の前に跪き敗北を詫びる。

 戦闘前には、イェルハルドというエルフは魔術に長けた者であろうし、これに対するに如何に戦うべきか、なんて話をベルガメント侯爵にしていた。

 これが全く見当違いであったことは、同席しランヴァルトの戦いを解説していた、新規召し抱えの戦士月光イラリが既に話をした後だ。

 イェルハルドというエルフの戦士の、尋常ならざる剣術の腕前も。

 それでも、ベルガメント侯爵は当人に訊ねずにはいられなかったのだろう。


「あのエルフは、本当にお前でもどうにもならぬ相手だったのか?」


 敗北した話を、その直後に何度も蒸し返されて嬉しい者なぞおるまい。それでも、ランヴァルトはこれを説明せねばならぬ立場だ。

 その後も何度も聞き返されるだろうと覚悟の上で、イェルハルドが如何に剣士として優れているかを説明すると、主君ベルガメント侯爵は一度のみの説明で納得してくれた。

 いったいなぜ、とランヴァルトが考えると、よくみれば隣にいる戦士がいつもとは違う。

 ミーケルは大一番の前ということで精神集中の邪魔にならぬよう、一人にしてあるのだろう。その代わりに新参であるイラリがそこにいる。

 ランヴァルトが目を向けると、彼は一つ頷いて返した。

 主君も、敵であるエルフが如何に優れているか、それも戦闘直前までその技量を隠しとおし、ベルガメント侯爵配下の全ての戦士の目を誤魔化していた、なんて話を聞きたくはないだろう。

 そんな話を、新参である彼が主君にしてくれたのだ。


『早速借りができたか。どうやら人品も確かな人物であるようだな』


 既にベルガメント侯爵の信任を得ているようだし、今の状況ではそれも当然だとランヴァルトも思う。

 エルフの脅威、これが実際にこうして王都の民の目の前で明らかになったのは、数百年ぶりのことであろう。

 ベルガメント侯爵は確認するようにランヴァルトに問う。


「もう一人、マウリッツを仕留めたエルフも、お前以上なのか?」

「恐るべき手練れであることは間違いありません。ですが、あのイェルハルド殿と比べれば落ちるでしょう。アルフォンス殿は、剣術だけならばまだ戦える域にあると思われますが、イェルハルド殿は、正直、私が十人いても勝てる気がいたしませぬ」

「……それは本当にこの世の存在であるのか? いや、まあ、いい。それはこの際置いておく。重要なのは、あの二人のエルフが、エルフたちの中でも特に優れた者であるのかどうかだ」


