124.神父というのは大変なお仕事でございます
リネスタードの神父がそこにいたのは偶々である。だが、思わぬ偶然で彼はリネスタードの生ける厄災、凪、秋穂、涼太の三人と遭遇してしまった。
その店は見たこともない美味い食事を出す、ということで最近話題になっていて、神父が偶にはと奮発した結果このザマである。
神父は凪が教会の前でチンピラ共を片っ端から千切り斬っているところを目撃しており、とてもとても、怯えていた。だが、いざ話してみると案外に話せる相手だとわかる。
食事をしながら秋穂が語るのを、神父は興味深げに聞いている。
「神様、って部分はわからないけど、でも私、ランドスカープの宗教ってすごくよく機能してると思うよ」
「ほほう、機能している、ときましたか。そういう表現は初めて聞きますね」
「他所の国との比較ができないからわかりにくいと思うけど、この国、悪いことしちゃいけません、っていうの、きちんとみんなに広まってるでしょ。守らないと法律で罰せられる、なんて話じゃなくて、ごく自然にそうなってる。それって、きっと神様の教えが大きく影響してるんだと思う」
法ではなく、社会生活を営む上で必要な規範、道徳の話である。
皆が安心して、効率的に生活をしていくための最も基本的なルールだ。
もちろん法で規定しているものと被っている部分もある。だが、これを守ることが必要なことだ、と法を学んでいない者にもきちんと伝わるシステムになっている。それを担っているのが宗教である、と秋穂は言う。
神の教えにきちんと皆が従っていれば、その社会は健全な発達が望める、そういった教えにきちんとなっている、というのが秋穂の最初の評価ポイントである。
またこれを文字も知らぬ者たちに広く伝える手段として、興味深い神話や、説話、物語といった聞く者が興味を引くような話を用いている。
「宗派は違うけど、隣のアーサも同じ体系の神様のお話なんでしょ? だからきっと、交流も上手くいくんだよ。うーん、やっぱり宗教って偉大だよね」
これに凪が疑義を呈する。
「それって、法律で守らせるのとどう違うの?」
「法律は誰も見ていないところで守ろうとする人いないよ。罰則回避が法を守る目的なんだから、罰則を受けないんならそりゃ法律を守らなくなるよ」
だが神様は違う。神様は見ているのだ。だから、神様の教えは誰が見ていなくても守らなければならない。
凪が少し反論する。
「法律も、それが作られた目的を理解してる人間ならそうそうは破らないと思うけどなぁ」
「それは教育が行き届いている人間の話だよ。識字率ごぱー以下の土地でそれを要求するのは無理があるって」
ふむふむ、と神父は何度も頷いている。
「我々の持つ社会的役割、ですか。ははっ、そういう見方は考えもしませんでしたよ。ですが、神の教えの偉大さを、教えを伝えるための教会の伝統的な手法の正しさを、そうした形で再認識できるのも嬉しいものですね」
「大神ユグドラシルの教え、だよね。本当に良い教えだと思う。東の蛮族だっけ? なんか、生贄がどうのとかって話聞いたことあるけど、そういうのってこっちじゃないんだよね」
「神への供物、という意味では、勇敢な戦士を死者の館に送り届ける、といった話もそれに含まれるのでは?」
「おお、それがあった。でもそれも理解はできるよ。戦士が勇気を振り絞る理由は、あるとないとじゃ大きな違いだからね。ランドスカープもここまで大きくなるのにかなり戦してきたんでしょ」
「悲しい話ではありますがね。大神ユグドラシルは道理の通らぬ戦をお認めにはなりません。そう、教えにもあるはずなんですが……」
「そこばっかりはどうにもならなかったみたいだね」
そこで涼太が話に入ってくる。
「俺はそういう教えの話より、シムリスハムン大聖堂の方が気になるけどな。見た人間みーんなめちゃめちゃ感動したって言ってたし、是非一度見てみたいよ」
凪がうんざり顔になる。
「また涼太の世界遺産が始まったし」
すぐに秋穂も食いついてくる。
「うんうん! 私も見たい! できたの二百年前でしょ! それでここの城壁よりずっと高いっていうんだから相当なものだよきっと!」
この世で最も恐ろしい制御不能の大怪獣、といった印象であった神父であるが、こうまで自身の信じる神やその関連建築物を褒められれば悪い気はしないし、それはそのまま三人への好印象に繋がる。
