017.辺境の悪夢、シーラ・ルキュレ
楠木涼太、不知火凪、柊秋穂、ベネディクトの三人と一匹は、鉱夫が住む地区の外れでつい先ほど武器屋で出会ったアンドレアスという男について話し合っていた。
凪は苦々しい顔だ。
「私ね、父さんの友達が警察に勤めてて、その関係で犯罪者の映像幾つも見せてもらったことあるのよ」
たとえ警察関係者の親類縁者であろうとも、普通は女子高生がそんなもの見たことあるとかありえないのだが、凪はそれを不自然と思っていないのかその辺の一切の説明がないまま話は続く。
「連続殺人犯とかマフィアの有名人とかテロリストとか、そういうのの中にあの人そっくりの感じの人何人か居たわ。上手く言えないんだけど、色々とブレーキが利かない感じの人って普段はああいう雰囲気あるのよ」
秋穂も凪の話に頷いている。
「砦にも嫌な感じの人いたけど、アレはちょっと違うかな。強い弱いじゃなくて、もっと別のところで怖い人だと思う。いやぁ、異世界に来て大して経ってないのにあーいうのに出くわしちゃうんだぁ。もしかしたらこの世界って結構あぶない所なのかもね」
嬉しくもないお話ありがとー、と心底嫌そうな顔の涼太だ。
「とはいえ、そういうのが見てわかるってんならありがたい話だ。勘違いでも構わないから、ヤバイ奴居ると思ったらすぐ言ってくれ」
りょうかーい、わかったよー、と二人からお返事をいただき、涼太たちは路地を出る。
そこは少し大きな通りだ。鉱夫の地区に入るには、この通りを後少し進んだところで角を曲がればいい。そんな場所である。
今は昼日中であるが、ここはそもそも人通りがそれほどない場所なのか、道を歩くのは一人のみ。
しかもその一人が、驚くほどの美人となれば涼太の目も自然とそちらに向けられるというもので。
青みがかった髪は、こちらの世界でも涼太は他に見たことがない。年は涼太たちより少し年上にも見える。体型は慎ましやかではあるが、女性らしさを感じさせないなんてものではない。逆にその慎ましさのせいでか、女性だから云々ではなく、ただ美しいという点に意識が集中してしまう。
どちらかといえば、秋穂に似ているかもしれない。その穏やかそうな表情や落ち着いた雰囲気が、涼太にそう思わせてくれた。
そんな涼太の服を左右から凪と秋穂が引っ張った。
「涼太、アレ、駄目。絶対にマズイ。ゆっくりと私たちの後ろに移動して、今すぐっ」
「涼太くん、アレと目を合わせちゃ駄目だよ。絶対だよ。後ろで魔術の準備してて。ベネ君は寝てるんなら起こして、今すぐっ」
さっきからずっと大人しかったベネディクトは、涼太の懐の中で熟睡中である。
これを揺すって起こしながら涼太は内心のみでつっこんだ。
『いやすぐ言えって言ったの俺だけどさっ! だからってヤバイの出てくんのすぐ過ぎんだろ!』
凪と秋穂はその視界を共有していた。
彼女を視野の内に収めた瞬間、世界の景色が一変した。
夥しいほどの血だ。
赤黒い霧が視界中に立ち込めて、世界の色を赤一色へと染めてしまう。
盗賊たちにもその気はあった。
人を斬った、それも多数の人を斬った人間からは、血の匂いのようなものが漂ってきたのだ。
特に手強かった幾人かからそんな気配を感じ取った凪と秋穂だったが、彼女は、アレは、そんな連中とは最早次元からして違った。
いったいどれだけの人を殺したならあんなことになってしまうのか。
それが錯覚であるとわかってはいても、凪にも秋穂にも、その女の全身から血の滴る音が聞こえてくるようで。
腰に差している剣もよろしくない。
あれは莫大な体積の人肉を、小さく小さく押し込め押し縮めて剣の形に整えたものだ。剣自体から漂う咽返るような血臭はそうとしか説明しようがない。
彼女の表情に、佇まいに、狂気は感じられない。
ただただ、何処何処までも血生臭いだけなのだ。
凪が生唾を飲み込みながら問う。
「ねえ、秋穂。アレ、どれだけ強いか見える?」
「無理。匂いがひどすぎて、動きが全然見えない」
後ろに下がった涼太は鼻をすんすんと鳴らしてみるも、二人の言う匂いとやらは全くわからぬままである。
緊張感の全くない涼太を他所に、凪も秋穂も滴る冷や汗にすら気付かぬほど焦っている。
「まっずいわコレ。多分今、私集中しきれてない。とんでもないポカやらかしそうよ」
