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誰だ、こいつら喚んだ馬鹿は  作者: 赤木一広(和)
第八章 辺境大戦
122/272

122.ギュルディの王国


 戦勝の宴はボロースの領都で行なわれた。

 宴のための物資は領都からは徴用せず、運び込んだものを用いた。兵士たちの大半は徴発すると思っていたしそうしたかっただろうが、リネスタード軍は行軍中同様、ボロース領内での狼藉の一切を決して認めなかった。

 これは別段善意や正義ではなく、ボロースを治めていくうえで、わざわざこれを収奪して統治を難しくする気がなかったためだ。

 もちろん禁止を上が命じたていどで大人しくなってくれるような兵士たちではない。

 ないのだが、領主であり、貴族であり、リネスタード一の富豪であるギュルディが、お前死ね、と言ったのならこれに逆らえる者なぞ誰もおらず。

 しかもこの命令を受けて動くのが辺境最強の戦士、ぬめる剣のシーラである。時々、金色のナギや黒髪のアキホもほいほい動いてくる。

 命令に従わぬ者がたとえリネスタードの有力者の血縁であろうとも、コイツら相手に無理押しが通るわけがない。

 むしろ、この三人のどれかに斬られたと聞いたその有力者はきっと、土下座してでも三人に許しを請うだろう。

 ギュルディが許してもこの三人が許さぬとなれば有力者だろうと貴族だろうと呆気なく首が飛ぶということを、リネスタードの住人はよく理解している。シーラがリネスタードに乗り込んできた貴族を斬ったことも、凪と秋穂がソルナやドルトレヒトで貴族をぶっ殺したことも、皆聞き知っているのだ。

 衝突や不幸な出来事が全くなかったわけではないが、その全てにおいて、犯人が逃げ切ることはなかったのである。




 めでたい宴の席ではあれど、リネスタード軍首脳陣に酒飲んで騒いでいる余裕はない。

 従軍した情報分析官は三人であるが、彼らは顔を突き合わせて溜息をついた。


「……戦、終わってしまったなぁ」

「まだ戦後の準備、全然終わってないのだが」

「優先順位つけてこなしていくしかあるまい。ああ、無駄な作業が増えていく……」


 そこに、宴の席から抜け出すことに成功したヴェイセルが顔を出してくる。


「どうだ? 今日中に段取りぐらいはまとまりそうか?」


 彼をぎろりと睨む分析官たち。


「ああ! お前に言われるまでもない! やり遂げてみせるさ!」

「誰のせいだと思っている! 全てはお前が強すぎるのが原因だろうが!」

「くそう! こちらの要望全部完璧にこなしやがって! 文句言いようがないのが一番腹が立つ!」


 どーしろと、と呆れ顔のヴェイセルであるが、こんな本音を堂々と言い合えるぐらいに仲良くなれたことが嬉しく、思わず笑みが出てしまう。


「リネスタードに残ってる連中も、取引開始時期が大幅に前倒しになったことで四苦八苦してるだろう。大変なのは私たちだけじゃないさ」


 分析官の一人がすぐに真顔に戻る。


「ソルナを中心とした水運。すぐに動かせるんだよな」

「ああ、新しい組合長が張り切ってるってさ」

「よし、ならこの手紙をソルナの水運のボスに送ってくれ。それとリネスタードにも……」


 リネスタードが動くに合わせてボロース側もすぐに動けるように次々と手を打っていくその手腕に、ヴェイセルが口を挟む余地もない。


『ほんっと、大した連中だよな。商売じゃまるで勝てる気がしない』


 なのでヴェイセルがするのは軍事的観点からの注意だ。


「まだ十分な兵士を残している都市がある。不用意な運送は彼らの反骨心を煽ることになるから……」


 何処と何処を避けて何処を通せ、なんて話をすると、残る二人の分析官も愚痴をやめて話し合いに参加してくる。

 無駄を嫌い、効率を追求し、置かれた状況下における最善を目指す。最善とは、主にとっての最善だ。自身の利益を考慮し最善を歪める行為は、醜いものだと蔑まれる。

 ヴェイセルは、こういうところに来たかったのだ。

 ヴェイセルが信じる自身の価値を周囲が認めてくれていて、これを如何に活用するかを真剣に考えてくれる。だからヴェイセルは己が才の全てを賭してまっすぐ目的に挑むことができる。


