140.聖地へ行こう
ギュルディがボロースへの侵攻を行なっているのとほぼ同時期に、その配下が密かにエルフの森と接触を取っていた。
使者が涼太の名を出すと、エルフの森は一応話は聞いてくれて、そこからは粘り強い交渉により、ギュルディ配下がボロースの者たちとは違うと納得してもらえた。
本格的に交易が始まったのはボロース占領直後からだ。
エルフの森では、砂糖と各種金属加工品とがとにかく喜ばれた。
砂糖は言わずもがな、金属加工品はエルフの居住地周辺にそういったものがとれる鉱山がなかったためだ。
どちらの商品も、ボロースはエルフとの交易にあまり用いていなかった。砂糖はボロースにとっても貴重であったためで、金属加工品はもちろん武器への転用を警戒したためだ。
ギュルディがこれを許可したのは、涼太と凪と秋穂からの情報による。
「エルフがその気になったら、乗り込んで奪うぐらい簡単にやってのける。ソコを警戒したところで無駄だと思うがね」
交易が始まって少し経った頃、エルフの森からリネスタードに要請がきた。
曰く、人の街にエルフの重要人物が向かうので、道中の案内を頼みたい、である。
そうしてやってきたのが、エルフの女性が二人と、なんと人間の女性が一人である。
エルフの二人は知らないが、人間の女性は少々有名な人物で、その歌声で数多の人間を魅了して回っていたというアルベルティナという女であった。
アルベルティナの情報は既に涼太によってギュルディ陣営にもたらされている。使者は彼女の登場に驚き怯えそれが顔に出てしまっていたが、エルフの二人が、既にアルベルティナは魅了の力を自在に操れるようになったととりなしてくれた。
今回アルベルティナを伴っているのも、少しずつでも人間社会に慣れていく必要がある、とエルフたちが考えたためだ。
そして旅支度を終えた三人は、森を出て、人間の案内人を連れて森から一番近くの街に入ったところで、一行の中で最も地位の高い者と見られるエルフのイングが言った。
「せっかくの旅なんだから、余計な人間とかいらなーい」
三人の案内と護衛はエルフの森としての要請であったため、彼女のわがままは同行者であり彼女の従者でもあるエルフ、スキールニルに即座に却下されたのだが、イングがそれで拗ねてしまったため、人間の側が妥協案を提示する。
極力三人の前に姿を現さぬよう護衛を配し、もし困ったことが起こっても即座に対応できるようにしておく、というものだ。
スキールニルは、そこまで甘やかさなくても、と言ったがイングは人間の申し出に喜んで乗り、三人は極力エルフというのを隠しながら三人のみで旅をすることになった。
更にイングのわがままは続く。
「ねえねえ、せっかく人間の街に行くんだからさ、私もナギとかリョータとか見たい会いたい話したーい」
エルフの森では、エルフ流暗黒格闘術の腕利き連中と五分に渡り合った人間、ということで凪の名はそこそこ話題になっていたのだ。
また涼太も、エルフの森に人間の情報をもたらし、人間から見たエルフのあるべき道を語った賢者ということで、イングの興味を引く相手であった。
とはいえ、リネスタード側からしても、涼太たちの扱いは極めて慎重に行わなければならない。ちょうどその時は、涼太たちが司教と揉めているという話がきた時でもあったし。
不用意な発言は避け、相手方の許可が得られたのなら、と涼太たちの事情を説明したうえで理解を求めると、イングは案外に物分かりがよく、ギュルディ配下の要求を聞き入れた。
「よーっし、数百年ぶりの人間の街、シェレフテオに向けてしゅっぱつだー」
イングの上機嫌な掛け声に、人の良いアルベルティナのみが控えめに、おー、と付き合ってあげた。
五条理人。元加須高校生であり、涼太たちが加須高校に来訪する直前、加須高校の高見雫らと袂を分かち、多数の生徒を引き連れ学校を去った男である。
途中、商人に騙されそうになりながらもこれを辛くも逃れ、一行はボロース領域の端にある、田舎の村に安住の地を見つけ出した。
