174.世界最強剣士(暫定)
六戦して、二勝四敗である。
この結果を受けて、ベルガメント侯爵、ルンダール侯爵、カルネウス侯爵の三侯爵集まっての緊急会合が企画された。
だが、会合に前向きなベルガメント侯爵はともかく、ルンダール侯爵が参加を拒否、そしてカルネウス侯爵からも丁重なお断りが。
三侯爵で対策を会議してほしい。それは、ベルガメント侯爵の要望というよりは、三侯爵それぞれの配下貴族たちの要望である。
彼ら貴族もそれぞれの派閥に合わせた投資、もしくは賭けを行なっており、この損失の可能性が高いとなれば対策を練ってほしいとなるのも当然であろう。
だが、ルンダール侯爵の意味のわからないわがままはさておき、カルネウス侯爵までもが断ってくるとは誰も思わなかったのだ。
ベルガメント侯爵も、カルネウス侯爵が乗ってくれれば、三侯爵の内の二人が参加するのだから、とルンダール侯爵を説得するつもりだったのだが、これでは話は進められそうにない。
ベルガメント侯爵は、彼の派閥貴族ではなくルンダール侯爵配下やカルネウス侯爵配下の貴族たちに、何故かベルガメント侯爵が会合不成立の説明をするなんて馬鹿げた事態になってしまっていた。
「ベルガメント侯爵はこの危急の事態をどうお考えか!」
「対処さえすれば問題は解決できます! ベルガメント侯爵ならば残る二侯爵の説得も容易いでしょうに!」
「何故動かれませぬか! 状況を説明さえしていただければ必ずやルンダール侯爵もカルネウス侯爵も動きましょう!」
好き勝手なことを抜かす貴族たち。何がやってられないかといえば、直接文句をつけてくるコイツら全員ベルガメント侯爵派閥の貴族ではないことだ。
この馬鹿共の管理運用はベルガメント侯爵の仕事では断じてない。だが、ルンダール侯爵は不機嫌絶頂の時によくやる面会謝絶状態であり、カルネウス侯爵も側近たちが誰一人として彼に近づけようとはしない。
なので彼らも望んでベルガメント侯爵のもとに来ているわけではないのだが、ここしか言葉を交わせる場所はないのだ。
こうした時、相手の事情を斟酌し、話を聞く場を設けるぐらいはしてやるのがベルガメント侯爵の良い所でもあり悪い所でもある。
『不安なのも理解できなくもない。少し吐き出させてやれば、多少なりと気持ちも落ち着こう。結果が出て安心するまで、今日一日の我慢だ』
ベルガメント侯爵の盟友にして知恵袋であるフランソン伯爵も、今頃はここにいるのよりもっと地位の低い貴族たちによってたかって愚痴愚痴と言われているのだろう。
現状は、ベルガメント侯爵にとってはそれほど予想外ではない。大きく見誤ったのはオーラ対コンラードの一戦ぐらいで、それすらフランソン伯は敗北を予想していたのだ。
だが、ここからの二戦はかなり勝算が高い。
味方も敵も王都圏の戦士であり、紛れが起こりにくいだろう。
『しかし、カルネウス侯爵はどうしたのだ? 彼は確かに若いが、大きな判断やここ一番では丁寧に物事を進めるのが彼の持ち味だろうに』
カルネウス侯爵の現状がベルガメント侯爵に知らされるのはこの少し後のこと。
それを、ベルガメント侯爵はとても苦々しい顔で受け取ったのである。
「侯爵様! 対策の会合には是非ご参加ください! 配下貴族たちが動揺しております!」
側近の言葉にもカルネウス侯爵はその場を動かない。マウリッツが敗北し、その遺体が運ばれてきてからずっとこの調子である。
マウリッツの遺体を見下ろしたまま、ぶつぶつと独り言をつぶやくのみだ。
「……誰が、騙した。嘘を吐いた。私は言ったぞ。マウリッツの損失は絶対に認めないと。言ったんだ。なのに、何故マウリッツが死んでいる。どうする。どうにもならない。戦士のことを誰に聞く? 誰も信用なんてできるものか。暗殺者をどう防ぐ? 誰がどんな策を考えようと信用なぞできるものか。マウリッツなら、信じられる。他に、誰が信じられるというのだ……」
