126.聖堂騎士(の醜態)
前に出た二人の聖堂騎士は、それぞれ長剣と盾を持つ者と、盾に使えるほどの大きな大剣を両手に持つ者がいる。
長剣の男が対峙している凪と秋穂を、上から下までじろじろと無遠慮に眺める。
「ふむ、大層な美人という前評判だけは事実であったようだな。で、部下なり仲間なりはまだ来ないのか? 辺境のミーメを討ち取った兵たちが揃うまで待ってやるからさっさと呼ぶがいい。いいか、とりあえずで集められるだけ、なんていう中途半端な兵には興味はないぞ。かのミーメを仕留めたという陣を、この俺に見せてみろ」
がはは、と笑う大剣の男。
「酔狂な奴だ」
「女二人を斬って終わり、では何の為に辺境まで来たのかわからんだろう。それに、ミーメとやらがどれほどであったのか、確かめてやるにはもうこうするしか手はあるまい。辺境の剣がどれほどのものか、こういう機会はそうそうないからな」
「当たり前だ。そう何度もこんな僻地に飛ばされてたまるか。おい、女。兵はどれぐらいで集まるのだ? あまりに時間がかかるようならば、司教様には出直していただくようお願いせねばならんからな」
余裕の態度を崩さぬ二人の後ろから、恐る恐るといった様子で兵士が声をかけてくる。
「あ、あの、あの二人は、その、黒髪のアキホと、金色のナギ、なのですよね?」
「ん? ああ、そうだ。見たところ、まあ、それなりには剣を使えるようだが、あれでは如何に辺境の程度が低いとはいえ最強は名乗れまい」
「おお、見ただけでわかるのですか。さすがです」
「……貴様らも剣を使い戦地に出るというのならそのていどはできるようになっておけ。おい、女、どれだけかかるかと聞いているのだ」
凪は秋穂を見て、とてもとても面倒臭そうな顔をした。
「私、やるわ」
「そう、じゃよろしく」
凪は、二人の聖堂騎士に向かって足を進めながら、とても嫌そうに、面倒くさそうに、剣を抜いた。
それはせめても凪なりの誠意であったのだが、当然向こうには通じない。
ぴりっ、と僅かに緊張が兵士たちの間を走るが、警戒すべき対象ではない、と聖堂騎士が言ってあるのでこの抜剣を黙認。
そして聖堂騎士はといえば、先に抜かせたところでどうにでもなる程度の技量だと思っているので、やはり焦ることもなく。
むしろ、大剣の男なぞは見るからに落胆した顔をしていた。
「どうしてこう女という生き物は……おい、剣を抜くという行為の意味から俺は教えねばならんのか? 一人で粋がるのも美貌を頼りに無茶を押し通そうとするのも勝手だが、こちらが付き合ってやらねばならん道理はないぞ。怪我をする前にさっさと仲間を呼んでこい」
ふと、隣の友の様子に気付いた大剣の男が鋭く声を発する。
「おいっ、司教様に言われたことを忘れたか」
長剣の男は大剣の男の声に、漏れ出した殺気を抑え込む。
「……女に見くびられるのはあまり経験がなかったものでな、すまん」
「俺だってそんな経験はない。しかし、辺境というのもとんでもない土地よな。このていどの腕で司教様に喧嘩を売ろうなどと考えるのだから」
大剣の男はやはり凪を相手にせず、あっちへ行けと手の甲を向けて振る。
聖堂騎士たちが余裕の顔なのにも理由がある。歩み寄る凪から、剣を振るうといった気配、殺気、そういったものが一切感じられないのだ。
どこにでもいる女が、戦いの場だということを全く理解できず、一歩先に死が待ち受けているともわからず、何時も通りに歩いている、そんな様子であるのだ。
凪は聖堂騎士二人の前にではなく、その横を通り抜けるようにぐるりと迂回する。
そんな凪の様子に長剣の男がまた機嫌を悪くし、大剣の男が嘆息する。
「おい、そこで止まれ。止まらねば、止めるぞ」
大剣の男が半歩凪へと進み出た動きを見て、凪は足を止める。
このていどは理解できるか、と大剣の男はようやく話が通じそうな気配に安堵する。彼はこの美女二人の捕縛を命じられており、極力怪我もさせたくはないと考えていた。
噂の凪と秋穂を、直接目にするまでは威風備えた豪傑、ないし冷気漂う剣豪が出てくると思っていたが、出てきたのはそれなりに腕が立つていどの女が二人。ならば、落胆も気の抜けた態度も仕方が無かろう。
凪と秋穂が常からそうしている技量の擬態を、聖堂騎士二人は見抜くことができなかったのだ。
で、凪はといえば、そこから殺気殺意を隠したままで、大きく一歩を踏み出し抜き身の剣を前へと突き出した。
