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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第十一章 王都への浸透
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162.鬼哭血戦


 聖都シムリスハムンを脱出した涼太、凪、秋穂の三人は、まだ王都圏にとどまっていた。

 ギュルディの名代を務める王都の商人が、教会側との和平を涼太たちに持ちかけてきた。

 涼太たちは戦争の始め方も終わらせ方も知らない。なのでほとんどその名代である商人に丸投げする形になってしまったが、その要求はきちんと伝えてある。

 別段教会の利権が欲しいわけでもなし、土地を寄越せなんて言うつもりもない。ただ、敗者だというのならば敗者として当然のあり方を示してみせろ、というだけだ。

 名代の商人は、教会側からの詫びと、以後の教会責任者も敗者としての立場を踏襲することを約束させてくれた。

 教会という権威の塊、というか権威のみで生きているような連中を相手に、よくもまあそんな条件を通せたものだ、と三人は感心したものだったが、名代の商人はそう言う三人を見てとても怪訝そうな顔をしていた。


「……敵の王を討ち取るほどの完勝ですよ? しかも、教会側は再度の攻撃を受けたとてこれを防ぐ手段はありえない、と理解しているのです。……信徒としては口惜しいものがありますが、もしリョータ殿を総大主教にしろ、と要求したのならソレでも向こうは受け入れるしかありません」

「絶対にやりたくないからそういうこと言うのやめて、本当、お願いだから」

「ならどーしてここまで徹底的に叩きのめしたんですかー。ホント、何度聞いても意味がわからないんですけどー」


 名代の商人とは、終戦に関する話し合いや、それ以前から色々と手配をしてもらっている中で気安く話をできるぐらいには仲良くなっていた。

 基本的に涼太たち三人は、殺意を向けてくる敵に対しては何処何処までも踏み込むし、ほんの僅かな瑕疵も認めぬし許さない。だが、そうしない相手ならば、その武威からはちょっと考えられないぐらいに寛容であるのだ。

 それを理解した者はこの商人のように、無為に怯え震えるようなことはなくなるのだ。

 それでも怯えるのは凪と秋穂の本当の実力を見抜けるだけの剣の素養がある者ぐらいだ。

 終戦に関する話し合いを代行している名代の商人は、交渉であるからして各種条件のすり合わせを涼太としなければならず、それには彼がすぐに連絡を取れる場所に居てもらいたい、という要望があった。

 これに従い、涼太たちは王都圏の内にしばらく滞在することになる。

 いっそ名代の商人と共にいれば話は早いのだが、これに凪と秋穂の要求が加わる。


「「色々と特訓したいから、しばらく山に篭らせて」」


 千人殺しの立ち回りの中で、凪も秋穂も新たな技術を思いついていて、これを試し、修練し、習熟し、極めようというのだ。

 付き合う涼太も、久しぶりにゆっくりと魔術を学ぶ時間をとる。学習のために必要な資料は、金と商人とが揃っているのだからどうとでもなる。



 事件は、そんな山籠もりが一段落したので、久しぶりに町のベッドでゆっくりしよう、という時に起こった。






 凪も秋穂も、ランドスカープ中を旅してまわる中で、いいかげん顔を隠すことにもさして抵抗がなくなってきていた。

 二人ほどの美貌でなくとも、女性がこれみよがしに若い女性ですとそこらに誇示しながら旅を続ければ問題が起こるのは当然だろう。そんなものは凪や秋穂でなくとも、旅をする女性全てが心掛けていることだ。