 主君はわかっているのだろうが、ランヴァルトは敢えて口にする。


「それを知っているのはギュルディ様とその一党のみでしょうな」

「しかも今回、死をすら覚悟せねばならぬ一騎打ちの協力を引き受けている。あの規格外なエルフはさておき、もう一人は敗北の可能性もあった、そうだな?」


 隣のイラリに侯爵が問うと、彼は頷いて返した。天を仰ぐ侯爵だ。


「つまりそれほどに、エルフたちの信頼を得ているということか、ギュルディは」


 侯爵は既に辺境区に諜報員を多数送り込んでいるが、これが調べるべき項目が更に増えてしまった。

 深刻な顔をするイラリとランヴァルトに、侯爵は少しおどけてみせる。こういうところは、貴族らしからぬベルガメント侯爵の長所であり短所だ。


「いつもそうだ。上手くいくのは商売だけで、後は厄介ごとばかり。そのせいでせっかく手にした金も湯水のように消えていってしまうのだからやってられんわ」


 そしてランヴァルトは、目下の相手でもこうして気分を盛り上げんとしてくれる主の配慮を、何よりも尊い心掛けであると思うのだ。




 主の前を辞したランヴァルトは、同時に主のもとより退出したイラリに声を掛ける。

 これからよろしく頼む、なんて言葉に、イラリはとても驚いたようで、恐縮しきりであった。

 少しの間社交辞令的な会話を交わす。その短い時間だけでもわかる。イラリはとても、良く言えば純朴であり、悪く言えば世慣れていない感じである。

 率直な意見と会話を望む、といった雰囲気をランヴァルトが出すと、すぐにイラリは乗ってきた。

 こういう所が本当に危ういと思えてならないランヴァルトだが、それでも同僚として迎えるのならばランヴァルトにとってはとても付き合いやすい相手でもある。


「正直なところ、イラリ殿は次のミーケルの戦いをどう思う?」


 イラリはランヴァルトがミーケルと友人関係にあることも知っているので少し言い難そうにしていたが、伝えるべきは伝えるのが誠意である、と考える誠実さ溢れる人間性の持ち主であるイラリは、主君ベルガメント侯爵に告げたのと同じ、ナギ側有利であるとの自身の予測を口にする。


「……そう、か。ナギは、ミーケルとは気配が似ている、そう私は感じている。今決戦における最強の戦士は、イェルハルド殿という例外を除けば、私はマグヌス殿を倒したアキホであると見ているが、如何に?」

「それを、認めるのに少し時間がかかりましたが、同意いたします。マグヌス殿も、アキホも、いずれも飛び抜けて優れた戦士でした」

「だが、その二人とも系統が違う。ミーケルもナギもだ。アキホ、マグヌスの両名を相手にしても、一瞬の差し足でこれを打ち倒す可能性が常にある、そう感じられてならぬ」

「まさに、まさにその印象です。ただそこで、ナギの……その、少々信じ難い武勲の話が出てきまする」


 イラリの遠回しの言葉にランヴァルトも苦笑する。


「そうだな。あの剥き身の刃の如き気配と、数千の兵を相手に戦い抜いたという頑強さがどうしても繋がらぬ」

「そこが、繋がったとて。ミーケル殿にもまた、常に一刺ししうる恐るべき牙があるのでは、と。あくまで私の印象ですが」

「その通りだ。ミーケルとはもうずっと、共に切磋琢磨してきた仲だ。アレのことは本人以上に知っている。だが……」


 そこから先を言葉にせぬランヴァルトに、イラリも気をつかってか言葉を発することはなかった。






 シェルヴェン領の千人長を務めるオーヴェは、主君であるシェルヴェン男爵と共に王都に来ていた。

 本来、こういった主の公の仕事に付き従うようなことはないのだが、今回は特別だ。王都にて行なわれる鬼哭血戦十番勝負を解説するに領地で最も適切な人選であったのだ。

 闘技場の貴族用観覧席にて、男爵は隣のオーヴェ千人長に問う。


「さて、最後の一戦。ナギはミーケルに勝てるか」


 オーヴェ千人長は無言。自身の予測は事前に伝えてある。つまり、自身の実力が不足しすぎているため、その両者を比べてどちらが優れているかの判別ができない、である。

 それが事実であったとしても面白みのない返答であるし、もう少し取り繕うぐらいはしてくれてもいいのだが、なんて顔で男爵はオーヴェ千人長を見る。

 彼は小さく会釈するのみ。ソレができるような人間なら、男爵はもっと彼を高い地位につけることもできたのだし、それこそが男爵の望みでもあるのだが、やはりオーヴェ千人長にそういったものを求めるのは無理があるようだ。


「アキホの時は、見事その勝利を言い当てておったのになあ」

「あれは、私の不覚でした。アキホの実力ならば何者が相手であろうと、と思っていたのですが、対戦相手もまた明らかに人の域を逸脱した達人でした。つくづく、王都は魔境なのだと思い知らされました」