不意に、思い出したように首を上げるカルネウス侯爵。
側近たちに鋭い目を向ける。
「おい、マウリッツの弟子たちがいたな、アレを呼べ。今すぐにだ」
「は、はい。ですが……」
「ですが?」
「侯爵様にお目にかかれるような身分では」
「いいからさっさと連れてこい!」
明らかに精神の平衡を失っているように見えるカルネウス侯爵に、側近たちはその指示に従ったものか迷う。ここで彼らが迷うのが、カルネウス侯爵のこれまで積み上げてきたものであろう。
とはいえ逆らうこともできぬ。マウリッツの弟子たちの中でも、特に闘技場控室にまで随行を許された三人が連れてこられた。
事前に色々と言われているのだろう、彼ら三人は緊張でガチガチになってしまっている。もちろん、師の死に動揺もしているので、彼らもまたあまり平常心であるとは言い難い。
そしてカルネウス侯爵は彼らに問うのだ。今、ルンダール侯爵の暗殺者たちに狙われたのならば、これを防ぐ手立てはあるのかと
武の領域はこれに秀でた者による独自の見識が必要となる。
弟子の一人が緊張を精神力で捻じ伏せ発言する。
「ルンダール侯爵の暗殺者はその総数が多すぎます。ありえない前提ですが、その全てを相手にしろ、というのであれば王都の屋敷に立てこもり、領地よりの援軍を待つか、もしくは他の協力者を得るか、いずれかの手段が必要になるかと」
「初撃は、防げるのか?」
「可能です。もちろん犠牲は出ますが、そのためにこそ我らは日々積み重ねておりますれば」
「ほ、本当にか? アレらはシーラよりも早く、深くへと忍び込んでくるのだぞ」
「内の半数は手口も割れておりまする。我らより剣技に長けた者であろうとも、侯爵様をお守りし、屋敷に逃がすまでは確実にこなしてみせます」
彼の言葉に、マウリッツの死からこれまで、泥土の如く濁っていたカルネウス侯爵の目に光が戻る。
「そ、そうか。それは、これまでも、ずっとそういう訓練をしてきたということか?」
「はっ。我が師は剣術を、警備責任者はその剣を用いて如何に暗殺を防ぐかを、準備し続けてきております」
何度も何度も頷くカルネウス侯爵。
「よし、よしよしよしよし、それならばよい。これからは、いや、これからも頼むぞ、頼りにしておる」
主に言われたい言葉筆頭であろう、これは。
弟子も感動に胸を震わせながら深く頭を下げる。彼は、一刻も早く主君のこの言葉を警備の仲間たちに伝えてやりたい、と思った。
ようやく安心を得たカルネウス侯爵は、少し落ち着いた様子で問う。
「お主は、マウリッツと比べて剣の腕はどうだ?」
「はっ、まだまだ我が師には及びませぬ」
「そうか。とはいえマウリッツは既に失われてしまった。アレの居た場所を、早急に埋めてもらわねばならぬ。一人でできねば二人、三人でこなせ。そして、いずれ師を超え更なる高みへと至れ。それが何よりマウリッツの無念を晴らすことにもなろう」
弟子との会話で平静を取り戻したカルネウス侯爵。側近たちは退室していく弟子三人に、後で娼婦をおごってやる、とこれを称えながら滞っていた話を進めにかかる。
だが。
「会合は、せぬ。私はもう二度とルンダール侯爵は信用せぬ」
マウリッツが死んだことというより、マウリッツは失わずに済ませる、と言ったルンダール侯爵がその言葉を裏切ったことが、よほど腹に据えかねたようだ。
エルフを相手にすることも、エルフだからこそ負けを付けなければならぬかもしれんことも飲み込んだ。だが、カルネウス侯爵が武の領域の全ての判断基準としているマウリッツの喪失だけは、絶対に受け入れられなかったのだ。
ならばマウリッツを出さなければ良かったのだが、カルネウス侯爵といえばマウリッツ、というほどはっきりと手持ちの戦士として名が知れてしまっているのだから、鬼哭血戦でこれを出さぬは通用しなかった。
