141.聖地シェレフテオ
涼太、凪、秋穂の三人は、聖地シェレフテオの巡礼者の行列に並ぶ。
三人共深くフードをかぶって顔を見られないようにしている実に怪しげな一行であるが、こうしているのは涼太たちのみではない。
巡礼を望む者は老若男女の区別がない。だが、旅をするにあたって、年頃の女性がそうするのはただそれだけで危険が伴う。
なので女性は顔を隠すようにしながら旅をするのが普通であるし、同行する者も同じようにすることが多い。
巡礼者の列を見て、凪は呆気にとられた様子である。
「ねえ、これ、今日だけの話?」
涼太もやはり驚いてはいるようだ。
「毎日こうらしいな。宗教的記念日はコレよりひどいらしいぞ」
秋穂は長い行列に並ばされているというのに、逆に少し楽しそうですらある。
「んー、なんか珍しい観光地に来たって感じしてくるー。楽しみだよねえ」
三人はもうこちらの世界にきてから相当な時間一緒にいるのだが、それでもまだまだ話は尽きない。
むしろお互いの昔の話なんてものより、こちらの世界にきてから思ったこと、感じたこと、面白かったこと、等々を話しているだけで幾らでも時間が潰せてしまう。
その大半が下らない、愚にもつかないような内容の話ばかりであるが、三人でそうするのなら、それはこの世のどんな娯楽よりも楽しいものであるのだ。
若い三人が賑やかに話していれば、周囲の者もそれを気にするものだが、三人の話す内容はその人生経験から極めて特殊なものになりがちで、聞いている者には意味がわからないものばかりで。
三人はかなり危ない内容も気にせず話してしまっているのだが、聞いている者には、三人ならば通じるからと話の途中で省略する部分がわからないことから、結局話の内容を窺い知ることはできない。
とはいえ、偉そうに喚いているだの、傲慢に振る舞っているだのではないので、若い三人がとても楽し気に賑やかに話をしているのは、列に並ぶ者にとって微笑ましい光景として受け入れられていた。
そういったわけで、行列に並ぶ時間も十分楽しく過ごした三人は、遂に受付にまで辿り着く。
ちなみにこの受付は、シェレフテオの聖堂まではまだまだかなり距離があるところに置かれている。
「寄付は三種に分かれております。どれを希望なさいますか?」
相手が何者であろうとも、受付は敬語を欠かさず、丁寧に応対している。
そんな現代社会のような接客態度に、三人は驚きつつもとても好感を持った。
秋穂が受付の人間に問う。
「三種類で何か違うのですか?」
「参拝する場所と、聖食が出るかどうか、ですね。三種の上の最上級もありますが、まあこちらは貴族用と思っていただければ」
貴族用は参拝する場所も更に違うらしいと聞き、涼太と秋穂は迷うことなく貴族用を選ぼうとしたが、凪は二人の後ろ襟を引っ張った後で、耳元で囁く。
「ダメに決まってるでしょ。今日は様子見なんだからここで馬鹿みたいに目立ってどーすんのよ。今日は一番安いの、いい?」
「「えー」」
「えーじゃないのっ。ダメなものはダメよ」
話が聞こえたわけでもないが、明らかに参拝の等級で揉めているとわかるので、くすくす、と受付の者は笑っている。
「寄付はそれぞれの収入に合った額がよろしいでしょう。どれであっても、聖なる威光は感じることができますから」
せっかくの巡礼であるからして、ここで奮発せねば、と思う人が多いようだ。そんな者に、無理をさせないように勧める受付の人もいるということだろう。
その快さに、涼太も秋穂も、仕方がない、と最安値での参拝を受け入れるのだった。
当然であるが、一番安い寄付の人数が一番多い。というか、上二種は裕福な市民用であり、所謂低所得層の者ではそもそも手を出そうとすら思わない金額になっている。
