151.金と黒の行進
きらびやかな軍装、強い光沢のある鎧。そんな兵士ならではの装束に身を固めた者たちが整然と列を為し、街の大通りをねり歩く。
全ての兵士は目立つ場所に教会のシンボルを付け、勇壮で、荘厳で、それでいて華やかで。
行列は同じものの繰り返しではない。
教会直轄の兵と、徴兵により集まった兵と、また各地から集められた精兵は、それぞれ独特の兵装で群衆の目を喜ばせ、そこに名を馳せた騎士団、剣術道場などが続く。
その趣旨の一つに、殺された司教の追悼という意味合いもあるのだが、それは今の時点では教会関係者のみに公開されているもので、集まった群衆はただただその豪壮な兵たちに喝采を送るのみだ。
訳知り顔の民たちは、あれはどこの兵で、あの軍装はどこの戦士だ、と語り合い、その戦歴や武勇伝を口にする。
シムリスハムンに招集された各司教直轄の腕利き戦士たちも、普段の横柄さは鳴りを潜め、神に選ばれた聖なる騎士の如き堂々たる様で進む。
民衆の前を歩み、司教や聖卓会議の前に集結し閲兵する。それは、士気や軍の規律を高めるに、大きな効果があった。
街の主道を大聖堂に向かって進む行進は、三千人もがそうすると長い長い行列になる。
そして沿道に集まった群衆はこれを飽きもせず見続けているのだが、どんなものにも終わりがあり、この行列もいつかは尽きる。
それを彼らは残念そうに見送る。民衆がこうであるから、末尾を進む兵士も気を抜くなんて真似は許されない。
むしろ最後をきちんと締めてみせねば、と気合いを入れているほどだ。
「じゃ、行こっか秋穂」
「うん」
最後尾の兵士が道を抜けていっても、この後ろに続くような者はいないし、ここからは道路は好きに使っていい、なんて勝手をする者もいない。
兵たちが行進してきた道は、普段からは考えられぬほど人通りのない道になっている。
ここに、二人の女が立つ。
並んで立ってはいるが、二人の間には人が数人入れるぐらいの距離がある。
一人は金の髪を左右二か所にまとめる、ツインテールという髪型の少女だ。二つの長い尻尾が背中にしなだれかかっている。
世の女性全てがうらやんでやまぬ、女性らしい肢体の持ち主であるが、より以上に、その容貌にこそ注意が集まるだろう。
簡素な革鎧という女性らしさも美麗さも全く感じられぬ装いでありながら、その顔一つで、印象全てを一新する。
人の世にあってはならぬ、絵画の内か、はたまた天上世界にしかありえぬ、太陽の如く輝かしき絶対の美がそこにある。
もう一人は黒の髪。輝く金色と対をなし夜の闇を表すかのよう。
しっとりと艶みがかっているこれを一つにまとめてまっすぐ背中に垂らしていると、夜が彼女を覆い隠しているようにも見える。
そして体型という意味では、先の金色の彼女より上であろう。
女性らしい美しさ、というものから連想させる全ての要素を備えている。
これこそが女性の美の極致であると断言できるほどの、魅惑の肢体だ。
そんな至高と夜との間に、黒髪の彼女の最も美しきものがある。
誰の目をも惹きつけるこれら二つが、付属品でしかないと誰しもが納得する美しき顔立ちがそこにあった。
それは美のみでなく、見る者全てに安らぎを与える慈母のものだ。
「おい……」
「あれ、なんだ?」
「……すっげぇのがまだ残ってたよ」
兵の全てが通り過ぎ、立つ者もなくなった主道のど真ん中に二人が並んで立つと、これを認めた観衆たちがざわめきだす。
勇壮な兵の行進であったものが、突如美の祭典へと。
申し訳ていどの勇壮要素である革鎧や腰に下げた剣に、注目する者など誰もいない。
だが、それもここまでだ。
凪と秋穂、金と黒の戦士が同時に告げる。
「「マーチ!」」
一歩、二人は同時に右足から進み出て、全く同じ歩幅、歩調で大股に主道を進んでいく。
その足の進め方を見た観衆は、この金と黒が、綺麗に着飾り壁にたてかけておく芸術品ではないと察する。
右、左、右、左、交互に繰り返される足の踏み出しは、そこに勇ましさを感じさせる勢いのあるものだ。
二人は、前方を進む隊列の最後尾を見続けている。
凪と秋穂の視界からは、行列全てを見ることはできない。距離が離れているうちはあるていど遠くまで見ることができるが、それでも金属光沢のきらめきが群をなしている、ぐらいしかわかることはない。
行列は何処までも伸び、そのはるか先、視界の上の方に小さく細く伸びている、シムリスハムン大聖堂にまで続いているのだ。