「アレ相手にポカなんてしたら、一瞬で何処か持ってかれるよ。どうする? 二人で行く?」
「ダメ。涼太の傍にどっちか付いてないと。あーもう、どうなってるのよこの街は」
向こうも凪と秋穂には気付いているようだ。
じっと二人を見つめている。
そして彼女は苦笑し、言った。
「えっと、警戒するのもわかるけど、さすがに街中で理由もなく始めたりしないよ?」
凪も秋穂も、その女性から常識的な発言がなされたことに、とてもとても驚いた顔をしていた。
「ホント、貴女その血生臭い気配どういうことよ。私こうまでヒドイ人殺し気配漂わせてる人見たことないわよ」
「へー、見ただけでわかるんだ。凄いねー。私そーいうのなんとなくでしかわからないよ」
「ソレ自分の匂いが強すぎるせいじゃないかな。どんだけ斬ればそんなになれるんだか」
「数は覚えてないかなぁ。でも、剣ってさ、斬った人の数だけ艶が出るもんだしたくさん斬るのは良いことだよ。その点で言うんなら二人共、立ち方動き方からはありえないほど人斬りの気配しないよね」
「わーたしたちは人斬りじゃないっての。貴女みたいにつやっつやな娘と一緒にしないでちょうだい」
「それだけ動けそうに見えるのに、ぜんっぜん人斬った感じないんだもん。そっちのほうが驚くよ。人斬ってないのにどうやってそんな隙の無い立ち方できるようになったの?」
「訓練あるのみだよっ。それにそんなたくさん斬ってたら、さすがに何処かで死んでそうな気もするし」
美女三人姦しく和んでいた。
相手も女だからか、凪も秋穂もフードは外しており、ちょっと他ではお目にかかれない見目麗しい光景となっている。
一人蚊帳の外な涼太は、懐の中のベネディクトに訊ねる。
「ベネは血の匂いとかわかるか?」
「戦士独特の物言いなのだろうな、私にもさっぱりわからん。後、極めて危険だと警戒しているはずの人物と初対面にもかかわらず平然とああして仲良くできるところも」
「おかしい……俺、同じ世界出身で同じ学校に通ってて年も同じはずなのに、アイツらのやることよりベネの言葉のほうがずっとよく理解できる……」
涼太の嘆きを他所に女の子たちは楽しそうに話を続けているが、三人が同時に一方に目を向ける。
そこに居たのは一人の男。彼は凪と秋穂には目もくれず青髪の女の子を凝視し、驚愕に目を見開いていた。そして三人が男を見ているとわかると腰も抜かさんほどに怯え、走って逃げ出してしまった。
バツが悪そうに頭をかく青髪の女の子。
「あちゃー、そういえばここ鉱夫街の側だった。忘れてた」
「揉め事?」
「んー、このままだとそうなるかな。ごめん、今日は引き上げるとする」
あらま残念、と言う凪と秋穂に、そのおどろおどろしい気配にまるで似つかわしくない、晴れやかな笑みで彼女は言った。
「私、シーラ・ルキュレ。商業組合の専属宿にいるからぜーったい遊びに来てね。絶対だよー」
シーラと名乗った彼女は手を振りながら走り去っていった。涼太は、手を振るという行為がこちらでも別れの挨拶に相当するとわかって、ちょっと面白いなと思っていたり。
機嫌良くこれを見送る凪と秋穂。涼太はシーラの姿が見えなくなってからぼそりと呟いた。
「覚えてるか? 凪がケンカ売った相手の片方が、確か商業組合のチンピラだったって話」
ぴたりと振っていた手が止まる。
やらかした、といった顔で硬直してしまった凪に、涼太はさっさと逃げるよう促す。
シーラが逃げた原因である何かがこの場に現れたなら、きっと涼太たちも面倒に巻き込まれることになるだろうから。
涼太が色々と話を聞いた村の人間が、街に来た時使用する宿を涼太たちはひとまずの根城にすることにした。
フードを被って顔を隠す二人の女と、これを引き連れたここら辺の者とは明らかに違う顔立ちの男。そんなクソ怪しい三人組でありながら宿が取れたのは、買出しにきた山の魔術師の従者である、と言ってあるおかげだろう。
当初宿の主人はとても怯えた顔をしていたが、涼太が人懐っこく話しかけていると自然と怖さも薄れていったようで、凪と秋穂が宿の部屋で寛いでいる間に気安く世間話ができるほどの間柄になっていた。
部屋に戻った涼太は、今この街で何が起きているのかを、一般の町人が知ってる範囲ならば概ね聞き出すことができていて、これを皆に説明する。
