173.エルフに配慮する余裕もなくなってきたようです
アルフォンスは闘技場の中、人気のない通路の壁にもたれかかりながら、人差し指を立てその先に魔力をまとわせる。
ひらり、ひらり、と数度これを指先で回すと、気配なんてものはないがほんの微かな違和感を信じてそちらに目を向ける。
「ほっ、人の世にて鍛えた甲斐はあるようじゃの」
鬼哭血戦が始まるなりいつのまにか何処かに消えていたエルフジジイ、イェルハルドがそこにいた。
このジジイ口調で見た目はアルフォンスと大して変わりがないというのだから、この二人の会話を聞いた人間が戸惑うのも無理は無かろう。
「随分と早かったな。何か、していたのではないのか?」
「いやいや、人間の悪だくみとやらを見てやろうと思っての」
「どうだった?」
「人間同士ならさておき、アレをエルフ相手にしてくるようなら、国ごと潰してしまう方がいいかもしれん」
「ほう、そこまで言うほどか。随分と警戒しているじゃないか」
「考えられんほどに悪辣なだけじゃ。そりゃ、人間なんぞ幾らでもいるといえばその通りなんじゃがな。それにしたってああまで気安く殺すだなんだとよくも同族相手にできるもんじゃ。信じられるか? 権力者の機嫌を取るためだけにそこらのさしてかかわりのない人間を殺すとか抜かしよるんじゃぞ、連中」
「……そこまで、か。ディオーナの件はよほど運が良かったという話か」
「あの外道が王都の有力者の一人だというのじゃから、期待はできんの。……のうアルフォンス、お主、どうやってあのギュルディという者を選べた? お主に人間の権力者たちの中から真に優れた者を見抜く術があるとは到底思えんのじゃが」
「くっそ、そのごく自然に人をコケにする言い方、いい加減どーにかしてくれ。まあ、確かに私の能力ではない、こちらも偶然に近いな。リョータたちとの出会いが、全ての幸運の根だ」
「馬鹿の下には馬鹿が、優れた賢者の下には賢き者が集まるということか。……いや、普通優れた者の下には有象無象の愚者共がまず集まるもんじゃろうに」
「その有象無象から賢者を見出す目に優れている、ということらしいぞ、あのギュルディという男は。それに、そもそも人間はエルフほど善性を重んじてはおらん。ジジイ好みの言い方をするのならば、ドヴェルグ共と一緒で能力さえあれば他には目をつぶるなんてことが往々にしてあるらしいな」
ドヴェルグの単語に露骨に表情を歪めるイェルハルド。
「ドヴェルグ! あの薄汚い土まみれが! あんな連中と比較するなど、人間が聞いたら何を言い出すかわからんぞ!」
「ジジイたちが言うほど人間はドヴェルグのことなど知らんよ。私もな。ともかく、じいさんの盗み聞いた話で即応が必要なものはあるか? ないんならこっちに付き合ってほしいんだが」
「まったく、若い連中はこれじゃから……まあいい、こっちは直接手を出すつもりはないから、そっちの話があるんなら聞くぞい」
「そうかい。なら……」
アルフォンスが話をすると、イェルハルドは即座にこれを了承する。基本的に、エルフ同士でならばその価値観は似るものであり、アルフォンスが重要だと判断したものはイェルハルドもそうだと思うものであるのだ。
アルフォンスにはまだ使えぬ魔術を駆使し、二人は密かに闘技場内を移動する。
場所はルンダール侯爵が押さえている一室。そこに、戦いに負けた戦士、狼人マグヌスがいた。
彼の扱いは、控えめに言って虜囚、といったところか。
庇護者であるロッキーは既に逃げ出しており、ルンダール侯爵による裁きを待つ身である。
鬼哭血戦に出て敗れたことが罪になるなんて話はないのだが、ルンダール侯爵の機嫌を著しく損ねたという一事をもって、彼は有罪であるのだ。
これを捕らえ見張っていた者たちは、イェルハルドの魔術で全員が昏倒している。
「こういうのは苦手なんだ」
そんなアルフォンスの言い訳を、イェルハルドは鼻で笑う。
「ワシだって得意じゃないわい。それにしたって人間に通るていどの魔術でいいのじゃから、そのぐらいはできるようになっておかんか。魔術が疎かでは、エルフ流暗黒格闘術を幾ら学んでも片手落ちもよいところじゃぞ」