これを、全部殺すのならば、確かにこうするのが一番だ。
行列の一番後ろから、一番前まで、一直線に殺して進むのが、一番速い。
二人はまた同時に言う。
「「抜剣!」」
後数歩、間合いの内に入る前に、凪と秋穂は剣を抜き放った。
二人の声は、さきほどから観衆の妙なざわめきに気付いていた行列最後尾の者が、その正体に気付く切っ掛けになった。
いるはずのない場所から聞こえてきた声に、幾人かが後ろを振り向く。
その中に、各地の司教が連れてきた剣の達人が混ざっていたことが、彼らにとっての唯一の幸運であった。
「んなっ!?」
剣を抜いた女が二人、後ろから追いすがってきている。
これを見た達人以外の全ての兵士は、なんだこりゃ、と不思議そうな顔をした。いや、内の半数は凪と秋穂の麗しき容貌に心囚われてしまっていた。
いずれも、これを敵だとは認識していない。
だが、達人だけにはわかった。
二人の呆然とするほどの技量が、二人の背後に続く道いっぱいに広がる血の大河が、迫りくる絶対死の気配が、聳え立つ山脈の如き武の高さが、見えてしまったのだ。
「敵襲だあああああああ! 総員迎撃準備いいいい! 今! すぐ! 陣を組めええええええええ!」
二人が辿り着く前に、もっと言えば二人が誰かを斬る前に、これを叫べたのはこの達人の大金星と言えるだろう。
ただ、達人の危機感を、ここの兵士の誰一人共有していなかった。だから、やはり奇襲は成功してしまった。
「へ?」
「あれ?」
なんて声と共に、二人の兵の首が飛ぶ。
そして、直後に四人が斬り飛ばされた。
凪と秋穂で攻撃のペースは違う。敵が違うのだから当然ではあるが、何故か二人の歩幅も歩調も一緒のままだ。
秋穂と凪が同時に右足を踏み出す。
秋穂は左の敵を袈裟に斬った後、斬り返して正面の敵をなぎ倒す。凪は正面の敵の首脇を突いた後で手首を返して外に払うことで右の敵の胴を薙ぐ。
動きは違うし、身のこなしも違う。だが、それでも足はぴたりと一緒のまま。更に言うなれば、突入前と速度は一切変化しておらず。
速足のような速度で、右、左、右、左と一定の歩調を維持したまま、行進中の教会兵たちを背後から次々斬り崩していく。
「お、おあ、おうあああああああ、ああああああああああ!」
剣を振る姿を見て、達人は更に理解を深めた。
最初に見た二人の姿すら、その真の力の一端でしかなかったと。
陣を組めば、兵を揃えれば、対抗できるなんて相手ではなかったと、達人はようやく理解しえたのだ。
彼は驚愕と恐怖に身体が硬直したままで、意味のない言葉を繰り返しながらそれを見つめ続ける。
それしかできない。それ以外を、彼は許されていない。この場全てを支配しているあの金と黒に。
完全に呑まれてしまった達人は、彼がこれまで積み重ねてきた技量をただの一欠けらも発揮することなく、通りすがりに秋穂に斬られた。
そこまでに斬られた数は十を超える。
それだけ殺されているのに観衆はこの惨劇にも無反応であったのだが、ようやく、彼らは、あってはならぬことが起こってしまったと理解した。
「ひいあああああああああ!」
飛び散る血飛沫、肉飛沫に、恐怖した観衆たちは悲鳴を上げて逃げ始めたのだ。
『なーんで毎回毎回、攻めるって顔して剣まで抜いてるのに不意打ちになるのよっ』
なんてことを考えながら凪は足を進める。
きちんと剣を抜くと宣言までしてやったのに、兵の行列はいまだ陣を組むことすらできていない。
それどころか、こちらの騒ぎを無視して前を向いて行進を続けている者までいる。まあ、教会の威信をかけた行進であるからして、後ろを振り向くなんて真似は本来してはならない行為であるのは確かだ。
だからと後ろを向いたまま斬られて死ぬのはどうかとも思うのだ。
とはいえ凪の方にも余裕がそうあるわけではない。先は長いのだから体力の消耗は最低限に抑えなければ、ということでこうしてゆっくり歩きながらまずは戦うことにしたのだ。
『わざわざ苦労をしたいわけじゃないんだけど、筋が通ってないのも嫌なのよね。我ながら面倒臭いことだと思うわ』
今回なんかは、一人の勘の良い男が警戒の声をあげていたのに、やっぱり誰も反応はしなかった。
だが、そろそろまっとうに動き出すのも、経験から知っている。
ちら、と凪は秋穂を見る。秋穂の視線はじっと前を見据えたままだ。
身体は左右に大きく振れているのだが、身体の軸ともいうべき部分は全くブれずにいる。