秋穂はしみじみと語ったものだ。
「……きっとさ、異世界で上手くやっていくのに必要なものって、格闘技の技術なんかじゃなくて、他人と上手に会話する方法だと思う」
凪も多少落ち込み気味に同意する。
「涼太見てると、自分がどれだけ役立たずか思い知らされるわ。当たり前の顔で大人に混じって話してるんだもの。目の前でやり方見せられてもまるで真似できる気しないわ」
涼太は複雑そうな顔をした。
「だからっ、前も言ったろ。褒めるんならもっとわかりやすく褒めてくれって。つーか俺のはただ単に相手の機嫌損ねないってだけだぞ。上手な交渉だの有利に立ちまわるだのってのとは縁遠いモンなんだからあんま過剰な期待は勘弁してくれよ」
そんな前置きから涼太の説明は始まった。
リネスタードの街には三つの派閥がある。
一つは昔からこの街にいる住民たちで、農業従事者と地主が中心の人数的には最大勢力でありかつ徴兵は農民が主であるため、軍事と政治双方を抑えたリネスタードの主流とも呼ぶべき勢力。
もう一つは三十年前に鉱山が発見されてから移住してきた鉱夫たちだ。
鉱山労働者というものは専門職に近く、これに従事する者たちは新しい鉱山が見つかるたび移住を繰り返してきた。
それが金であれ銀であれ鉄であれそれ以外であれ、鉱山から産出されるものは規模によっては国家の浮沈すら左右するほど莫大な利益を生み出す。
リネスタードの鉱山はそこまでの規模ではないが、リネスタードの街が生み出す利益の半分を鉱山だけで捻り出すほどの金の成る木である。
人数がそれほど多くはないものの三派閥の一つに数えられるのは、こういった背景あってのことである。
そして最後に最も新しい派閥、商業組合である。
他の街との物流全てを押さえているため、ココと揉めるのは相当な覚悟がいる。
また最近ではまだ王都にしかなかった綿製品の繊維工場なるものを作り、リネスタードの街に新たな雇用を生み出している。
これら三つの派閥がバランスを取りながら街を運営してきた、ということであったのだが最近は鉱夫と商業組合が大きな顔をするようになってきていて、街中で揉め事が絶えないそうだ。
これらの派閥には、それぞれに実働部隊とも言うべき連中がいる。
リネスタードの地主たちが抱えるはブランドストレーム家だ。古くからリネスタードの非合法領域を一手に引き受けてきた歴史ある家だが、何度も身内同士の内輪もめを繰り返してきた血塗られた一家でもある。
ブランドストレーム家の特徴は、彼らは利益を供与してくれる地主たちの味方ではあるが、必ずしも農民たちの味方ではないことだ。
この為、ブランドストレーム家は本来同派閥であるはずのリネスタードの治安組織とは反目の関係にあったりする。
ここまで説明したところで涼太はやるせなさそうにぼやく。
「もうちょっとさ、ファンタジーって奴を期待してもバチは当たんないと思うんだけどなぁ。ゴッドファーザーかよ」
これに対しとげとげしい声で凪が答えた。
「ファンタジーの極みみたいなもの、自分だけ、自分だけ、自分だけ使えるくせに」
「お前それまだ気にしてたのかよ!?」
「一生言い続けてやるー」
「世間様じゃそーいうの逆恨みっつーんだよ!」
凪は魔術が使いたくて使いたくて仕方がないのである。ベネディクトから魔術の才は無いとお墨付きをもらっているというのに。
まあまあ、と秋穂が宥めに入り話は続く。
鉱夫たちは、なんと先ほど出会ったアンドレアスが鉱山チンピラのリーダーであった。
元々荒っぽいタチの鉱夫たちの中でも、若くて血の気の多いのが集まっている集団で、三派の中で最も恐れられている連中でもある。
涼太は当人を見たあとでも今一ぴんと来ないが、凪と秋穂は、さもありなん、と大きく頷いていた。
そして最後に商業組合であるが、ここは商隊護衛のための傭兵部隊がこれに当たる。
一番実戦を経験してそうな連中であるのだが、実際のところは数さえ揃えていれば商隊が襲われるなんてことはないので、その戦力は他二派のチンピラ共と比べて特に優れているということはないらしい。
商業組合の商隊から外れ単独で行商を行おうとすると、かなりの確率で盗賊に狙われてしまう。
