129.天翔けるクリストフェル
クリストフェルの先制を許したのは、何も秋穂が油断したという話ではない。
それほどにクリストフェルの踏み出しが鋭かったのだ。
『足が、強い?』
そこから、足が速い、蹴りに注意、二つ名を考えるに跳躍しての攻撃、等に瞬時で思い至る秋穂。
だとしても、崩してしまえば全て解決する。
振り下ろされるクリストフェルの剣に向かって、秋穂は自らの剣を押し込むように叩きつける。
秋穂渾身の一撃であり、これによる敵の崩しを考えてのものであったが、クリストフェルもさるもの、体軸は容易にブレてはくれない。
だがその剣の支え方を見て、やはりクリストフェルは脚力に優れていると察する。脚力に優れているだけに、きちんと足で手に持った剣を支える術に長けているようだ。
『なら、そこから崩す』
一瞬お互いの剣が拮抗したことで生じた空白に、秋穂は自身の身体を間合いの更に内へと滑り込ませる。
この挙動に合わせてクリストフェルの剣は外に流している。達人を相手にそうできるのが、柊秋穂の剣術である。
それでも強打を許すほどの猶予ではない。秋穂にできるのは拳先で敵の胴を押し出すていどで。
「ぐあはっ!」
思わず漏れたのはクリストフェルの悲鳴。
身体を滑り込ませた動きからであるため、拳は本当に当てるていどにしか勢いをつけられなかった。だが、秋穂の身に付けた術理なれば、それで十分痛打にしうる。
敵は剣士だ。だが、どうやら相手は剣を振っているだけではなく、打撃に耐える身体を作ることもしてあったようで。
秋穂の拳打をまともに受けておきながら、クリストフェルは打たれた側の足を、秋穂の足へと飛ばしている。
最初に秋穂が警戒したクリストフェルの足だ。不用意に受けるような真似はせず、大事を取って後ろに下がる。
『わお、するどいっ』
秋穂の拳を受けたせいで鈍った部分もあろうが、それでもなお、見た目からわかるほどに重そうな蹴りであった。
一連の攻防で秋穂は確信する。このクリストフェルという男の戦い方は、戦場でのそれだ。
秋穂の拳打による崩しにも体幹は維持したままできちんと反撃までしてくれている。それは、攻撃の際にも全く別の方向からの攻撃を受ける前提で体勢を作っていなければ、とてもではないができぬことだろう。
これまで剣士を名乗る者を幾人も斬ってきた秋穂の経験では、剣士であり戦場をさして経験していない者は、腕が立っても秋穂のこの動きにここまで対応できぬものであった。
となると、と秋穂は、クリストフェルが脚力頼みに跳躍してくる可能性は低いと考える。
当たり前だが、飛び技はその後の動きが制限されてしまうのだ。戦場を知る者ならば、そこでの戦いが前提であるのなら、そんな危ない真似はそうそうできまい。
背も高く、足も長い。
剣と足技と、これらを組み合わせた動きがこの男の得意技であると秋穂は読む。
『じゃあ、こういうのはどうかなー』
秋穂が先んじてその剣と足技とを組み合わせた仕掛けをしてやるのだ。
己の技に自信があればあるほど、同じ技を見せられて平静ではいられまい。そうして、一度も見せていないからと勢い込んで剣と足との複合攻撃を仕掛けてきたところを仕留める。
上段袈裟からの上段蹴り、受けられたので逆足を使った後ろ蹴り。こちらは常の後ろ蹴りとは逆に回転しての一撃であり、後ろ蹴りの大きな挙動をこの不意打ちのような動きで隠しての仕掛けだ。
クリストフェル、これらの連撃を綺麗に防いではいたが、秋穂の足技に対し、効果的な反撃をできないでいる。
ほんの僅か、攻撃を刺し込む隙はあったのだが、次に秋穂が放った回転しながらの剣撃に対し、クリストフェルは反撃を挟めない。足と剣とを交えて仕掛けることの利点である。剣術では当たり前に隙だとみなせる動きが、足技が絡むことで隙ではなくなる。故に、剣と足とを交えた上でも隙であるその行為が、本当に隙であるのかどうかを瞬時に判別することが難しくなるのだ。
一気に秋穂が攻勢に出る。元よりこの戦い方は、秋穂の最も得意とするものだ。
『おー、効いてる効いてる』