「あの狼顔が戦で出てきたならば、やはりアキホと同じように手こずると?」

「いえ。さすがにあのアキホの、人知を超えたとしか言いようのない体力というか耐久力というかはないと思われますので、野戦なれば打つ手はあります」

「攻城戦ならば?」

「ご命令とあらば対処してみせますが、常の攻城戦とは比べ物にならぬ被害を覚悟せねばなりますまい」

「……お主の言葉を信じぬわけではないのだが、あの狼顔は対処できるというのなら、アキホもどうにかなるのでは?」

「一騎打ちと戦場とは、まるで違うものとお考えください。もしかして、お賭けになっておりますか?」

「遊びていどだ。今回王都に来た目的は既に果たしておるし、賭けなんぞにつぎ込むのが馬鹿らしくなるぐらいの取引は確保しておるわ」

「お見事です。この手の手際の良さは相変わらずですな、頼もしい限りでございます」

「……それが望めぬ方は、かなり危ういことになっているがな。最後の戦いが終わったらすぐに王都を発つ。巻き込まれでもしたらかなわぬ」

「その件ですが。もしよろしければ、私が残りましょうか?」

「何?」

「いずれ王都には相応の立場の者が残った方が都合がよろしいでしょうし。少なくとも私なら、あの二人と敵対することになっても、せめても一言あってから殺すでしょうし」

「そう、なのか?」

「あれらは存外義理堅いですよ。少なくとも戦場ではそうでした」


 男爵はしばし考えこむ。貴族としてはオーヴェ千人長の判断なぞ論外なのだが、兵士を見るとなればオーヴェ千人長の見立ては男爵のそれを上回る。


「間違ってもお主がこんなところで死ぬなんてことにならぬというのであれば、許可しよう。実は、ベルガメント侯爵よりお主を紹介してくれという話があってな」

「では、こちらはお任せください」


 オーヴェ千人長は闘技場に目を向ける。

 ボロース軍のミーメを討ち取った秋穂の勇名は誰しもが知るところだ。

 だが、同じボロース軍の精鋭三騎をたった一人で討ち取った凪の名は、秋穂と共に、もしくはその後に語られることが多い。

 だが凪は、決して秋穂に準じる剣士などではない。それだけは、オーヴェ千人長にもわかる。

 オーヴェ千人長は、別れ際の凪の顔を思い出す。


『アレは、私が敵になるとは欠片も思っておらなんだな。また会おう、そんな顔をしておったわ』


 凪にはきちんと伝わっていたのだ。オーヴェ千人長は、凪たちをとても気に入っていることを。







 涼太は選手控室で、選手の怪我の治療を担当している。他の面々は皆選手用観戦席だ。

 これはギュルディにも言われていることで、涼太は選手控室かもしくは選手用観戦席以外には出るな、という話だ。

 今、正にその理由が選手控室のすぐ外にきている。


「だから我らはルンダール侯爵の使いとしてきたと言っているだろう!」

「鬼哭血戦の決まりをお忘れか? されば、お名前をお伺いしたい。直接、そちらの主に注意喚起を行なうという決まりですので」

「貴様! この私の名を知らぬと申すか!」


 選手控室の入り口で揉めている声が中にまで聞こえてくる。或いは、こうして騒ぐことで控室の中の選手の精神を乱す魂胆かとも思えたが、問答の内容を聞く限りではそんな悪辣な、或いは頭を使ったような話ではないと思われる。


「ご理解いただけなかったようなので説明させていただきます。今、引き下がっていただければ、貴方様の名を私は知らぬままである、と申し上げました。ギュルディ様はもちろん、三侯爵様すらこれを守ると定め誓われた内容ですぞ。これを、何処の、どんな貴族が破るとおっしゃるのですか?」


 衛兵風情が、と勇む男と、貴族の脅しの通らぬ相手であると理解し引き上げにかかるその仲間。

 部屋の中にいる別の衛兵に涼太が声を掛ける。


「俺、出ようか?」


 衛兵は表情を変えぬままものすごい早口で答えた。


「お願いしますやめてくださいこちらで処理しますのでリョータ殿はここから一歩も出ないでいただきたいホントお願いします」

「う、うん、なんか、ごめん」


 この部屋の衛兵たちは、どうやらかなり厳しく言い含められているようだ。さもありなん。

 聞くに堪えない脅し文句をひとしきり並べ立てた後、控室前にきていた貴族らしき男たちは部屋の前を離れていった。

 涼太はちらっと衛兵を見てもう一度言ってみた。


「なあ、やっぱ俺出ちゃ駄目?」

「ダメッ」


 衛兵君はかなり融通の利く人間であるらしいが、許可は出してもらえなかった。

 仕方ないので控室の中で、うんうんと唸っている怪我人の様子を見る。七戦目で敗れたギュルディ陣営の戦士だ。彼と、三戦目にイラリと戦った戦士は生き残れた。

 少し前に汗をぬぐってやったので、唸っている以外は特に問題はない。

 彼は、内臓もばっくりといかれていたのだが、傷口が大きく開いていたおかげで逆に涼太が中を確認しやすくなっており、涼太にとって数少ない内臓修復の成功例となってくれた。