三人の側でも、神父のような言動に知性を優先させるような人物はただそれだけで好ましいと思える相手で。
しかもこの神父、辺境に送り込まれるだけあって思考がとても柔軟であり、見知らぬ知識文物を頭ごなしに否定したりはしない。
王都圏への異動願いを毎月一通は必ず送っている彼ではあるが、涼太たち含む辺境の人間からは案外に慕われているのである。
食事とちょっとした話が終わった後で、神父は教会に戻る。恐ろしいと思えていた人物と思いもかけず好ましい交流ができたことで彼はとても上機嫌であった。
「神父様! 大変です! 司教様が!」
神父の上機嫌が一瞬で吹っ飛ぶ。
「あー、やっぱり司教様たち、ここに目を付けましたか。そりゃーこんだけお金動いてればねー。で、いつ来られるんで? こちらも準備が……」
「ですから! 司教様がもうリネスタードにきていて! 今日の昼過ぎには正門に辿り着くと連絡がきております!」
神父の挙動はぴたりと止まる。
「え?」
「急ぎ出迎えに向かわなければなりません! ほらっ! 神父様も服っ! すぐに着替えてっ! シムリスハムンから直接来られてるんですから! 変な格好で顔出すわけにはいかないでしょう!」
神父、頭の中でこの報告事項の内容を精査する。
司教とは、大神ユグドラシルを奉じる宗教の中で十人おり、ランドスカープ国内を十に分けた管区のそれぞれの最高責任者である。
シムリスハムン管区の司教は、総大司教と聖卓会議のお膝元で司教をやっていることから、実は他の残る九人の司教と比べても仕事はそれほど多くはない。
だが、シムリスハムンという宗教の中心地を管轄しているため、表向き格差はないことになっているが、その権力は他の司教より一段上になる。
中心地であるからして人員も豊富で、宗教的な仕事のほとんどはその気になればほとんど他の者に任せっきりでも回ってしまう。そんな地位だ。
今のシムリスハムン司教は、そういった立場を最大限に活用し、自身はその大半の時間を商売と権力拡大に費やしている。つまりはそういう人物である。
そんな彼がリネスタードに、それも前触れも無しで突如訪問したのは、当然思惑あってのことだろう。神父への嫌がらせではなく、対リネスタード首脳部を見据えてのことだ。
「……わざわざギュルディ様がいない時を見計らってくるあたりが、いかにも司教様らしいというか……」
そして彼が当地の神父に望むことは、と考え神父は急ぎ身支度を整える。
リネスタードの教会ができる最大限の歓迎の形を整え正門前へと向かう。
正門前に辿り着くと、神父は片眉を僅かにひそめる。既に司教の行列は正門から見える距離にまで迫ってきていて、神父たちは出遅れてしまっていたのだ。
向こうから見えているのを承知の上で、集めた人間たちを正門前に整列させる。これを歓迎相手に見られてしまうことがどれほど無様なことであるのか。神父はそれがわかっているが、だからとやらないわけにもいかない。
案の定、司教の行列が正門前に辿り着いた時、挨拶の口上を述べる使者はとても不機嫌そうであったし、ちくりちくりと挨拶に嫌味も混ぜられていた。
『……ギリギリで間に合うように連絡したつもりだったんでしょうけど。ちょっと行き違いがあったていどで間に合わなくなるほど猶予がないとか、頭おかしいでしょコイツら』
なんて愚痴も頭にはあったものの、神父は満面の笑みを崩さぬまま。
嫌味にも無反応で儀礼に則った対応をし、司教にも挨拶をする。
『誰が采配したのか知りませんけど。王都圏でのやり方しか知らないんでしょうねぇ。こういうの、ほんっと迷惑なんですよ』
さすがに司教は不機嫌さを表に出したりはしていないが、内心ではこの不手際に腹を立てているだろう。神父からすれば、そっちの不手際で恥をかかされたんだから、お前らなんか補償しろ、と言いたいところだが、ここは神父が不手際をしたとするのが一番収まりが良い。
司教に直接出迎えの不手際を詫びると、司教は鷹揚に頷いてくれた。が、その表情からなんらかの貸しにするつもりであることがよくわかる。
『司教様の立場で一介の神父相手に貸しも何もあったものじゃないでしょうが。まあ、きっとこういう付き合い方ばかりしている人なんでしょうね』
そして神父たちを先導に、街中に司教の行列を招き入れる。