道中、魔術師を捕まえることで言語の問題は解決したものの、ここは五条たちの理解及ばぬ魔術なんてものが存在する異世界だ。
ましてや五条たちは皆現代社会で過ごしてきた若者たちで、それが電気ガス水道のないド田舎どころではない文明未開地で生きていかねばならなくなったのだ。
その苦労は筆舌に尽くし難いものであったろう。
だが、それでも五条は決して弱音を吐かず、ありとあらゆる手を用いて率いてきた生徒たちの生活基盤を確立せんと知恵を絞り動いてまわった。
幾人かの脱落者は出したが、田舎の村で、どうにか生活の目処が立ちつつあった。そんな時だ、五条たちがその話を聞いたのは。
「なあ、街に買い出しに行った時聞いたんだが。なんでも黒髪のアキホってのと、金色のナギってのがすんげぇ大暴れしてるらしいぜ」
彼ら五条組が存在を把握しているのは不知火凪のみだ。
だが、こちらの世界では真っ黒な髪がとても珍しいものだと皆も知っているし、アキホとナギの二人がこの世ならぬほどの美人である、と聞けば、それが元の学校にいた柊秋穂と不知火凪ではないか、という予想に繋がる。
五条たちが腰を落ち着けた村は、ボロースから離れた場所にある、しかし王都圏にほど近い村で、買い出しにいく一番近くの街は、そのアキホとナギが無茶苦茶な暴れ方をしたドルトレヒトの隣の街であった。
そのせいで色々と嘘か本当か定かではないような話も聞こえてくる。
そして、街に行った五条の仲間たちは、そういった話に興味を持つ。当然だ。さらにさらに言うのであれば、交流による情報とは一方通行ではありえない。
酒に酔った馬鹿が、勢い余って調子のよいことを言ってしまうこともあった。
五条たちは、ただただ生き残るためだけの日々の中、ほんの僅かな楽しみとして、村人たちがそうするように酒を飲むようになっていた。
五条は、この土地で変な目立ち方をするのは自殺行為だと理解している。もちろん、五条と共にこの集団の行く末を案じている者たちもだ。だが、全員がそうなれるわけではない。
それでも、普段は見逃される。もしくは相手にされない。そんなものだ。
だが、教会は各地に人を送り込んだ。アキホとナギなる人物が何者なのかを調べるために。
その調査の網に、五条の仲間が引っ掛かってしまったのだ。
一人捕まれば、後はどうしようもない。彼ら元生徒たちに、隠し通さなければ仲間たち全員の破滅に繋がる情報なんてものを、判別する知識はないのだ。
だから強制を伴う問いかけに、彼らは抗する術を持たない。
そして、アッカ元団長やオーヴェ千人長のように、協力的でかつ社会的地位もある相手ではないのなら彼らが容赦する理由はない。
最初の使者が五条たちの村を訪れた時も、五条は教会関係者の持つ権力を正確に理解する知識は持っていなかったし、彼らが何処までやるのかなんて、わかるはずもなかった。
結局、五条が自らの致命的な失策に気付いたのは、村の全周囲を百人の兵に取り囲まれた時であった。
この時五条にできた唯一のことは、高見雫から届いた手紙を誰にも見つからぬように燃やして捨てることだけであった。
手紙は、ほんの数日、遅かったのである。
「ねえねえ涼太くん。次は、シェレフテオの街だよね」
おう、と秋穂の言葉に返す涼太。
三人が次なる目標としたのは、聖地シェレフテオである。
大神ユグドラシルが作り上げた聖域により、地底深くに眠る魔の根源を封じ込めた、という伝承が残る街だ。
そこは魔の根源とやらの気配よりも、大神ユグドラシルの作った聖域の聖なる気配の方が遥かに強く感じられる土地で、敬虔な信徒が数多集まるようになり、ここに街が作られたのだ。
他にも幾つか標的候補はあったのだが、ギュルディの諜報網よりもたらされた連絡により、エルフのお偉いさんが三人に会いたいと言ったことに対し配慮することにしたという話だ。
当然、その報せが涼太の下にくるまでの間に、三人に対する罠が仕掛けられた可能性も存在する。