『酒も博打も女もいらん。私は、全力で私を働かせてくれる場所があれば、それだけで、それだけで誰よりも幸福を感じることができるのだ』


 本当に幸運で幸福だとヴェイセルが思うのは、きっと今ここにいる分析官たちも似たようなことを考えているとわかってしまうことだ。

 ヴェイセルは軍事においてならば他者の追従を許さぬほどの鋭さを発揮できる自信がある。そんなヴェイセルと、じゃあお前はそっちをやれ、俺はこっちをやるから、と役割分担をして同等の仕事をこなすような相手がぞろぞろいるここは、ヴェイセルにとって考えたことすらなかった理想郷であるのだ。





 ボロースの一族で死んだのは、実は民たちが考えているほど多くはない。

 ただ、特に大きな権限を得ていた者は一人の例外を除き皆、殺された。

 その例外であるところのレギン・ボロースは、領都陥落から一か月が経った今、部下や友人たちから送られてくる手紙を見ながら、確かめるように窓の外を見る。

 レギンがいるのは元ボロースの領都の政庁で、この庭には高く旗を掲げるポールが立っている。そこに、リネスタードの旗がひらめくのを見てレギンは、ボロース領が失われたことを確認するのだ。

 もう毎日のようにやっていることだ。そうしなければ毎日、これは夢なのではないか、と思えてしまうからだ。

 リネスタード商人が凄まじい勢いで旧ボロース勢力内にその商圏を広げてきた。

 終戦からたった一月だ。それで既に新たな権力機構に相応しい通商路が確立されており、レギンのもとに来る手紙の大半はリネスタードのこの経済的侵略行為をどうにかしてくれ、というものだ。


「……殺されないだけマシ、だなんて思えるような殊勝な奴は、そもそも大商人なぞやっておらんか」


 この新しい潮流にきちんと乗れているボロース商人もいるのだ。ボロース領全てを網羅できるほどリネスタード商人の数は多くない。

 そしてリネスタード商人の勢力下にはいることに、致命的な経済的損失は伴わない。リネスタードはそもそも、ボロース商人を活用するつもりでいる。

 レギンの目は俯瞰視点を確保しているからこそわかる。リネスタードは驚くほどボロース商人に配慮してくれている。きちんとボロース側にも利益が出るよう、そんな取引でなければ申し出すらしてこない。ボロース側に不備があった時なぞ、それでは最終的にそちらに損失が出る、と指摘してくるリネスタード商人までいるほどだ。

 何故そんな真似が安心してできるか。それは、リネスタード軍が各都市を陥落させた時、殺しておくべき商人は皆殺しにしてあるせいだ。

 総じてみればリネスタード軍は狼藉も働かず、統制の取れた軍隊であった。だが、逆に殺すと定めた相手に対しては理由如何を一切問わず、誰がどんな口添えをしようと何がなんでも殺しにかかっていた。

 その者が死んでいれば商人たちの組織立った抵抗は望めない、そんな人物を狙い撃ちしていたのだ。


「その辺がわかっているのなら、リネスタード軍は甘い、なんて認識を持つわけもないのだが……わからんからこそ、生き残れた、か」


 配下に加わるだろう優秀な者は生かしてある。だが、麾下に入らぬだろう優れた者や、発言権のある者はほとんどが殺された。そういう者だけが、殺された。この見落としの無さが、リネスタードの最も恐ろしい部分だとレギンは思うのだ。


「ボロース領を、ボロース一族の誰よりも理解していたのだ。はっ、そんな相手に、勝てるわけがなかったな」


 レギンが旧ボロース領全体を管理する、なんて形になっているのも欺瞞でしかない。

 旧ボロース領は商圏毎にまとめられ新たな商秩序に組み込まれ、ボロース商人はその内での活動に制限されている。

 また、特に変化が激しいのはリネスタード勢力圏と隣接していた都市群だ。

 リネスタードからの津波のような様々な変化が、これらの都市に襲い掛かっている。徴税、農政、運輸、細かなところでは井戸の改装なんてものまで。次から次へと新しいものが入ってきている。

