152.前線後方相互の無理解
それは、おおよそ軍と呼ばれる組織が考え得る最強の布陣である。
ランドスカープは剣術をこそ尊ぶお国柄ではあるが、兵士には剣だけではなく槍と盾も持たせる。それが有効だからだ。
ましてやここのような幅が限定されている場所で、少数の敵を打ち倒すというのなら、これ以上に適切な陣はありえまい。
兵士が横隊を組み、これを幾重にも積み重ねる。最前列は盾を構え、盾の間より槍が伸びる。二列目以降は槍を上に立てることで前が倒れても即座にこれを埋められるよう備える。
お互いの肩が触れ合うほどに接近してこの陣を組むと、盾の隙間を抜くことも、槍の間を潜ることも、難しくなる。
綺麗にそんな陣を組むのは実は結構難しいのだが、彼らはこれを完璧にこなしている。
「前進!」
後方の隊長よりの指揮の声だけが聞こえた。
凪と秋穂がそうしたように、歩幅を合わせ、歩調を合わせ、これこそが軍の行進なり、と兵を進める。
如何な難敵であろうと、絶対の勝利を約束する陣、そう確信して彼らは進む。
凪は、一言つぶやくのみ。
「秋穂」
「おまかせー」
そんな横列に秋穂が正面より突っ込む。
飛び込む秋穂を防ぐように槍先をそちらに向けるも、ただ腕で動かすだけのそんな動きを、秋穂の全身運動が易々と凌駕する。
構えた盾の直前まで踏み込むのは一瞬、盾が邪魔してそんな秋穂の動きを見切れた者など誰一人いやしない。
そして盾の前に秋穂は両手の平を添えて、呼吸を合わせ、放つ。
『絶招、打雷爆炸』
これを見た凪は、秋穂の腕が以前より格段に上がっていると確信した。
秋穂を中心に広がっているのだろう衝撃が、兵士の震えを通して綺麗に半円状に広がっていくのが見える。
兵の群の中にあっては、その震えはほんの僅かなものにしか見えない。
だがそれは、確実な死をもたらす、人の身では決して受けきれぬであろう、岩をも砕く衝撃波である。
兵士の身体の震えは、中心であるほど小さく、衝撃が広がっていく外側であればあるほどに大きくなっていく。
そして、外縁に到達。
声なき悲鳴をあげながら、外縁に位置していた兵士たちが宙を舞う。
疾走する騎馬に跳ね飛ばされたかのように、巨人に蹴り飛ばされたかのように。だが、それはもちろん一人ではない。
外縁にいた全員が、八方目掛けて弾け跳んでいったのだ。
或いは、中国拳法に言うところの八極、大爆発とはかくやあらん、といった勢いで彼らは空を飛び、そしてその威力がどれほどのものであるのかを証明するかの如く、或いは壁面に叩き付けられ潰れ砕け、或いは地面を何処までも転がり削られ死に、或いは複数の兵を巻き込みこれらを圧殺する。
外縁付近にいた兵士たちは、そこまでではないものの外に弾かれるようにしながらふらふらとたたらを踏んだあとで倒れる。
中心近くに居た兵はまた違った。
彼らはその場にあったまま、真下に向かって力なく崩れ落ちたのだ。
ただの一撃で、数十人の兵士たちが全て死んだ。
陣を組んだ者で生き残れた者はただの一人もいない。
そしてこれは幸運なことなのか不運なことなのか、この時、陣が組まれるぐらいに態勢を立て直していた教会軍では、各陣営、各派閥の者が第一弾の斥候を放っていた。
自分だけが利を得ようと虫の良いことを考え、そんな好機を探るべく様子を探る兵を出していたのだ。凪、秋穂襲来の報を受けるなりすぐに。
そんな斥候たちは、コレを見た。
ようやくたどり着いた、さあどんな戦を見せてくれるのか、そんなある種余裕の表情で見ていた彼らは全て、その一撃にて余裕が消し飛んだ。
もちろん、対処を任されているこの場の隊長もそうである。
「あ? え?」
彼がそんな言葉を漏らしたのは、隊長という立場上、何かを言わなくては、なんて意思が働いたせいだ。
そしてこれを為した黒髪の秋穂は、彼らが立ち直る前に金色の凪を伴い、彼女らがなぎ倒した兵の遺体を踏みつけながら進んでくる。