 とはいえ予断は許さぬ状況で、一刻も早く専門の者に診せるべき、と涼太は言ったのだが、彼が受けられる治療は、ここで涼太がそうするのが最高峰である。

 内臓ざっくりを治した後どうすればいいのかなんて、わかる医者も魔術師もここらにはいないのだ。その上、ギュルディ陣営の戦士ともなれば、賭けに負けた貴族たちが八つ当たりをしかねないとあっては、この控室に匿い続けるしかなかったのである。


『……随分と、ギュルディ頑張ってくれてんだな』


 涼太は遠目遠耳の術を用いて、この世界の権力者の振る舞いを見てきていた。

 彼らに理屈は通らない。文字通り機嫌を損ねないことが最も重要なのだ。そして人の機嫌なんてものは、良くも悪くも簡単に揺れ動くものだ。

 そんな連中を相手に、公平な取引だの取り決めだのが通用するわけがない。それは、彼らと対等の立場にある者にのみ、通用する理屈である。

 だが、そんな理不尽は、少なくとも鬼哭血戦が決まってから涼太に対して行なわれたことはない。

 それは、決して偶然起こったものではなかったのである。






 闘技場に足を踏み入れた時、凪は想像していた以上にその空気が堅い、と感じた。

 興奮の極みにある観客たちの動向は全く気にならない。

 背筋、首裏に嫌な感じのするその気配の主は、闘技場の反対側から歩いてきている。


『仕上がってるわねぇ』


 対戦相手であるミーケルは、ウォーミングアップも十分のように見えるし何よりも、その佇まいが違う。事前に顔を見た時とは、まるで別人のようだ。

 正に刃だ。ミーケルは今、刃そのものとなっているように見える。

 触れる者皆傷つけずにはおれぬ。しかし、今はそれでいい。それがいい。

 お互い、開戦前からほんの僅かも隙を見せられぬ。それを恐怖してはいない。

 凪は自然と笑みが漏れる。こんな大気すら刺しつけてきそうな凍えるような気配の中で、尚も笑うが不知火凪だ。

 対するミーケルに表情の変化はない。

 険しい顔のまま、隙を見せたら即座に殺すぞ、と言葉によらず全身で言い放っている。

 どちらも、もう誰の声も聞こえていない。

 凪とミーケルは同時に足を止め、同時に剣を抜き、同時に構える。合図はまだだが、聞こえていないのだから仕方がない。

 開戦を告げる役目は、闘技場内中に声を届ける魔術道具を用いている者だ。彼も今回の鬼哭血戦十番勝負で王都中で知らぬ者がおらぬほどに有名になってしまった。

 そんな彼は闘技場の二人に気付いているのかいないのか、二人が剣を抜き構えたところで戦闘開始の合図を出した。

 凪、ミーケル、共に動かず。

 凪は正眼の構えと呼ばれる、両手持ちの剣を真正面中段に構える姿勢だ。

 ミーケルは深い半身の姿勢で片手に持った剣を前方へと突き出す構えだ。

 ミーケルの構えは、王都圏ではごく一般的な剣士の構えであり、両手持ちの剣を真正面に据える凪のそれは、正中線がより相手に見えやすく片手持ちの剣が主流の王都ではあまり好まれない形だ。

 とはいえ、今の凪の構えを見て、隙がより多いだなんて抜かす者は素人と断じてよかろう。

 観戦している王都の有力な剣士一派の長は、凪の構えを見て冷や汗を流しながら呟く。


「なんたる、なんたる鉄壁。なんたる構えよ。あれなるは正に城塞の如き頑強さを持とう。アレを突破するは容易ならざる、いや、如何なる剣士をもってしても適うことではなかろう」


