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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第十章 神も仏もありゃしない(仏はある)
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145.秋穂さんの人間アピール


 カマルクの血族の一員であり、短時間の未来予知と不確定ではあるが良い予感、悪い予感を感じ取ることのできるアスタという女は、突如、これまでの人生で一度も感じたことのないほど大きく激しい悪寒に襲われた。

 とても立っていられずその場にしゃがみこむ。

 共に鍛錬の最中だった仲間たちが声を掛けてくれるが、返事ができる状態ではない。

 不意に、景色が見えた。

 共に死線を潜り抜けてきた仲間たちが、無残に殺されていく光景だ。

 悪い予感を感じることはあったアスタだが、こんな先の光景が見えてしまったのはこれが初めてだ。

 身体の調子が戻ると、すぐにアスタは頭領の下へと向かった。仲間たちもアスタの悪い予感の話は知っているので、すわ一大事かと動き出す。

 アスタのここまで動揺した姿は頭領も見たことがない。


「どうした、何があった」

「見え、見えました。予感だけではなく、その景色まで」

「何が見えた」

「見えませんでした! 何も! 見えなかったんです! みんなが、ああ、みんなが斬られていくのに! 私にはソレが見えなかったんです! 血飛沫と、みんなの絶望の顔、それと、走る刃がっ!」

「落ち着けアスタ。冷静に、丁寧に、見たものを振り返れ。そこから情報を見出せば後は皆でその窮地に対処しよう。我らカマルクの血族、如何な危地であろうと乗り越え得る異能の集団よ。友の、仲間の力を忘れたか」


 さすがに集団の頭として長く務めてきただけあり、頭領の言葉には力がある。

 アスタは頭領の言葉に支えられて自らの動揺を抑え込み、どうにか自分の見た光景を説明しきった。

 頭領は顎に手を当て考え込む姿勢だ。


「ふむ。戦闘組が揃って剣を抜いていたとなれば、それは不意打ちではなかったということ。更に、襲撃への備えをする余裕もあったと。だが、敵の姿はなく、時折煌めく銀光のみが見えたと」


 苦々しい顔にならざるをえぬ頭領だ。


「やはり、エルフの魔術と考えるのが妥当か……」

「え?」


 頭領の言葉に、すっとんきょうな声を出したのはアスタである。


「ん? 違うのか?」

「え? えっと、ああ、そ、そうですね。今でしたらエルフ様を疑うのが当然、でした」


 とても焦った様子のアスタに、頭領は怪訝そうな顔で問う。


「エルフではなかったと思うのか?」


 アスタはやはり焦ったままの顔である。


「も、申し訳ありません。エルフ様は聖域を出たので、勝手にもう大丈夫だと思ってしまっていたようで……」

「いや、そうではないだろう。アスタ、お主は予見をしたうえでもエルフが襲撃者である可能性を考えていなかった。それ即ち、それもまたお主の予知の内であるということではないのか?」


 焦って言い訳を並べた後で、アスタは頭領に言われるがままに考え直してみる。


「た、確かに。予見をした時も、その後も、エルフ様のことは全く私の意識の内にありませんでした。いえ、私は、あのお方が大神ユグドラシルであること、全く疑っておりません。故に、襲撃者は別の、何か……」


 頭領は考え込むアスタに言う。


「考えるでない。感じたものを、そのまま言葉にするよう努めよ」


 頭領がまだ跡取りでしかなかった頃にも、アスタに似た予知の力を持つ老婆がいた。

 その老婆に何かと面倒を見てもらっていた頭領は、予知の力を最大限発揮させるための具体的な手法を聞き知っていた。


『ふむ、アスタめ。ここにきて能力を伸ばしてきたのやもしれん。ババと同等、とまではいかぬが、それに近しいところまで力を伸ばせば……ふふ、これも大神ユグドラシルのご加護かもしれんな』