別段彼女たちに死者を蔑ろにする意志があるわけではない。単純に、行く道全てが死体で埋まっていただけの話だ。
それでも、そうされた教会軍側はそうは受け取らない。
敵を尊重する気などない、敵は打ち砕き踏みにじる、そんな無惨で残虐な意思をそこから感じ取る。
兵の一群が失われようとも、そのすぐ後ろには別の兵士たちが群をなしている。それが軍隊というものだ。
だが、その最前列になってしまった兵士たちは、あまりにも呆気なく失われた前衛に、畏れ、慄いてしまっていた。
斥候の一人がこの場の指揮官の傍に走り寄り、耳元で小さく囁くと、指揮官は目を大きく見開き覚醒した。
「各小隊毎に集まれ! 第七小隊から数字の順に仕掛け! 敵を包囲しろ! 相手はたった二人だ! 三千の軍が二人を相手に怯えたなどと! 死者の館で笑い者にされるぞ!」
やるべきことを指示してやれば、兵たちは動く。
また指揮官は副官を後方に向かわせ、本部に戦況の報告をさせる。伝令兵にはすぐにこちらに兵を回させるよう各隊に指示を出させ、主道を迂回しつつ二人を包囲するよう作戦提案を行なう。
指揮官は傍で忠告してくれた斥候に問う。
「こ、これでいいか?」
「はい。私は主の下に報告に向かわねばなりません。どうかこの場をお願いいたします。ご武運を」
「う、うむ。すまぬ、助かった」
頷き、斥候は走り去っていった。
斥候が彼に助言してやったのは、ここが一気に崩れでもしたら彼の主に多大な迷惑がかかるからであるのだが、動揺している指揮官はそれに気付けず、心からの感謝を述べた。
それを、心苦しい、と思うていどの良心は斥候にもあった。
『せめても、急ぎ主にこれを伝え、援軍を連れてこれれば』
だが、斥候の目から見ても、それは望み薄に思える。
あの、一瞬で歩兵陣を粉砕してみせた怪物を相手に、あのような頼りない指揮官ではどうにもならぬ、とわかっているし、報告の時もきっと後方の陣はそれほど時をかけずに崩れてしまうだろうと報告はする、だが、斥候はそれでも、彼の無事を祈らずにはいられなかったのである。
実際のところ、秋穂の絶招打雷爆炸は、あそこまで兵たちが密集していないと効果的ではないので、あれと同じ陣を組むでもなければそこまで恐れることはない。
ただ、歩兵が陣を組んで凪と秋穂を迎撃するとなれば、あの形の陣形が最も効果的だというのも事実であり、それが通用しない、というか秋穂にアレをやっては絶対にマズイとなれば歩兵たちによる二人への対処が難しくもなる。
現状は凪も秋穂も、まだ押し寄せてくる兵の圧力がそれほどでもないことから、あまり足を使うことなく敵数を減らすことに注力している。
凪にとっても秋穂にとっても、こうして全周囲を敵に囲まれながら立ち回るのはそれほど珍しいことではない。
だが、二人を襲う兵士たちは違う。
「た、隊長っ! ダメです! 全然剣が届きません!」
「槍を使えと言っただろう!」
「で、ですが、ほらっ、あそこ見てください。槍なんて、一発で弾かれてお終いですよ」
槍は細い棒ではない。武器としての槍は相応の重量があるものだし、てこの原理を利用できる長柄の武器を弾くのは、相当な膂力がいるものだ。
しかるに凪も秋穂も、子供が振り回した木の枝を手で払うていどの気安さで、槍を弾き近接し殺傷する。
その踏み込みの速さは長柄による利点を簡単に覆すもので。かといって剣で挑めば、今度は剣を振る前に殺されてしまう。
一度に対処しきれない数の剣で襲う、といった誰しもが思いつく手を仕掛けたとしても、である。圧倒的で絶対的な速さの差があるのだ。
それは技量の差であったり、経験の差であったり、単純な身体能力の差であったり、そういった様々な要素が生み出す速度差が、今の一方的な蹂躙劇を生んでいる。
「たっ! 盾だ! 盾で囲んで一斉に圧し潰せ!」
そんな叫び声一つで、小隊指揮官が即座に反応し、部下に命令してそのための陣形を作ってくれた。
