015.街に行ってみよう
凪と秋穂の二人は、縁が額にかかるぐらいのフードを被っている。
もちろんこれでは顔を隠す目的を果たせないが、そこにベネディクトが魔術を用いるとあら不思議、フードが伸びて二人の顔を隠してくれる。
これの良いところは目を覆うほどに深くフードを被っているように見えても、凪と秋穂の視界は遮られないことである。
後の問題は、両者の女性的魅力豊かな体型である。特に秋穂はソレが目立つのだがこればっかりはどうしようもない。だぼだぼの貫頭衣を着ることで女性であることは誤魔化せないまでも、見た者の視覚を誘引する効果を軽減する。
自らに瑕疵があるでもないのにそんな手間をかけ、こそ泥のように顔を隠さなければならないことを凪はとても不満に思っているようで。特に表には出していないが秋穂も良い気分ではなかろう。
涼太は道中何度もこれを説明し、その必要性を力説する。
「こちらの存在が街側に伝わる前に街の情報をどれだけ手に入れられるかで、その後の展開が大きく変わってくる。そこはわかるな? なら、俺たちはそのために必要な手間を惜しむべきじゃない。もちろん、もし俺の顔が広く知れ渡ってたら俺もお前たちと同じように顔を隠してた。凪と秋穂だからどうこうって話じゃない」
今はまだ人の通りもないのでフードを外した凪は、ぱたぱたと手を振る。
「わかった、わかったわよ。そんな何度も言わなくても納得するからっ。……ただ、世の理不尽に愚痴るぐらいは許されてしかるべきじゃない?」
「おめーは愚痴るで済まさなさそうだから言ってんだよ。自分じゃそうじゃないつもりみたいだけどな、俺も、秋穂も、ベネも、全員が思ってるぞ。俺たちの中で一番自制が利かないのはお前だってな」
「なっ!? なんでよ! 私結構我慢してるわよ!」
「……なんでついこの間あれだけのことしでかしときながら、平然とそんな台詞吐けんだよお前は……」
凪は、つん、と横を向く。
「あれは私の中じゃ我慢しちゃいけないことだったのよ」
「だったら一人で突っ込むんじゃなくて全員で作戦考えてから動くべきだったろーがっ!」
「あーもうっ! 次はそうするわよ! 結局、秋穂も、ベネ君も、涼太も来ちゃったもんね。ホント、どうかしてるわよアンタたち」
「おめーがそれ言うな!」
凪は口を開け声を上げて大きく笑う。
ほんの数秒前までは不機嫌の極みであったのが今はもうこれだ。何かと振り回される涼太であったが、こうやって子供みたいに屈託なく笑う凪を見ていると怒る気が失せてしまう。
美人だから、綺麗だから、そういった理由ではない。凪は本当に楽しそうに笑うから毒気が抜けてしまうのだ。こんなにも無防備に、無邪気に笑う女の子を涼太は他に知らない。
涼太は学校での凪の悪評を思い出す。
『コイツの性格が悪い? どっから出た話なんだか』
多少癖のある性格ではあるが、人に嫌われるような人間にはとても思えない。
そんな話をしていると秋穂が凪に注意を促す。街道を行く三人と一匹の傍を、荷馬車が通り過ぎていく。
ちらほらと人の姿が見られるようになったので、凪と秋穂はフードを被り直す。
涼太は改めて自らのした準備を思い出す。
『服、問題なし。人とすれ違った時も特に挨拶はしない、無視。歩き方、文句は言われなかった。目は合わせない。興味がない風でいるのが一番、だったな』
街に来る途中で村に寄って、リネスタードの街で問題を起こさないための注意を聞いておいたのだ。
彼らの注意が良かったのか、涼太たちが上手くやったのか、三人は誰にも見咎められることなく高台からリネスタードの街が見下ろせる場所まで辿り着く。
涼太はその威容を見て、感嘆の声を漏らした。
「すげぇ、ガチの城塞都市だ」
盗賊砦ほどではないがかなりの高さの城壁が、街全てをすっぽりと覆ってしまっている。
辺境都市という名から想像される田舎臭い雰囲気はまるでない。これでもかと人の手の入った、正に城塞の威容であった。
驚いたのは涼太だけではないようで、秋穂がフードの内側ポケットに収まっているベネディクトに尋ねた。
「こんなおっきな街が幾つもあるの?」
「ランドスカープの国にか? ふむ、流石にこの規模の都市は二十もあるまい。それにリネスタードはかつて魔獣討伐の最前線であったからな、頑強な城壁を必要としたのだろう」