 頭領はアスタを傍に置くことに決め、エルフが去ったことで安堵し緩みかけていた警戒網を再度強化させることに。


『しかし、確かに攻めるならばシェレフテオ存亡の機を乗り越えた直後である今よな。……つまり、エルフのご来訪を知っている者の犯行か?』


 そもそも、聖地シェレフテオを狙う理由がわからない。

 エルフをこそ標的としたもの説、聖卓会議の謀略説、大貴族による利権奪取説、色々と考えてみたがどれも根拠にも説得力にも乏しい。

 姿は見えぬが刃の閃きのみが見えた、というアスタの言葉を現実にできる者となると王都圏でも極めて限られてくる。

 まず真っ先に挙がるのが、刃の頂点、剣士の頂、ランヴァルトであろう。彼に代表される王都圏最強剣士の一角と呼ばれる者たちは、常識では到底計り知れぬ力を持つ。

 だが、彼らには理由がない。というより、教会に刃を向ける腕の立つ戦士なんてものが、普通はありえないのだ。


「あ」


 そんな間抜けな声を頭領が出してしまったのは、ソレが思考から完全に抜け落ちていたからだ。

 まさか、と思いながら頭領はアスタに問う。


「アスタ。襲撃者なんだが、黒髪のアキホと金色のナギの二人ではあるまいか?」


 頭領の言葉を聞いた時のアスタの表情でわかった。アスタ自身もわかってはいなかったが、アスタの勘はこれが当たりであると告げていると。

 教会に剣を向ける理由もはっきりとせぬまま、国中の教会に警戒するよう注意がなされた二人組。たった二人で教会に挑む剣士。

 報せを受け取った時は頭領も全く意味がわからなかったが、これを頭領に伝えた管理者一族の者も、狂犬に噛み付かれたとでも思え、とのことだった。

 いずれ討伐隊を編成する時はカマルクの血族からも精鋭を数名派遣する手筈にもなっていた。

 ふう、と息を吐く。


『原因、理由の全てを我らが窺い知ることができぬのもいつものことか。我らは盾であり、剣であれば良い』







 柊秋穂が一人、シェレフテオの聖域に向かって進む。


 大聖堂を大きく取り囲む形で壁が張り巡らされているのは、聖域に簡単に近寄れないようにするためで。

 この正面入り口は、さながら城門のようだ。とはいえ、聖域に兵をもって攻め込むような馬鹿は考えられぬ。この壁と門は、参拝者が勝手に入ったりしないためと、中身に高級感を出すためのハッタリとが半々だ。

 ここを開くのは、貴族や王族の団体が訪れた時ぐらいだ。馬車でこの壁の内に入っていけるのは彼らぐらいであるのだから。

 そこに、フードをかぶった人が、一人で向かう。

 門の脇には兵が控えているが、これは儀礼的なものであり、兵たちの間でここでの任務は参拝者対応をしないで済む楽な仕事であると認識されている。


「おい、アイツ何してんだ?」


 呑気にお茶をのみながら兵士がそう言ったのは、フードで顔を隠した者が閉ざされた門に向かって歩くのが見えたからだ。

 もう一人の兵士は面倒くさそうに席を立つ。


「まったく、列はここじゃないって見りゃわかんだろ」


 そいつは、深く被ったフードを後ろに向かって跳ね上げる。


「「!?」」


 真っ黒な髪がとても目を引く。だが、より強く惹き付けてやまないのは、その髪の下にあるこの世のものとは思えぬ美麗な容貌だ。

 フードを頭から外した後、両肩を震わす挙動のみで、黒髪の女、柊秋穂は全身を覆っていたフードを後ろに外し落とす。

 押さえ込まれていた黒い髪が背中に流れる。

 己の男性的欲求を一切我慢せずに彫刻を刻んだかのような、この世の男子全てが理想とし夢に見るような体型が露になる。服は着ているし肌なんて見せていない。なのに、こんなにも官能的に見えるのはどうしてなのか。

 二人の兵士は誰何の声を上げることすら忘れ、呆然と秋穂に見入っている。

 黒髪の美女は、とりたてて焦る様子もなく、ゆっくりと正門へと歩み寄り、これに両手を当てる。

 人の背の数倍はあろうかという大きな両開きの扉だ。これを開くには、門脇にある機械を操作する必要がある。

 見栄えを追求した結果、この門だけは常の城の城門と同等の堅固さを持つようになった。

 美女、秋穂は両手を扉に沿えたまま、大きく息を吸いこんだ。


『絶招、打雷爆炸』


 落雷の如き爆音。

 秋穂の両手が押し出されると、その瞬間扉の下部が大きくへこみ、弾けるように下から上へと跳ね上がる。

 一瞬、跳ね上がる勢いは止まる。これは後ろにあった巨大な鉄のつっかえ棒がひっかかったせいだ。

 が、それで勢い全てを殺すことはできなかったようで、聞き苦しい金属音と共に扉は奥に向かって飛び転がっていく。

 半回転して扉上部が地面に当たると、その当たった衝撃で扉上部が跳ね、再び扉下部が大地に叩き付けられる。そこでようやく縦の回転が止まり、地面を少し滑ったところで大扉はその場に静止した。