側近たちはルンダール侯爵を敵に回すことの恐ろしさを語り、どうにか意見を翻してはくれないものかと言葉を重ねたが、結局次の試合が始まるまでにカルネウス侯爵が心変わりすることはなかった。
続いて、第七戦、第八戦と試合が行なわれるが、こちらは貴族連合側が連勝する。
観客のみならず、貴族たちの喜びと興奮たるや。
今度は逆にギュルディ陣営側が追い詰められる番だ。
王都が誇る偉大なる剣士、王都の空にランヴァルトあり、と語られる王都圏最強剣士ランヴァルトと、これに直前の決闘で遂に勝利を収めた永遠のライバルミーケルの出番であり、ギュルディ側はこの双方に勝利しなければならないのだから。
ただ、不安はもちろんある。
ギュルディ陣営が用意したのは、先の戦いでその凄まじさをこれでもかと見せつけてくれたエルフの戦士と、もう一人。
昨今の王都の武の話題のほとんどをかっさらっていった圧倒的武侠。
教会三千の精兵を正面より粉砕し教皇猊下を殺害してのけた現代に蘇った魔獣ガルム。
鬼哭血戦に乱入し、双方十名づつの闇の住人たちをたった二人で殲滅してみせた狂剣。
金色のナギである。
その話があまりに規模が大きすぎ、現実離れしすぎており、話を聞いた大半の者がまず最初に法螺話だと断じてしまうほどの、異常極まりない戦果を持つ戦士である。
そんな荒唐無稽も、王都が誇る戦士ミーケルが相手ならば、その化けの皮も剥がれよう。
王都の住人たちはそれを、表だって口にしない者ですら無意識に期待している。
王都の代表とも言えるミーケルが辺境より来た無頼漢を倒し、巷に流れる非常識な噂全てを払拭してくれることを。
もちろんエルフに対してもそうだ。
伝承に謳われるエルフの恐ろしさは皆知っている。だが、そんな自身で見たわけでもないものよりも、長く王都でその強さを信じられてきたランヴァルトに、この伝承を打ち破ってほしいと。
この辺りの王都民の心理は、そのまま賭け率に表れてしまっている。
なのでこれと反する、王都の娼婦リナと老貴族の愛人椿は、自身の賭けの内容を他所に漏らすわけにもいかず。この賭けに関する話全てはこの二人の間だけでされることになる。
王都民の心理云々だけの話ならばよかったのだが、結構な数の人間がこの心理に従って金を賭けてしまっているのだ。
椿は、賭け札を確認しながらにっこにこ顔である。
「うーん、ここまで、もーほぼ完璧な推移ね」
板に水滴を垂らしこれを指でなぞって数字を書きながら計算しているのはリナである。
「不知火さんのオススメ、そのものズバリだったわね、少なくともここまでは」
「後二戦。ここも結構な儲けポイントだけど。あのもう一人のエルフがねえ」
「世界最強剣士だって。エルフを相手に配慮するんじゃないかって話もあったけど、ここまできたらそれはないでしょうし。それでも、あのランヴァルトにも絶対に負けないって言ってたわよね」
「で、最後は不知火さんが勝つ、と」
リナが小首をかしげる。
「不知火さん、勝てるかどうかわからない、って言ってなかったっけ?」
「言ってたわね。けど、柊さんは不知火さんの方が分があるって言ってた。ここまでの的中率を考えるに、ね」
そして、最後の二つを勝ってしまった場合、二人が最も多く投資した形で収まることに。つまり、利益は最大化するということである。
計算を終えたリナは、語尾の震える声で言う。
「……ねえ、椿。これ、二つとも勝っちゃったら、とんでもないことになるんだけど……」
計算した数字を覗き見た椿も、顔が引きつるのを止められなかった。
「これ、素直に支払いしてもらえると思う?」
「危ないわね。どうしよ、あの二人の申し出通り、ギュルディ様の所に頼む?」
「かなり持ってかれそうだけど、うん、そこは安全を取ろう。とはいえ、私はともかく、リナはお金じゃ済まなそうじゃない?」