 そもそも女性が少数の随員のみで旅をするというのがあまりないことなのだ。

 体型をも隠しおおせるようなフードで身を包んだ凪と秋穂、顔を出して人と話をするのは涼太、そういった役割分担も手慣れたものだ。

 なので三人は特に警戒も注意もせず、その町の中へと入っていった。


「ん?」

「あれ?」


 凪と秋穂が同時に怪訝そうな声を出す。

 涼太は全く気付かなかったが、その声に足を止める。

 どうした、なんて声を涼太は出そうとして出せなかった。凪も秋穂も、その顔つきが変わっている。これは、敵がいる時の顔だ。

 極自然に涼太は数歩下がる。前には秋穂が出て、涼太の更に後ろに凪がつく。

 一応、涼太が問う。


「……やばそうなら、即行で逃げるってのも手だと思うんだが」


 前の秋穂が言う。


「原因を特定しないで放置は、後々に響く可能性もあるよ」


 後ろの凪も言う。


「そもそも、コレ、ちょっと洒落になってない感じよ」


 三人が並んで、町の奥へと進んでいく。

 物音はしない。

 町の中に入ったというのに、人の気配が全く感じられない。

 涼太が問う。


「血の臭いは?」

「「する」」


 この場合の臭いとは、純粋に鼻でかぐ臭いという意味もあるが、戦いや殺人の気配なんて意味でもある。

 音のない中で突然聞こえた戸を開く、ばたん、という音は殊更周囲に響いて聞こえた。

 女性の声。逃げろ、という声と共に戸を開き飛び出してきたのは、まだ年端も行かぬ子供であった。

 必死に走る子供に向かって秋穂も動く。開いた戸から、銀光が閃いた。

 秋穂の踏み込みが勝る。子供へと飛来した短剣は、子供の背に刺さる前に、秋穂が抜いた剣にて弾かれた。

 秋穂はそのまま、戸口にいる短剣を放った者と、まだ走っている子供との間に入る。

 子供に向かって涼太が言う。


「こっちだ! 助けるから走れ!」


 秋穂、凪、共に考えたのは、この子供が三人に対する罠である可能性だ。

 だがそんな殺意に満ちた事件ではなかったようで、涼太の方へと向かって必死に走る様は、どう見てもただの子供でしかない。

 あまりに勢いよく走りすぎたのか、子供はこの距離でもう疲れてしまったようで、涼太の数歩前で減速し、そして、そのままぱたりと倒れ伏す。


「っ!?」


 そこで初めて、子供の背中に既に短剣が刺さっていることに気付いた。

 秋穂が不覚を取ったということではない。入口から飛び出した時既に、短剣は子供に刺さっていたのだ。

 涼太はすぐに子供の傍にしゃがみこみ、背中の傷を見る。

 これは、涼太にも治せぬもの。毒であった。涼太はその毒がどのような効果を発揮するものなのか、傷口や症状を見て即座に判別するような知識など持ちあわせてはいなかった。

 元より大人用の毒なのだろう。影響が出てからは涼太が何をする間もなく子供は絶命した。

 涼太も、凪も、秋穂も、やってることはサイコパスな無法者であるが、突然子供を目の前で殺されて無反応でいるような人非人ではない。

 戸の傍に立つ、子供に短剣を投げた男が、フードをかぶって顔を見せないようにしている秋穂に向かって言う。


「……? 誰だ? 貴様等?」


 これには涼太が返す。


「明らかに事件が起きていると思しき町中で、子供を殺した人間に、誰だなんて問われる筋合いはないんだが。賊が偉そうに町中闊歩しているというのなら、残らず殺してやるから全員出てこい」


 この辺の涼太の発言は、実はその全てが涼太の意志というわけではない。

 こういった場面で涼太は、凪と秋穂に代わってその意向に沿った言動を求められている。凪と秋穂の望む形を満たした上での交渉を一切の意思疎通無しでこなせるのは、楠木涼太以外にいないのである。