 その轟音は大扉の傍の兵士のみならず、内側の住民たちにも届き、誰もがその瞬間驚きに身を震わせた。

 もちろんその驚きは、これを視認してしまった者のそれとは比べ物にならない。

 聞くだけの者はその音の正体がなんなのかわからず、しかしそれが故にこそ、この音の正体はその大きさに相応しい巨大な何かが引き起こしたものだと考えられたからだ。

 しかるにこれを見てしまった者はどうか。

 現実を信じられず、己が目をこそ疑うような光景がそこにあった。

 城門と同等の大扉の片側が、醜くひしゃげ門の内側に転がっているのだ。すぐ傍には捻じれた金属の棒が落ちている。

 扉は極めて頑丈な樫の木を用いており、これの周囲を鉄で覆って補強しているものだ。重量は、大人数人がかりでも到底持ち上がるようなものではない。

 それが、まるで攻城槌でも叩き込まれたかのように折れ曲がってしまっている。

 いや、これを見ていた兵士は知っている。


『……嘘、だろ。この扉、十人以上で抱えるような攻城槌を何発も打ち込んで、ようやくぶち壊せるようなシロモノなんだぞ。それが、一発で吹っ飛んじまってるじゃねえか』


 これをなした黒髪の美女は、少しその場で首をかしげた後、そのまま城門の中へと進んでいく。

 兵士はこの時になってようやく、この美女の腰に剣があることに気付いた。そう、この時になって初めて兵士は、この黒髪の美女が敵である可能性に思い至ったのだ。

 武器を持った者が、力ずくで城門を突破し、聖地シェレフテオへと侵入していったのだ。


「や、やべえ!」


 もう一人いる相棒の兵士は、呆気にとられた顔のまま固まっている。だから彼は自分でやるしかないと詰め所に駆け込み、焦る手で笛を手に取る。


「だあっ! くそっ!」


 手が震えるせいで、笛を落としてしまった。悪態をつきながらこれを拾い、そして、息の限りで吹き鳴らした。

 最初は息を入れ過ぎたせいで変な音が鳴ってしまった。笛を吹いて音を鳴らすなんてこと、何も考えずとも当たり前にできていたのだが、上手くいかない。

 更に焦った様子で笛を二度、三度と吹き、四度目で、ようやく望む音が鳴ってくれた。

 これならば一応、報せが遅い、なんて怒られずに済むていどの時間差で済んだ。

 もっとも、この先、この兵士を怒ってくれる誰かが残るかどうかはわからないのだが。




 絶招を打った後で秋穂は、自分の身体を確認する。

 やはり、実戦においてこの絶招を用いても、特に不調などはない。


『前に打った時と比べて、かなり頑丈になってる』


 開戦直後に身体を痛めるのは怖いので、あるていど力を抑えて打ったのだが、これなら全力で打ち込んでも怪我などはしないですむだろう。

 そのまま特に焦る様子もなくゆっくりと聖域の内へと歩を進める。迎撃は出てこない。音に驚いた人間が飛び出してきているていどだ。

 彼らは珍しい黒い髪の秋穂よりも、下部が捻じれ曲がり本来あるべき門から外れて大地に転がっている巨大な扉に目がいっている。


『……もしかしてこのまま侵入できちゃう?』


 秋穂の後方より、大きな笛の音が聞こえた。


『ふふっ、さすがにそれはないか』


 そこまでの間抜けが兵士をやっているとも思えない。そして警戒すべきと兵が音を発したならば、その前の轟音のこともあり、即応できる人員はすぐに動いてきた。

 彼らは事件を探すが同時に、怪しい人物も探す。ならば秋穂に目がいくのも当然だ。

 ただ、この、大扉を吹っ飛ばすというありえぬ出来事をやらかしたのが秋穂であると、もっと言ってしまえば人間が一人でやったなどと、普通は想定しないものだ。

 複数の兵士が駆けてくる中、内の数人の兵士のみが秋穂の下へと。


「貴様何者だ! その剣は何のつもりだ!」


 とりたてて隠すつもりのない秋穂は、馬鹿正直に教えてやる。


「秋穂だよ。上に黒髪の、ってつける人もいるみたいだね」


 咄嗟に、手にしていた槍を構える二人の兵士。もう一人、一番後ろにいた兵士は大声で仲間たちに叫ぶ。


「黒髪のアキホが出たぞ! 兵は集まれ! 非戦闘員は今すぐ避難しろ!」


 槍先を向けることが、槍における剣を抜くという行為に当たろう。

 秋穂は、きちんとこちらを敵と認識しているとわかったので、安心して、ゆっくりと剣を抜いてやった。


「さあて、どんだけ出てくるかな。百、二百、もっとかも。気合い入れてかないとねー」






『戦い方が甘い』


 彼らの戦いを見ての秋穂の感想だ。

 この場合の比較対象は、アッカ団長であったりオーヴェ千人長であったりレンナルトであったりが率いた兵なので、世間的に見て必ずしも弱兵であるとは言い難いのかもしれないが。