 その弟子が師に抗議する。


「し、しかしミーケルの構えもまた見事ですぞ。いや、見事というより、寒気すら感じまする。なんという、なんという殺気か」


 ミーケルのやや前傾の姿勢は、敵が踏み込んできてもより早く、より強く踏み出しこれを凌駕するという構えだ。

 よほど己の剣、反応速度に自信がなければあの構えはできまい。

 ソレを手にするがための極限までの集中であり、凪が他人と見違えたというほどの仕上がりであろう。

 そんな構えのまま、両者はぴくりとも動かず。

 そこだけ切り取られた絵画であるかのように、大観衆の声援すら届かぬ隔絶した空間であるかのように。

 そしてそれは、いつまでたっても変わらぬままで。

 いい加減観客たちも怪訝そうな顔になる。

 そんな観客たちに対し、闘技場中に聞こえる声が説明を始めた。


「えー、現在、ミーケルとナギの両者がどうなっているのか、アーレンバリ流の前々当主であるビョルン様より解説していただきます」

「あれはお互いが牽制しあっている状態ですな。遠目に見てはわかりにくいですが、近寄って見れば細かく各部が動いているのがわかると思います」

「ほうほう、どうしてそんな小さな動きを?」

「ですから牽制なのです。これから動くぞ、という気配を出し相手の動きを窺っているのですよ。ここで実力に劣る者であれば、小さな動きに対し適切な反応ができず、それはそのまま踏み込むべき隙となります。これを、お互いに探り合っている、といったところでしょうか」


 観客席中から、おー、という納得と感心の声があがる。


「しかし、以前のミーケルの戦いではそういった動きは見られませんでしたが」

「見たことがあるのですか? それは運のよろしいことで。ミーケル視点から見ますと、ナギの構えが異常に硬すぎるせいでしょうね。構え、というよりナギという剣士そのものが防御に長けているのでしょう。あれは、ちょっと、崩す手が思いつきませんね。でもなければ今のミーケルの前にはとても立てないとは思いますが」

「ほうほう、ミーケルもまた構えに秘密があると?」

「ええ、そちらも構え、というわけではありませんが、今のミーケルは恐ろしいほどに戦いに集中しております。ほんの僅かな隙でもたちどころに斬り伏せられましょう。ナギのあの構えでもなくば、ああして前に立ち続けることも叶わぬでしょう。いや、しかし、ミーケルも、驚くほど腕を上げてますね。ランヴァルトに勝利したというのもわかります」

「ランヴァルトと言えば、前戦では不覚を取りましたがその辺りは……」

「申し訳ない。あの戦いはまだ私の中でも消化しきれておりませぬゆえ、ご勘弁いただきたい。それより今は、眼前の戦いに集中しましょう。アレは、動き出せば一瞬で決着がつきますよ」

「そ、そうですか。では観客の皆さん、恐るべき達人同士の戦い、ほんの僅かもお見逃しなく」




 凪が右足に重心を移す。その瞬間、僅かにだが肩が落ち、右足が沈む。

 左足より踏み出す事前動作だ。これに対し、右前の構えのミーケルは、内側に巻き込むような形で外から剣を叩き落す流れを作れるよう、身体が外側に動く事前動作を見せる。

 凪、ミーケルのそのほんの僅かな動作を見て、今度は右足へとかけていた重心をすぐに抜けるよう備える。これは左足から出るのではなく右足から前に出る動きに切り替えたということだ。

 ミーケル、移動先を少し内側に修正する。その挙動の中に、事前動作を一つ隠すよう紛れさせる。

 凪、ミーケルが次に、受ける動きと見せかけ低く姿勢を落とし足を狙ってくる動きをすると察知し、剣先が落ちぬようにしながら左手の力を抜くことで剣先を鋭く下段に切り替えられるよう備える。