一番安いのだけが硬貨での寄付で、他は諭吉が必要になりその枚数で差が出る、といった感じだ。
そういった低所得層向けの参拝ルートであるからして、いざ現地に辿り着いたとしても聖堂まではかなりの距離があり、その壁面に刻まれた様々な文字や絵を見ることはできない。
ただ、その場所でならば、一般人にすら見ることができると言われている聖域を感じ取ることができる。
集まった皆はその独特な気配に、驚き感動している者が大半だ。結構な数の者が涙を流してすらいる。
そして三人はといえば。
「これね! これがそうなのね!」
とても感激しているのは凪である。
手を翳して、押したり引いたりしながらきょろきょろと忙しなく周辺を見て回っている。
秋穂もふんふん、と頷いている。
「魔術は何度も見たけど、これは、またそういうのとはちょっと違う感じだね。涼太くんはいつもこんな感じで魔術が見えてるの?」
涼太はとても難しい顔をしていた。
「……いつものとは全くモノが違う。違うんだが、俺が魔力をどう感じてるか、って部分なら確かにこんな感じで正しい。だが、しかし、コイツは……」
「なんかマズイの?」
「マズイってか、単純にすげぇ。これ、何百年も前からこうなんだろ? 何がどうなってこんな濃さが維持できてるんだかまるでわからねえ。ベネでもいりゃ違ったんだろうが」
三人はひとしきり聖域を味わった後、順路に従って道を行くと、敷地の外に出ることができた。
このシェレフテオ聖堂一帯は完全に聖域観光のための土地となっているらしく、その隣にシェレフテオの街がある、といった造りになっている。
一度落ち着こうということでシェレフテオの街に三人は宿をとろうとしていた。
並んだのは朝一であったのだが、参拝が終わる頃にはもう昼を回っていて、そこで涼太が街に行く前に、今の時間帯の人の多さを見たいということで再度参拝入口によることにした。
行列は朝よりずっと増えていて、朝一で行こうといった涼太はエライ、と二人が褒めたところで、その異変に気付いた。
「涼太?」
「涼太くん?」
涼太の顔が真っ青になっている。
その目は一点を見据えたままぴくりとも動かず、僅かに震えてすらいる。
「……悪い。今すぐ逃げるべきか、相手を確認すべきか、判断がつかねえ。すげぇやべぇのがいる。ありえねえほどの魔力が見える。いや、駄目だ。確認もせずに逃げて、もしこっちが標的だったら絶対に逃げきれねえ」
敵が強いというのなら凪と秋穂の領域だ。だが、魔力が高いとなれば対策は涼太がすることになるし、凪と秋穂では、ベネやダインが言っていた二人にはほとんど魔術が通らない、という言葉を信じるしか手がない。
涼太の言葉を聞いて即座に腹を決めた凪。
「背中を撃たれるより、突っ込んで死ぬほうが百倍マシよ」
同じく一瞬で切り替えてきた秋穂。
「私は最後の最後まで生き残る可能性を追求したいよ。涼太くんが魔力を認識しておきながら全く向こうからのアプローチがないってことは、私たちはそもそもの標的から外れてる、ってことじゃないかな」
いざとなったら誰よりも先に死にたがる秋穂の言っていい台詞じゃねえ、と涼太が脳内のみで溢しつつ、決断を下す。
「行くぞ。警戒はもちろんだが、ぎりぎりまで正体バレないよう気を抜くなよ」
三人がその現場に近づいていくと、徐々にそちらからの声も聞こえてくる。
「……だからっ! そのフードを脱げと言っている! 貴様の金の髪が端から見え隠れしているぞ!」
行列を途中で裂くような形で、二十人の兵士がフードをかぶった三人組を取り囲んでいる。
その内の一人が、涼太が警戒してやまない相手である。
兵士が緊張しきった様子で怒鳴る。
「お前には! 金色のナギではないかという疑いがかけられている! 己の無実を晴らしたくば自らフードを外して見せろ!」
うーむ、と移動中の凪が呟く。