長剣の男、全く反応できず。大剣の男もまたきょとんとした顔で。
距離が開いている分、司教の馬車を取り囲み護衛している兵士たちは一応その動きが見えたが、反応できた者はただの一人もいない。
一番最初に凪の動きに対しリアクションをしたのは、斬られた長剣の男であった。
「あっ! あっ、はっ!?」
ごとりと、盾を持っていた左の手首より先が落下したのだ。
長剣の男が悲鳴と共に後方に跳ぶに次いで、大剣の男が長剣の男と凪との間に割り込み大剣を構える。
「なっ! なんだと!」
凪は剣先を目の前に持っていき、そこに血がついていないことに頷きながら言う。
「あの、さあ。さっきからさんざん人のことコケにしておいて、なんで隙なんて見せてんのよ。やれるものならやってみろ雑魚、って顔して隙晒しておいて、なんでやられたらびっくりした顔するかなぁ。馬鹿じゃないの?」
大剣の男、自身の目が曇っていたことを即座に認める。大剣の男が想定していた技量とは比べ物にならないほどに凪の剣は速かった。
「きっ! 貴様! 不意打ちとは卑怯な!」
「ふいうちて」
剣を抜いてゆっくりじっくりと近寄ってやったというのになんて言い草だ、と凪は思ったが、まあ、こうなるだろうとも思ってはいた。
大剣の男の背後で、長剣の男は自身の手首を見下ろし、信じられぬといった顔で叫んでいる。
「うおおおおおお! 手が! 俺の手がああああああ!」
「だーかーら」
大剣の男の脇を、凪はひょいっとすり抜ける。
大剣の男、呼吸の間を読まれたせいで反応が遅れ、しかも動く凪から気配らしき気配が微塵も感じられなかったため、身体が反応してくれず硬直でもしたかのように立ち尽くしたままで。
そして凪の剣が長剣の男の残るもう一つの手を手首から斬り落とす。
「隙見せるなって言ってるでしょ、やる気あんの?」
凪の声にようやく硬直から解き放たれた大剣の男が力任せに剣を薙ぐが、当然その位置にはもう凪はいない。
大剣の男の背後を回って距離を取った場所に立っている。
「ロクに相手の技量も見抜けない間抜けが、大口叩いていい所じゃないのよ、辺境は」
奥歯を噛みしめ、大剣の男は両手を斬り落とされた長剣の男の傍に。
長剣の男は項垂れながら両膝をつき、絶望の顔で斬り落とされた手首の断面を見続けていた。
「おいっ! 誰か手を貸せ! コイツを治癒術士の下に連れていけ! しっかりしろ! 出血はそれほどでもない! 急ぎ治療をすれば命は助かる! ここは俺に任せてお前はすぐに……」
もう口にするのも面倒だ、といった様子の凪の顔が、振り返った大剣の男の前にあった。
大剣の男の腹部に深々と突き刺さった剣を抜きながら、凪はもう興味はないとばかりに彼の前を離れていく。
それが致命傷であると察した大剣の男は、口惜し気に言う。
「き、貴様、それほどの腕がありながら、このような卑劣な真似を……剣士の、誇りも失ったか。外道め……」
そう言い残すと、大剣の男の身体は地に落ちた。
凪はつまらなそうに、やはり驚いた顔をしている長剣の男に問う。
「ねえ、聖堂騎士ってみんなこんな下らない奴ばっかなの? 正直に言っていい? ワイアーム戦士団の方が百倍マシだったわよ」
ほんとにもう、どうなってんのよ王都圏って、とぼやきながら、当然の顔で残る長剣の男の首を斬り飛ばす。
そして最後の一人、司教の馬車の傍にいる聖堂騎士を見ながら問う。
「アンタはどう? 馬鹿? 間抜け? それとも腰抜け? 多分どれかなんだろうけど、ねえ、どれ?」
最後の聖堂騎士と凪との間にいる兵士たちは完全に無視である。
教会の権威に逆らう馬鹿なぞいるわけがない、そういった馬鹿がいたとしても、それはここにいる司教の存在を知らぬが故、といった思考であるこの場に集まっている兵士たちには、聖堂騎士に対しこのような殺し方ができる凪を相手にするなぞ思いもよらぬことであろう。
つまり、有象無象そのものであるわけで、凪が相手にしないのも当然と言えよう。
凪はじっと最後の聖堂騎士を見つめるが、彼からの返答は無し。
「あっそ、腰抜けね。まあいいわ、それならそれで。んじゃ、そっちのうるさいのも大人しくなったことだし、用件を聞きましょうか」
教会側の全員、凪が何を言っているのかわからない。わかってない、というのが凪にも伝わったので、凪は言い直す。
「だから、そこの司教ってのが私たちに用事があるから呼びつけたんでしょ? 聞いてあげるから言いなさいよ」