 男は苦々しい顔を見せる。


「馬鹿め、部外者は貴様等の方だ。何も知らず足を踏み入れたというのであれば、後ろを向いてさっさとこの地より去れ。馬鹿馬鹿しい、助太刀でも呼んできたのかと思ったわ」

「子供を、殺した理由を、今すぐ答えろ。こっちも道理の通らん殺し合いはしたくない」


 少し驚いた顔をする男。


「随分と義侠心に厚い男だな。いいかよく聞け……」


 そこで通りを挟んで逆側の建物の屋根の上から、別の男が姿を現す。


「おいっ! 遊んでいないでさっさと殺してしまえ! 血戦の最中に何を遊んでいる!」


 扉の傍の男は舌打ちをすると、涼太に向き直って言う。


「鬼哭血戦を知らぬか? 何度も言わん。何も聞かずにこの町を出ろ。これ以上は庇いきれぬ」


 そう彼が言うなり、凪が涼太の頭上に向かって剣を振るう。

 金属音と共に、紐の先に短剣がくくりつけられている武器が弾かれた。

 すぐにこの短剣は紐により引っ張り上げられ、また別の建物の屋根の上にいる男の手へと収まる。

 面倒なことになりそうだ、と秋穂も涼太のすぐ傍にまで戻る。


「おお、なかなかやるではないか。しかし……スヴェードルンドにも随分と似合わぬ甘い者がいるものよ。お優しい殺し屋とは、くくく、随分と笑わせてくれるわ」


 彼の傍には、更に三人の男が集まっている。

 内の一人は戸の傍に立つ男を見て笑っているが、残る二人は剣を振るった凪をじっと見つめている。


「おい、あの女。ちと嫌な気配がする。スヴェードルンドの仕掛けやもしれぬ、油断をするな」

「おい、あの女。フードで隠しているがすげぇ良い身体をしているぞ。あれは是非とも確保せねば」


 二人の男はお互い顔を見合わせる。


「……お前、今は血戦の最中だぞ」

「い、いやすまん。だがな、あの女の凄まじく熟れし身体よ、もう一人は更に上なんだぞ。この俺の目は誤魔化せぬ。ぬぬう、後は顔立ちがどれほどか……」

「誰だコイツを血戦に選んだのは」


 そうこうしている間に、戸の傍の男の隣に二人、最初の屋根上の男の傍に三人、そして屋根上にて四人いた男の後ろから二人の影が見える。

 否、それだけではない。通りの先に、建物の背後に、巨斧をかついで、異形を晒し、ただものならずと一目でわかる戦士たちが涼太を見ている。

 戦いの心得のない涼太にもわかる。戸の傍の男たちと最初の屋根の上の男たちが仲間で、これと対峙する形で後から現れた屋根上の男たちの集団がいると。

 涼太は双方に向け、言った。


「子供を、殺した理由を言え。答えないんなら全てを賊とみなす。凪、秋穂、顔を出せ」


 涼太の指示に従って凪も秋穂もフードを外す。

 その一瞬は、大抵の戦士に大きな隙ができる。とはいえそこをついては道理が通らぬ。

 じっと待っていると、彼らはようやくこちらの正体に気付いてくれた。


「きっ! 貴様らまさか! 千人殺しのアキホとナギか!」


 彼の驚愕の声に涼太が答える。


「そうだよ。で、どうするんだ? やるのか? やらないのか?」


 返事は、聞くまでもなさそうだ。

 二つの陣営が争っている、そんな感じであったようだが、そのどちらもが強烈な敵意を涼太たちに向けてくる。

 屋根の上、周囲を仲間に囲まれ両腕を組んだ大男がにやりと笑う。


「なんとも珍しき事態になったものよ。横入りなぞ、もう長いこと起こっておらなんだろうに。だが、鬼哭血戦に選ばれし我らバーリフェルトが道を譲ってやる道理もなし。良かろう、スヴェードルンドの雑兵も、貴様等も、まとめて始末してくれよう」