はえー、と驚きからか大層間抜けな声を漏らしたのは凪である。
現代に生き、高度な文明に育った涼太たちであるが、巨大な人工建造物というものはその巨大さだけで人を圧倒しうるものなのだ。
しみじみと涼太が呟いた。
「税金の力ってなすげぇもんなんだなぁ」
街までの道中に見かけた建物の貧相さを考えるに、あれだけの城壁を作り上げるのは涼太たちが想像するより遥かに困難な作業であるだろうに、といたく感心しながら一行はリネスタードの街入口へと。
城壁のすぐ外にはぐるりと取り囲むように水をたたえた堀があって、この堀をまたぐように正門前に橋がかけられている。
涼太は少しどきどきしながら橋を渡って入口へと。
衛兵に声を掛けられる。涼太の顔つきはここらの人間のそれとは思えず、また同行者二人も顔を隠しているので当然の対応だろう。
涼太は内心のどきどきを悟られぬよう殊更に平坦な声で答える。
「山の魔術師の従者だ」
そう言って涼太が見せたのは、見る者が見ればそれとわかる魔術の力のこもった物品である。手の平に乗る大きさの、狼の絵が描かれているメダルだ。
衛兵はもう見るからに怯えた様子になった。
「あ、ああ、そうか。わかった、行ってくれ」
魔術師の関係者と揉めるのは御免だ、そうあからさまなほどに態度に出ていた。
きっとこの物品の価値もわかってはいないだろう。
『色々と雑だなおい』
とはいえ楽ができるのならそれに越したことはない。
三人は城門の下を通る。城壁のぶ厚さがわかる薄暗いトンネルを歩く。
トンネルを出てすぐのところも、高い高い城壁のせいで日当たりは最悪だ。だがそこに広がる光景は、涼太の目にはとても新鮮なものに映った。
煉瓦造りの二階、三階建ての家々が主道沿いにずらりと立ち並ぶ、異国情緒溢れる街並みが見えたのだ。
「おー、かんっぺきにファンタジーしてくれてんじゃん」
涼太の感想に、凪が不思議そうに言う。
「ファンタジー? そうかしら、どっちかっていうと東欧の都市そのまんまって感じじゃない?」
「見たことあんのか?」
「何度かね。妙に色鮮やかな煉瓦とか、もうまるっきり向こうそのまんまよ。正直異世界っぽさは感じないわね」
「残念か?」
「ううん。この世界に住んでいるのも同じ人間なんだって、ようやく実感してきたところ」
外ではあまり大っぴらに会話はしない、そういう話であったのだが涼太も凪も、初めて見る異世界の都市に興奮気味でそんな約束も忘れてしまっているようだ。
せめても自分は、と秋穂は周囲への警戒は怠らず建物ではなく人をじっと見ている。
足を止めてしまっている涼太と凪に、視線を向ける者も出てきていた。
「二人共、ほら、止まってたら目立つよ。歩く歩く」
小声でそう言いながら二人の背を押すと、二人は言われるがままに歩き出す。だがその目は周囲の建物に釘付けで、完全に田舎から出てきたおのぼりさんである。
せめても凪は魔術でフードを被っているように見えるから問題はないが、涼太がきょろきょろしてるとさすがに目立ってしまう。
なので秋穂は涼太にだけそれを注意した。涼太の、どうして自分だけが、といった不満顔が凪がそうした時の顔そっくりに見えて、思わず噴き出してしまった秋穂である。
楠木涼太、不知火凪、柊秋穂、そして秋穂のフードの中の白ネズミ、ベネディクトはリネスタードの街の中央通りを進む。
まず一行が向かったのは、彼らがうろうろしていてもそれほど不自然ではない場所、不特定多数の人間が集まる市場である。
楽しかったのは最初の十分だ。
見たことがあるような無いような食べ物が露店で売られていて、あれはなんだ、これはどうだと小声で話し合いながら見ていたが、市場自体は思っていたより狭かったためあっという間に見終わってしまった。
早々に飽きてしまった凪と秋穂はさておき、涼太はベネディクトに値段が書かれた板を読んでもらって物価を確認する。
魔術で会話はできるようになったが文字を読むのは無理らしい。これも急いで覚えないとな、と涼太はベネディクトが教えてくれた数字や文字を一発で覚えようと集中する。
リネスタードで一番大きな市はここであるが、街には他に二か所市が立つそうだ。