が、エルフが何の目的でわざわざ人間の街に来るのか、その目的ははっきりとしておらず、それをわからぬままに王都圏で暴れまわるのは、下手をすればエルフを敵に回す可能性もある。
涼太は、教会を敵に回すことも、一国を敵に回すことも恐れない。そうあると決めている。だが、三人が味方であると認めた相手を敵に回すことは避けたいとも思っている。
なので涼太はエルフと接触してその目的を問いただす必要があると考えたのだ。
ただ、懸念もある。
『宗教ガチ系が山ほどいそうなんだよなぁ。まあ最終的にはそういうの相手にすることになるんだから、今のうちに経験しとけって話かもしんないけどさ』
凪が興味本位全開で問う。
「ねえ、涼太はその聖なる気配ってわかるの?」
「魔力ならさておき、聖なる、なんて言われてもぴんと来ないな。それに、こっちで言う聖なるってのと、俺たちの考える聖なるってのはちょっとばかり違うものなような気がしてな」
「邪なる、ってのの対義語じゃないってこと?」
「おっまえ、面白い物言いするのな。ベネから聞いた話じゃ、魔力にも種類があるって話でな。聖域の魔力ってのも、悪を滅するなんてものではなくてあくまで魔力の種類の一つにすぎない、って話じゃないのかなと」
「地水火風とか?」
「いや、ベネは種類って言ってたけど、一定以上の濃度の魔力は、魔力の性質すら変化してくるって話でな。つまり、普通の魔力と、濃い魔力と、すごい濃い魔力、ってのとで全部種類が変わっちゃうんだと」
ああ、なるほど、と手を叩く秋穂。
「その普通のそれとは違う魔力を、聖なるものって誤認してるってことか」
「そうそう。とはいえ、そんな濃い魔力のまま何百年も維持され続けている聖域なんてものを作り上げた相手を神様って呼ぶのもわかるし、そんな神様ぐらいしか出せないだろう濃い魔力を聖なるものって呼ぶのも、不自然とは思わないけどな」
ん? と首をかしげる凪。
「魔力って、普通の人だと認識できないんじゃなかったっけ?」
「認識できちまうほどの魔力、ってのもあるって話だ。凪、きっとお前にも感じ取れるから楽しみにしてろよ」
「そうね!」
魔法大好きなのにこれまで魔法体験に乏しい凪にとっては、何より楽しみなことであろう。
より細かな内容を秋穂が問う。
「で、今回はどうするの? 聖地ってことは多分ここも魔術通らないっぽいんでしょ」
「とりあえずは普通に参拝する」
「そうだよね!」
とても嬉しそうに同意する秋穂。
聖地シェレフテオには、魔を封じた後で建てられた巨大な聖堂があるという。
この威容はリネスタードにも伝わってくるほどのもので、世界遺産大好きな涼太と秋穂はこれをとても楽しみにしていたのだ。
各地から聖地巡礼に訪れる信者たちも、この聖堂を参拝することが目的である。
エルフのお偉いさんからの申し出もあって次の標的をシェレフテオに決めたのだが、これはこれで、三人にとってとても楽しみな選択でもあったのである。
聖地シェレフテオの管理者は、教会組織の中でも最も重要な役目であるとされていた。
この地に封じられた魔が再び動き出さぬよう、神に命じられた役目を果たし、いつか再び神が訪れるその日を待ち続けるのだ。
多数の聖地巡礼者を迎えるこの土地では、遥か昔から参拝の仕方に作法があって、これを守らせるのも管理者の役割だ。
信仰心篤き者が多く集まるこの土地の管理者は、誰よりも信仰心のある者であることを求められる。それは教会側が云々ではなく、この地を訪れる巡礼者たちが求めるものだ。
だが、他人から見て、その人間が真に篤き信仰心を持っているかどうかを確かめる術はない。
心の内を読み取ることなど誰にもできはしないのだから、これは当然の帰結であろう。それがわからぬ者も、多いものだが。
つまり、聖地シェレフテオに赴任した若きハンス神父に求められているのは、如何に信仰を深めるかの思索ではなく、毎日のように押し寄せてくる巡礼者たちに対し適切に案内をすることと、そんな彼らから見て誰よりも敬虔である、と思われるように振る舞うことであった。