こういう珍しいことをする時、秋穂は凪よりもコツを掴むのが早いので、よく参考にさせてもらっている。
『んー、こんな感じかな』
目の前に見本があれば、簡単に真似ることができてしまう凪も大概であろう。
そもそも秋穂がコツを掴むのが早いのは、身体を動かすということはどういうことなのかを、数多の型を通して祖母から徹底的に叩き込まれているせいだ。
知識もそうだが、その身体にも、秋穂は数多の知恵を詰め込んでいるのだ。
『こういう技量の奥行きは、まだまだ秋穂に勝てる気がしないわね』
一瞬を見極め、瞬間的な動きの速さ正確さを追求する、といった部分では凪が上なのだが、隣の芝が青く見えるのはどんな上級者であろうと付き纏う問題であろう。
凪と秋穂の行進はまだまだ止まらない。
その足を止めるほどの戦士は出てこず、対応を要求されるほどの陣は存在せず。
場当たり的に対応してくる兵士を、ばったばったと斬り倒すのみ。
上空から見下ろす形を取れるのであれば、その無残さがよくわかるだろう。
何せ、まだ凪と秋穂が進むほんの数十メートル先では、事態に気付いておらず観衆に応え手を振りながら行進をしている者がいるのだ。
そんなゆったりとした行列を後方より迫る二つの点が、早足に踏み砕いていくのだ。
これまで二人が踏破してきた道の上に、生き残りは存在しない。
気付かず斬られた者、気付いて驚きながら斬られた者、危機に気付いて対応しようとして斬られた者、恐るべき脅威に怖れ怯えながら斬られた者。
いずれも、軍隊の反応ではない。である以上、凪も秋穂も行進を止めることはない。
被害は、拡大しつつあった。
飯沼椿は、一応、依頼されたことを果たすべく説得するフリはしてみた。
だが、当然というか予想通りというか、涼太、凪、秋穂からの反応は渋いものであった。
王都圏にいるギュルディ配下が心配する、今三人が討たれることは辺境への武力行使を誘発するものである、という理屈も理解はしているのだ。
その上で、自分たちの予定も都合も曲げる気はない、というのであれば椿にできることはもうない。
せいぜい何処までやれるものか、見届けてやるぐらいだ。
説得に失敗した椿は、作戦行動中は涼太と行動を共にする、と申し出た。
それは涼太にとっては意外な申し出で、その理由を問うと、それは椿なりに必要に迫られてのことであった。
「私はさ、きっとこの先もアンタたちの関係者扱いされると思う。それは一部事実でもあるし。つまり、アンタたちの動向に私の将来もそれなりに左右されるってことよ。なら、せめてもアンタたちを理解するぐらいはしておかないと、必要な対処ができなくなる。今回みたいにね」
きっと、と続ける。
「私は、こっちの世界の人間では理解できない部分も、アンタたちを理解できると思う。アンタたちの考えをあるていど理解できる人間が王都圏に一人いるってのは、アンタたちにとってもそれなりに有益だと思うんだけど、どうかな?」
「俺の読みが甘かったら死ぬことになるが、その時は恨まんでくれよ」
「ここの安全性は、こっちの商人が保証してくれてるんだから大丈夫だと思うわよ。てか、そこの二人はそれが確認できなきゃ絶対に外には出ないって顔してるけど」
凪と秋穂は同時に慌てた様子で言い訳をする。
まずは凪が。
「そ、そこまでじゃないわよ。ただ、ほら、無駄に危ない目に遭う必要もないわけだし」
次に秋穂が。
「そ、そうだよ。それに、生きて戻れたんなら絶対に涼太くんの世話になる状態になってるだろうし、私たちにとっての生命線なんだから」
涼太と椿が同時にじと目で凪と秋穂を見る。
お前が言うな、な意思をその視線からきちんとくみ取ってくれたようで、二人は揃って目を逸らした。
その日の夜は、涼太、凪、秋穂に、椿とこの地における案内人である商人が一人付き合い、聖都シムリスハムン内の屋敷にて、ゆっくりと睡眠をとった。
朝の食事は涼太が作った。
同席した椿が正直に味の感想を述べてやると、凪も秋穂もフォローはせず、やはりそっと目を逸らすのであった。
「いやお前らだって似たようなもんだからな。俺だけ下手くそみたいな顔すんなよ」
商人が料理人を手配することもできたし、なんなら椿がやってもずっとおいしいものが作れただろう。
だがこの日の朝の食事は涼太が作るで決定していたし、凪も秋穂も涼太の作った食事以外を口にする気はなかった。
そして、凪と秋穂の二人は昼頃に屋敷を出ていった。
出た後で、椿は涼太に問うた。