 そしてこの新しい波に、逆らうことは許されないのだ。逆らえばカゾが来るぞ、と言われれば誰しもが口を噤む。


「そして極めつきがコレだ」


 そこは執務室ではあれど、頼んでおけば軽食を運ばせるぐらいはできる。

 パン、と呼ぶにはあまりに従来のものと違いすぎる、その小麦を材料にしたまったく新しいナニカのうえには、赤い蜜がたっぷりとかかっている。

 蜜は果物を磨り潰したものであるが、ここに、どう考えてもありえないほどの量の、砂糖がぶちこんである。

 レギンがパンだと呼称されている物体を手に取り口に入れる。

 何度食べてもありえないと思う。ふわりとした口応えと、舌がとろけるほどの甘みが広がっていく。


「……この砂糖、従来のものの三分の一の価格だというのだから……」


 パンも、砂糖も、まだこの新しいものが実用化してから一年も経っていないらしい。なのに、こんなにも美味しく、安い。

 パンと砂糖だけではない。そういった新しい有益なものが数えるのも馬鹿らしくなるほどたくさん、リネスタードよりボロースにもたらされている。

 経済的にはボロースのほうがまだまだずっと上だと思っていた少し前の自分を、恥ずかしさのあまり撲殺したくなる。


「こんなもの、勝てるわけがないだろう……」


 こんな商品たちを山ほど実用化しているリネスタードと商売で喧嘩をし続けていたら、負けるのは間違いなくボロースであったろう。

 そしてボロースを制したのなら、次は王都圏だろう。

 旧ボロース領の生産力を用いてこれら新たな商品を武器に王都圏に殴り込みをかける。十分に勝負になる。


「はっ、はっははは。そりゃ、王都圏からの一時撤退にも迷いはなかろうよ。ここまでどうにもならんと、いっそ笑えてくるな」


 フレイズマルの下で自身の意思を隠し潜みながら生きていた時と比べ、今のレギンは随分と気が楽になっている。

 これ以上、上には昇れないと誰の目にも明らかなほどはっきりと示してみせられたのだ。


「午後は、鉄でも打ってくるか」


 諦めてしまえるのなら、レギンがやらねばならない仕事量はぐっと減る。

 この先もこのままなのかはわからないがとりあえず今は、レギンは色んなことを忘れ、久しぶりに一心不乱に鉄を打とうと心に決めたのである。






 ヴェイセルがその老会長との時間を取れたのは、ボロース占領よりひと月が経ってからのことである。

 何度も手紙にて、ヴェイセルは顔を出せぬ不義理を詫びておいたので、老会長の側にもわだかまりはない。

 この会合も、領都から外に出て回らなければならなくなったヴェイセルが、その前になんとしてでも一度、と無理をしたおかげで用意できたのだ。

 ギュルディと、ヴェイセルと、そしてこの地に同行した三人の情報分析官は、ボロース占領よりとんでもなく忙しい日々を過ごしていた。

 如何な天才たちとはいえ、一国にも等しい辺境区一帯を統治する態勢を整えきるのは、容易なことではなかったのだ。

 レギン・ボロースは、きっとボロースの名の影響力を残すことに躍起になることで、この忙しい仕事処理の一翼を担ってくれると期待していたのだが、当人はそういった立場を早々に放棄して、鍛冶屋組合に入り浸りでリネスタードよりもたらされた新たな鍛冶仕事に夢中になっている。


『あの幸せそうな顔ときたら。ギュルディ様が何も言えなくなったと言っていたのもよくわかる』


 レギンが率先して動いてくれているので、ボロース領に新たな鍛冶技術を導入するのはかなり上手くいきそうであるのだが、ヴェイセルたちがレギンに期待していたのはソレではない。