「それでも、このお金がないと私の自由が確保できない。ここで、勝負するしかないのよ、私は」
リナの事情を椿も聞いている。
結局のところ、どれだけ高額を稼ぎだすようになっても娼婦は娼婦でしかない。
今もリナは、娼館を出ることすらできないのだ。
椿も娼館に来てしまっているので、闘技場の結果は金を渡してある人間の報告待ちだ。
椿は肩をすくめる。
「稼げる額は、私が商売したところで今のリナにはどう足掻いても届きそうにないけど。何もかも思うようにはいかないものね」
「いくよーにするのよ。一つ考えがあってね、椿はどう思うか聞きたいんだけど……」
女二人の悪だくみは、まだまだコレで終わらないのである。
ルンダール侯爵は側近をすら排し、その一室にて報告を受けていた。
「以上の結果から、ベルガメント侯爵が裏切った、とする根拠は乏しいと我々は判断しました」
「……ふむ。私が口に出した、その意味をわかっておるな?」
「はい。お互い手の内は知り尽くしておりますれば、出し抜く手段なしの背信は自殺行為であるとベルガメント侯爵もわかっているでしょう」
「で?」
「申し訳ありません。それでも、確たるものは何一つ見つけることはできませんでした。もしもの時のための尻尾でさえ用意されていないのです。その上で、我々も現状の不可解さは認知しております。逆説的に、これまでにない、それも相当に大掛かりな何かを用意した、と考える他なく」
「で?」
「今、王都で、新たな要素となればもう一つしかありません。実際に、愚者の左手を仕留めたのはギュルディ配下でした」
「……待て。ギュルディ配下に暗殺部隊なぞあったか?」
「元々そちらに弱い、という評判でしたが、二人組のかなり腕の立つ暗殺者を用いたようです。シーラや決戦参加者ではないことは確認しております。辺境は、利権のみならず武の分野においても手付かずの宝が眠っていたようです。現在ギュルディ周辺の護衛についている者たちも、まるで名も知らぬ者ばかりでありながら、王都ですら通用する技量の者たちです」
不機嫌そうではあるが、側近たちに見せる顔とはまた別種の、凄みのある顔でルンダール侯爵は報告者を睨む。
「よくもまあ、そのような報告を私に上げられたものよな」
報告者も覚悟を決めた顔をしている。
「不覚の咎は、どうか、私めの首一つで。どうか」
「貴様等の能力は疑っておらん。それほどの相手であると、認めてやろうではないか。次の当主は決めたか?」
「は、既に」
「ならば貴様は、その暗殺者を仕留めて死ね。次代にすぐ次の任務は回せんが、それで此度の不覚はこれ以上追及はせん」
「ありがとうございます」
退室しようとする報告者に、待て、と一言声をかけた後で、ルンダール侯爵は室内の棚から一本の瓶を取り出し、投げ渡す。ルンダール侯爵の愛飲する高級ワインだ。
「餞別だ、持っていけ」
受け取った報告者は、その一瞬のみ、ルンダール侯爵の表情がずっと昔のものに戻っていることに気付く。
そして、そんな顔をさせてしまった我が身の不覚を悔いながら、頭を下げて退室した。
残されたルンダール侯爵は、疲れた顔で椅子に腰かける。
「二十年前、か。あの騒乱を共に戦い抜いた戦友も、今は、昔か」
かつて、アーサ国の宗教勢力をランドスカープの有力貴族たちが教会の抵抗勢力と協力して追放したことがある。
その時、まだ若かったルンダール侯爵は、共にアーサの陰謀に立ち向かったベルガメント侯爵に対し、確かに友情に近い何かを感じていたのだ。
それは敵対派閥となった今でも何処かにはあったのだろう。だが、その時の戦友たちも、この二十年の間に敵に回り、或いは没落し、或いはルンダール侯爵が自ら手を下していった。
それが、今度はベルガメント侯爵の番になった。それだけだ、とルンダール侯爵は自分に言い聞かせる。