「随分とあっさりしてるのね」
「最初からこのつもりだったしな」
「最初っていつから?」
「……教会とやるって決めた時からだよ」
椿は呆れたような、諦めたような、どちらともつかぬ顔で言う。
「絶対、アンタたちおかしいわよ」
「知ってる」
涼太は最初からこのつもりであった。
教会を相手に戦争で勝つには、教会の持つ最高戦力を結集させたうえで、これに突っ込んで蹂躙し踏みにじり、更にその先にいる聖卓会議を皆殺しにするしかない、と。
そこまでやらねば、教会ほどの権威と権力の塊が、たった三人を相手に敗北を認めるなんてことはありえないだろう、と。
それは、凪と秋穂の意を汲んだ選択であるからして、こんな暴挙としか言いようのない作戦にも、凪も秋穂も不満なぞあるわけがないのである。
凪と秋穂の行進は続く。
高所より見下ろす形だと、兵の行列を後ろから削り取っている二人の挙動がよく見えよう。
二人が進むたび、整然とした行列は千々に乱れ、兵たちは物言わぬ遺体となって主道に転がる。
そこにはある種の絶対性が見て取れる。
二人が追いついたのなら、必ず兵は斬り殺される。そしてその行進は一定の速度で進むため、それは人の為したことにあらず、自然や機械が法則に従ってそうしているかのようで。
だがそんな恐るべき風景を知ることができるのは、これを遠目の術で空より監視している涼太一人のみ。
行列の中段に位置していた司教直属の剣士は、泡を食った様子で駆けてくる兵士より、凪、秋穂来襲の報を聞いた。
「おお! なんたる僥倖!」
たった二つのみの手柄首に、一番近い所にいるのが自分なのだから、興奮するのも無理はない。
喜び勇んで駆け出す剣士は、しかし、その光景を見て足が止まってしまった。
二つの球がある。
この球は、触れる全ての者を害せずにはおれぬ殺人の球だ。
斬られ、弾かれ、くぐもった悲鳴が尽きることなく響き続ける。
道の後ろには、これの犠牲となった遺体が並ぶ。数は数えきれない。数十を、いやさ百をすら、超えているかもしれない。
剣士にとって、兵たちなぞは雑兵と笑い飛ばすていどの相手だ。幾ら束になってかかってこようと負ける気など欠片もしない。
だが、それでも、こうまで無惨に、こうまで無造作に、こうまで無感情に、殺して回れる気がしない。
技だのなんだのを問う前に、戦士としてのあり方の時点で敗北を喫している、そう剣士は感じてしまった。
「思い付きすらせなんだわ。俺ならば、できたやもしれぬというのに」
百を超える兵の群に、単身飛び込みこれを皆殺しにして回るなど。
それは人の道に反すると、当たり前に自身を制してしまっていた。
しかるに、この眼前の二人の女狂はどうだ。それが剣の道ならば、とまるで躊躇する様子も見えぬ。
圧倒的な敗北感は、それ故にこそ、剣士は最後に残った僅かな矜持の欠片に執着させられてしまう。
それでも、覚悟に違いがあろうとも、心構えに差があろうとも、剣の技だけは己に勝算がある、と。
剣士が凪を狙ったのは、単純に、そちらの方が近かったからだ。
吸い寄せられるように、ふらふらと剣士は凪の傍へと近寄っていき、間合いの外で一呼吸。そして、裂帛の気合いの声と共に上段に振り上げた剣を振り下ろした。
踏み込みは、甘かった。死体が転がっていたせいで、ほんの半歩のみだが狙いがズレた。
動揺も剣先に残っている。ほんの一月前、ようやく改善した悪い癖も出てしまっていた。
『……そんな、小さな理由ではない、か』
剣士は、剣を振り下ろしきることができなかった。
凪の半歩の踏み出しのみで、剣士の企み全てが打ち砕かれ、振り下ろした剣ごと首を斬り飛ばされた。
凪の気配の変化に気付き、秋穂も足を止める。
凪自身も少し驚いた様子だった。行進を止めるつもりもなかったはずの凪が、知らず半歩踏み出して、行進を止めてしまっていたのだ。
「なる、ほど。今のは、先がある剣だったみたいね」
あの踏み出しならばもっと良い打ち込みが、凪の足をすら止めねばならぬほどの一撃が、あったはずだと凪は無意識に判断していたのだ。
剣についた血を払って落とした後、凪は同じく足を止めている秋穂に問う。
「どのぐらい殺せたと思う?」
「百もいってないんじゃないかな。まったく、先は長いよ」
「覚悟の上でしょ」
そう言って先を睨むとそこには、ようやく陣を整えることをするようになった、兵士たちの姿があった。
ようやく前座は終わり、ここからが戦の本番である。