「……一々説教臭い。くそっ、だからジジイと一緒は嫌なんだ」
「お主から誘っといて何を抜かすか」
隠密の術をかけたまま、アルフォンスは牢を破り、寝転がったままのマグヌスを肩に担ぎ上げる。
マグヌスも意識はあるのか、声を発してきた。
「何の、真似だ」
「このままでは貴様は殺されると聞いてな。もったいないのでこちらでもらうことにした。不服か?」
「……身体がロクに動かんのだ。不服だろうとなんだろうと抵抗なぞしようがない。好きにしてくれ」
担ぐアルフォンスの隣を歩くイェルハルドがマグヌスの顔を覗き込んでいる。
「いやいや、先のお主の戦いが気になってな。お主のあの独特の術技、ワシらにも教えてくれんか。代わりに、もし貴様が望むのならばエルフ流暗黒格闘術の初伝ぐらいは教えてやってもいいぞ」
エルフの武術、と聞いて興味を惹かれた顔を隠せなかったマグヌスに、イェルハルドは大いに笑う。
「くはーっはっはっは、そうそう、人間は素直なのが一番じゃ」
アルフォンスは苦笑しながら言う。
「そこのジジイの言うことは話半分に聞いておけ。だが、私の言葉は信じていいぞ。クソジジイが約束を反故にしても、私は守る。ギュルディが後で何を言ってこようとお前の身は私が保護してやろう。だ、か、ら、貴様の拳を私に見せろ。いいな」
イェルハルドがわざとらしく肩をすくめる。
「何たる恩知らずか、この口だけ小僧めが。いいか人間、年経たエルフの言葉の重みを見誤るでないぞ。そーんな若造が何を言うたところで戯言にすぎんわ」
「抜かせジジイ。この男を尊重する気でいるのなら、せめて人間ではなく名前で呼んでやれ」
「はっ、もちろん知っておるぞ。マヌグサであろう?」
「マグヌスだアホジジイ。本当に間違える奴があるかっ」
こんな言い争いをしながらアルフォンスはマグヌスを肩に担ぎ、その隣をイェルハルドが歩く。
闘技場の中を幾人かの人間たちとすれ違いながら。
彼らは通り過ぎるこちらに気付く気配は一切ない。
マグヌスは気付いている。この二人が歩いている間、足裏が床を叩く音すらしていないと。
それが魔術なのか技術なのかすらマグヌスには判断できない。だが、手に負えぬ何かであることだけは、わかった。
『ランドスカープは常に国中で争っている修羅の国、と聞いてそれなりに警戒はしていたつもりだが……まさか、エルフにさらわれることになろうとはなあ』
色々と先行きの予測を放棄しながら、マグヌスは我が身を襲う人生の浮沈の激しさに思いを馳せるのである。
事後承諾でマグヌス拉致を認めさせたエルフ二人であるが、一応ギュルディの立場を慮って誰にも見られないようにするぐらいはしておいたので、ギュルディからはあっさりと承認を得られた。
それよりもギュルディは次の試合であるアルフォンスのことを心配していた。
「現状、五戦して勝ち三つで勝利先行だ。五対五であったならこちらの負けという決まりだから、それでもまだ有利と言い切れるものでもないが、向こうもアテが外れて焦ってきている。エルフが相手だろうと、本気で来るぞ」
「実に結構」
満足気なアルフォンスに、純粋に疑問顔のイェルハルドだ。
「何故そのような不公平な形になったのだ? そもそも、十人でやるからそういうことになるのだろう、九人でも十一人でも良かったのではないか」
「鬼哭血戦とは十人の戦士が争い合うのが決まりだ、という名目で、私に不利を背負わせるのが十人対十人になった目的だ。私はといえば、元々負けても構わん、というつもりで話を進めていたんだが……まあ、勝ってしまいそうなので方針変更の準備を整えたというところだ」
「負けてもいい? なんじゃそれは」
ギュルディが貴族間の駆け引きをわかりやすく説明してやるとイェルハルドも納得してくれたようだ。
「まあ、わざと負けるというのなら先に言うてくれれば対応するぞい。アルフォンス、とりあえずお前負けとけ」
「寝ぼけんなクソジジイ、お前が負けろ。惨めに無様に地べたを這いずれ」
「くはーっはっはっは、よくぞ抜かした小僧めが」
座っていた椅子を片手で振り上げ襲い掛かるイェルハルドに、必死の形相で自分が座っていた椅子で受けるアルフォンス。
ここが控室だということを忘れているのか、端から気にしていないのか。