 殺害効率を上げるため、敢えて敵に包囲を許している秋穂だ。足は使うが、常に数歩の距離に敵兵を置いておき、次々と殺す、が簡単にできるようにしている。

 受け、避け、そして位置取り、全てを極めて高水準でこなしてこそ可能な立ち回りだ。

 剣術の技量もさることながら、この立ち回りが上手くないと対集団戦闘は早々に破綻する。

 所持する者も少ないこの技術に長けた秋穂、そして凪は、対集団戦闘においてはこの世界における双璧と言っても過言ではなかろう。

 実際、今シェレフテオの兵はまるで悪夢の中にあるかのようだ。


「後ろを見もしないで剣振るってどーいう曲芸だよ!?」

「剣じゃマズイ! 槍を使えって!」

「弓はどうした! 剣じゃもうどうにもなんねえよコイツ!」

「動きっ! 気持ち悪っ! くにゃくにゃ動いときながらすげぇ強打しやがる!」

「てめぇいーっつも偉そうに剣術自慢してるくせに一瞬で殺されてんじゃねええええ!」


 秋穂を取り囲んでいる兵を如何に殺すかはとうの昔に頭の中にあって、秋穂は更にその先、現在取り囲んでいるその後ろで囲んでいる兵を如何に殺すかを工夫している。

 今取り囲んでいる兵士を目隠しにするというのは基本戦術の一つで、後ろで取り囲んでいる兵がまだ自分の番ではない、と思っている間に、周囲の敵を連続して一瞬で屠る段取りを整え実行してから彼らを襲う、といったやり方もまた秋穂がよくやる手だ。


『っ!?』


 だがまだ秋穂も完璧ではない。時折意識の外からの刃に驚かされることがある。


『っていうより。完璧に全てをコントロールするのって、多分、不可能なんじゃないかなぁ』


 背後や側面といった視界の外のことは、あくまで秋穂が予想しているだけであり、実際に見えているわけではない。

 実際に視認しているわけではない以上、極稀に、道理に全くそぐわない、予測もつかないことをやらかす奴はいるのだ。そしてそれは、決して万に一つなんて可能性ではない。

 涼太が、戦に出る以上、それがどんな楽な戦場であろうと絶対に一定のリスクは発生する、と言っていた。

 それが正にコレなのだろう、と秋穂は理解している。


『あ』


 それはそういったリスクとは全く違った状況であった。

 秋穂の視界にその兵士の姿があった。彼は、イングがわがままを言った兵士だ。彼が持ってきた食事はおいしかったし、紹介してくれた店もとても良いものだった。

 秋穂の彼への印象はそれだけだ。だから彼が見えたからとて殺すための段取りは他者と変わらなかったし、その段取り通り、秋穂が斜めに滑り進んだことで驚いた彼を斬って、それで終わるはずだった。


『あれ』


 その時出たのは剣ではなく秋穂の足だ。

 下段の蹴り、それも両足をただの一撃でへし折るような強烈な蹴りで、彼は秋穂が想定していた通りその場に崩れ落ちた。ただ、想定とは違いこれは致命傷ではない。

 何故そんなことをしてしまったのか、秋穂にもよくわからない。理由なんてないのだろう。知ってる人だ、と思ったので殺さず無力化する方法を、それこそ反射で選んでしまったのだ。