対するクリストフェルの表情が歪んでいる。あれは相当に頭にきている様子だ。
『じゃあ、ここで決めるっ』
秋穂の下段蹴り。これは僅かに狙いを甘くしたもので。もし、クリストフェルが蹴りを得意とするのなら。
クリストフェルは秋穂の読み通り、ほんの僅かな隙を見逃さず身体を半身に引きながら秋穂の蹴りに自らの蹴りを合わせてくる。
両者、最高威力を発揮する前に足と足とが衝突し、動きが一瞬止まる。
してやったぜ顔のクリストフェル。蹴りができるのはお前だけではない、と示してみせる秋穂の側に驚きを伴うはずの一撃。
だが、秋穂は読んでいたのだ、この蹴りを。いやさこの蹴りを出させるために全てを組み立てていたのだ。
左足で蹴った秋穂は、右手に握っていた剣をいつのまにか左手に持ち替えている。
それは、左足が宙に浮いた姿勢のままで、クリストフェルの伸びた蹴り足を斬り落とすための準備だった。
クリストフェル、罠と悟って身体を捻る。ぎりっぎりでそれが間に合うのが、クリストフェルという剣士が稀有な反射神経の持ち主である証拠だ。
だが、それで崩れた姿勢を見逃す秋穂ではない。
回避至難の横薙ぎの一閃を見舞う。無傷での回避はできまい。そう思った一撃だったが、クリストフェルはというとその卓越した脚力で、一瞬で上空へと跳び逃れる。
『それは、もっと悪くなるよっ』
跳び上がる、そう、秋穂の頭上を回転しながら跳び越える形だ。秋穂の頭の上を、ひっくりかえったクリストフェルの頭が回転しながら抜けていく、そんな姿勢であるのならクリストフェルにとってそれは攻撃の機会でもある。
跳び越える動きと直後の攻撃とが一つになった良き体勢ではあるが、その次がどうにもならないので、やはり悪手である。
頭上から切り上げられるという極めて珍しい一撃を秋穂は余裕を持って剣で受ける。地面を踏んでいるでもない一撃だ。押し込まれるは考えなくていい。本来は。
『ん?』
ずしりと腕に響く重い一撃。
秋穂の両足は大地の支えを得ているために、きちんとした姿勢で剣を振る限りそうそう押し込まれることはないのだが、それでも、この剣の重さは予想外だ。
更に、クリストフェルによる頭上からの剣撃は続く。
二発目。
『さすがに、やるっ』
三発目。
『うっそ、これちょっと凄いよ』
四発目。
『いや蹴りじゃないんだから、剣でそう何度も斬れるもの?』
五発目。
『…………なに、これ』
明らかな異常事態だ。
何が異常なのかは秋穂にもすぐわかった。
クリストフェルの身体が、秋穂の頭上でさかさまのまま、ぴたりと止まってしまっていたのだ。
その姿勢のままで、まるで大地を踏みしめているかのような強打を連発してくる。
結局、七連撃までしてくれた。
クリストフェルは秋穂の後方へと飛び抜け、大地に着地する。
さしもの秋穂も驚愕の表情を隠せず。クリストフェルはにやり、と笑う。
「天翔けるクリストフェルが妙技。ここまで受けて見せた敵は久しぶりだな」
「ナニコレ」
「知ったところで真似はできんさ。ふん、蹴りが得意と見抜いたところまでは良かったがな。さて、その先まで対処できるか、オマエ」
再びクリストフェルが跳び上がる。これを防ぐ術はない。距離を開けた場所からそうされたら、踏み込んだところで間に合わないし、この男の脚力ならば一瞬で頭上近くへと舞い上がることも可能なのだ。
一撃目、受ける。空中でのクリストフェルの姿勢を見て秋穂は確信する。
『連続攻撃で押し切るつもりっ、うにゃー、返し技なんてないよこんなのー』
クリストフェルは空中で、秋穂を見下ろす形ではあるが、クリストフェルから見て秋穂の頭は自身の眼前にあるような姿勢だ。剣を振るうにそれほど無理な体勢ではない。
しかし秋穂は頭上を見上げる形で上に向かって剣を振り上げなければならない。この体勢、とんでもなく腕と首がしんどい形である。
さしもの長き歴史を誇る中国拳法の術理にも、頭上の高みを取られたままで延々打ち合うなんて戦い方は、多くはない。
二つ、三つ、と受けたところで、秋穂の頭に微かな勝利への道筋が描かれる。確証は無論ない。