用事は凪と秋穂をぶちのめして拉致ることであったのだが、まず間違いなく実行不可能であろう。
司教まで同行したのは、司教が同じ場にいれば二人を連れ去る正当性は幾らでも用意できるからだ。当然リスクのある行為であるのだが、それをリスクと認識できていなければ勝利への確信と共に崖下へのダイブを敢行するようなこともあろう。
聖堂騎士は凪の言葉に、近くの兵に耳打ちすると自身は司教が乗っている馬車の中に入っていく。
耳打ちされた兵は、他の兵をかきわけ凪の前に進み出る。
「何故聖堂騎士を斬ったのか。彼らが大神ユグドラシルの誰よりも敬虔な信徒であると知っての狼藉か」
一瞬、凪は何を言われたのか全くわからなかった。
が、兵士が必死に表情を消そうとしている様子から、彼の言いたいことは概ね察することができた。
「あっ、そう。自分たちのこと棚に上げて、こっちが悪いって話にしようってことね。うん、わかった。全部殺すわ」
兵士が必死に取り繕っていた表情が崩れる。
「知ってる?」
凪の優し気な問いかけ。兵士は真っ青な顔である。
「死人って、言い訳も根回しもできないのよ」
「ま、待てっ! これはあくまで誤解なのだ! 司教様も我らも! お前たちを傷つけようとしていたわけではない!」
「拉致して好きにしようってんなら、そりゃ傷なんてつけないでしょうに」
「ちっ、違う! 教会の権威を傷つけられたとなれば我らは動かざるを得ぬ! だがそれは誤解であったと知れた! である以上我らが争う理由なぞ……」
凪の剣が兵士の首を刎ねる。
「私、知ってるのよ。この手の奴って、口がきけるうちは最後の最後まで延々しゃべり続けてるって。お互いが納得するためじゃなく、ただこの場を切り抜けるためだけに口を開いている人間と何を話したところで無駄でしかないわよね」
じゃ、残りも殺すから、よろしく。
と言ってすぐ隣の兵も斬ると、ようやく、兵士たち全員が一斉に動き始めた。
凪に背を向け、一斉に逃げ出したのである。
この場にいた兵士は五十人近くいた。彼らが一斉に八方へと走って逃げたのであれば、さしもの凪にも全てを殺すことはできなかったかもしれない。
だが兵士たちは、ただまっすぐに街路を走って逃げたのだ、皆で同じ方向に。他の奴がいれば、きっとそいつが殺されている間に自分は逃げられるとでも思ったか。
ああ、逃げるね、と思った秋穂が先行しており、一塊になって逃げる兵士たちは、追いすがった凪と回り込んだ秋穂に次々と削り殺され、走り抜けることができた最後の一人も、凪がぶん投げた剣が刺さって死んだ。
そして最後に、兵士たちの死体と、司教と聖堂騎士が乗った馬車がその場に残った。
凪と秋穂は、ここまでの騒ぎにも全く反応も無しの馬車を見て、いぶかしげに顔を見合わせる。
「……もしかして、してやられた?」
「っぽいね。一応、見てみよっか」
馬車の扉を開くと、そこにいるはずの二人の人間の姿は見えず。シートに手を当てると微かにぬくもりが残っている。
二人は、常時ではないにしても馬車への注意は怠ってはいなかった。だが、どの時点でかはわからないが、何処かで司教と聖堂騎士は馬車から逃げ出していたのだろう。
或いは司教はそもそも馬車に乗っていなかったか。
「やるじゃない」
「そこしか褒めるところがないってのもどうかと思うけどね」
司教と聖堂騎士の二人は、見物人に紛れてあの場を逃げ出していた。
馬車は大きなものであるからして、凪と秋穂の視界に入らぬよう馬車の図体を遮蔽に逃げるなんて真似もできるだろう。周囲にちらほらといる見物人さえいなければ。
彼らは基本的に凪と秋穂の味方、というよりもしわかっていて見逃したらエライことになるかもしれないので、おっかなさから司教と聖堂騎士が逃げればそれを凪と秋穂に指摘しただろう。
だが、そんな話はなかった。
それは、この二人が逃げるのを手引きしたのが、リネスタードの有力者であったからだ。
「すまん、街の為だ。見逃してくれ」
街の有力者が司教の手を引き、そう見物人に告げれば彼らも一応納得はする。積極的に状況を動かす側にはなりたくない、という見物人たちの立場もある。
彼は街の有力者ではあるが、凪と秋穂を相手に自分の意見を通せると思うほど身の程を知らぬわけではない。
だが、司教がリネスタードで殺される、ということだけはなんとしてでも避けなければ、と司教がギュルディの宿に乗り込んだと聞いてすぐにとんできたのだ。