「ここで私がフード取ったらアイツらどんな顔するのかしら」
「バレないよう気を抜くなっつったろーが。てかあの連中アホか。アレ、滅茶苦茶怒ってる。どーなっても知らねーぞ」
秋穂が不思議そうに問う。
「怒ってる? わかるの?」
「あんなアホみたいに魔力垂れ流してるんだぞ。どー考えてもヤる気じゃねえかアイツ」
すると、フードの一人がまず自身のフードを外す。それは莫大な魔力の主ではない方だったが、晒された素顔に取り囲む兵士たち全員が驚愕する。もちろんそれを見ていた涼太たちも。
「え、エルフだと!?」
そしてフードを外した銀髪のエルフの女性は、金色のナギ疑惑をかけられている者のフードを勝手に外してしまう。
「あっ、こらっ」
「顔見せるぐらいで文句言わない。面倒事は御免ですよ」
そちらの金髪もエルフの女性であった。それはそれは見事な金髪で、また美女であるという条件も満たしてはいるが、一目でわかる耳という特徴から、相手はナギではなくエルフであると伝わってくれた。
「え、エルフ、でしたか。これは、失礼をいたしました」
兵士の態度が変わったのは、エルフに対し敬意を持っているだとか畏れているというのではなく、エルフに対してどう対応していいのかわからないためだ。
現に対応する立場の兵士は、時折きょろきょろと仲間の兵士を見て、自分のこの対応で正しいのか問うような様子を見せている。もちろん仲間の兵士にもどう対応していいのかなどわかるはずもないのだが。
ただ武器を向けたままなのは絶対にマズイと思ったようで、全ての兵士が手にした槍を天に向ける。
金髪のエルフ、イングは不機嫌そうな顔のまま、兵士に言う。
「で、私が誰だって?」
「も、申し訳ありませんでした。それで、その、エルフ、殿が聖地に如何な御用で? もし、よろしければ上に連絡をつけさせていただきますが……」
「はあ? なんでそんなことアンタに言わなきゃなんないのよ。ていうか、この行列って何? 中に入るのに並べって言われたから並んだんだけど、こんなの前来た時なかったんだけど」
「も、申し訳ありません。なにぶん参拝者が後を絶たぬもので、こうして人員整理を行なわなければ事故すら起こってしまいかねぬと」
「…………参拝? なんで?」
「え、ええっと、その、聖地、ですし。大神ユグドラシルの為した奇跡の聖域を、皆一目見ようと集まってきていまして……」
兵士がそう言うと、イングの耳がぴくりと動いた。
「ふ、ふーん、そうなんだ。そんなに、ココ、見たいんだ、人間って。へー、へー。じゃ、じゃあ、もしかしてここに並んでるみんな、そうなの?」
「はい。ですから並んでいただいているのですが、もしお急ぎということでしたら、上役にかけあってまいりますので……」
エルフとはあまりに珍しすぎる来客であり、知能も高く魔術や武術に長けると言われている相手で、兵士も粗雑な対応ができない。
だが、イングはぷいっと顔をそらして答えた。
「べ、別にいーわよ。みんな並んでるんだし、ズルイのは良くないわ。私も並ぶから、アンタたちももー行きなさいよ。あ、後、この辺で何かおいしいものあるんなら持ってきて。並んでたらきっとお腹すくと思うし」
兵士にそんな願いを聞く謂れはないが彼は、お任せください、と言って他の兵士を率いて立ち去っていった。
そして、イングたちを中心に円形にすっぽりと行列が途切れたまま、行列に並ぶ者たちは訝し気にイングを見ていた。
そういった彼らの様子を特に気にする様子もなく、空いた分を埋めるべく、すたすたと先に進み、ひい、とちょっと悲鳴を上げている列の前の者のすぐ後ろにイングは並ぶ。
仕方なくこれに続く同行者二名。そして、ずーっと空間が空いたままのイングの後ろの行列。
イングは片手を振って遠くに聞こえる魔術を使いながら言う。