『できる? できない? あーもうっ、ともかくやってみる! ダメだったらそん時考える!』
クリストフェルの一閃に対し、秋穂の頭部が深く下へと沈み込む。それはクリストフェルにとってすら予想外の低さで。
秋穂は前後に両足を開き、足が完全に地面にぺたりとくっついてしまうほど低くに沈み込んだのだ。
まるで倒れたような姿勢で、クリストフェルは好機とばかりに高度を下げる。
そこに、人間の身体の挙動とはとても思えぬ動きで秋穂の両足が閉じ、同時に秋穂の上体もせり上がっていく。
更にそのせり上がっていく勢いには、秋穂の身体が宙を舞うほどの力が乗っており、伸びあがった秋穂の剣がクリストフェルの胴に伸びる。
慌てて腹部以下の下半身を上空に跳ねさせるクリストフェル。その動きを見て秋穂は、クリストフェルは空中に飛んでいるのでも浮かんでいるのでもなく、空中に足場を作ってそこに足を引っかけて固定しているとわかった。
だがその空中の不可視の足場はそこら中に作れるようで、クリストフェルの姿勢が完全にさかさまになった形で、クリストフェルが望む高度でぴたりとその身体は固定されている。
「なんって動きしやがる。油断も隙もあったもんじゃねえな」
クリストフェルが足を斜め上へと伸ばす形にすると、秋穂が跳び上がっても胴を狙うなんて真似ができなくなる。
この形は、双方ともにお互いの頭部を狙うことしかできない。どちらも決定打を出しにくい形ではあるが、そもそも剣を振るうのに大変な労苦を伴う秋穂の方が、この形で剣を振る鍛錬を積んでいるクリストフェルと相対しては、不利は否めない。
だが、不利は覚悟の上と秋穂は頭上に向かって猛然と打ちかかる。
他の剣士と比べて秋穂は、緊急回避として地面に座り込むまで低く沈むことができるという点で多少は有利ではある。
ただそれも、ずっとそうし続けたのならクリストフェルが高度を落とし、その両足を開いた形で剣を打ちあうことになり、更なる不利を押し付けられることになろう。
秋穂の腕に、常とは比べ物にならないほどの負担がかかっているのはわかる。
そうそう泣き言を言うつもりもないが、一番先に音を上げるのは間違いなくココであろうて。
だがそれでも秋穂は腕を庇うような戦い方は選ばず、むしろ酷使するかのように攻勢を諦めない。
決して守勢に回りきることのないよう、クリストフェルに隙が見えたなら、それが絶対に攻め切れないとわかるような微かな隙でも攻めかかった。
単純に、クリストフェルが秋穂の剣が届かない場所にいればいい、という話ではない。
クリストフェルの剣がきちんと効果的に運用できる距離におらねばならず、それは当然秋穂の間合いの内でもある。
ただ、クリストフェルは自らを支える不可視の足場というか腰場というか肩場というかをひっきりなしに変え、位置を小刻みに移動しつつ秋穂の死角側死角側へと回り込もうとする。
クリストフェルはさかさまになった自身の身体を、腰の前であったり、肩の上であったりの場所に不可視の足場を作ることで支えているのだ。
秋穂にとって、見上げた時顎側から来る剣は見やすい。だが、頭頂側からくるものはすこぶる見にくいし受けにくい。
そういった有利な位置を如何に取るか、そしてお互いが頭部のみしか有効打にならぬという極めて決着のつきにくい状況を如何に打破するか、といったところに知恵と技とで挑み続ける。
『んがー、まーだー?』
秋穂が脳内で泣き言を呟いた直後、クリストフェルの動きが変化した。
それまで一度たりとも上へと逃げようとはしなかったクリストフェルが、秋穂の剣も届かぬ上空に向かって大きく跳躍したのだ。
そして秋穂は、まるでそう動くことがわかっていたかのように、反射の如き反応速度で短剣を抜き、クリストフェルまで投げつける。
クリストフェルがこれまで見せた反応速度や体捌きを考えればそれは回避も受けも可能であったはずなのだが、秋穂の短剣がその手を離れた直後、空中にてクリストフェルの身体がぐらりと揺れる。