隊長が未熟でも、徴兵された隊の小隊長は実戦経験豊富であり、こんな現実離れした戦場においても冷静に動いてくれた。
上がダメでも、下はそれなりに対応するものだ。上が馬鹿だから死にました、なんて話に納得するつもりは、どの兵士にもないのだから。
が、駄目。
盾で一斉に圧しかかるとなれば、押し込む兵士は敵の姿を視認しにくい、ということでもある。
盾の上から顔を出していても、低く沈み込まれればあっさりと視界の外に逃げられてしまう。それは、凪、秋穂を相手には致命的なものだ。
するりと盾に密着すると、二人は同時に体当たりを食らわせる。破裂音と共に兵がその場に崩れ落ちたのが秋穂で、兵士が後ろの数人を巻き込んで一緒に吹っ飛んだのが凪だ。
兵の率い方や勇気の示し方は知っている小隊長たちであるが、戦の有利不利はあまりに複雑すぎ、また専門的な知識を要するため判断が難しい。
だから彼らは兵の本分を果たすことこそが、生き残る術だと考えている。
正しい。全くもって正しい兵士のあり方だ。ただ、相手がコレの場合は正解ではない。
己のできうる限り最大の力を叩き込む。それは率いる兵士たちを含めての話で、小隊全員で一丸となって敵に向かい、思いつく限り最大の攻撃を叩き込む。
彼らは雑兵ではあるが、思考を全て放棄した愚者の群ではないのだ。決して賢者ではないが、彼らは彼らなりに知恵と力を振り絞る。
それが、届かないのが凪と秋穂である。
それらを踏みにじれてこそ、軍を相手に戦ができるのだ。
凪が上機嫌に叫ぶ。
「思ってたより! しっかりしてるじゃない! 教会の兵士も!」
苦笑しながら秋穂は返す。
「ホントに! 楽はできなさそうだね!」
ここまでで二百人弱の敵を斬ってきたが、二人の呼吸に大きな乱れは見えず。
かつてウールブヘジンを相手に戦った頃と比べても、格段にその地力は増しているのだった。
本来は閲兵式に用いられる予定であった広場に簡易の指揮所を設け、そこで勇ましい声と共に部下たちに命令を下しているのは、今回の総指揮を任された十聖剣だ。
凪、秋穂来襲す、の一報がもたらされた時の皆の反応は、正気か、であった。
ここは教会戦力が結集している最大集積地でもある。
本来はここから各地に兵力を散らし、凪と秋穂を捜索しながら何処に現れても即座にこれを包囲できるよう、その兵の動かし方こそが今回の戦いの肝である、と皆が考えていたところだ。
なのに、探すまでもなく、しかもわざわざ最も戦力が集中している時に、隠れるでもなく堂々と姿を現したことが全く理解できないのだ。
ただ、より信じられないのは第二報である。
「す、既に殿の兵が百は斬られております!」
閲兵式に臨む兵であるからして、当然武装はしている。そんな兵士が百人、たった二人を相手に、それも二度目の報告なんていうロクに上が反応もできぬ短い間に殺されたというのだ。
幕僚の立場にある者たちがそんな馬鹿なと声を荒らげるも、総指揮官はうろたえない。
「思わぬ事態に遭遇し動揺するのもわかるが、まずは落ち着け。報告は、百人が斬られた、それでいいのだな?」
「は、はい。また急場の対応として……」
行進の末尾付近にいた隊長が周辺の兵を集めてこれを指揮し対応していること、その対応の具体的内容を報告する。
総指揮官は彼の言葉に不快げに眉を寄せるが、表立ってこれを責めるようなことは言わなかった。
「報告はわかった、貴様は下がってよろしい」
報告者が退席すると、総指揮官は隠していたつもりの不愉快そうな表情を表に出してきた。
「たかが二人の狼藉者を相手に、この慌てぶりはどうだ。クリステルが連中もまともに動けるよう整えてきたのではないのか? まったく、面倒ばかり押し付けてきおって……」
総指揮官は丁寧に敵を包囲するよう部隊の配備を決め、伝令を送る。
その指示を終えると幕僚に対してぼやく。
「このていどの指示、何故自分たちでできんのか」
彼の指示通りに軍が動けば、それだけで二人は仕留められると確信している総指揮官は、現場ではこんな簡単な判断もできないのか、と嘆いているのだ。