宿泊予定場所はリネスタードの最高級宿らしい。今、人を走らせて宿を取れているかどうか確認させている最中だ。こいつらはきちんと予定を立てて動いているつもりだろうが、王都圏、それも宗教の中心地であるシムリスハムンのやり方が辺境で通るわけがないのだ。
絶対にどこかで手配漏れがある、と神父は確信していた。
そんなわけでその確認がとれるまであまり急いで移動するわけにはいかない。
街の人間たちに知らしめるという意味でも、司教の行列は街の中心通りをゆっくりと移動する。
当然、人は集まってくる。だが、司教の行列はその掲げている旗といい、豪奢な馬車といい、たくさんの荷馬といい、どれも大神ユグドラシルの司教であるとわかるようになっていて、いかな辺境とはいえこれに無礼を働くあほうもいない。
「おい、本当に司教様なのかよ」
「へえ、俺初めて見るわ」
「おれおれ、前に見たことあるぜ」
「遂にリネスタードにも司教様がくることになるのかぁ」
シムリスハムンであれば、もしくは王都圏であっても、司教の行列が通るとなればもう少し静かにこれを見守る、もしくは祈りをささげる者もいるぐらいなのだが、やはり辺境らしくこちらにも聞こえるぐらいの声で話をしている者が多い。
すると、司教は何を思ったか馬車の木窓を開き、窓際に顔を寄せ外から自身が見えるようにしたではないか。
それが見えるところにいる者たちがとても驚いた顔をしているところに、司教はにこやかに微笑み手を振ってやる。すると集まった民たちは、驚き、喜び、感動しながら大声で司教を称える声を張り上げる。
これには神父も驚いた。
『ほう、シムリスハムンでおえらいさんばかり相手にしている方かと思いきや。なかなかに民たちへの対応も心得ておられるではありませんか』
こうして一番初めに民たちからの良い印象を得ておけば、その後のことがとてもやりやすくなる。
さすがに辺境に来るのは初めてであろうが、各地を回ることもきちんとしている方なのだろう、と神父は感心する。が、同時に警戒もする。
『自身の価値を正確に理解しておられるということならば、リネスタードの首脳たちにとっては厳しい交渉相手になろうな。不意の訪問といい、こういったやり口といい、司教様はやはりここで大きな仕事をしていくおつもりらしい』
この時、神父は行列の一番先頭にて先導する役目を担っていたため、司教の細かな表情や、そこであった出来事などを知る術がなかった。
民たちが沿道に集まり行列を興奮しながら見ている中、ほんの一瞬、決して気を緩めてはならないと司教が自身に言い聞かせている最中でありながら完全に我を忘れてしまったソレは、沿道にて三人で司教たちの行列を見物していた。
「うっわぁ、豪華な馬車ねえ」
「あ、あれ。ねえねえ涼太くん。あれ、大神ユグドラシルの正式な旗だ。あれ掲げられるのって神父でも無理って言ってたよね」
「てーことは、司教? おいおい、あれ国に十人しかないんじゃなかったか? エライ大物が出てきたもんだ」
涼太と、凪と、秋穂が、沿道で馬車を見ていた。その中の司教を見ていた。そして、不意に凪と秋穂が黙り込む。
少しの間二人の様子が変わったことに気付かぬ涼太であったが、行列が行ってしまう頃になってようやく深刻そうな顔の二人に気付き声をかける。
「ん? どした?」
「……ごめん涼太。ちょっと、面倒なことになったかも」
「面倒? なんだ、どっかで顔見た奴でもいたか?」
「ううん。あの司教がね、一瞬だけどこっち見て、物凄く面倒なことになりそうな顔してた。ねえ、秋穂もそう思わない?」
「凪ちゃんもそう思ったってことは、多分確定かなぁ。あーもう、失敗したー。これだけ人がいれば見過ごされるって思ってたのにー」
涼太もぴんときた。
「おい、まさか……」
秋穂が肩をすくめ、凪が嘆息しつつ言った。
「アレ、私たちにすんごい執着するような奴がした最初の顔に、そっくりだったのよ」
司教がリネスタードに不意打ち来訪をしたのは、リネスタード側の首脳陣が統一した対応策を採る前に司教が自身に有利な取引を確保することがその目的であった。
如何に目の前に極上の餌がぶらさげられたとはいえ、司教はその目的を蔑ろにすることはない。司教は当然自身の派閥を持ち、彼らへの利益供与の筋道を立てなければならないのだから。
司教がリネスタードに来るためにそれなりの無理はしている。当然、無理の分の利益を司教は自らの派閥に期待されているのだ。
司教が引き連れてきた専属商人たちが、恐ろしく手馴れた様子で取引の段取りを整えていく。
