125.衝突に至るまで
司教よりの呼び出し、とは言ってもその招待自体はさほど非礼に当たるものでもなく。
格式ばったところはあれど、使者は礼を弁えた者であったし、その口上も涼太たちの感情を逆なでするようなものではない。
これだけを聞いていたのなら、司教の側に悪意があるとはとても思えぬものである。
だが、まあ、凪と秋穂からの注意を聞いていた涼太が遠目遠耳の術を使っていないわけもなく。司教がどういった人物で、その周囲をどんな人間で固めているのかもわかっている。
一応、涼太は二人に聞いてやった。
「どうする?」
「行く」
「行くよー」
「……あのな。確かに、だ。あの司教は立場を利用して女の子を侍らせて楽しくやってはいるが、相手の女の子も無理矢理そうされたわけじゃないし、司教が金を集めるってのも少なくともこの地ではそれほど責められるようなことじゃない。いずれはこのリネスタードで大きな影響力を行使したいって目論見はあるんだろうけど、そんなもの王都圏の何処の貴族も同じこと考えてる。わざわざ出向いてまでどうこうするほどの相手じゃないと俺は思うんだが」
凪が即答する。
「信徒の信心利用して肥え太ってるってだけで十分気に食わないんだけど?」
「宗教の権威を維持するのに金がかかるのも事実だ。それに、お前らも見たろ。アレで司教はきちんと司教の仕事もこなしてるし、信徒への配慮も忘れちゃいないぞ。見てて思ったがあの司教、かなり優秀な人間だわ。優秀だから悪事を働いていいって理屈はないが、優秀だからこそ悪事はきちんと自分の制御できる範疇で収めてる。アイツが上にいれば、組織やその関係している周辺が破綻するような悪行はきっとその組織の内では行われないだろうよ。そういうことができる人間だと俺は見たがね」
むすー、と不機嫌顔の凪。
秋穂は不機嫌ではないが不思議そうな顔をする。
「随分と、涼太くんあの司教を推すね」
「他所のアホ街長とか山ほど見てるからな。きちんと大組織の上役やれてる人を見ると、どうしてもひいき目が入っちゃうんだよ」
涼太は基本、優秀な官僚や組織人、つまり仕事ができる人間が大好きなのである。そんな涼太を指して、社畜が魂にこびりついている、と凪は評している。
この辺三人の中でも好みがわかれるところで、凪なんかは職務に忠実で義務に命を懸けるような人物を好む。秋穂は梁山泊だ。
三人の道徳や規範は極めて近しいものであるのだが、こういった細かな差異は当然存在する。これらの差異に対する三人のお互いへの配慮が、結果的に総殺害数の減少に繋がっているので、詳しく三人を知る関係者はこの点に関して口を挟むことはない。
拗ねた顔のまま凪が言う。
「私たちにちょっかいかけてくるのも?」
「こちらが近寄らなければ、周囲が止めてくれるだろ。アレがきちんとリネスタードに居ついてくれるんなら、もしくは収入基盤をリネスタードに持ってくれるんなら、アレはアレの持つ権力を駆使してリネスタードを守る側になってくれると思うんだよな」
凪はちょっと機嫌を直す。
「へえ、涼太がそこまで言うんだ」
「実際問題、アレと対等の立場で交渉できるのってギュルディぐらいしかいないから、今はどうしようもないんだけどな。それにしたところで、ギュルディの側近が残ってるから当面の対応は上手くやってくれるだろうさ」
活用する方向性が定まっていて、許せぬ無法を働かぬというのであれば、凪も納得はする。
三人は招かれるまま司教の宿泊する宿に向かった。
宿の入り口に待機していた司教の従者は、三人が宿に来るなりきちんと礼節に則った歓迎の意を告げる。
凪と秋穂は無言。対応は涼太がする。
「二人との交渉は俺が間に入ることになっていると伝えてあったはずだが、問題はあるか?」
「……そうですか。その旨司教様にお伝えしておきます」
人をやり、司教にこのことを伝えにいかせる間、従者は三人に注意すべきことの説明を行なう。
「室内に入ったら、まずは司教様の前に膝をつき……」
「それは大神ユグドラシルを信じていない人間もそうすべきなのか?」
従者、涼太の言葉に目が点になる。
涼太は構わず続ける。