「いつも憎らしい男としか思っておらなんだはずなのだが……いざ、こうして本気で敵に回られたとなると、思っていたよりもずっと……」
酒に逃げたい、と心底から思ったが、それをやっている余裕はない。
今日の結果を見て、ルンダール侯爵はすぐにでも動かねばならないのだから。
「もし、本当に此度の鬼哭血戦に負けたのならば。最早疑う余地はなくなる。乗せられた私が間抜けなのは重々承知。だが、私がこのような裏切りをそのままにしておく男だなどと、思ってはおるまいな」
鬼哭血戦十番勝負、これを段取りし、対戦組み合わせにまで口を出し、ルンダール侯爵を逃げようのない場所にまで追い詰めることのできた人物は誰か。
ギュルディではない。ギュルディはこの鬼哭血戦において、ほとんど受け身の姿勢を崩していないのだから。
ならば犯人なぞ、一人しかいないではないか。
まあ、絵にかいたような逆恨みではあるのだが。
第九戦。大詰めだ。
ランヴァルトはいつもそうするように、決戦前に丁寧に精神集中を行ない、心を整えてから闘技場に出る。
闘技場に出るなり、周囲から轟く大歓声。
これまで様々な戦いを経験してきたランヴァルトだったが、これほどの観客の前で剣を振るうのは初めてだ。
だが、動じるところはない。ランヴァルトの意識は闘技場反対側から出てくるエルフに向けられたままで。
『え』
ほんの一瞬のみだ。
完璧に整えていたはずのランヴァルトの精神が、ぷつんと途切れてしまったのは。
いや、意識の全てはエルフ、イェルハルドに向けられたままだ。だが、戦う、という意識が吹っ飛んでしまった。
ランヴァルトの足が止まる。そこで堪えた。本当は、今すぐ後ろを向いてこの場から逃げ出したい。
まだ距離はある。どのような魔術であれ、これだけの距離があれば闘技場の通路に逃げ込む方が速いだろう。だが、それは、それだけはできない。
『い、いや、最早。ここまでもが、間合いの内か』
イェルハルドの腕が何処までも伸びてくる姿が幻視された。イェルハルドの足が高速回転し身を翻したランヴァルトの背を斬り倒す姿が脳裏に浮かんだ。
イェルハルドはゆっくりと闘技場中央に向け足を進めながら、片手をあげ、ランヴァルトを招く。
その表情が言っている。殺さないから、安心して来い、と。
以前にその姿を見た時の印象は最早影も形もない。ランヴァルトは理解している。圧倒的上位者が技量を隠しに動いたのなら、ランヴァルトが見誤ることも当然ありうると。これまでに何度かランヴァルト自身がこれをやったこともある。
今のランヴァルトの顔は、処刑台に向かう死刑囚のそれだ。
勝てぬ、だが逃げられぬ。既に、逃げられない理由も変わっている。そういう立場だから逃げられないのではない、あのエルフが来いと言ったから、逃げられないのだ。
真っ青な顔でランヴァルトは闘技場中央に進む。
対照的ににやにや顔を隠せていないイェルハルド。
お互いの声が聞こえる距離にきたところで、イェルハルドが大きく頷き言った。
「よしよし、お主、なかなか見どころがあるではないか」
ランヴァルトが言葉を発せないのは恐怖ではない。畏れ多いのだ。相手はランヴァルトがその全てを捧げてきた剣の道における、絶対的強者なのだ。これを畏れずして何を畏れるというのか。
今のランヴァルトの頭に、主君ベルガメント侯爵のことはない。
ただ、この神の如き剣の聖を前に、自身が礼を逸せぬよう全神経を集中させるのみだ。
イェルハルドとランヴァルトの対峙を観戦していたアルフォンスは、首を何度も横に振って言った。
「可哀想に。ジジイが本気で気に入ったぞ、あの男。あのクソジジイはああなるとどうしようもない。矜持も、誇りも、面目も、何もかもが失われるまで徹底的に叩き潰される。アレはほんっとうにキツイんだ……」