 ただ、レギンの立場からすれば下手に動き回ってリネスタード側に目を付けられるのも、ボロース側に旗印になってもらえると勘違いされるのも問題なので、これはこれで賢い選択であるのだろう。

 今日顔を出したのはオッテル騎士団時代から隠れてヴェイセルを支援してくれた商会の会長の屋敷だ。ヴェイセルはこの人にだけは不義理はできぬと思っている。

 その当人はといえば、ヴェイセルが部屋に入ってくるとまずヴェイセルに礼を言った。


「いや、すまなかったなヴェイセル。ワシだけ生き残ったのはお主が声をかけてくれたのだろう?」


 この老会長と同程度に経済規模の大きい商会のボスは、そのほとんどが殺されている。

 この際、殺すのはボスであって商会の代表ではない。きちんとどの商会では誰が権力を握っているかを知った上でその者を殺している。

 老会長は古くからボロースで権勢を振るっている商家であり、オッテル騎士団にもフレイズマル麾下にも顔が利く。実際、今の領都での商人たちの実質的まとめ役になっているのが彼だ。この老会長がその気であれば、反リネスタードの一大勢力を築き上げることも可能だろう。

 私がいる限り、絶対に老に手出しはさせません、と言った後で、真顔のままヴェイセルは言う。


「止めてくれたのは、実は私だけではありませんでした。老、どうか覚えていてください。リネスタードの者たちは、老が商会のしきたりを一新し、新たな体制を立ち上げたことを殊の外評価しております。それができる人物ならば、以後旧ボロース領での差配に加わってもらうこともできるのではないかと」


 最終的には信用という部分で引っ掛かったため、もしヴェイセルが口添えをしなければ確かに老会長は殺されていただろう。

 ヴェイセルが老会長との直接会合にこだわった理由の一つは、リネスタード側が望むことを彼に伝えたかったからだ。


「リネスタードが望むのは、あちらで行なっている新しいやり方を、土地毎の相応しい形に調整しつつ運用することです。ですがそれは、恐ろしく体力を使う仕事になるでしょう。正直、老にそのような負担をかけたくはありません」


 ヴェイセルは老会長の商会にいる分別のある者たちの名を挙げ、彼らの誰にどの仕事を振り分けるのがいい、といったところにまで踏み込んで話をする。

 老会長の立場や面目を考えられるヴェイセルだ。商会のやり方、人事にまで口を出すなぞこれまで絶対にやってはこなかった。だが今回は、そこまで踏み込んで話をしているのだ。老会長はヴェイセルとの付き合いも長い。そのヴェイセルの踏み込みの意味を、理由を、きちんと汲んでやれた。


「……そうか。それほど危ういのか。うむ、ようわかった。お主の言う通りにしよう。ワシはここで引退を……」

「それをやったら商会を押さえ込む者がいなくなります。多分、幾人かは、リネスタードの要求を曲解すると思うんですよねぇ……」


 老会長配下の幹部に愚か者はいない。いないのだが、それでも難しいのだろう。老会長は額に皺を寄せる。


「なんとも、しんどそうな仕事じゃのう」

「……はい。ですが、これでもまだリネスタードよりはマシなのです。あそこは今、自分の寿命削って仕事してるような連中がぞろぞろいますから」


 リネスタード合議会の議員はまだマシである。リネスタードの外に進出しているような商人たちは、結構な老齢の者であってもあちらこちらと自身が飛び回らねば仕事が回らぬ状況らしい。

 老会長の表情が険しいものに。


「それほど、ギュルディ様は厳しいお方か」

「いえ、どちらかというと商人の側の問題です。儲け話を前に、引き下がって後進に任せるなんてやり方をしてこなかった者は、たとえ年老いていようと今の未曽有の儲け話を前に引き下がることができぬのでしょう」


 険しい表情が崩れ、怪訝そうな顔の老会長。


「それ、当人が好きでやっとるということか?」

「つまりはそういうことでして。老、いいですか。リネスタードの商売を見たら絶対に老もやりたくなります。ですが、最前線で差配するのは老はもう体力的に厳しいのですから、絶対に後進に任せなければいけませんよ」