市での取扱商品は食料品が主だ。それ以外のものは基本的には職人から直接買う形らしい。
この説明をしているベネディクトは涼太と小声で会話するため、現在涼太の服の内側にぶらさがっている。
「他所の市に行っても品ぞろえは似たようなものか?」
「市なぞロクに見たことはないが、恐らくはそうだろうな。こんなところをうろつくよりも、情報収集をしたいのなら一度宿なりを拠点にして魔術を使ったほうがいいのではないか?」
「それだと俺しか見れないだろ。凪も秋穂も、ここがどういう街で、どういう国なのかを知っておく必要があるだろ」
「……確かに。特にナギだな。アレには早急に人の世の常識というものを教えなければなるまい」
「そうそう。今のままじゃいつやらかすか、おっかなくってしょうがねえよ」
ははは、と二人で笑う。
もちろん二人の会話は小声であり、凪には聞こえないようにしている。
不意に後ろから声を掛けられる。
「ねえ、涼太」
涼太とベネディクトが冷や汗をかいているのも知らず、凪は涼太の背中をちょいちょいとつつきながら言った。
「この街、鍛冶屋あるんでしょ? 露店はもういいから、武器見に行きましょうよ」
金物は鍛冶屋の傍で売っている。凪の興味はもうそちらに移ってしまっているようだ。
「あー、もうちょっと待ってくれ。後そっちの店の値段覚えて……」
涼太の言葉が途中で止まったのは、市中に響く怒声が聞こえてきたからだ。
「おいっ! 商業組合の連中来てんぞ! てめえらついてこい!」
「何い!? あのクソ共なめやがって!」
「ぶっ殺してやんぜ! 道具持ってこい道具!」
「正門でたむろってる連中呼んでこい! 今日こそ連中ぶっ潰してやらぁ!」
興奮した様子の若者たちの集団が、怒鳴り声と共に一方に向かって走り出す。
彼らが駆け出すと、すぐに秋穂と凪が反応した。
「凪ちゃん、どうする?」
「行くっ」
「だと思ったよ。涼太くん、いい?」
「ああ、でもトラブルは無しで頼むぜ」
わかったよー、と、任せてよ、の言葉を残して二人はすぐに走って追っていく。
そんな焦らんでも、と思いながら涼太も二人の後に続く。
凪も秋穂もチンピラたちの様子に注目していた。だが、涼太が気になったのは別のものだ。
チンピラたちが怒声をあげて集まり騒ぎ出すのを、市の人間たちはとても不安気に、或いは不満気に、見つめていた。
間違っても、チンピラたちが市を守ってくれている、市のために戦ってくれているなどとは考えていないような顔だ。
『普通、チンピラってのは地元の連中じゃないのか?』
幼い頃から知ってる若いのが、どれだけイキがっていようと大人たちから見れば子供がはしゃいでいるようにしか見えない、そんな話を聞いたことがある。
涼太がベネディクトから聞いた話では少なくとも、涼太たちの現代がそうであるように近所付き合いが希薄になるほど人口が多いだの人の移動が激しいだのといったことは無かったはず。
もちろん程度問題ではあろう。だが、市の人間たちの視線は、そういった身内に向けるものではないように涼太には感じられたのだ。
市の端で、合計二十人の男たちが対峙している。
彼らの怒鳴り合いを聞くに、片方は商業組合の者たちで、もう片方は市の人間だそうな。
「ここはなあ! てめえら組合のクソ共が来ていい場所じゃねえんだよ! 縄張り越えた代償に! てめえの首でも置いていくか!?」
「はっ! 縄張りだぁ!? その縄とやらぁ何処にあるってんだ!? 笑わせんじゃねえよ! 俺たち組合がてめえら如きに遠慮してやるとでも思ったか!?」
「抜かせクソ野郎が! 女のケツに隠れてびくびく震えてやがる腰抜け風情が調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「あ!? お前シーラのこと言ったか!? お前それアイツの前で言えるってのか!? いいぜ、いいぜー。俺から伝えといてやるよ! てめえらの名前から何からぜーんぶな!」
「くっはははは! やっぱり女のケツに隠れやがるか! まだケンカも始まってねえってのに他所から助っ人頼んでるようじゃお話にならねえってんだよ!」
人数は多少商業組合の人間のほうが少ない。ここは市であるから当然だろうが、それでも組合の人間は強気を崩さず。