たとえば教会が司教殺しに激怒し兵を差し向けてきたとしても、カゾがあれば問題はない、などと彼は考えない。
教会を敵に回してしまえば、以後の王都圏との交易は絶望的になろう。それはリネスタードにとって大きな損失となる。
教会関係者に死人が出た、というのと、司教が殺されたというのではまるで違う。司教一人が殺されたというだけで、王都圏との取引全てを引き上げられることも覚悟せねばならないのだ。
『ギュルディ様が留守の間にそんなことになっては、留守を任された合議会議員として面目が立たん』
今回の事件で関係は相当に悪化するだろうが、最後の一線、致命の一打だけはなんとしてでも避けなければ、と彼は彼なりに必死に動いたのである。
屈辱と羞恥に顔を歪めている司教と聖堂騎士に、有力者はおずおず、といった様子で言う。
「お二人の安全を確保するにはリネスタードの街を出るしかありません。途中、決してお二人に不自由な思いはさせませぬ。どうか、脱出まではこの私にお任せくださいませ」
司教は、絞り出すように答える。
「うむ、面倒をかける。隣街まで抜ければ問題はないか?」
「はい。もし二人が動いたならばすぐに報せが入るよう手配します」
ぎょっとした顔で、思わず聖堂騎士が口を挟む。
「奴らが追ってくるというのか?」
「わかりません。わからぬからこそ、備えたいと思います」
「同じ街の住人であるお主にもわからぬのか」
「はい。触れさえしなければアレらと問題が起こることはないので、リネスタードの住人は決してアレらに近寄ろうとはしないのです」
いずれアレと交渉しようと思えばギュルディやコンラードといった極一部の有力者を介さなければどうにもならない、と告げる。
虎口を脱した直後であるが、司教は冷静さを失ってはいない。
「何故、そのような危険を冒してまで私を?」
「私の生まれ育ったリネスタードの街で、司教様が失われるなぞ断じてあってはならぬ。そう思ったら自然と、身体が動いてくれました」
そうか、と頷き、神に祈る。
「大神ユグドラシルの加護があらんことを。お主の献身、神はきっと見ていよう」
彼の案内でリネスタードを脱出した司教と聖堂騎士の二人は、隣の街でようやく人心地つくことができた。
豪勢な部屋、身の回りの世話をする使用人たち、こういったものを全て整え、司教の地位に相応しい生活環境を整えてもらった司教は、聖堂騎士と二人っきりになったところで本音を漏らす。
「……リネスタードめ、呪われた街よ。かくなる上は是非もあるまい。十聖剣を呼ぶぞ」
聖堂騎士も大きく頷く。
「はっ、早速手配してまいります。……アレを呼ぶ以上、リネスタードの利権は随分とむしられることになりそうですが……」
「金もそうだが、借りの方が高くつくわ。それだけのものを対価に出す以上、リネスタードからは相応の支払いを受けねばならぬ。十聖剣は誰が来れそうか?」
「私が把握している限りでは、今シムリスハムンに滞在していて空いているのは灰燼のメルケル一人のみであったはずです」
「何? メルケルは聖卓会議直轄だろう。……ええい、無駄に高くつく者が残っていたというわけか、忌々しい」
十聖剣とは教会が誇る聖堂騎士の中でも、特に優れた剣士十人を指す言葉だ。
それぞれに後ろ立てとする者がいて、十聖剣を使おうと思えばその後ろ立てである者に借りを作ることとなる。
灰燼のメルケルは、それが特に高くつく人間らしい。
とはいえ司教は急ぎ対応しなければならない。辺境での出来事とはいえ、いずれ王都圏にも今回の司教の失態は耳に入るだろう。
これをそのままに泣き寝入りをした、もしくは逃げ帰ってきたなんて話になれば、司教の持つ権威は大きく失墜することになろう。その前に、きちんと司教の威勢をリネスタードに示しておかなければならない。
凪と秋穂の態度は、司教にとっては生まれてこの方されたこともないほどに、司教という人間を見くびり、コケにしたと司教は受け取っていた。
司教としての立場、教会の権威の維持、そういった表向きの理由を用意はしているが、結局のところ司教がこの件に全力を出すと決めたのは、とてつもなくなめられ、とんでもない大恥をかかされて頭にきたから、ということである。
その恨みと憎しみは、決して表には出さないが、それこそ助けてくれたリネスタード合議会議員にすら向けられるほどに、深いものであったのだ。