 ミーケル、凪の左手の違和感を見抜き、下段にくる剣先を抜ける手立てを用意し、次なる構えを見せる。


 そんなことを、二人はいつまでもいつまでも繰り返し続けていた。

 有利が取れるまで、勝機を見出すまで、どちらも一切妥協するつもりはない。

 構わず飛び込み、それでも勝つ。そういう未来も確かにあるのだろう。だが、それは分の悪い賭けになると両者共が思っている。そういった、厳しい相手であると認めている。

 ミーケルは、事前の予想とは大きく外れていた凪の構えに攻めあぐんでいる。


『この女! あれだけ殺意に満ちた気配を漂わせておきながら、得意は防御だなどと意外にもほどがあるわ!』


 ランヴァルトが、イラリが、それぞれ予想した通り、ミーケルもまた凪は攻撃にこそその真価がある剣士であると見ていた。

 それがふたを開けてみればこのザマだ。

 ミーケルの前にあるのは女ではない。剣士でもない。壁だ。どうしようもないほどに高く広く聳え立つ山脈だ。

 何処に切り込んでも、その圧倒的頑強さで簡単に弾き返される。

 隙だのなんだのと考えるのが馬鹿らしくなるほどに、分厚い壁がそこにある。

 だが、これはただ頑強な壁であるだけではない。


『恐ろしい、こんなにも恐ろしい思いはしたことがないっ』


 人の身ではどうやっても打ち崩せぬだろう山脈はしかし、動かなければ良いというものでもない。むしろ動かなければならない。

 その山には、大量の土砂が堆積しているのだ。今にも崩れるぞ、流れ落ちるぞとこちらを脅しつけながら。

 山津波を前に度胸試しをしているようなものだ。木々が揺れる、小石が落ちる、それと知られぬ間に山肌が動く、そんな微かな兆候を見逃さず、決壊の瞬間を見極めなければならない。