そして市の側も縄張りの中での話であるから一歩も引けぬと前へ出る。
それぞれのリーダーらしき人物同士が言い合っているが、それとは別に他の人間たちも睨み合い、罵り合いをしているせいで大層騒がしいことになっている。
しばらくそれを見ていた涼太たちであったが、フードを被ったままの凪が率直過ぎる感想を呟く。
「何よこれ。こんだけ人数揃ってて本気で戦うつもりの人いないの? 騒いでるばっかでほんとみっともないわねぇ」
それは別段大きな声でもなかったのだが、女性の高い声故か、驚くほど遠くにまで届いてしまった。
対峙していた男たちが一斉に声のほう、つまりフードを被った不審人物の方を見る。ついでに言うとそちらにはもちろん秋穂も涼太もいるわけで。
この場合、フードを被って後方にいた二人ではなく、その前で顔を出している唯一の人間である涼太を見て、男たちは一斉に凄んでくるのである。
「んだとてめぇ! もっぺん言ってみろコラァ!」
「誰だてめえ! ぶっ殺されてえのか!」
「鉱夫の奴らか!? ここで上等抜かすたあいい度胸じゃねえか!」
「構いやしねえ! やっちまおうぜコイツ!」
皆口々に罵り声を上げる。
秋穂が深く深く嘆息する。
「凪ちゃん……」
ベネディクトも涼太の懐の中で大きく息を吐く。
「ナギ、お前それわざとじゃないだろうな……」
もちろん、涼太もである。
「な~、ぎ~、お~、ま~、え~」
そして大いに焦る不知火凪さんだ。
「あ、あれ。聞こえちゃった。あ、あはははははは。ご、ごめんなさいね。まさか聞こえるとは思わなくって……」
この言い訳は涼太と秋穂とベネディクトに向けたものであったが、怒鳴っている男たちはそうは受け取らなかったようで。
そして謝った程度で許してやるほど人間のできていない連中である。彼らはより勢いを増し、近くにいた市側の人間三人がこちらに歩み寄ってきた。
涼太は呟いた。
「仕方ねえなあ」
秋穂もまた。
「仕方ない、よね」
ちなみにこの仕方ないであるが、涼太のそれは仕方ないから逃げようであり、秋穂のそれは仕方ないからやっちゃおうである。
そして結構本気で謝る凪。
「いやホントごめんっ。今のはさすがに私も無かったと思うわ。私、全部自分でやるから勘弁して?」
凪がそう言って前に出るに合わせて秋穂もまた前へと進む。この段になってようやく涼太は、涼太の仕方ないと秋穂の仕方ないの差異に気が付いた。
フードをかぶったまま、口元だけはにやついている秋穂だ。
「そういう水臭いこと言わないで、ね。私も混ぜてよ」
「何よ、秋穂もやりたかったの?」
「いや、ね。なんか、私よりずっと弱いのわかってる相手から逃げるのって、なんかちょっとムッてしない?」
「うんうん、あるある。百年早いってこと、教えてあげようじゃないの」
そのあまりの言い草に、激怒した男が殴り掛かってくる。
男が右腕を大きく振りかぶった瞬間、凪が踏み込んだ。
男の左脇に右腕を差し入れ後ろより襟首を掴むと、特に力を入れたとも見えないのに、なんと男の身体が宙を舞ったではないか。
凪の腕の振りに合わせ、男の身体は大きく半回転。足が頭上にまで振り上がってしまう。脚部が上を向いたのなら当然頭部は下である。
これを見ている男たちは驚き言葉もない。例えば、男の身体を腰に乗せて投げ飛ばした、というのであれば見ていても投げられることに対し納得はできよう。
だが凪がやったのは、腕を脇の下より差し入れこれを振り上げる、といった動作のみである。
それだけの挙動で、男の全身が空中で半回転してしまうほどの勢いを得たのだ。その不可思議さは見ていて納得もできず理解もできぬ理不尽なもので。
だが現実にこうして、凪が振り上げた腕に合わせて男の両足は天へと吹っ飛んでしまったのだ。
そして凪は、空中でひっくり返った男の頭部を、男の体重も一緒に乗せながら大地へと叩き付ける。この時襟首を掴んでいたのが活きてきて、男の頭部は完全に凪に固定されていて逃げることも受け身を取ることもできず。
男はあまりの激痛に、うずくまって身動きが取れなくなっている。
「大丈夫よ。死ぬような落とし方はしてないから」
一方秋穂である。