「ほらー、後ろの連中もさっさと詰めなさいよ。他の人が迷惑するでしょー」
そんな魔術を超お手軽に使われたことも含め、皆大いにビビっていたのだが、逆らうのももっと怖いし行列が空いたままなのもよくないと思ってはいたので、言われるがままに列を詰め、行列はすぐに落ち着きを取り戻した。並んでいる者たちの精神状態はさておき。
なんというか、という顔をして呆気に取られていた涼太たち三人であったが、相手がエルフだとわかると涼太も警戒を解く。
そのままするすると近寄っていって、エルフ二人ではなく、まずもう一人の傍に行き声をかけた。
「よっ、アルベルティナ。久しぶり」
驚き振り返った三人目のフード。彼女は涼太の顔を認めると、驚いた顔で言葉を返した。
「リョータ。え、え、ええ、どうしてここに?」
「あんまりにヤバイ魔力見つけたんで見に来たんだよ。そちらがエルフの森から来たっていう」
「う、うん。イングさんと、スキールニルさんだよ」
以前は言葉もたどたどしかったアルベルティナがきちんと受け答えできていることに、涼太は頬が緩んでしまう。エルフの里では随分とよくしてもらっているようだとこのことからもわかる。
アルベルティナの声に、残るイングとスキールニルも涼太に目を向ける。
イングもまた驚いた顔をしている。
「あら、貴方がリョータ? よく見つけられたわね」
「そんだけ魔力垂れ流しておいて、何を言ってんだか」
「…………ああっ、ホントだ」
慌ててイングが魔力を抑えると、ようやく涼太も安心できる環境になった。
「いや気付いてなかったのかよ」
「あんな馬鹿にされたの久しぶりだったのよ。それより、合流できたんなら話できるところ行きましょうよ」
「たった今兵士の人に飯持ってこいって言ったのアンタだろ。どーすんだよそれ」
「はあ? 言ったっけそんなこと? どーでもいいでしょそんなの。そうそうご飯で思い出したわ、私ちょっとお腹減ってるから、人間の街のおいしいもの食べながら話しましょうよ」
「ひでぇ……」
凪が無言で、スキールニルを見ながらイングを指さす。あれどーにかしてよ、という意味だ。
スキールニルは嘆息しつつ口を出す。
「イング様。相手は人間とはいえ、約束を蔑ろにするのは好ましくありません。むしろ人間が相手だからこそ、エルフの側は誠実であるべきでしょう」
「えー、そういうの他のエルフがやってよー。私めんどいー」
「それが、嫌なら、今すぐ、森に帰るだけです」
「えー、えー、えー、スキールニルすぐそれ言うしー。私がここに来るのって、結構大事なことなのよー」
「どうでもいいです。それがエルフの総意であるのにイング様がどうしてもと言ったのですよね」
「そうだけどさー」
二人の話に涼太が口を挟む。
「どの道、俺たちもこの街は初めてだ。それなら、この街の住人である兵士に美味い物持ってきてもらう方がいいんじゃないか? それ食って、ついでにどっか良い店教えてもらえばいいじゃん。ここに並んでる巡礼者たちも現地の人間じゃないんだし、きっとメシが美味い店とか知らないぜ」
ぱちくりと目を瞬いた後、イングはとても嬉しそうに破顔した。
「そうね! 貴方頭いいわ! さすがに人間で賢者って呼ばれてるだけはあるわ!」
「いやその賢者ってのは勘弁してくれ。特にエルフにそう呼ばれるのはどうにも据わりが悪い」
「いいじゃない。森のじーさまたちもリョータの話には随分と感心してたわよ。そうそう、貴方が言ってた人間が増えるって話だけど……」
そこまで口にして、周囲にはその人間だらけであるということを思い出す。
「……あー、この話はまた別の場所でしましょ」
これ以上変なことを言われる前に、涼太は自分たちの立場を小声でイングに伝える。