直後に動いたのは、凪と秋穂とシーラである。凪がイェルハルドの背後に、秋穂とシーラがそれぞれ側面に回り込む。
「ぬっ」
凪、背後で椅子を同じく持ち上げている。シーラは右方で武器はなし、秋穂は左方より花瓶を手に持っている。
七戦目、八戦目を戦う戦士たちは、ぎょっとした顔であるが、やる気の連中はそんな彼らに配慮する気はないらしい。
一番気配を消すのが上手い凪が、先陣を切らんとする。
「そのぐらいにしとけ馬鹿共。子供たちの前であほうなケンカなぞすんな」
と、止めたのはコンラードである。
凪、秋穂、は子供たちの前で、の言葉で止まる。シーラはコンラードが止めたことで止まる。
エルフ二人も、みっともない真似をしていると指摘されればさすがに手は止める。
不愉快そうにアルフォンスが返す。
「文句ならそこのジジイに言え」
口をとがらせてイェルハルドはそっぽを向く。
「ふん、四人ならばちーとは面白くなると思ったんじゃがの」
コンラードは、エルフたちとは出会ってまだ数日であるがかなり気安い口調で言う。
「アルフォンスはもうすぐ出番だろうが、暴れるんならそこでやれ。イェルハルド殿も、王都一の戦士を持ってこさせてまだ不満か? 後、そこの馬鹿女三人、ナギ以外はもう試合終わってんだからそんなに暇なら外で勝手にやりあってこい」
とりたてて珍しい言葉を口にしたわけではない。だが、そんな当たり前のことを当たり前に、誰に対しても言えるというのはやはり珍しいことなのだろう。
少なくとも七戦目、八戦目の戦士たちは、すげぇあの人マジぱねーわ、って顔でコンラードを見ている。
そしてギュルディが締める。
「準備はしてあるから、幾らでも勝ってくれて構わない。負けるよりも勝つ方が利益が多いのは当然だしな」
ベルガメント侯爵は、早速一勝をあげた戦士、月光イラリを部屋に招いてこれを称賛していた。
「見事だ、イラリよ。我が戦士たちからも、完璧な戦いであったと聞いておる。ランヴァルトやミーケルの目から見ても、指摘すべき欠点はなかった、とな。あの二人が揃って称するなぞそうそうないことよ。特にミーケルはな、アレは採点が辛いので有名なのだ」
イラリは、恐縮ですと頭を下げる。
「で、望みは変わらぬか? 褒賞は鬼哭血戦に相応しいだけのものを用意するぞ?」
「いえ、是非とも、ベルガメント侯爵の戦士の一員として迎えていただきたく」
そうか、と頷くベルガメント侯爵。機嫌を損ねた様子はない。
「わかった。今日より月光イラリは我が戦士である。給金や鍛錬、宿舎等に関しては、後でランヴァルトから聞くといい。ランヴァルトもミーケルも、早く手合わせしたくてうずうずしておったわ。鬼哭血戦が終わったら、アレらの相手をしてやってくれ」
喜色満面、といった様子でイラリは頷く。
こんなに率直に感情を出すのは、確かに暗殺者には向かないだろう、と内心で苦笑するベルガメント侯爵。
で、早速で悪いんだが、とベルガメント侯爵はイラリに問う。
この後の戦いの予測だ。残り五戦。どう動いていくかの予想はランヴァルトとミーケルからはそれぞれ聞いているが、これとイラリの考えの違いも聞いてみたいと思ったのだ。
イラリは配下になって最初の指示であり、とても緊張した様子で言う。
「七戦、八戦は、十中八九こちらが取れます。敵方も良い戦士を集めたようですが、あくまで良い戦士止まりです。侯爵配下の方々が集めた二人には一枚劣るでしょう。九戦目のエルフは戦士としてはさほど。しかし恐らくは魔術師であると思われますので専門外です。ですが……」
恐る恐るといった様子で口を開くイラリ。
「エルフのもう一人は読みきれません。……対する戦士がマウリッツ殿でなければ、或いはこちらが不利だと判断したかもしれません」
「ふむ、やはりお主もそう見るか。そう不安がることはない、配下の意見は意見だ。……マウリッツが負ける、とは見ないのか?」
「負けることもありうる、そういう相手かと」
満足気に頷くベルガメント侯爵。
「そうだ、そういう率直な意見が欲しいのだ。少なくとも私はな。他の貴族に対してはまた別の態度が必要だろうが、私がお前たち一流の戦士たちに望むのは、お主たちが感じたままの忌憚ない意見だ」