「聞いてるかどうかはしらんが、俺たちはこの国の外から来た。所謂君らが言うところの蛮族だ。大神ユグドラシルに対し全く敬意を持ってない、なんてことはないが、この国の民がそうするほどに遠慮も配慮もするつもりはない。もちろん、司教だかなんだかに下げる頭も、ない」
従者、完全に硬直してしまう。反応に困るといった様を全身で表している。
彼も宗教関係者という立場だけでなく従者としても十分な技術を有しているのだろうが、あまりに予想外のことにどうしていいかわからなくなってしまった。
そんな彼の反応を無視し、涼太はさっさと聞きたいことを確認する。
「で、そんな立場の俺たちにも、司教殿に対し頭を下げ、へりくだり、言動に注意し、まるで上位者にそうするように遇しろ、と言うのか?」
「え、あ、それ、は、もちろん。司教様の権威は相手が何者であろうと失われるものではなく、大神ユグドラシルに対し敬意を払うというのであれば当然、司教様にもそうすべきかと……」
「そうか、対面の前にそれが聞けてよかった。俺たちにそんな真似をする義理はない。だが、そうしないと君たちは君たちで立場が悪くなるんだろう? なら、お互い顔を合わせない、が恐らくは正解だ。俺たちも好んで他所と揉めたいわけじゃない。避けられるのならきちんと避けるべきだろう。死人が出てからじゃ手打ちも簡単にはいかないだろうからな」
死人、という言葉を簡単に口にしたことで、従者は一瞬身体を強張らせるも、それで怯んだりはしない。
「そ、それは、司教様との面会はせぬ、ということですか?」
「ああ、そうだ。無駄足を踏まされたが、まあいいさ、そのぐらいは大目に見るよ」
そう言って涼太はさっさと身を翻す。凪と秋穂も無言のままこれに続く。従者は驚き声をあげる。
「お、お待ちを。司教様は既に部屋にてお待ちで……」
「面会の条件を事前に提示しなかったのはそちらだ。直前であれしろこれしろと条件を追加しておいて、条件を飲まないからこちらが悪いなんて言い方は気分が悪いぞ」
頭の中だけで涼太は呟く。
『まあ、まさか司教に頭を下げるどころか敬語を使う気すらない人間がいるなんて、思ってもみなかったんだろうけどな』
これで向こうも気を悪くはするだろうが、涼太たちなりに配慮はした。
そして凪と秋穂の武力を知っているのなら、涼太の側からのメッセージである、直接会って頭を下げるなんてのは御免だが勝手にリネスタードで活動する分には文句を言うつもりはない、というのを汲んでもらえるだろう。
後はギュルディが戻ってからだ。それまでの機嫌取りはリネスタードの役人たちに任せるさ、と涼太は必死に止めようとする従者をあっさりと振り切り自分たちの宿に戻っていった。
涼太たちがさっさと帰ってしまった顛末を従者より聞くと、部屋にて待機していた聖堂騎士、従者たちが色めきたつ。
だが、一人神父のみが心中ではあれど快哉を叫んでいた。
『さすがリョータ殿! お見事! 天晴! 狂獣の飼い主は伊達じゃない!』
聖堂騎士たちは聖職者でもあるのだが、基本的には武人であり戦士である。つまり、なめられては生きてはおれぬという世界観を持つ者で。
即座の対応を声高に主張したが、司教は手を一振りしてこれを制する。
「無知故の蛮勇に、一々声を荒らげていては聖職者は務まらぬ。その方ら、その頭に血が上った様で大神ユグドラシルに恥じぬあり方をまっとうできるのか? 少し頭を冷やしておけ」
そう言って部屋から彼らを追い出すと、残ったのは司教の頭脳とも言うべき側近たちのみとなる。
司教は彼らに厳しい目を向ける。
「……事前に調整を済ませていたのではなかったのか?」
側近の一人は震えあがって頭を下げる。
「も、申し訳ありません。よもや、司教様の威光をすら理解できぬ狂犬だとは思いもよらず……」
「ここは辺境だと何度も言っておいたぞ、愚か者め。ふん、この調子では他の件も精査が必要だろうな。今一度、これまでに約定を交わした商人や役人たちとその内容を確認してまいれ。そして、その約定が真に信用できるものか、貴様らの目と耳で一つ一つ確認してこい。もし、相手が約定を破るようなことあらば、相手のみならず貴様らにも厳しくその責を問うぞ」
宗教関係者であるが故に、彼らのやりとりには書類に残さぬ暗黙の了解というものが多くある。