こういう真似をするのは大抵鉱夫たちや農民たちで、それぞれアンドレアスたちやブランドストレーム家を護衛に雇って物資の移動を試みる。そして、襲われ被害を出したり返り討ちにしたりといった形になる。
ただ、最近になって商業組合の傭兵たちがデカイ顔をするようになってきたのは、辺境区最強戦士を雇い入れたせいだと言われている。
涼太は嘆息しながらその戦士の名を口にする。
「シーラ・ルキュレ。単身で百の兵を屠る、辺境区が生んだ奇跡の戦士だそうだ」
うんうん、さすがよね、と凪も秋穂も嬉しそうであった。涼太にはやはりこの感性は理解できそうにない。
そして現在、リネスタードの街の治安組織は機能不全に陥っている。農民の味方、武名高き街の守護神が、事もあろうに盗賊一党に殺されてしまったのだ。
そのせいで彼らはまとまりを失い、ある者はブランドストレーム家に膝を屈し、ある者はアンドレアスに庇護を願い、ある者は商業組合との繋がりを求めた。つまりバラバラになったということだ。
それでも街がそれなりに回っているのは、ブランドストレーム家と商業組合傭兵部隊とアンドレアス一党の間に立ってこれを調整している、有力大地主がいるおかげだ。
彼は本来ブランドストレーム家の援助を行なっていた一人だが、かかる混乱に際し、街全体の利益を考えて行動すべし、と皆をまとめにかかったのだ。
この街を治める領主代理には何一つ期待はできないので、彼のように利害を度外視して動いてくれる有力者がいなければ現時点で既に街で武力衝突が起こっていただろう。
一通りの話を聞いた凪は、呆れたように肩をすくめる。
「つまり、今この街には警察なんてものはいなくて、ヤクザだかマフィアだかみたいなのが好き勝手やってるってことよね」
「ありていに言えばそうなるな。そもそもからして、警察に相当する組織自体にも公正さや公平さは求めきれないもんもあるっぽいし。なんていうか、疲れるっていうか、胃に来るっていうか。つくづく俺は、治安の良い土地に暮らしてたんだなって思うわ」
「警察が無条件に公平公正だなんて、向こうだってありえない話でしょ。気にしてたらキリがないわよ」
「……凪は警察、好きなんじゃなかったか?」
「警察官に私が信頼してる人が多いのは事実だけど、信頼できない警察官がいることも知ってるわよ、私は」
そんなもんかねえ、と涼太は秋穂に目を向ける。秋穂は苦笑していた。
「私は警察官に知り合い居ないからなんとも。ただ、私が親しい大人は大抵、警察がキライな人多かったから、ね」
「お前はお前でどーいう人付き合いしてたんだよっ」
「ここだけの話だけどね。逮捕歴ある人ばっかだったから」
涼太が無言で額を押さえるのを見て、秋穂は慌てて言葉を続ける。
「あ、でもね、みんな窃盗とかそういうんじゃないよ。公務執行妨害とかだし、傷害で捕まった人も相手は警官だったし、器物破損だって壊したのパトカーとかで……」
今度は両手で頭を抱えてしまう涼太。凪は何かに気付いたようだ。
「ねえ、もしかして秋穂、瀬川って知ってる?」
「……うわぁ、知ってたんだ凪ちゃん。それ多分、私のおばあちゃん。瀬川光江でしょ?」
なんだそりゃ、といった顔の涼太に凪が簡潔に説明してやる。
「ウチから大体十キロ圏内で唯一の公安監視対象者。おじさんがね、そこにだけは絶対に近づくなって」
「秋穂のばあちゃんはいったい何しでかしたんだよ」
「さあ? でも随分前にそういうのからは手を引いたって言ってたよ。今の楽しみは私を鍛えることだけだって」
きっと鍛えられたのは武術だけじゃないんだろうな、と思ったが口にする度胸のない涼太である。
凪は秋穂の口調から、秋穂は自身の祖母を好いていると感じた。だから瀬川光江に対して持っていた印象を多少なりと修正する。そしてあまり彼女に関しての感想を口にしないようにとも。
秋穂もすぐに別の話題に切り替える。
「ねえ、思ったんだけど。凪ちゃんが警察から聞いた話ってもしかして口外しちゃマズイ話なんじゃ……」
「ああ、それね。その通りよ、基本部外秘ばっかりだからもし上手いこと向こうに戻れた時には、この話は外でしないでね」
涼太は思った。
『おいコラ警察官。身内だからってそーいう情報を気安く高校生に漏らしてんじゃねー』
警察への信頼度が、そこはかとなく低下した涼太である。