 はあ、と嘆息した涼太は、通りを町の入り口に向かって戻りはじめる。

 すた、すた、と数歩歩くと、その涼太の姿がぼやけて見えるようになる。いや、そこから更に、徐々にその姿が薄れていっているではないか。

 完全に消える直前、涼太は二人に残した。


「凪、秋穂、やっちまえ」

「うん!」

「任せなさい!」






 王都の大貴族とも言うべき者の屋敷は、それこそ百人を超える客を迎え入れることすらできるような邸宅として作られている。

 中でも三大侯爵と呼ばれているベルガメント侯爵の屋敷であるここは、実際にそれだけの貴族が訪れている今も、貴族の邸宅らしさを一切失わず、優雅に客を迎え入れていた。

 それだけの貴族たちが集まって何をしているかといえば、それは『鬼哭血戦』と呼ばれるランドスカープに伝わる決闘の一種である。

 双方、十人ずつの戦士を選びだし、これを戦わせその結果により、貴族同士の争いを解決する、そういった儀式だ。

 この場に集まっている全員、もしもがあってはならぬ尊貴な立場であり、そういった決闘を直接見られるような場所に行くわけにはいかぬ。

 なので戦場は別の場所で、そして、その経過はというと、二つの陣営がそれぞれ持つ巻物によってわかるようになっている。

 大半の貴族が集まる大広間では立食形式のパーティー会場となっているが、その中央に、二つのソファーと低いテーブルが置かれている。

 そこに、相対するように二つの陣営が座る。

 鬼哭血戦は、王都中の有力貴族が二つに分かれて争う形になるが、それぞれにその代表となるべく貴族がいる。

 この二人の貴族は、今回の戦いにそれこそ身代のほとんどを賭けてしまっているような家だ。結果次第で以後数十年の家の浮沈がかかるとあっては、相手を慮る余裕なぞどこにもありはしない。

 だがそれでも、優雅たることを要求されるのが貴族だ。

 スヴェードルンドの里に全てを託した初老の貴族は、椅子に座りながら、時折忙しなく指を動かしている。

 闇の剣客集団バーリフェルトを擁した若き貴族は、老貴族の対面に座りながらそんな彼を見てせせら笑う。


「どうにも、頼りなき戦士を頼ってしまったようですな。無理をなさるからこのようなことになる」


 老貴族は若貴族を睨み付ける。


「抜かせ小僧。貴族の重責を理解すらできぬ不出来な跡取りを持って、先代はさぞや嘆かれていたことだろうよ」

「父も、貴方も一緒だ。古きにしがみつき、能力の有無をすら見抜けぬ。磨くべきを磨いてこなかった老害の末路はさぞや哀れなものでしょうな」


 二人の前のテーブルには、それぞれ開かれた巻物が置いてある。

 巻物には順に、十人の名前が記されている。鬼哭血戦、参戦者の名前である。

 これを後ろの者にも見えるように開いて低いテーブルの上に置く。

 決戦は長丁場であることが常だ。

 戦闘開始の時間以後になっても、それぞれ代表者が席を離れることは許されているが、大抵の代表者は決着がつくまでその場を離れない。

 余裕の表情を見せている若貴族も、随分なものを賭けてしまっている。緊張や恐怖がないわけではないのだ。

 それぞれと関係の深い貴族が、まだ始まったばかりだ、と飲食を勧め、談笑に花を咲かせながら結果を待つ、というのが貴族たちの習わしである。

 が、状況は即座に動いた。


「おおっ!」


 誰が出した声か。

 老貴族の前に開かれていた巻物の、右から二つ目の名が燃え上がったではないか。

 噴き出した火はしかし、巻物を燃やすことはなく、ただその名前のみを焼き尽くし、巻物の上から消し去った。

 若貴族の会心の笑み。老貴族は表情を変えず。

 だが背後の貴族たち、立食形式でこの大広間にいた他の貴族たちは早速声を上げはじめた。


「はははっ! 大穴! いただきましたぞ!」

「なんという、なんという波乱の幕開けか。かつてこのように早い時間に動きがあったことなどなかったであろうに」

「これはあんまりではないか。私は今回が初参加なのですぞ? だというのにこのような荒れた展開がくるとは……」


 彼らは、貴族同士の利権争いとは別に、この鬼哭血戦がどのような展開になるのか、誰が死ぬのか、誰から死ぬのか、何時死ぬのか、といったことを賭けにして楽しんでいるのだ。