間違ってもここで凪と秋穂の名前は出してくれるなと。できれば涼太の名前も控えてほしいとも。
その辺のことも後でじっくり話を聞かせなさい、と言われたがイングは了承してくれた。
涼太は先のスキールニルとイングの発言を思い出す。
『エルフの総意に逆らって意見を押し通せるだけのエルフ、ってことか。さっきのありえねえほどの魔力といい、どうもこのイングって人、相当な立場にある人っぽいな』
高見雫。元加須高校吹奏楽部部長である彼女は、現在辺境都市リネスタードにおける最高意思決定機関である合議会議員の一人だ。
その雫からの依頼で、男は彼女が仲間と呼ぶ人間たちを出迎えに向かっていた。
昨今尋常ならざる勢力伸長を行なっているリネスタードの有力者であるからして、男は雫が如何に年若いとはいえその依頼を甘く見たりはしない。
そんな男が現地近くにつくと、どうにも雲行きが怪しくなってきたと知れる。
男が依頼された案内すべき者たちが、教会に取っ捕まってしまったらしいのだ。
男はここに、リネスタードで雇った戦士を数人と、荷物運びを十人以上連れてきていた。
彼らは基本的には男の味方であり、多少ならば危ない橋も渡らせることができる相手なので、状況の把握につとめ現状を理解した後で、目標としていた村の周辺の探索に向かう。
教会により集められた兵士たちもここらを探って回っており、これを避けながらの探索は困難を極めたが、男が雇った戦士たちが結構な腕利きだったこともあり、どうにか教会に先行して幾人かの保護を成功させた。
彼らは皆激しく動揺していた。男たちが高見雫が送り込んだ使者だと知ると、安堵に泣き出す者や、力なくその場に崩れ落ちる者、必死になって男にすがりつく者など、誰も彼もひどい有様だった。
救助に成功したのは総勢で十五人。
話に聞いたところによると、住んでいた村を教会が手配した兵士に包囲され、このまま黙って捕まったらとんでもないことになる、と見た五条理人が総員に後先考えぬ逃走を命じたのだ。
その決断だけは正しかった。教会に連行された者たちがどんな目に遭うのか、何故連行されたのかを知っている男はわかっていた。
だが、その前の段階で、教会の依頼という名の強制に気付かずこれを突っぱねたのは最悪であった。
雫たちがリネスタードで公言している、イセカイ、という国から来たという話を、この五条理人たちは秘密にしていたらしい。
そしてその秘密を、教会が相手でも押し通せると勘違いしていたようだ。
『馬鹿め』
それ以外の言葉が出てこない。
教会は各地にごろごろしているチンピラ共とは違うのだ。
少なくとも表面上は穏便な手段を好むし、誠実に相手をしている間はそうそう無茶なぞやってこない。
もちろん教会上部よりの決定があったならその限りではないが、これを現地にて実行する者たちは、教会という組織に属しているだけあって情に脆い善人が多い。そんな者たちが多い組織だからこそ、教会を皆が信じ称えるのだ。
その辺を理解できないのは、どうやらイセカイ国の人間に共通する部分らしい。
男と話をしていた時、雫も不思議そうに男に問うてきたものだ。
「ねえ、あの三人と教会が揉めたのはわかるわ。でも、どう考えても悪いのは教会側じゃない? そんな発端なのに教会全部が本気で動くって、連中の間じゃどういう話になってるのよ、コレ」
「……正直、それを理解できない貴女を私は理解できないが……いくら王が悪いことをしたとしても、王を殺されたらそりゃ国が動くのは当たり前でしょうに」
「殺しにかかられたら殺し返すのって当たり前じゃないの? 少なくとも、あの三人はそう思ってるわよ」
「その理屈で司教様まで殺してしまうというのがわからないのですよ。どうして、相手を、選ぶことができないのですかあの人たちはっ」