『そして、何が恐ろしいかといえば、この山津波の決壊すらこの女の本質ではないことだっ』


 最初に見抜いた通り、凪の性質は一瞬の間に滑り込ませる必殺の刃、といったものだ。

 つまり、この恐るべき勢いで襲い来るであろう山津波の中に、ほんの一つ、ミーケルを破滅させる必死必殺のか細い刃が紛れ込んでいるだろう、ということだ。

 そんな、どうしようもない自然災害のような女に、ミーケルはたった一つだけ勝機を見出していた。


『か細い刃、その先に。必ずこの女がいるはずだ。これを見抜き見切れれば俺の勝ちだ!』




 ミーケルはその牽制合戦に何処までも付き合うつもりだった。

 一日だろうと三日だろうとそれ以上だろうと。凪が失敗するまで、いつまでだって待ち構えるつもりであった。

 そんな覚悟が凪の動きを呼ぶ。

 山が動いた。

 ずずい、と大地が、大気が、この世全てが迫ってくるような重厚な圧力がミーケルを襲う。

 いまだ凪は一歩も歩を進めていない。だが、今から行くぞ、という気配だけは嫌というほど伝わってくる。

 幻覚だ、幻聴だ、それはわかっている。だが、見えてくるのだ、聞こえてくるのだ。

 地の底より轟くような地鳴りが。

 大地の隙間より零れだす水が。

 小刻みに揺れる樹木が。

 ぱらぱらと転がり落ちてくる小石たちが。

 ミーケルの全身を容易く覆い尽くすほどの圧倒的質量が、もうすぐ襲い掛かってくる。

 その中から、針の先ほどのか細い必殺を見抜かねばならない。

 戦いが始まってからはじめて、ミーケルが笑った。獰猛に、雄々しくも、ミーケルがほほ笑んだのだ。


『来い! 金色のナギ!』




 ミーケルの目をもってすら、凪がどちらの足から踏み出したのか見えなかった。

 それほどの俊足。それほどの踏み込み。

 両手持ちのまま。まっすぐ突き出してくる。

 だが、この瞬間に備え徹底的に尖らせておいた神経が反応してくれた。

 凪の突然の挙動にも、これをすら上回る速度でミーケルが動く。

 そして、半身である分、ミーケルの方が剣が到達するのは早い。

 どちらも軽装であり、熟達の剣士であるのだから、剣が触れさえすれば相手の急所は確実に抉り取れる。

 予測は、していた。

 絶対に変化するとミーケルが信じていた通り、凪の剣先が動き、伸ばしたミーケルの手首を狙ってきた。


『コイツ! 本当に人間か!?』


 高速で突き出されるミーケルの動きを、同時に動いていたはずの凪が見切ってその手首に正確に合わせて剣先を変化させてきたのだ。

 ミーケルは手首を返す。間に合え、という祈りの声が出てしまったのは、信心深さ故ではなくまさしく、つい、であろう。

 この世界の人間にとって、神とは凪たちよりもずっと身近で当たり前の存在なのだ。

 ミーケルの見切りが言う。外せたと。凪の切っ先は空を切り、しかし手首を返しただけでかわしたミーケルの剣はまだ凪への命中軌道にある。

 後はこの手を伸ばせばいい。

 なのに、返した手首が動かない。

 外したはずの剣が、ミーケルの手首を捉えていたのだ。


『馬鹿な!』


 そして更に信じられぬことに、再び凪の剣先が変化したのだ。

 初撃を外すことなぞ考えもしていなかったと言わんばかりに、二度目の変化はミーケルの首を狙って伸びてきていた。

 手首が健在ならば、ミーケルの剣が速かった。だが、動かない。そして姿勢はあまりによろしくない。


『勝ったぞ! 金色のナギ!』


 それでも、二度目の変化も見えたのだ。

 ミーケルは身体を左に傾ける挙動と同時に、左手で腰の短剣を抜きこれを振るう。凪の姿勢は完全に突き出す動きをしてしまっている。

 身体のキレは絶好調。かわす動きも、左手の動きも文句なし。

 それでも、ミーケルは、凪に及ばなかった。


「かはっ」


 自然とそんな声が出てしまったのは、かわしたはずの凪の剣がミーケルの喉横を削り取っていったからだ。

 左腕は動かない。

 いや動いてはいるが、ゆるりとした挙動で、それもすぐに力尽きる。

 急速に、喉元から全身へと静寂が広がっていく。

 膝が落ち、身体が傾くのもわからない。

 ただ頭部が大地に接した瞬間のみ、それとわかった。


『は、ははっ、なるほど。終わってみれば、敗因は簡単な話だ。ナギの剣を、俺は、見切り損ねていた、だけか』


 あの状況から更に伸びる剣先をミーケルは知らなかった。まとわりつくように変化する切っ先を、ミーケルは経験したことがなかった。それだけが、敗因である。

 凪の、何処からでも殺せる、といった必殺の気配は、正にこの剣先にこそあったのである。


『俺は、失敗したが。見たな、ランヴァルト。次お前がやる時は、上手く、攻略、してくれ、よ……』


 ミーケルは最期まで剣での勝負のことだけを考えながら死んでいった。






 鬼哭血戦十番勝負は終わった。終わってしまった。最悪の形で。

 ただ賭け事を、勝負を楽しむ民衆たちに驚きはない、困惑もない。ただ楽しい催しが終わった、それだけだ。

 だが、王都の大抵の貴族はこの時、ギュルディ側の敗北に賭けていた。賭け事としてだけではなく、投資という形で。

 それが、負けた。

 身代全てを賭けるような馬鹿な真似をする貴族は極めて少ないだろうが、王都の三侯爵全てが一方に加担している状況での敗北は、皆の予測を大きく覆すものであり、予想だにしない損失をもたらすものだ。

 そして何よりも恐ろしいのは、三大侯爵の一人が、それこそ身代が揺らぐほどの額を賭けるような真似をしてしまっていたことだ。

 鬼哭血戦十番勝負は終わった。戦った戦士たちや観戦していた民衆たちにとってはそれでいい。

 だが貴族たちは、これで終わりとは思っていない。

 誰もが考えてもいなかった、つまり備えを怠っていた、恐るべき未来が始まってしまったのである。


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― 新着の感想 ―
[一言] 凪たちが貴族全員倒して終わると思っていますw
[一言] 凪強い 見た目は傾国の美女で中身は大山脈ってなんですか笑
[良い点] 鬼哭血戦十番勝負、こっからが本番ってか? [気になる点] 此処で涼太が外に出て対応してたなら、どないな事になってたやろなあと言うのは気になる。 [一言] 払えないなら賭けるなってのは、貴族…
感想一覧
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