 すぐに、今度は若貴族の巻物で、一番左端の名前が燃え上がる。

 大広間に貴族たちの歓声があがる。

 鬼哭血戦は、二日、三日とかかる場合もある。そんな時は集まった貴族の大半はこの会場ではなく、自宅にて結果のみを聞くという彼らにとっては味気ないものになってしまう。

 なので、今日一日で決着がついてくれそうな速い展開は、彼らの望むところであるのだ。






 屋根の上の顔色の悪い男が、声高らかに笑い声をあげた。

 そんな男に対し、何一つ手を打つことができない、凪と秋穂だ。

 忙しすぎてそれどころではないのだ。


「狂信者、ってのも大概だったけど、死人ってのはもっと厄介よね!」

「ほんっと、腹の立つことしてくれるよ、アイツらっ!」


 凪と秋穂の周囲には、この町の住人であった無数の死体が群がっている。


「見たか! これぞ我が秘術死人繰り! 私が最も得意とするのは剣士を殺すことよ! 噂の剣士、アキホ! ナギ! いずれも我が手柄となれい!」


 町中の人間がいなかった理由。戸の傍の男が町の人間を殺していた理由が、コレである。

 死人は死を恐れず、死人は急所が欠けても死なず、それでいて、手にした武器を操る動きは生前のそれと大差ない。いやむしろ、屋根上の男の術により、いっぱしの戦士として以上に動けている。

 大した術だ、というのには凪も秋穂も同意するが、だからとコレを好きになれるかどうかは別問題だ。

 明らかに何の罪もないだろうただの被害者でしかない町の人間の身体を、死体であるとはいえずんばらりと斬り倒すのはさしもの凪や秋穂にとっても心にクるものがある。

 秋穂に向けて注意を促す凪。


「秋穂! コレ腕だけ足だけでも動くわよ!」


 これに返して秋穂。


「四肢斬り落としてもダメってもーどーすればいいのー」


 ひどいことに、斬り落とした手足が、別の斬り落とした人間の手足としてくっつく、なんてことまである。

 これこそがスヴェードルンドの里必勝の陣、死人包囲だ。

 そんな意味の分からぬ術を前に、術の構造を見抜くだの、弱点を探るだのなんてことを、凪も秋穂も放り投げる。


「じょうっとう! そういうことならぜーんぶ斬り潰してやるわよ!」

「ぜったい、ぜったい、ぜーったい、あの顔色の悪い男! 私が八つ裂きにしてやるううううう!」


 凪と秋穂と死人使いの男だけではなく、町の各所で激戦は続く。






 鬼哭血戦の開始は朝である。

 だが、昼を前に既に状況は動いている。開始直後から既に二人の脱落者を出したのだ。

 そんな展開に盛り上がる大広間を他所に、この屋敷を会場として提供した三大侯爵の一人、ベルガメント侯爵は、盟友であるフランソン伯爵と共に別室にてワインを傾けていた。


「フランソン伯、今回は勝てんかね」

「まず、無理でしょうな」


 ベルガメント侯爵は、若貴族の側についている。政敵であるルンダール侯爵は老貴族側だ。

 とはいえ負けるというわりにベルガメント侯爵に焦りは見られない。


「アレは自信満々であったがな」

「鬼哭血戦に剣士を持ち出そうというのがそもそもの誤りでしょう。まともに斬り合ってなどくれませんよ、スヴェードルンドの里は」


 元々、ベルガメント侯爵とその周囲の者たちが、他に先んじて辺境との取引を拡大させていったのが原因だ。

 そういったことを得意とするのがベルガメント侯爵派閥なのだが、これに貴族的な立場や地位を口実にルンダール侯爵が難癖をつけてきた、というのが今回の争いだ。

 つまりは働いてはいないけどこちらにも分け前寄越せ、という話だ。

 相手はベルガメント侯爵であるからして、ルンダール侯爵がいつも目下の者にそうするように、全ての利権をこちらに寄越せ、なんて真似はできない。

 なので今後に繋がるような取引以外を譲ってやる分には、後々には大して影響は出ないだろう。そんなわけで余裕の表情なのである。

 とはいえ若貴族に代表されるように、身代を賭けるような真似をしている者もいる。それが鬼哭血戦であるのだが、そんな彼らへの援助も請け負ってやるつもりなので、負ければそれなりには損失は出る。