『……にしたって、アレはないだろう』
ハンス神父はその部屋から出て、夜空を見上げ嘆息する。
神は空におわす。そんな学説を思い出しながら無数に瞬く星たちを見ていると、神がきちんと自分の心の内までもを見通してくれているような気になれて、ハンス神父は時折こうするのだ。
そんなハンス神父の神を感じる神聖なる時間を、妨げてくれる声が後ろから聞こえてくる。
楽しそうに、愉快そうに、もっと言ってしまえば、下卑た、と評するに相応しい笑い声が聞こえてきた。
そこでは聖地シェレフテオを管理する神父やその下働きの者たちが集まっていて、他所には決して声が漏れぬようにしたこの敷地の中で、酒を飲んで飯を食らい、女を招いてどんちゃん騒ぎの真っ最中である。
ふと、人の気配に気付いて振り向くと、そこには聖地シェレフテオ管理責任者の一族である、まだ若くハンスと同世代の青年がいた。
「ああいうのは、慣れないか?」
「申し訳ありません。率直に申しまして、今すぐ怒鳴り込んでやりたいところです」
「ははははは、確かに、君は実に正直な人間らしい。だが、昼の仕事を君も経験したのだろう? ならば、それが大変な苦しさを伴うものだということも理解してもらえただろう」
「…………」
言葉を発せなかったのは、ハンス神父はそちらにも不満があったからだ。
聖地を訪れる敬虔な信徒たち、と思っていた者たちの実情は、やれ食い物がまずい、寝床がよろしくない、時間がかかりすぎている、他の者を押しのけ自分の順番を早くしろ、などとまあ、言いたい放題の者ばかり。
確かに、今建物の中でハメを外している者たちは皆、そんな連中相手でも決して誠実篤実な人間であるという仮面を外すことなく、我慢強く応対していたと思う。
黙り込んでしまったハンス神父の肩を青年が叩く。
「人間には、限界というものがあるんだ。そして、人を扱おうと思ったなら、決して限界まで我慢させてはならない。そこまでいってしまえば取り返しのつかない何かが起こってしまうのだからね。その前に、きちんと心を癒してあげるのもまた、私たちの役目なんだよ」
どうしても我慢ならないようだったら、自分に言ってくれ、と彼はハンス神父に告げ去っていった。
きっとその時はシェレフテオから別の教会に異動させてくれるのだろう。だがそれは、ハンス神父が教会組織の中での出世コースから外れるということでもある。
ハンス神父は出世自体は目的としていないが、自分の信仰や信仰を広めるための創意工夫、経典の研究といった努力を、認めてもらいたいとも思っている。
だからハンス神父はこの地に赴任する前に、シムリスハムンにて聖地シェレフテオの財政状況に関して、徹底的に調査をしてからきたのだ。
そしてこんな雑な管理をしているのならば、きっと自分がもっと効率的に、より効果的に、この地を運営できる、と意気込んできていた。
彼が去っていく姿を見ながら、ハンス神父は頭の中だけで彼に訊ねた。
『……シェレフテオの収入。今日実際に現地の巡礼者を見てお布施を計算してみましたが、シムリスハムンに報告が上がっている額と比べて、明らかに桁が一つ違っていますよね。ここまで明白にズレた数字がまかりとおっているということは、聖卓会議もこれを了承していると、考えてよろしいのでしょうか……』
彼は、大神ユグドラシルに仕える敬虔な神父であったが、同時に、数字に滅法強いという特技も備えていた。
そして如何な敬虔な信徒であろうとも、気付いてしまったコレを無邪気に言って回るほど愚かでもないのだ。
飯沼椿、元加須高校三年。彼女は自分が、たとえば一年生で有名な超美人たちや、二年生で芸能活動をしている娘と比べてしまえば容易く埋没するていどの容貌だという自覚はある。
こんな異世界に放り込まれて、すがるように同級生と付き合いだして、そしてその相手は、突如理不尽な暴力によって無残に殺されてしまった。
そして椿自身はその殺した相手に連れ去られ、一方的に恋人であることを強要されてしまう。