「上がしっかりせねば兵は動かぬのは、教会に限ったことではありますまい。……手柄の配分は、お考えですか?」
「手柄になるか? こんな馬鹿の首が?」
それは、たとえ討ち取った武勲があったとしても、十聖剣入りするほどの武勲にはならないし、させない、という意味だ。
幕僚は懸念が晴れたのか頷いて下がった。
つい先ほど、指揮官討ち死ににより前線の指揮をするハメになった隊長は、本部からの指令に思わず怒鳴り返してしまう。
「包囲!? アホか! 連中自分から突っ込んできてるんだぞ! つーか指示通りのうっすい壁で防げるものか! 兵士はありったけ多層に陣を重ねないと連中の侵攻は防げんぞ!」
「は、はあ。とはいえ、本部からの命令は以上でありますが……」
「くっそ! 包囲はする! すりゃあいいんだろ! だが主力は二人を押さえ込む壁に使うぞ! それと! まだ馬鹿みたいに行進続けてる連中にこっちに戻れと命令出させろ!」
第四報が本陣に届いた。
それは総指揮官が望んでいた内容とはかけ離れた内容で、また、思わず怒鳴らずにはいられないような話であった。
「ただの一撃で五十人が殺されただと!? どこの馬鹿だ! そんな寝ぼけた報告をあげてきたのは!」
魔術ならば可能、という発想は皆持ってはいるが、そんな大掛かりな魔術を使える魔術師は少なく、貴重な魔術師を戦場に出すなんて真似をする者はもっと少ない。
炎の魔術を使えかつ優れた剣士であり、危険な任務も厭わない十聖剣メルケルは極めて稀有な例であったのだ。
それにこれまで集めたどの情報からも、アキホとナギが魔術師であるなんて話はなかった。
ここまでの四度の報告で、総指揮官の前線への信用は地に落ちてしまった。
「教会の神兵たるものが、なんたるザマだ」
そう言って隣の同じく十聖剣の男に目を向ける。
全身を真っ赤な鎧で覆ったその男は、総指揮官の視線に頷いて返す。
「よし、では前線は任せる。……念を押しておくぞ、間違っても自身が剣を交えたいなんて言い出すなよ」
「わかっている。不本意ではあるが、役目を忘れるようなことはない」
そして赤騎士はにやりと笑う。
「お前の、剣ではなく軍を学べ、は聞き飽きるほど聞いた。せいぜい指揮官らしく振る舞ってみせるさ」
「ああ、頼んだ」
赤騎士が本陣を出ると、総指揮官は疲れた顔で嘆息した。
「これで前線も引き締まってくれればいいのだが」
赤騎士は、自身の剣の技量に絶対の自信を持っている。
もし、現時点で及ばぬ相手がいたとしても、一度見れば対応することもできるし、より勝る剣才によってその相手を上回れると信じて疑わない。
そんな赤騎士の最速の動きで、一度斬りつけるための挙動を一単位とするならば、その一単位の間に、凪も秋穂も、二人、三人を斬り倒してしまうのだ。
「馬鹿、な……」
貴様は下がっておれ、なんて言葉と共に現場で指揮を執っていた隊長より指揮権を奪った赤騎士だったが、馬上から陣の先で戦う凪と秋穂を見て、指揮をすら忘れて見入ってしまっていた。
まず、金属鎧が全く意味がない。鎧の上から斬られているのに、刃は鎧に食い込み、引き千切り、内の肉骨を裂き砕く。
そんな真似をしておきながら、その剣は曲がることも折れることもない。
そして、二人の強さはそんなところに原因はない、とわかるだけの剣才を赤騎士は持つ。
あの速さは、素の身体能力ももちろんあるが、鍛錬によって身体に染み込ませた技術故のものでもある。
呆然としていた赤騎士は、すぐに自身の不覚に気付いて声を荒らげる。
「くそっ! 歩兵を集めて陣を組め! 盾と槍を……」
これまで指揮をしていた隊長が、赤騎士に意見を述べる。
これまでの経緯を、惨状を見せながら説明するからついてきてほしい、と。
そんな暇はない。そう言う赤騎士の意見に隊長も全く同意見であったが、コレを指揮官に迎えるというのであれば、こうするのが最速で最善だと隊長は考えたのだ。