「というか、こちらが相応に損してやらねば向こうも納得はすまい」

「ベルガメント侯のそんな言葉、ルンダール侯が聞けば発狂しかねませんな」


 辺境との取引で莫大な利益を確保できそうなベルガメント侯爵とその派閥貴族たちは、そうできなかった者たちの嫉妬をうまくかわす必要がある。

 何しろ他者の足を引っ張ることにかけては、何代にも渡って積み上げてきた手練手管を持つのが貴族だ。なればこそ貴族社会においては、何事もお互いを立て、尊重し、敬意を払い、そして隙を見て一切の反撃を許さず完璧に打ち滅ぼす、といったことが必要なのである。

 鬼哭血戦に敗れるということは、貴族社会の中においては大いに面目を失うことでもある。

 そういった名の部分を譲ってやることで、ルンダール侯爵の機嫌を取ろうという話でもある。

 ベルガメント侯爵は、そのために個別の賭けでもわざと負ける準備までしているのだ。


「こんな子供だましを仕掛ける我が身の不足を嘆くべきか、こんな子供だましが通ってしまう相手を憐れむべきか」


 侯爵の嘆きに、フランソン伯はくすりと笑って答える。


「我に返るのは大広間で盛大に賭けの負けを嘆いてからにした方がよろしいかと。それまではせいぜい、勝った負けたで楽しく一喜一憂していればいいではありませんか。気楽なものでしょう?」

「まったく。お主という理解者がいてくれねば、このような苦行到底耐えられるものではなかったであろうよ」


 ははは、と笑う二人の部屋に、珍しくもノックの音が響く。

 従者は心得たもので、よほどのことがなくばベルガメント侯爵とフランソン伯爵の二人の密談を邪魔するようなことはないのだ。

 そしてもたらされた報告は、確かにそうするべき必要があるものであった。






 ベルガメント侯爵邸大広間にて、四人目の死者が出たのがちょうど昼頃。

 その展開の速さに皆が興奮していた時、ソレが起こった。

 老貴族も若貴族も、どちらももう余裕なぞない。睨み付けるように巻物を見つめていたのだが、二人の眼前に、それまでとは比べ物にならないほどの大きな火が噴き上がった。

 大慌てでのけぞり火をかわす。老貴族の方は反応が遅れてしまったようだが、周囲の者がこれを助け、椅子を立ってテーブルから離れる。

 テーブルの上では、双方の巻物が炎に包まれていた。

 細かく見れば順に名前が一つずつ燃えてはいるのだが、一つが燃え尽きる前に、更に次、その次、と燃えていくので、火が絶えることはない。

 その炎が全ての名より放たれると、双方の巻物を完全に燃やし尽くし、そしてテーブルの上には黒い煤が僅かに残るばかりとなった。


「な、なんと……」

「馬鹿なっ!」


 老貴族、若貴族、どちらも勝利の自信を持っていた。だが、この現象が何を意味しているかはわかっている。

 双方全滅。相打ちにて決着つかず、である。

 大広間中の貴族たちが驚きの声を上げる。

 このようなこと、これまでの鬼哭血戦においても数えるほどしかなかった。

 だが、結果は出たのだ。

 決着つかずとなれば、最初に定めた条件に基づき、どちらにとっても有利とは言い切れぬ形で話をまとめることになる。

 貴族間の事情をよく知る者は、この結末に驚きを禁じ得ない。

 何故なら若貴族の出した闇の剣客集団バーリフェルトは、今回の鬼哭血戦が初めての参戦であり、対するスヴェードルンドの里はこれで三度目とあって、有利不利は事前にはっきりとしていたはずなのだ。

 そもそも老貴族の背後についているルンダール侯爵は、この鬼哭血戦に向いた暗殺者たちへの強い影響力を持ち、対するベルガメント侯爵は表に出ている剣士に影響力を持つと言われている。