 老会長、顎に手を当てじっと考え込む姿勢。


「老! 駄目ったら駄目ですからね!」

「いや、お主がそこまで言うほどとなるとな……」

「だーから絶対に釘刺さなきゃマズイって思ったんですよ! 今のリネスタードには無限に等しいほどの仕事と儲け話があるんですから! これにいつもの感覚で手を出していったら絶対に処理能力が追いつかなくなりますからね!」

「そ、それほどの儲け話か……うーむ、まるで夢の国のような……それにな、打ち込む仕事があるうちはむしろ老け込まんのではないかと」

「老化防止ていどの仕事量じゃないんですって! いきなりぽっくりぶっ倒れてもおかしくない仕事量なんですから、老は主流からはぜーったいに外れてくださいね!」


 全く説得できた気がしないが、話しておきたいことはこれが全てではないのでヴェイセルは話を変える。


「老。ギュルディ様の傍にお仕えし、私なりの所見があります」


 ギュルディの傍にいて、リネスタードで侵攻案作成に尽力し、ボロースへの侵攻を共に見続けてきたヴェイセルだ。ギュルディの政策の大本となる部分は既に見抜いている。

 ヴェイセルにとってそれはできて当たり前のことであるのだが、そんなことができるのは極一部の人間だけだろう。


「最も人口の多い、平民の中でも農奴層の作業効率の改善です」


 突き詰めて言ってしまえば、ギュルディがやりたいことは生産性の向上である。一人の人間が生み出せる物の質と量を向上させ、浮いた労働時間を更なる豊かさを求めるために用いる。

 改善すべきは、最も人口の多い、つまり一つの改善をより多くの人間で共有できる、そんな層である。

 彼らの労働意欲を引き出し、労働環境を整え、更なる生産性向上のための教育を施す。そうするために税金を多く投入するのだ。

 農奴層とはいうが、彼らは農民ばかりではない。街の職人たちや農村であぶれた労働力などもこれに含まれる。

 ヴェイセルの言葉に、老会長は疑わし気である。


「それは、貴族や商人の猛反発が予想されるが。つまり、商人への税制優遇や貴族への援助をそちらに回すということだろう?」

「はい。ですからこれは辺境でもなくば絶対になしえなかったでしょう。辺境ですら抵抗はあったようです。ですが、相当上手いことやったのでしょうね。リネスタードではもうソレが機能し始めていましたよ」

「なんと…………いや、待て。それは、つまり……」

「はい。ここでも同じことをします。そのためにこそ、目ぼしい実力者を強引にでも排除したのですから」

「どうやってだ。そんなことをしては、如何なギュルディ様とて治まるものも治まらんぞ」

「……実際にやったリネスタードでは、平民、つまり兵士をやる連中がこの政策を支持しております。そして、商人や貴族も多大な利益を享受しているため、膨れ上がっていく平民の生産力を管理しきることができているのなら、それだけの管理能力のある貴族や商人ならば、ギュルディ様の方針は望むところなのですよ」


 それは決して楽なことではないが、困難を乗り越えればその先にそれまで考えたこともないような豊かな生活が待っているのだ。

 リネスタードに貴族はほとんどいないため、管理者としてその主たる人間は商人と地主である。

 この層は、平民たちの生産力が上がることは自身の収入に直結するので、優遇された結果図に乗る平民を御することさえできていれば、こちらもまた十分な豊かさを享受できよう。

 むしろ、税金にて生活を賄われていた、生活が優遇されていた層が少なかったリネスタードならばこその政策でもあろう。だが、これをボロース勢力圏にて適用するとなれば話が違ってくる。


「いや、リネスタードにも税金の保護を受けていた商人も貴族もいたろうに」

「皆、死にました。ギュルディ様が権力を掌握する前の騒乱にて。周到ですよ、ギュルディ様は。そしてボロースでも、今のやり方を押し通す勝算も持ってる。老、ギュルディ様の方針に逆らってはなりません。商人たちの総意だの、民の意思だの、ランドスカープの法が云々だの、ちょこざいなやり口は全てが通用しません。邪魔になったら殺すことに、いっそ都市ごと滅ぼすことに、ギュルディ様は一切躊躇いたしませんぞ。そうすることでどれだけ損失があり利益が出る、といった計算を、ギュルディ様は正確に算出することが可能なのですから」