お前もわかるだろう、と同じくイェルハルドに叩きのめされた凪に話を振ると、凪もまた憎々し気にイェルハルドを睨んでいる。
「ふん、いつまでもやられっぱなしでたまるもんですか。あのクソジジイ、絶対いつか張り倒してやるわ」
「お前は本当に懲りない……」
そこでふと気付く。
かつてアルフォンスが何度もやられたように、剣に対する自負や矜持といったものを木端微塵に打ち砕き、心の弱い者ならば二度と剣には触れたくなくなるだろうヒドイ目に遭わされるのだが、凪はといえば何度やられても欠片も諦めることなく、それこそ体力が尽きるまで何度だって挑んでいた。
全ての面で上回られ、あのタチの悪い口調で嘲るような真似をされていても、凪が怖じた様子は一切なかったのだ。
何故だ、と考え、ふと思いついたことを凪に問う。
「なあ、もしかしてナギは、自分より技量が上の者と鍛錬をしていたのか?」
そう問われた凪は、不思議そうな顔をしていた。
「ん? そりゃそーでしょ。下手くそと練習したって大して上手くならないし」
「お、おう。だがそれは、相手側も同じではないのか?」
上位者と練習するということは、相手にとっては下位の者と練習するということだ。
「うん。お父さんとおじさんがね、いーっつも付き合ってくれたのよ。今思うと、私も随分と贅沢な環境にあったわね」
虐待そのもののような鍛錬の日々も、凪にとってはこういった印象であるようだ。
アルフォンスはちらと秋穂に目を移す。
「アキホもか?」
「そうだね。私もお祖母ちゃんがずーっと教えてくれてたよ。うん、何度も殺されるって思ったけど、やっぱお祖母ちゃんも随分と加減してくれてたんだろうなー」
この二人を相手に、明白な上位者である人間がいた、というのがちょっと想像し難いアルフォンスである。
その辺が顔に出ていたアルフォンスに、凪は苦笑しながら言う。
「今じゃ多分私の方が強いわよ。こっちきてから、ありえないぐらい強くなったしね、私も」
これに秋穂も乗ってくる。
「そうだねー。でも私のお祖母ちゃん、今やっても勝てる気しないんだよねー」
「それ秋穂よく言ってるけど、私の剣も当たらない?」
「うん、反応速度で劣ってても、速いだけならお祖母ちゃん多分どうにかしちゃう。あのサトリ妖怪みたいな先読みはいまだに理屈がわかんないよ」
「んー、エルフジジイの強さとはまた違った感じみたいね」
「あっちは明らかに格上って感じだしね」
そこまでで、二人は同時に沈黙する。
二人共が同時にどうにもならないことを頭に描いて、どうにもならないからと諦めたのだろう。
思うところがないでもないが、今もそれほど悪くはない、そう思っているのですぐに思考を切り替えられた。
ちょうどイェルハルドとランヴァルトの戦いが動き出したところだ。
戦いは、アルフォンスの予想した通りになった。
「ああ、なんて惨い……」
アルフォンスがマウリッツにそうしたように、イェルハルドもまた魔術を用いず剣術のみでランヴァルトと戦っている。
だが、誰が見ても明らかなほどに、イェルハルドの剣速がランヴァルトのものを上回っている。
そして時折イェルハルドの剣がランヴァルトの防御を抜けると、決して急所ではない部位の鎧が弾けて飛ぶ。
金属鎧が、剣先が触れたかどうかの一撃で簡単に削り取られるのだ。これを見て、イェルハルドの剣を速いだけだなどと抜かす馬鹿もおるまい。
もちろんランヴァルトも全力を尽くしている。
それは、上位者が相手であるがこそ、己の最大最善を出し尽くさねば非礼にあたる、という意識があってのものだ。
それらが、一切通用しない。
一般観客たちはその様を不思議そうにしながら、剣の心得がある者たちは驚愕と絶望に顔を歪めながら、観戦している。
アルフォンスの意識は、そちらの戦いよりも凪と秋穂の方に向けられている。