こちらには二人。まずは右の男が殴り掛かる。案外にケンカ慣れしているのか、拳はまっすぐに伸びてきていた。
秋穂はこれを、両腕で巻き取るように一回回し、それだけで男の突き出した拳を巻き込み、へし折った。
そのまま両腕で男の身体を引き寄せ右斜め後方へと引きずり倒すと、右に引っ張る動きと同時に左足を前へと出し蹴りを飛ばす。
男の身体が邪魔で攻撃はできないはず、であったのが一瞬で男は崩されもう一人は真横から顎を蹴り飛ばされてしまう。
秋穂の蹴りを頭部に受けたのだ、ただの一撃で脳震盪を起こしその場に倒れた。
一挙動だ。男の拳を受ける動きがそのまま男の腕をへし折る動きとなり、更に流れるように男を引き倒し隣の男を蹴る動作に繋がる。
恐るべき珠玉の技術であるが、当の秋穂はとりたてて大したことをしたというつもりもなく、指を鳴らして数歩前に進む。
「面倒だから、全部一緒に来ていいよ」
チンピラたちは暴力を肯定し、これに依存している者たちだ。なればこそ、より強大な暴力にはとても敏感である。
また凪も秋穂もフードで顔を隠しているのもよかったのだろう。その容貌に惑わされることもなく純粋に戦闘能力のみを判断基準にすることができた。
彼らは男らしさを売りにしていたが、同時にこの街に幾人かいる決して手を出してはいけない存在への対応も心得た者たちで、正体不明の相手がもしかしたらそういった化け物なのかもしれない、と想像するていどには知能もある。
その辺がわかっていない馬鹿もいて、やりやがったな、と怒り肩で突っ込んでこようとしていたが、それは周囲の者が止めていた。
しかしだからと腰が引けたところを見せるのは男が廃る。なので、踏み込むことはせぬまま人数の威を背景に口々に凪と秋穂を罵ってくる。
凪と秋穂は、よっしゃてめえらぶっ殺してやるぜ、なんて台詞を期待していたのだが、男たちはといえば怒り怒鳴り喚き散らすも誰一人突っ込んでくるような者はいない。
威勢の良い罵声に二人は警戒態勢のまま構えていたのだが、いつまで経っても踏み込んでこない、動こうとしない彼らに、その怯え竦んだ様子に、段々と相手をしているのが馬鹿らしくなってくる。
「なによこれ。ほんっと下らない連中」
「いや形としてはこっちからケンカ売ったようなものだし、それでも向こうがやらないっていうんなら、もうそれでいいんじゃないかな」
元々ケンカ売るつもりもなかったんだし、と秋穂が身を翻すと凪もそれに倣う。
覚えていろ、誰を敵にしたかわかってんのか、等々罵声が浴びせられるも、戻ってこい、という台詞だけは誰からも聞こえてこなかった。
偉そうに肩で風を切りながら歩み去った三人であるが、街路を曲がり、男たちの視界から外れるや否や、凪と秋穂は同時に涼太に言った。
「走るわよ」
「走るよ涼太くん」
「へ?」
言うが早いか駆け出す二人、慌てて後を追う涼太。
二人は、一応涼太に合わせて速度は落としていたが、追う涼太はもう必死の形相だ。
何度も角を曲がり、それこそ街の反対側まで抜けてしまうほどの距離を走った後で、ようやく二人は足を止めた。
絶対に来るだろう尾行をまく。そんな意図があったのだが、そうした必要性を教えてやったところで、今壁にもたれへたりこみ息も絶え絶えな様子の涼太の慰めにはならないであろう。
「か、かひゅー、ほひゅー、ふひぃー」
息を漏らす音からすら極度の疲労がわかる。
わざとらしくため息を吐く凪。
「やっぱり涼太も鍛錬しないとマズイわね」
秋穂は苦笑している。
「まあ、最低限ぐらいは、ねえ。何が起こるかわかんないからこそ体力って大事だしね」
いきなりこんな疲れる真似をしなくてはならなくなったのは、全部凪が馬鹿やらかしたせいなのだが、体力の必要性は涼太もひしひしと感じていた部分ではあったので抗議するのは止めることにした。口を開く元気もなかったことであるし。
そしてこんな騒ぎを起こしたのだから宿なりに逃げ隠れるかと思いきや、凪も秋穂も、じゃあ次、鍛冶屋行ってみようか、とまるで気にした風もなく。
涼太は心の中だけでぼやいた。
『コイツら、絶対どっかおかしいぜ』
実に残念なことだがこの涼太の至極まっとうな感想は、このメンバーの中では多数決にて引き分け以下が確定してしまっているのである。