言葉も通じぬ、近しい人を簡単に殺した見上げるような大男。なのに、彼は必死に椿と意思疎通を図ろうとしてくれていた。
恋人としての仕事も、とても優しく、丁重に扱ってくれた。ともすれば、いつも不安を抱えていた亡くなった同級生よりも。
それが不思議でならなかった椿だが、その後、思いもよらぬ幸運により加須高校生たちに異世界での生活基盤を作る猶予が与えられた。
皆、必死になってここで生きていこうと働いた。もちろん椿もそうだ。何がなんでも生き残ってやる、と誰よりも強い覚悟を決めていたと思っている。
そんな中で、椿は自身の容貌に、この世界の人間が大きな価値を見出してくれると知った。
椿は、たとえば橘拓海のような知能もない、高見雫のようなリーダーシップもない、他にもたくさんいる有用性を示して見せた皆のように、特別な何かを持ってはいなかったし、自分をそういう人間だとも思っていた。
だが、あったのだ。椿にも、椿だけの武器が。
そう思えた瞬間、椿の心中に湧きあがった熱い炎を、椿はなんと呼べばいいのかわからなかったが、その炎に従って動けばどうなるのかを考えた時、自然と言葉が出てきた。
野心だ。
それが分相応なものなのかどうかもわからない。けど、己にソレがあると信じて、突っ走ってみたくなったのだ。
ギュルディが王都圏へと向かう時、これに同行するメンバーに無理を言って加えてもらい、そして、王都圏を見て、椿は決断した。
「ギュルディさん、私、ココに残るわ」
王都圏での情報収集に加須高校生の視点を持つ者が加わるのは、加須高校生にとっては極めて有用なこととなろう。
ギュルディとの幾つかの交渉を経て、椿はとある下級貴族の庶子としての立場を得た。
それから五十代の初老の子爵の愛人の座を獲得するのに三月もかからなかったのは、さしものギュルディにとっても予想外で、話を聞いた時はとても嬉しそうに笑っていたものだ。良き人材の成長が見られた時、ギュルディはこれを損得利害を抜きにしても喜ばしいことだと思う人間なのだ。
そんな子爵様と、つい先日まで聖地シェレフテオへの巡礼という名の浮気旅行に行ってきたばかりの椿である。
「いやぁ、下もきちんとおじーちゃんかと思いきや、とんでもなく元気だったわー。私の前は随分とご無沙汰だったみたいだし、やっぱり貴族にも立場ってものがあるみたいねぇ」
そういった立場にきちんと配慮できる賢い愛人なんてものには、そうそう巡り合えないものだ。当人が周囲に配慮できる良識のある貴族であればあるほどに。
かくいう椿もこちらの世界の常識にはまだまだ疎い部分があるのだが、そこはギュルディが紹介してくれた使用人を頼りにどうにかこなしている。
「しかし、あの聖地は……ひっどかったわねぇ」
聖地巡礼を浮気旅行の隠れ蓑にするという話は、貴族間ではそれなりに行われていることらしい。聖地巡礼自体は貴族の身分であっても好ましいことと受け取られているだけに、家人が疑わしいと思ってもこれを追及しにくいそうだ。
なので実際に行ってみて、貴族用の参拝をやってみると、まず各貴族同士が顔を合わせることがないよう配慮されている。
そして、巡礼というよりは保養地でもあるかのような至れり尽くせりの宿泊施設だ。
凄いのが、参拝の時は神聖さの演出を欠かさないのだが、宿泊施設に入るなりそういった気配が一気に消えてしまい、ただただ日々の疲れを癒すような、逆に神様の雰囲気を一切なくした造りになっていた。
もちろん、子爵と椿の組み合わせを見てそういった部屋に案内したのだろうが、そんな準備が聖地にあることにびっくりである。
平民たちが屋根もない場所で、ぞろぞろと長い列に並んでいるのを見たが、エライ違いだ。
椿の最も頼りとする使用人が、いい加減椿の愚痴にも慣れたらしく、表情を変えずに答える。
「千人の平民より一人の貴族が落とすお金の方が圧倒的に多いのですから、全て当然の配慮だと思いますが……」
それを、世知辛いねえ、とぼやく椿を、やはり使用人は理解できないのであった。