きちんと段取りを踏んだ上であるのなら、司教の息のかかった商人との取引を断れる者なぞ、ランドスカープにはいないのである。
リネスタードに来て真っ先にすべき初動の行動を全てこなし終えた司教はそこで初めて、街中で出会った奇跡の美女二人の調査報告を聞いたのである。
この時までは、傍にあって司教の仕事を手伝っていたリネスタードの神父も心安らかでいられたのだ。司教がリネスタード各所から利益の吸い上げを行なうことなど、来ると聞いた時からわかっていたことなので今更そこでは心動かされることはない。
真っ青な顔をしている神父を他所に、調査担当者が司教に報告を続ける。
その二人こそが、事前調査で聞いていた要注意人物である金色のナギと黒髪のアキホであると聞き、司教は大層驚いていた。
「あのような美女が辺境で有数の戦士であると? 到底信じられぬ」
神父はそれはもう必死の形相で司教を説得にかかる。
シーラ・ルキュレの例を思い出してほしい、神父のみならずリネスタードのほとんどの者がその暴威を知っている、戦場にての一騎打ちに忖度の余地はない、貴族をも躊躇なく殺す蛮族の中の蛮族である、と。
だが神父も元はシムリスハムンにて教義を学んだ人間だ。高位の聖職者の持つ圧倒的権力も知っている。それが故にこそ、ここで諦めぬ司教の在り方も理解できてしまう。
そして何よりも神父を絶望させたのは、司教が引き連れてきた中にいた見目麗しい侍女たちだ。彼女たちの目が、明らかに嫉妬の色に染まっている。
それはつまり、司教が神父に見えぬ、彼女たちのみに見えるところで、あの二人に入れ込むような言動をしているという証左にもなり、また嫉妬されるような関係性の女性を侍女として幾人も引き連れてくるような人物である、という証明にもなっている。
『権力を持つ根っからの女好きに、あの二人の美貌は決して抗えぬ毒となる』
そして、アレが司教にすら解毒しえぬ猛毒であると、知っているのは神父だけなのだ。
先日の対話で神父はよくよく理解している。凪も秋穂も、神もその教えも、有用性を理解し敬意を払ってはくれているが、その権威に対し無制限に恐れ入るなんてことは絶対にしないと。
司教にも神父の必死の言葉であの二人が常識外れの武威を持つことは理解してもらえただろう。
だが、司教もまた辺境という僻地を訪れるのに無策ではない。
「で、その辺境最強とやらは、聖堂騎士たちでも敵わぬと言うのか?」
聖堂騎士とは、各地から集められ神の祝福を得た極めて優れた戦士たちだ。大神ユグドラシルの教えではない。死の神ヘルが、その館に死後勇気ある戦士たちを招くという逸話になぞり、そういった死の神ヘルの眼鏡にかなうような勇敢なる戦士を集めておく、といった理由で作られたのが聖堂騎士団である。
もちろん死後云々よりも、生前に教会のために働いてもらうことがその目的である。
そんな聖堂騎士が三人もいるのだ。聖堂騎士にはそれぞれ従者がいることから、伴った兵力としては五十を超えている。
聖堂騎士が如何に優れた戦士であるか、神父はその逸話を様々耳にしている。だがそれでも、千人相手に三人で突っ込んで勝った、なんて話は聞いたこともない。
神父は無言。だがその不安げな表情は司教の機嫌を著しく損ねるもので。
その時直衛についていた聖堂騎士の一人に告げる。
「だ、そうだ。お主らは辺境の小娘如きにも及ばぬらしいぞ。わしにはとても信じられぬ話であるがな」
「同感です司教様。しかし、シーラ・ルキュレを侮るのだけはおやめください。アレだけは、アレだけは確かに存在した、生ける伝説でありますれば」
「……む。勝てぬか。貴様にも」
その聖堂騎士は、そこで初めてにやりと笑った。
「やってみなければわかりませぬ。が、わざわざ辺境くんだりまで来たのですから、そういった好機は是非ともこのわたくしめにお譲りいただければ、と」
そんな勇ましい言葉に、司教は満足気に頷き返す。
「それでこそ死の神ヘルのご加護も得られよう。ではそのナギとアキホなる者は、残る二人の聖堂騎士に任せよう。よろしい、ではその二人を呼び、己が立場を弁えぬ者であるというのなら、これまで積み重ねた蛮行を悔い改めさせるとしようか」
神父はこの時、教会における自身の立身出世を完全に諦めた。今の彼の頭にあるのは、如何に自分が巻き込まれて殺されぬようにするか、それだけであった。