ここまで踏み込んでくれるとは思っていなかったベルガメント侯爵は、少し機嫌が良さそうである。
『この男、貴族との応対に出すには危ういが、こういう実直さは好感が持てる。ミーケルも似たところがあるが、アレよりも嫌味がない。なかなかに悪くない拾い物であったかな』
ふと、一つ聞き忘れていたことを問うベルガメント侯爵。
「ナギはどうだ?」
それを問うと、イラリは更に言い難そうな顔をするが、ここまでの会話でベルガメント侯爵は率直な意見を求めている、と言っているので、これに反するような態度は取れず、仕方なくソレを口にする。
「……とても、嫌な感じがします。鬼哭血戦十番勝負にて私が警戒している人間は、味方ではランヴァルト殿、ミーケル殿、マウリッツ殿、そして狼人マグヌス、ラルフの五人。敵方ではアキホ、シーラ、そしてエルフの二人は間違いなく強力な魔術を使ってくることから警戒しております。ですが、私が最も警戒しているのは、ナギです」
「理由は?」
「佇まい、としか言いようがありません。ミーケル殿にも同様の嫌な気配を感じますが、ナギの方がより」
「上か」
「はい。命のやりとりをする覚悟無しに、アレの視界内に入りたくありません。目を逸らせば次の瞬間には首を飛ばされていそうな、そんな理不尽な脅威を感じます」
イラリの言動は、侯爵位にある貴族に対するものではない。感覚的な意見を目上の者に述べるなぞ、非礼と断じられればそれまでだ。
この言動がベルガメント侯爵だからこそなのか、それ以外にもやらかしてしまうものなのか、見定める必要はある。だが、ここまで言ってくれる者は、それも超がつく一流の剣士は、さしものベルガメント侯爵も心当たりがない。
長い付き合いのランヴァルトにしてもミーケルにしても、はっきりと明言でき説明できる内容以外はベルガメント侯爵に対し口にしようとはしないのだ。それが貴族に対する当たり前の心得だ。
だが、ベルガメント侯爵はこういった率直にすぎる意見を侯爵の立場にある彼が聞けることが、どれだけ稀有な状況であるかを理解している。
『ふむ、扱いは注意すべきだが、これは思わぬ当たりを引いたかもしれん』
しかし、と笑い出したいのを内心でこらえる。
『お前、これで本当に暗殺者やってたのか? あまりにも不注意すぎるだろう』
ルンダール侯爵陣営は、まるで葬式会場のような有様である。
当のルンダール侯爵は闘技場の一室に引きこもってしまって出てこない。恐らく、壮絶な八つ当たりがそこで行なわれているのだろう。
密室であるとはいえ、闘技場なんてところでそんな真似をしてしまえば後々面倒なことになるのは誰しもがわかっているのだが、他にルンダール侯爵の機嫌を取る手段を誰も思いつかなかったのだから仕方がない。
まさかロッキーに続いてマグヌスまで行方不明になっていようとは。アーサ国への悪印象はここに極まったと言っていい。
側近の一人が苦々しい顔のまま別の側近に問う。
「……鬼哭血戦の敗北に、今からでも賭けておくべきか?」
彼もまた同じような苦々しい顔である。
「馬鹿な、今更手遅れだ。もし賭けに負けるようなことがあれば、今月のみならず来月も未払いが発生する。侯爵家の名誉は地に落ちるぞ」
「だから! そうならぬよう今からでも賭けておくべきかと問うておる!」
「何処から資金を? 資金を回収できなければ二月未払いが発生するほど、金は不足しているのだぞ。そもそも、ここから賭けを受けてくれる者なぞ……」
そこまで口にして、彼は少し考えこむ。
「そうか、我らの敗北に賭けている者から賭け札を奪えば……」
「そういうことだ。別に直接札を奪うなんて真似をせんでも、勝ち分をこちらに寄越すよう手配させればいい」
ルンダール侯爵麾下にあって長年無理を押し通してきた男たちだ。
賭けに負けたからと素直に支払うほど人間できてはいない。ましてや今回は負けが大きすぎ、侯爵家の浮沈すらかかっているといっても過言ではないほどの金額が失われるのだから。
負けた時の損失を少しでも減らせるよう、様々な手管を話し合う側近たち。だが、その中の一人、まだ側近になって日の浅い者が戸惑った様子で口を開いた。