 鬼哭血戦に持ち込めた段階で、有利はルンダール侯爵の側についていたはずなのだ。

 これを引き分けに持ち込まれたのだから、表面的にはともかく、ルンダール侯爵は内心腸煮えくり返っているだろう、と。






 双方全滅引き分け、の報告を聞いたベルガメント侯爵とフランソン伯爵は、二人にしては珍しく驚きをそのまま顔に出してしまっていた。


「なんと」

「まあ」


 顔を見合わせながら、二人共脳内で今後の様々な展開を考える。

 こめかみを押さえるベルガメント侯爵。


「何か、良い機嫌取りを考えてはくれぬか、フランソン伯」

「……その、なんとも。いっそギュルディに全て投げてしまうというのも……」

「そちらの方が高くつくだろう。……あー、しかし、確かに、そうするのが一番綺麗に収まる、か。もういっそ、アクセルソン伯は潰すか。アレに全部押し付けてしまえればこちらの損失も大したものにはならん」


 アクセルソン伯はつい先ごろギュルディへの対抗心からリネスタードに大軍を送り込み、ギュルディの切り札によってこの軍を壊滅させられ、現在その地位を保つことすら危ういと言われるほどに追い込まれている。

 三大侯爵がベルガメント侯爵とルンダール侯爵ともう一人ならば、五大貴族と呼ばれる内の一人がアクセルソン伯である。五大の一角が崩れかけるのと入れ替わりにリネスタードのギュルディがここに食い込んでいくというのが、王都圏の貴族の考える今後の展望だ。

 一つ気になっていたことを、フランソン伯はベルガメント侯爵に告げる。


「一度だけ、引き分けの結果が出たにもかかわらず後になって結果が覆った例があります」

「何?」

「横入りが行なわれ、第三者により両陣営の戦士が全て討たれてしまった場合です」

「おお、確かにそんなものもあったな。確かその時は……」

「ええ、とんでもなく揉めました。その時は横入りをさせた者が侯爵位にありましたから、下手をすれば大規模内戦すら起こりかねない状況になっております」

「ああ、父が若い頃にそんな事件があったと話してくれたことがある。その時はもうどうにもならず、王に全ての差配を委ねたと」

「その結果、王の権力は今のソレとなりました。横入りした挙げ句、スヴェードルンドの里、闇の剣客集団バーリフェルト双方を打ち滅ぼせる者がランドスカープにいるとは思えませんが、一応、初動を誤れば大変なことになりますので、頭には入れておいてください」


 ベルガメント侯爵はやはり苦笑で返した。


「覚えてはおく。が、これ以上の面倒は勘弁してほしいものだ。今私が一番したいことは、辺境との取引の話だけなのだぞ」

「そちらも大概、手間のかかる話なんですがね」


 二人は同時に笑う。まだ、この先の大いなる混乱を、何も知らぬ幸せな頃の二人であった。





 拳を天へと突きあげる凪。


「おっしゃあああああああ! 勝ちいいいいいいいい!」


 双方ちょうど十人ずつ。それも、並々ならぬ腕利きばかり。

 秋穂はとても嫌な予感がしてはいたのだが、ぶっ殺すと襲いかかられればやることは一つだ。

 この件の裏を探るのは、姿を消している涼太に期待するしかない。


「さて、今度はどんな敵が出てくるやら」


 涼太はこの時、姿を消す魔術で町を離れた後、町の周辺に遠目遠耳の術を飛ばしていた。

 案の定、この町を監視している多数の人員がおり、彼らは凪と秋穂の飛び入りにとても動揺していた。

 彼らがしきりに漏らす単語を聞くに、侯爵だの、伯爵だの、貴族の首が飛ぶだのといった話が聞こえてきて、涼太は新たな厄介ごとを確信する。


「……教会と和解の話もまだ終わってないんだけどなー。どーしてこう次から次へと……」



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― 新着の感想 ―
[一言] ギュルディの胃痛
[良い点] 相変わらず一気読み出来る [気になる点] 続き
[良い点] 前回のリネスタード組が蜂蜜とガムシロップのカクテルのような甘々時空でまさか三人にも余波で進展が!? とか思ってたらこっちは相変わらず地獄ラーメンにデスソースぶっかけてて安心した
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