 だが、当然そこにはリスクがある。


『何してんの私。これでもし、生きてたこの人が私の隙をついて襲ってきたら、それで手傷の一つも負ったら馬鹿丸出しだよ』


 或いは殺されでもしたら、それこそ死んでも死にきれないほどに悔しいだろう。

 そんな真似をしてしまうこと自体、秋穂が戦闘に集中できていない証拠だ。殺すことだけ考えていたのなら、絶対にそうはならなかったはず。

 悪癖がまた出たのか、と苦い顔をしながら秋穂は集中を深める。

 集中してしまえば秋穂は強い。剣一本のみ。これを縦横に振り回しながらも、剣が折れることもなく、適切な強さで鎧をすら斬り続ける。

 それから何人を斬ったか、秋穂の戦闘領域に新たな侵入者がいた。

 彼は武器なぞ持っていない。とても兵士とは思えない青ざめた必死な表情で、彼は倒れる兵士の両脇を抱え、これを引っ張っている。

 運ばれているのは、秋穂が先ほど両足をへし折った兵士で。彼はその場に蹲ったままずっと苦痛を堪えていたようだ。引っ張られている今も、顔を上げることすらできていない。

 ほんの少し拍子抜けした秋穂だ。


『……そりゃ、まあ、蹴りで両足折られるとかとんでもなく痛いだろうしねぇ。身動き取れないのも、当たり前って言えば当たり前、かなぁ』


 彼が生き残ったリスクを考える。

 秋穂の技を、至近距離で見た上で生き残った稀有な例、という点に関しては特にどうとは思わない。元より、衆人環視の中で一度でも公開した技は盗まれ対策を取られる覚悟を決めて然るべきだ。

 彼が秋穂に恨みを募らせる可能性は、もちろんある。恨んでどうにかできる相手だと認識しているかどうかはともかく。

 つまるところ、恨んだところで彼には何一つできることはない、と理解してもらえれば、彼に恨まれたところで問題は起こらない。それは、シェレフテオの守備隊を壊滅させてやれば十分だろう。

 柊秋穂とはそういう相手である、と理解している人間が一人増える、という点が、彼を生き残らせる数少ない利点になる。

 若いから、女だからと秋穂を侮るこということは、彼は以後決してしないだろうし、彼の身近な人間にもそれを絶対に許さないだろう。それは秋穂にとってとても有為な話である。面倒の大半は、秋穂の持つ戦力への無理解からくるのだから。

 そこまで考えて、やはり秋穂は苦い顔になる。


『ほんとどうしてこう私ってば、すーぐ戦場で意味のないこと考えだすかなぁ』


 いい加減この悪癖を直さないと、そちらの方がよほど面倒なことになると思うのである。




 これだけの乱戦だと、さすがに返り血全てをかわすのは無理がある。

 秋穂は口元に跳ねたそれを腕で拭う。

 そうする余裕があるのは、敵が遂に攻め手を止めたからだ。

 秋穂は肩で息をしているし、もう随分と長い間動き回った後だ。だが、そういったマイナス要素を大きく上回る恐怖が、今この場の兵士たち全てに刻み込まれていた。

 誰も、そう指揮官ですら、もう攻めろとは言えない。

 周囲を取り囲んだままで、決して逃げられぬように、或いはこれ以上進ませぬように、そんな言い訳を自分に言い聞かせながらじっと待ち構える。


「それは、都合が良すぎるんじゃないかな」


 呼吸を整えた秋穂は、包囲の最も分厚いところ目掛けて突っ込んだ。

 迎え撃つ兵士たちの腰は大いに引けているのだ。殺すのはもう麦の収穫とそう変わらない作業である。


『私も随分と慣れたもんだよね』


 相手は服を着て鎧を付けているとはいえ、剣で急所を斬るのだから、血も肉も飛び散るし、その傷痕は嫌でも秋穂の目に入ってくる。

 これを、最初のうちこそ多少なりと気持ち悪いと思っていたのだが、今ではソレを目にしても全く抵抗はない。

 こういったものに慣れ過ぎたせいで、秋穂はいっそ、猪を解体するのと同じ要領で人間もそうできてしまうのではないか、と思う。

 さんざん人を斬ってきたのだから、皮を削いだら、肉を削ったら、骨を砕いたら、胴の内側が見える斬り方をしたらどうなるのかなんてものも全て経験済みだ。

 なら解体も可能だろう。それでえづくような可愛げはもう秋穂には望めまい。


『うーん、なんていうかこう、人間離れしてきた感じあるなー』


 今更だろ、なんてつっこんでくれる涼太は今ここにはいない。

 だがそこで、秋穂は自身のそんな感想への反証を思いつく。


『いや、血肉には慣れたし必要になったらできるだろうけど、だからってわざわざやろうとは思わないし、それはあまりよくないことだって私は思ってる。反射で知り合いだからって剣を向けなかったことといい、やっぱりまだまだ人間らしいよね、私』


 人間認定の基準が低すぎる、なんてつっこんでくれる涼太は、今ここにはいないのである。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 敢えて言いたい。人間アピールしたがる普通の人間など居ないとw
[一言] 人間としてアピールしなければならないことが、一番の問題かとw
[一言] なんか前より強くなってきてる気がする 逆に今まで戦った相手が強すぎたのかな?
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