十聖剣に対する無礼に当たる行動を、内心びくびくしながらゴリ押す隊長は、裏道を通って迂回しつつ、赤騎士に五十人の兵が一撃で吹っ飛ばされた戦場を、あの二人が行進していた時の一定距離毎に死体が転がる異様な光景を、全て見せ説明して回った。
赤騎士についてきた本陣の兵も共に行動させたのは、コイツらにも現状を理解させ、内の幾人かを本陣への報告に使おうと思ったからだ。
赤騎士の態度を見て、隊長は本陣がこちらの報告を真に受けていない、と即座に察したのである。
『うん、わかる。俺も本陣でふんぞりかえってたら絶対に信じなかった。なんなんだよこれ。説明してたら改めて思った。意味がわからねえよこの生き物二匹』
説明を終え、元来た道を戻りながら隊長はこれまで実行した対策を話す。
当たり前に軍の指揮官が思いつく対策はほとんどやってみたが、いまだかすり傷の一つも負わせることはできていない。
現時点での結論を隊長は述べる。
「とにかく、もうまっとうな手じゃ討ち取るのは無理です。今は少しでも被害を少なく、時間を稼いで二人の体力切れを待ちます」
二人はこの主道を大聖堂に向かって進軍しており、これを止めなければならない、という目標もある。
赤騎士は、とても常識的な意見を述べた。
「いや、普通なら、とっくに体力、尽きてないか? あの動きで、ここまで暴れまくっておいて、まだ保つというのか?」
「わかりません。ですが、アレをまともな人間、というか生き物だと考えるのは危険なことだと私は考えます」
そこで少し躊躇しながらだが隊長は言う。
「或いは、恐るべき魔獣として、対処すべきかと」
ここにいるのは全員教会関係者だ。当然、魔獣ガルムのこともよく知っている。
それは言い過ぎだ、と口にしたくて、しかしそう言い切れぬものもあり。
赤騎士は返答をせぬまま、前線に戻る。
隊長が舌打ちする。他の者は少しの間気付いていなかったが、赤騎士がそれと気付いて愕然とした顔をしている。
たった二人を相手に、前線が家三軒分ほど押し上げられているのだ。迂回して後方の被害を確認してきたこの短い間にだ。
隊長は赤騎士に、細かな指示を出す許可を取り、小隊毎の配置と装備、戦闘時心掛けることを伝え、敵の侵攻を防ぎつつも損耗を最小限に抑えるよう手配する。
この時隊長はわざと指示の理由を一々説明しながら彼らに伝えるようにした。
これは部下に伝えながら、同時に赤騎士とその取り巻きたちに、指示の妥当性を理解してもらうためだ。
「……よし、わかった」
悩んだ末であったが、赤騎士はそう言って頷くと、部下に本陣への伝達を命じる。
また一時的にこの場を隊長に任せつつ、更に後方で部隊を編成して秋穂と凪を屠る策を準備すると告げる。
隊長は問う。
「弓ですか?」
「だけではないがな。軍用の投網は、どう思う?」
「数を揃えられるのでしたら良き思案かと」
「騎馬横列は?」
「主道の広さならば本来は可能でしょうが、兵と遺体が詰まっている現状はあまり……」
「……魔術師を使う。各司教が連れてきた精兵はどうした?」
「二名ほど殺された後は音沙汰無しです。イングヴェ騎士団の斥候は見かけましたが、三人衆、ルーヌ道場、どちらも見ておりません」
「己のことしか考えぬ俗物共め! もし来たのなら時間稼ぎに使え。使い潰しても構わん、私が許す」
そんなこと言われても、隊長が指示を出してもきっと連中言うこと聞いてくれないだろうなー、とか思いながらも隊長はそんな感想はおくびにも出さず、神妙な顔で了承する。
それを見て満足気に頷くと、赤騎士は配下を引き連れ部隊の編成のため後方に向かった。
そして、隊長は彼の姿が見えなくなってから心の中で呟く。
『ふつーさー、ここの指揮を自分でやって再編を部下にやらせる、よなぁ。ま、腰抜かさないだけマシってもんかね』
ビビって腰が引けている人間がどういう行動をとるのか、隊長はよくよく理解しているのである。