そこに、秋穂の短剣が突き刺さる。それでも急所であれば動き得たのかもしれないが、短剣はクリストフェルの右腿に刺さったのだ。
その瞬間、クリストフェルの背筋に冷たいものが走る。
恐るべき膂力だ。重力に逆らって放たれたはずの短剣は、刃部が完全にクリストフェルの腿に沈み込んでおり、柄の存在が辛うじてそれ以上の侵入を防いだ形である。
『殺った!』
『しまっ!』
だが観戦している兵士たちは、二人の位置関係から、クリストフェル有利を疑わなかった。
クリストフェルも投擲用短剣は多数用意している。上空から投げ下ろすクリストフェルと、地上から投げ上げる秋穂とで、どちらが有利かは自明の理だ。
だが、すぐに始まった両者の投擲合戦は、圧倒的秋穂有利にて推移していく。
「馬鹿な!」
思わずそう叫んでしまった観戦兵士であるが、これにも然るべき理由がある。
大地を存分に利用して駆けることのできる秋穂と、自身の魔術により空中に足場を作ったうえで、狭いこれを用いて移動しなければならないクリストフェルとで、機動性に差が出るのは当然であろう。
それでも万全のクリストフェルならばまだ拮抗状態も作れようが、秋穂が放った最初の一撃がこれを縛る。片足を強く用いることができずでは、たとえ空中でなく地上であったとしても秋穂との投擲合戦にて勝るのは難しかろう。
今のクリストフェルが勝機を掴むには、再び秋穂に近接し上空より斬り掛かる他はない。
『おのれっ、おのれっ、おのれえええええ! 我が天翔ける魔術の! 弱点を知っていたのか貴様ああああああ!』
逆立ちした状態で、いつまでもそのままでいたら当然、頭に血が上ってしまって身体に不調が出るのである。
ならば身体を地面と平行にすればいいのだが、秋穂がそれを許さなかった。折を見てその弱点が露出しないよう不自然なく地面に降りて、再び跳び上がるといった挙動で誤魔化そうともしていたのだが、秋穂はそんな余裕をクリストフェルに与えなかった。
クリストフェルは、投擲をもう一発二発も打ち込まれれば回避が破綻する。
無理にでも間合いを詰めて剣を打ちこむしか勝ち目はない。
『うん、打ち合いになっちゃえば足もそれほど影響はない。だから』
秋穂が見せた誘いの隙にクリストフェルは他に選択の余地もなく引き寄せられ、そしてリスクを承知で踏み込んだ先で秋穂の短剣を喉に受け、落下し絶命した。
『ふう、なんとかなったねー』
落下したクリストフェルに駆け寄り、その首を斬り落とし確実な絶命を確認すると、秋穂はようやく一息つけた。
短剣の投げ合いになったところでほぼ決着はついていた。だが、そこへと至るやりとりは、決して秋穂に一方的に有利なものではなかった。
逆さまとなったクリストフェルが限界を迎える前に、攻め切られてしまう、もしくは息を入れる隙を与えてしまう、それだけで秋穂の戦略は破綻していた。
そして、クリストフェルが上空に逃げ上がった後、頭に上った血が勢いよく引いたことで生じる隙、これを突けなければその足を封じることはできなかった。
もちろんこれも確証なんてものはなく、不調を得てもクリストフェルが短剣を弾き返す可能性もあった。
はっきりと言ってしまえば、地力では秋穂の方が完全に上であった。
不利な上空からの攻撃を、完全に防ぎきってみせたのがその証だ。だがクリストフェルの魔術は、この地力を埋めうるほどのものであった。
だからここで勝負が成立し、お互いの手札を賭けての駆け引きが行なわれたのだ。
『別になめてたわけじゃないんだけど。十聖剣かー、思ってた以上だったかも』
コレが兵士を使って秋穂を地上に繋ぎとめつつ上から攻撃を仕掛けてきていたら、相当厳しい戦いになっていたであろう。
『この先は横着せずに、きちんと丁寧に暗殺した方がいいかもね』
ただ、これが十聖剣として教会組織に武の領域にて君臨している男だというのがわかったのが、今回最大の収穫であろう。
『うん、うん。これなら、勝てる、ね』
誰に、何に勝てるのか。
以後、秋穂は凪が標的の完全撃破を主張しても、これに反対することはなくなったのである。