「いや、だが、これから三つ、勝てばいいのだろう? まだランヴァルトとミーケルは残っていて、マウリッツもいる。それ以外の戦いも、戦力的にはこちらが上だという話ではなかったか? そこまで心配するようなことか?」
残る側近たちから殺気に満ちた視線をぶつけられ、彼は肩をすくめて後ずさる。
「そんなことは皆わかっている。だが、相手には正体不明のエルフがいて、勝算が幾ら高かろうとも一騎打ちに紛れは付き物だ。侯爵が指示なさらぬからともしもに備えぬような馬鹿ができるか」
皆に睨まれた側近は思った。
『いや、そう思うのなら最初から敗北にも備えておけばよかったのでは? 侯爵が必要ないと言ったから皆もそうしていたのだろう。それを今更状況が変化したからとどうこう言われてもなあ』
彼もいずれわかろう。そんな当たり前で妥当な思考なぞしていては、侯爵配下なぞ到底務まらぬということを。
道理の通らぬ主に仕えるというのはそういうことであり、それ自体は、程度の差こそあれ何処にでもある話なのだ。
エルフの戦士がどれほどのものか。
集まった観客は気楽に、或いは分相応な額の賭け札を持ってこれを見守る。
戦士にしては細身に見える身体つきと長い耳。
だが、剣を携え闘技場内を進むその姿に、観客たちは一流の戦士の姿を見る。
当然、剣の心得のある者はより深く、その歩みからエルフの戦士アルフォンスの情報を見て取っている。
「ふむ、やりおる」
「エルフの数多伝わる恐るべき伝承も、アレを見れば納得はできよう」
「やべー、アレ俺ぜってーかてねー」
「いや、そもそもこれまで出た戦士でお前に勝てるのいたか」
「なんかわくわくしてきた。早く構えを見せてくれ」
王都では対するカルネウス侯爵の剣士、マウリッツの方が有名であろうに、観客たちの注目はエルフであるアルフォンスに集中している。
マウリッツという敢えて目立たぬよう立ち回ってきた戦士の事情を知る者は苦笑している。
「鬼哭血戦ですら目立たぬようにするとは。本当に徹底しておるな、あやつは」
観客たちは好き勝手なことを口にしながら戦いの始まりを待っているが、闘技場内にて対峙する二人は、既にお互いしか見えていないほどに集中している。
アルフォンスは戦いの前の、気配の探り合いを楽しみながら口を開く。
「どうだ? 上から戦闘の許可は出たか?」
マウリッツは不機嫌そうな顔のまま答える。
「貴様のその余裕面を八つ裂きにしていいと言われている。喜べ、望み通り殺してやる」
「くくっ、これは余裕顔をしているのではない。余裕が、あるのだよ、マウリッツ君」
殊更にアルフォンスが煽るのは、万が一にも手を抜くことがないようにだ。
お互い、剣は片手に握り構えを取る。
どちらも右前の構え。マウリッツの方がやや剣先が上向きか。
開始の合図があった後も、どちらも全く動かぬまま構えを取ってお互いを睨み付け続ける。
これに騒ぐ観客もいる。だが、剣を知る者はそんな賑やかな者たちを苦々しい目で見る。
両者とも、動いていないわけではないのだ。
ほんの少し前足を進めたり、重心を動かして敵の動きを誘ったりと、細かな動きでお互いを探っている最中なのである。
少なくともこの牽制合戦では、どちらも隙を見せることはない。マウリッツはこれをするというのなら何処までも付き合うつもりであったが、アルフォンスはこんな戦いを望んでいたわけではない。
強引に、最初の一撃をねじ込みにかかる。
何故そうするのかの理由はわからないが、そうするということそのものが推理の一助となる。
マウリッツはアルフォンスという男は、忍耐力なり自制心なりに欠けるところがある、もしくは敵や状況を甘く見る部分がある、と見た。
『それだけの実力はある、ようだが。さて』
それでもマウリッツは踏み込まず。
アルフォンスが踏み出してきた分ぐらいは合わせるが、やはり丁寧に慎重に、自身の情報を隠し相手の情報を引き出すことに専念する。
そんなマウリッツの態度に、アルフォンスはといえば少し感心している。
『これだけの観衆を前に、こうまで慎重でいられるとはな。やはり、コイツは面白い人間だ』
ならば、さっさと教えてやればいい。