王も司教も、持っている権威があり、権威を維持することは、国や教会といった巨大な組織を運営するに不可欠なものであり、所属する全ての人間がこれを尊重して初めてこういった巨大な組織が回っていき、その恩恵を所属している皆が受けることができるようになる。
そんなことはあるていど教育を受けた者ならば当然に理解していることだ。少なくとも、知能の高い者ばかりのイセカイ国出身で、それなりの立場にある者ほどの頭があるのならば理解していて当然のことである、と男は考えているのだが、その辺で大きな齟齬があるようだ。
男の考える常識では、司教が抱える兵士が凪と秋穂を襲ったのならば、その実力差を司教にわかるように明示し、そのうえで相手の妥協を引き出す、というのが最善であったのだ。決して殺してはならない、殺してしまっては敵味方双方に甚大な犠牲が出る相手なのだから、そうするしかないはずであった。
雫は、苦笑しながら言った。
「それをアイツらは、司教だけズルイ、って思うのよ」
「それで司教様殺して今の騒ぎになってるんですよ!? そういうこと少しでも考える頭があったら絶対手を出しちゃマズイってわかるでしょうに! どうして無駄に騒ぎを大きくしたがるんですか!」
「アイツら、騒ぎを大きくするかどうかは相手が考えることであってアイツらが考えることじゃない、って思ってるのよ。その上で、時々温情をかけはするけど、公平に、平等に、誰に対してでも接しようとしてるの」
「その公平さや平等とやらに、ここまで騒ぎを大きくし、多数の犠牲者を出すほどの価値があるというのですか?」
はあ、とやはり嘆息する雫。
「ごめん。公平さと平等はあくまで基準の一つでしかなかったわね。公平で平等であることは、アイツらが気分がよくなることの一要因なのよ。アイツらは、自分たちが気分よく生きることだけ考えて生きてるの。それをわがまま放題の盗賊みたいに思えないのは、アイツらの気分よく生きるための基準が、私たちの価値基準と似通ったものであるせいなんでしょうね」
大神ユグドラシルの教えは、かなりの部分あの三人の規範と重なっているところあるわよ、と雫が告げると、男は脱力したかのように椅子の背もたれによりかかり、天井を見上げた。
「…………ヒトの社会には決して交えてはならない相手、というのが私の結論になりそうなんですが」
「それで正しいと思うわよ。ま、そこは発想を切り替えなさいな。王様や司教様みたいな触れたらとんでもない被害と犠牲が出る相手だ、って理解してるリネスタードのみんなは上手くアレらと付き合えてるでしょ?」
それを、言葉だけで他所の権力者に理解させることは不可能なんですよ、と男は心の内のみで愚痴った。
男が連れてきた戦士の一人が笑いながら男に言ってきた。
「おいおい、聞いてくれよ。さっき助けたガキの一人がさ、なんて言ったと思う?」
「なんと?」
「教会に連れ去られた仲間を助けてくれ、だってさ。俺たちに教会とのツテなんてねえよ、って言ってやったらさ、そいつ、こんな無法が通るわけがないから王様に訴え出よう、だってさ。それを聞いてた何人かも真顔で頷いてやがってさ、頭おかしいぜアイツら」
これがイセカイ国の人間の言う公平と平等か、と思わず吹き出しそうになってしまった男だ。
凪と秋穂が、その規格外の力を以て無茶を押し通そうとするのは、非常識だと頭を抱えることはあっても無様だと笑う気にはなれない。
なのにその実力もない無力な小僧が偉そうに同じことを言ってくると、どうしてこうも惨めに見えてくるのか。
お前らと教会とが公平で平等だなんてこと、あるはずがないだろうに。社会や国に対する圧倒的なまでの貢献の差が、まるで理解できていないことが男には不思議でならないのである。
人権思想というものにいったいどれだけのものが守られていたのかが、とてもよくわかる話である。