王都圏であれば口にするまでもないところにまで、司教はきちんと口にして確認しろと事前に言ってあったのだが、やはりそれだけで全てを上手くまわすこともできぬ模様。
しかし、と告げると司教はその雰囲気を柔らかいものに変える。
「よもやと言うべきかやはりと言うべきか。本当にいたな、こういう輩が」
司教の側近頭も似たような表情である。
「はい。対応を見るに、司教様と対等の立場である、と勘違いしているのでしょうな」
「何をどうしたらそんなあほうな発想が出てくるのだか。馬鹿にもわかるようきちんと経済力も武力も見えるように用意してやったというのに」
「それがわからぬからこその馬鹿、辺境、ということでしょうか。とはいえ、アレらがリネスタードの武の頂点であることは間違いないことのようで」
心底面倒そうに嘆息する司教。
「あれを盛大にへこませてやらねば、今後の商談にも差し障る、と。あの手の馬鹿と延々付き合うのは時間と労力の無駄だ。リネスタードの戦力が落ちるのは望ましくないが、この街にはかの『カゾ』があるのだろう。ならば戦士の一人や二人、消えてなくなっても防衛には支障あるまい」
「はっ。中途半端はよろしくありません。辺境なればこそ、誰にもわかるような大きく強い一手が必要でしょう」
「で、その減少した分の防衛力は我らが手を回さねばならぬ、と。昔のギュルディは随分と意固地で頑固な子供であったが、今は成長して少しは話せる男になっていることを願おう。街の差配一つ丸々ぶん投げられるようなことになっては、とてもではないが付き合ってられん」
司教にこのような態度を取る人間が街の武の頂点であるという現状は、司教やその周辺の人間にとって、統治に失敗している、と認識されているのだ。
戦力差をすら理解できぬ馬鹿が上にいては、まともな交渉は望むべくもなかろう。そんな馬鹿が幅を利かせているようでは、街は活況を呈しているがこれはひどく脆い地盤の上に立っていると彼らは認識する。
リネスタードは今後も継続的に大きな利益を吐き出し続ける、そう判断したからこそ司教がわざわざ辺境にまで出張ってきたのだ。その前提にあっさりと崩れられてはたまったものではない。
側近頭が慰めるように言う。
「ボロース攻略という一大事業を終えた直後です。ギュルディ様にこのような隙があっても、それはこちらが飲み込んでやるべき些事でしょう」
「まったく、手間も金もかからぬ儲け話などという上手い話は、そうそう転がってはおらぬということか」
司教たちは、物の道理を弁えぬ馬鹿を排除することは、ギュルディの今後のリネスタード運営を助けるものである、と本気で信じている。
司教と面会の約束をしておきながら、頭を下げるのが嫌だからというふざけた理由で顔も合わせず帰ってしまうという行為は、彼らにとってそう判断されるだけの愚か極まりない行為であったのだ。
相互理解の不足が不幸な衝突に繋がるという、実にわかりやすい事例であった。
ギュルディの宿。それは宿とはいうが宿泊客はギュルディが許可を出した相手のみであり、そうした相手から宿泊料を取ることはない。
並の宿とは比べ物にならないほど高級な部屋を揃えてあるが、たとえばそれは司教を迎えたりするのには不足している建物だ。この建物は賓客を遇するといった高級志向のものではない。
泊まる者に絶対の安心をもたらす、そんなコンセプトで作られた宿であり、警護、保安、といった部分では下手な砦より頼りになるものだ。
ここへの宿泊が許されているのは、ギュルディ、そしてそれと近しい者でかつギュルディにとって安心安全を確実に確保せねばならぬ者だ。
案外そういった人間は多く、この宿の出入りはそれなりにある。ただ、涼太と凪と秋穂に関してはリネスタードでの宿はここ一択であり、シーラもまたそうしている。
国で一番のレベルの問題児を安心して眠らせてやれる宿というのは、実はランドスカープ中を探してもそうはない。有力貴族や教会の圧力に抗し得る宿などあるはずもないといわれればそれもまた当然のことであろう。
だがこの宿は。誰が何と言ってこようと絶対にその敷居を譲らない。
それを宿の存亡を懸けるところで初めて試されたこの時も、宿の主人は決してギュルディからの命令に背かなかった。