 そして今回ギュルディによりありえぬほどの大勝をもたらされたリネスタードの民は、これまでの生活からは考えられぬほど豊かで、好機さえ得られれば平民がのし上がることのできる環境を整えてくれたギュルディが言うのならば、彼らもきっと都市一つを焼き滅ぼすことに躊躇はないだろうと。

 老会長もまた強くヴェイセルを睨み返す。


「そうできるほどのお方なのか?」

「はい」


 一度目を逸らした後、老会長はちらっとヴェイセルを見る。


「様子見はするぞ」

「もちろんです。ですが、今の話を踏まえたうえで、踏み込み過ぎぬよう注意してくださいませ」


 溜息一つ。老会長は首をかしげる。


「で、そのやり方でどれほど利益が出るというのだ? そんな都市の運営方針、私はこれまで聞いたこともないのだが」

「私もです。……これは私の推測でしかないのですが……ギュルディ様、この方針に何か確信のようなものを持っているようですよ。今のリネスタードのとてつもない膨張の一因がコレなのか、そうでないのか、私にも判別はできないのですけどね。他にもリネスタードが伸びる理由が多すぎて、どれが主因なのか特定するのが難しいんですよ」


 さしものヴェイセルも、イセカイ国からもたらされた経済やら歴史やらの本からギュルディが学んでいるなどとは思いもよらぬのである。

 老会長が進路を過たぬよう出来得る限りの忠告を終えたヴェイセルは、すぐに屋敷を出る。

 別れ際に、今度は老会長がヴェイセルに釘を刺した。


「ソルナの街の状況を考えれば、リネスタードに降りその下で兵を動かすことはやむを得ぬことだとわかろう。だが、考えの浅い者、度し難い小人にそのような思慮は求められぬ。お主を裏切者と罵り、己の醜い嫉妬心を覆い繕って襲い掛かってこようぞ」

「はい。私個人でも護衛の手配をしておき、公務の合間をこれで埋めておこうと思っております」

「よろしい。入口で待っているアレらは、信用できるのだな」

「ギュルディ様専属護衛の選から漏れた者たちです。公務の間は彼らがついてくれます。アレを突破するのは多分、二十や三十でも無理でしょうね」


 老会長はそれを、ヴェイセルがギュルディに重用されているという意味ではなく、ヴェイセルの優秀さを警戒したための監視と受け取った。

 肩をすくめる老会長。


「何処へ行っても、気苦労の絶えぬ男じゃのう、お主は」


 正直、ギュルディに疑われているとは思っていないヴェイセルであったが、気苦労が絶えないのは確かなので、老会長のこの言葉には苦笑を返すしかできなかった。





 かくして、辺境は一人の男の下に統一された。

 疾風の如き侵略に、辺境の民は戸惑いを隠せなかったが、彼らが本当に戸惑い、苦労するのはこのすぐ後だ。

 リネスタードより新しい社会構造への変革の波が、辺境中へと襲い掛かっていくのだから。

 これに対応しきれぬ者は皆、それがどれだけ小さなものであろうとも、権力を得ることはできなかった。

 逆らう者もいた、抗う者もいた、徒党を組む者も当然いた。だが、それら全てが実を結ぶことはなかった。

 何故、上手く逆らえないのかをすら、彼らは理解することができなかったのだ。


 だから彼らは、リネスタード、いやさギュルディに敗れたのである。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ヴェイセルは優しいですね。
[一言] これも時代の変化なのでしょうね。 情報と言う武器に目をつけ、それを活用できる環境を用意したギュルディが勝つのは当然でしょうね。
[良い点] ヴェイセルの仕事へのやり甲斐が社会人の心にスッと落ちて理解できてしまう事。 [気になる点] ヴェイセルはイセカイ国のこと知らない? 分析官と共にカゾの図書室に籠もってパワーアップとか見たい…
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