アルフォンスは一切己の技を隠すことなく、矢継ぎ早に様々な剣技を繰り出していく。
さしものマウリッツの表情も引きつりかけた。防戦に徹しているとはいえ、アルフォンスの剣勢激しく、その術技はマウリッツも知らぬものばかりであったのだから。
だが、知らぬとはいえ用いるのは剣であり、お互い腕が二本に足が二本で頭部が胴の上についている者同士だ。似た技術ならば人間側にもあるものだ。
こうした技術体系から著しく外れている秋穂の技がどれだけ特異なのか、という話にもなるのだが。
マウリッツは己の選択の正しさを噛みしめている。
『これ、はっ、さすがにっ、キツイ。まっとうに打ち合っていたら、下手をすればとうに終わっていたかもしれん。何たる、技の多彩さよ』
だが、それは絶望ではない。これこそがマウリッツの真骨頂。
敵の技を見抜き、対処する術において、マウリッツは王都圏で最高の技術を持っていると自負している。
このままアルフォンスの全てを引きずり出し、そして勝つ。それがマウリッツの立てた勝算。
「本当に、受けきれるとでも思ったか?」
そう言いながら、アルフォンスは更に攻勢を強める。
アルフォンスは、エルフの里においてすら、その剣才を認められたほどの男であるのだ。
そんな男に、何度も何度も同じ受けが通用するものか。
アルフォンスもまた攻勢の中で、マウリッツの受けの癖ともいうべきものを引き出せるよう攻撃を組み立てており、これは攻勢を重ねれば重ねるほどに精度が上がっていく。
技の多彩さ、受けの多彩さを売りにしていたマウリッツであるが、アルフォンスの恐るべき剛剣を相手に、用いることのできる技も限られていて。
『く、くそ』
次第に、形勢が悪くなっていく。
だが、それでも、マウリッツもまた一流だ。
一流の剣士の持つ多彩さには、数多ある技の特徴を理解し、その時その場で最も適切と思える技を選び取る能力も含まれる。
崩れかけたマウリッツを更に一押しし、完全にその防御を破綻させる。そんな一手を打たんとするアルフォンスの機先を制する、その瞬間のみ有用な一撃を、マウリッツは持っていた。
一流特有の理不尽、そう思った時には勝手に身体が動いていた、をそのまま体現したマウリッツの剣が、踏み出したアルフォンスの眼前へと伸びる。
瞬間、アルフォンスの速さが更に一段上がる。
かすめることすらなく一撃はかわされ、すれ違いざまにアルフォンスの剣がマウリッツの首元に当てられ、これを引き斬ることで決着はついた。
倒れ伏すマウリッツに、アルフォンスは感心した顔で語る。
「最後の最後、完全に虚を突かれた。私をして、殺すしかない、そう思えた一撃だった。見事だ」
マウリッツからの返事はない。ないが、アルフォンスの一言にもマウリッツの悔しそうな表情が変わることはなかった。
控室へと戻ったアルフォンスに、早速イェルハルドが苦言を呈する。いやこれは、からかうといった調子に近い。
「ばーっかもんが。真剣勝負で手を抜く馬鹿がおるか」
「手は抜いていない。特に最後は」
「魔術を一切使わぬ時点で手を抜いたのと同義じゃ馬鹿もん。偉そうに上から見下ろしおって。未熟者はな、下から見上げ、愚直に、ひたむきに、剣を追いかけるぐらいがちょうどいいのよ。お主如きが真剣勝負で手を抜こうなぞ千年早いわ」
「ほんっとに腹の立つことばかり言う。人が良い戦いができたと満足していたというのに」
「それが傲慢だと言うんじゃよ。勝っていようと負けていようと剣を交えた後に考えるべきは、己がどれほど足りておらぬかのみじゃ」
は、と鼻で笑うアルフォンス。
「その滅私なあり方は、まるで神に仕える人間のようではないか」
「神に仕えようと精霊に仕えようと、ソレができているというのであれば貴様よりは上等だということだろうよ」
ああ言えばこういう、と抵抗を諦めるアルフォンス。
こうしてイェルハルドが口うるさくしてしまうのは、アルフォンスが思っていた以上に外で成長していたせいだ。
見どころがあるからこそ、ついつい口を挟みたくなってしまう。そういうものである。
現時点まででもイェルハルドは、わざわざエルフの森を出た甲斐はあった、と思っている。