「大変申し訳ありませんが。お約束の無い方はお通しできません」
宿の主人の前には、完全武装の聖堂騎士とその従者たちがずらりと並ぶ。
その奥に控えるのは、馬車を見ればわかる。あの馬車を使えるのは司教ただ一人。司教の命を受けているとこれでもかとはっきり示されているのにかかわらず、宿の主人は決してそこを譲らなかった。
宿の主人の背後、宿の入り口入ってすぐのところには護衛の兵が集まっている。だが彼らも、司教に逆らうのか、と畏れている部分もあった。
だが、主人の堂々たる態度を見て、彼らも腹をくくった。元より、司教が相手だろうと、ここでギュルディの意に背けばその後に待っているのはシーラ・ルキュレによる決して逃れ得ぬ制裁だ。
本音はどっちも怖いだが、どうせどちらも怖いのならば、縁と義理がある方につくのが人情というものだ。
苛立たし気に聖堂騎士が怒鳴る。
「三度目だ、次は問わぬ。アキホとナギを呼んでこい。今、すぐ、ここにだ」
「お断りします」
「では死ね」
主人の即答に、聖堂騎士怒りの宣言。主人のすぐ後ろに控えていた戦士が主人の肩を引き後ろに下げる。
彼は宿の護衛の中で一番の戦士だ。
その彼がまずは盾となって攻勢を防ぎ、この間に宿の中から護衛たちが飛び出していく、そんなつもりであったのだが、大きく響くぱんという手の鳴る音で、勢い込んで踏み込もうとした聖堂騎士たちの足が止まる。
「はいはい、そこまで。悪いけど、ソレ私の客なのよ。ぶっ殺したいほど頭にきてるのもわかるけど、まあここは、私たちに譲ってちょうだいな」
声の主、不知火凪はというと、宿の二階の窓から顔を出していた。そしてすぐにひょいっとばかりに飛び降りて、護衛の戦士の脇に立つ。
「ね、ここは任せて中に入ってて」
「……それはできない。私の任務は宿の客の護衛だ」
「ここは宿の外よ。外で揉める分にはギュルディの仕事の外でしょ。アンタに死なれちゃギュルディやシーラに合わせる顔ないのよ。お願いだから、ね」
凪の配慮に、戦士は一礼した後で宿の中へと入っていった。そしてもう一人が二階から飛び降りてきた。
「いっやぁ、涼太くんの読みって実は五割ぐらいの確率で外れるよね」
「あれは読みっていうより願望じゃない?」
こうして聖堂騎士の要求通り、凪と秋穂の二人が彼らの前に姿を現したのだ。
宿の主人は共に宿の中に引っ込んでいる護衛たちに言う。
「……もし、集団で来るようでしたら、貴方たちも行きなさい」
「お言葉ですが、それはきっとあの二人の邪魔にしかならないでしょう。……口惜しいことですが、肩を並べて戦えるほどの戦士は、ここにはおりません」
主人は目を丸くしている。この護衛最強の戦士は、主人が知る中でも相当な腕前であると思っていたのだ。その彼ですらあの二人の力になることすらできぬと言う。
「ですが、あの二人にだけ戦わせたとあっては、ギュルディ様に合わせる顔が……」
「主人、どうか落ち着いてください。ギュルディ様は効率の良さを考えるお方です。我らが命を懸けるのならば、そこに相応の価値が生じねばなりません。この場で我らが命を懸けることでどうすれば利益が生じ得るのか、それを考えるのが主人の役目ですぞ。その上でならば如何ようにも我らをお使いください」
鉄火場での落ち着きはやはり戦士の方が上であったようで。主人はそう諭されどうにか冷静さを取り戻す。
「弓です。あの二人の思わぬ危機に備え、宿の二階より弓で狙っていてください。貴方はここで私と待機です。ここぞ、という場面が来たのなら、貴方は貴方自身の判断で動いてください。生じる後始末は私が請け負いましょう」
「了解です。ですが……」
「なにか懸念でも?」
「いえ、如何な聖堂騎士とはいえ、あの程度の数でナギとアキホの相手は務まらぬだろうな、と」
やはり主人は驚いた顔を見せる。
「……聖堂騎士、ですよ? あの、大神ユグドラシルに仕える選ばれし神の戦士、ですよ? それに従者たちも戦いを生業とする専門の戦士であると聞きますが」
「それでも、です。シーラ・ルキュレと対等に扱われるというのは、それほどのものなのですよ」
はぁ、と思わず気の抜けた顔をしてしまった主人が面白くて、危うく吹き出しそうになってしまった護衛戦士であった。