『この二人の若さでこれだけの熟練度を持つのは、なるほど、強者とただひたすらに打ち合ってきたからこそか』
アルフォンスは自らを振り返ってみる。上位者との戦いを好む部分も確かにあったが、それはあくまで後少しで届く域にいた者が相手の時だ。
イェルハルドのような圧倒的高みにいる者との戦いは、嘲笑われているかのようであまり好んでいなかった。いなかったが、よくイェルハルドはアルフォンスにちょっかいをかけてきていたが。
『あれも、クソジジイが私の上達を考えてのことだった、かも、しれんのか』
なかなかに認めがたいようであるが、それも含めて、己が楽な道を選んできてしまっていた、と気付き、苦い顔になるアルフォンスだ。
『ふん、ならばこれから私もそうすればいい。ナギやアキホはもちろん、シーラにもコンラードにも、私は絶対に負けたくはないからな』
これはアルフォンスもまだ気付いていないことだが、効率的な上達に必要なものは、優れた指導者に加えてもう一つある。
己と同格であると認められる、競い合うべき競争相手の存在である。
さして時間が経ったわけでもないというのに、凄まじい勢いで消耗し、疲労困憊な様子のランヴァルトを見ながら、イェルハルドは距離を空けた場所で大上段に剣を振り上げる。
「では最後に一つ、お主が越えねばならぬ大いなる頂の一角を、見せてやろうではないか」
それまでただの一度も魔術を使ってこなかったイェルハルドが、大上段に構える剣に魔力の輝きが見える。
本来、魔力とはその素養の無い者には見えないものだ。だが、それが見えてしまっている。それも、人間の魔術でも時折見受けられる黒い影のようなものではない。
神々しく輝き、周囲を照らし出す光として、見えているのだ。
光を作り出す魔術はある。だが、魔術の余波として光が漏れ出すような魔術はない。いや、あるのかもしれないが、少なくとも人間の社会では一般的なものではない。
魔術に心得のある者は、それこそ顎が外れんほどに大口を開けイェルハルドの魔術に見入っている。
そして同じく驚いた顔をしているのがアルフォンスだ。
「あれを、見せてしまうのか」
秋穂が目はイェルハルドから離さぬままに問う。
「広めちゃマズイ技?」
「いいや。だが、エルフ流暗黒格闘術の基礎にして深奥と呼ばれる技術だ。エルフは戦いとなれば魔術により周囲に障壁を張る。これを突破し剣撃を打ち込むために必須の技だ。だが、障壁の強度は術者の能力に依るため、何処まで磨いてもそれで十分ということにはならぬ。そういった基礎技術の一つだ」
「……アルフォンス、この技使ったことないよね、私たちに」
「障壁のないお前たちに使ってどーする。受ける剣ごと叩っ斬るなんて真似もできるようになるが、もちろん、魔術の行使をするのだからこちらにも制限は発生する。だーかーら、手を抜いていたわけではないのだからその目はよせ二人共」
いつのまにかお前なめてんの顔をしてアルフォンスを睨んでいた凪と秋穂は、一応それで納得したのかイェルハルドに視線を戻した。
イェルハルドが踏み込み、輝く剣を振り下ろす。
その一撃を、ランヴァルトはどうにか剣で受け止めんとこれを掲げる。いや、当人にもわかっているのだろう。この一撃を剣で受けることはできぬと。
ランヴァルトの剣はベルガメント侯爵が対魔術戦のために特に用意してくれたものだが、こんなものイェルハルドのこの一撃にかかれば紙屑同然であると。
そして、振り下ろされたイェルハルドの剣はランヴァルトの魔剣を真っ二つに叩き斬り、ランヴァルトの肩の上にてぴたりと静止した。
「どうだ? 見えたか?」
まばゆく輝く剣を使っておいてひどい言い草だが、ランヴァルトは一言も抗弁せぬまま首を垂れ、呟いた。
「生涯、忘れませぬ。ありがとうございました」
かくして、鬼哭血戦十番勝負の決着は、最終戦、凪対ミーケルの一戦次第となったのである。