アルフォンスの成長、精神性という意味での成長も含むそれを確認できたのもそうだし、外の一流と言われる剣士たちを見れたこともそうだ。
そして一番の収穫は、今ギュルディに避難場所を確保してもらっている、狼人マグヌスである。
『あの技の系統は、エルフの森にすらないものじゃ。鎧を固め、手足にて剣を受け、攻撃は武器を用いない。なるほど、ただ言葉だけを並べたならば愚行の極みのような武術だが、実際にああして戦っているのを見れば、一定以上の理があるのがわかる。実に素晴らしい、ああした全く新しい武術の系統というのが人間の間に生まれていようとは』
むしろ、ああいった新たな発想、新たな着眼点という部分では人間の方がより優れているのかもしれない、なんてことをすら認めてもいいと思えるほどに、マグヌスの武術はイェルハルドにとって衝撃であったのだ。
秋穂がアレを殺さずに戦いを終えた時は、アルフォンスと一緒になって歓喜の声をあげたものである。
『後は、命を助けてやった恩を忘れるような愚物でないことを祈るのみじゃな』
もちろん、エルフが祈るのは大いなる大地であったり、広大無辺の海であったり、何処までも広がり続ける空であったりだ。
間違ってもユグドラシルなんぞに祈ったりはしないのである。アレの性質をエルフたちは皆よく知っているのだ。
ギュルディは、何かを問いたげにしている涼太を一室に招く。
そこならば誰にも話を聞かれることはない、そんな場所でギュルディは言う。
「ルンダール侯爵のこと、不安か?」
「まあ、な。ギュルディやもう二人の侯爵たちですら機嫌をとっとかなきゃマズイ相手を、こうまでコケにしていいものかってな」
「もちろんよくはない。だが、考えあってのことでもある。外向けには、予想外だという顔もするし、その分の埋め合わせを結果が出た後になって大慌てでするつもりもあるがな」
そう答えるギュルディの顔を見て涼太は笑う。
「おうおう、わっるい顔してんなー。また悪だくみか」
「そりゃあするさ、悪だくみも。私がこのまま王都に居座っていたら、また追い出されることになるだろうからな。利益の基盤が辺境にあろうと、私自身が王に近すぎるんだよ。今はまだ辺境代表なんて顔をしているし、貴族たちもそれで納得しているが、いずれ私が王都で活動するようになれば連中もすぐに気付くさ。私が、王権の強化を望んでいることにもな」
ギュルディはリネスタードにて、涼太たちの世界の本を翻訳したものを多数読んでいる。
歴史の本も、だ。
貴族、諸侯が幅を利かせている国は、王に権限を集中した国に抗しえない、そんな歴史を、理屈も合わせて説明している本を読んでいるのだ。
ギュルディは、ランドスカープ百年の計を考えられる男だ。
なればこそ強いランドスカープを作り上げることがこの国の未来の民のためになる、そう考えられる。だが、貴族たちはそうではないだろう。
呆れた顔の涼太だ。
「いつから考えてたんだか」
だがその言葉にぶすっとした顔になるギュルディだ。
「おい、なんでお前が他人面してるんだ? そもそも、鬼哭血戦台無しにしたのはお前らだったよな? そこからもう一度鬼哭血戦やるなんて話になって、そこでルンダール侯爵がぼろっぼろになって大恥をさらすなんてこと、いつから予想できたと思ってんだ? 鬼哭血戦十番勝負になる話が出てから、私は必死になって現状での最善を模索したんだぞ。そーれーを、よりにもよっておーまーえーが、言ーうーのーか?」
涼太はギュルディほど頭の回転が速いわけではない。なのでゆっくりと考え、そして結論を出す。
「ごめんなさい」
「よろしい」
厳密には、アルフォンスがイェルハルドを連れてきた時点でギュルディの考えていた予定は破綻した。
そこからギュルディは自らの生き残りを懸けて一生懸命作戦を考えたのである。
『とはいえ、何処まで想定通りに進んでくれるものやら。私だけではない。皆、出たところ勝負になってしまっている』
ベルガメント侯爵も好機に乗じただけなのだろうが、と苦々しい顔になるギュルディは、この国で最も信頼しているゲイルロズ王を思う。
『そりゃこんな博打の渦中に、確実な手を好まれる陛下が手を出すわけがないよな』




