114.懲罰軍
アクセルソン伯の一万の軍は、道中つつがなく行軍を続ける。
アクセルソン伯は最後まで同行したがったものだが、将軍や軍師であるトーレが何を言うまでもなく、領地の者たちが総出で止めてくれた。
予定通りならば、一万の軍はロクな戦もせぬままリネスタードを包囲し、そこからはずっとただひたすら包囲しているだけであるので、伯が居たところで彼の興味を引くようななにものもありはしない。
包囲が完了した後でなら、大量の物資と共に一度顔を出しにくるぐらいなら構わないが、大領を預かる領主が領政始まって以来初の一万超えの軍であろうとも、そう簡単に遠征への従軍なぞされては部下たちもたまったものではあるまい。
つまらんから攻めろなんてアホなことを言い出しかねない、なんて疑われている部分もなきにしもあらずである。
この軍の指揮権はアクセルソン伯より任された将軍が持っているが、トーレはこれに意見することができる。これほどの大軍が今こうして不足なく行軍できている理由の大半は、トーレが持ってきた支援物資のおかげであるのだから。
将軍はトーレに最大限の配慮をしなければならない。トーレが物資を引き上げると言い出したら軍はどうにもならなくなるし、そこまででなくとも、包囲後の大量の物資輸送が行なわれなければ将軍が命じられている、リネスタードへの大損害を与えることは不可能であるからだ。
リネスタードの城壁は有名なもので、一万の軍であってもまっとうな手段でこれを打ち破ることはできまい。ましてや今回の戦でリネスタードは五千以上八千以下の兵を動員できると見られているのだ。
敵がいつ野戦に出てくるかを警戒しつつ、不用意な損害を出さぬよう包囲を続ける。そんな難しい采配が求められている。それができる自信もある将軍だが、決して油断していい状況ではないのだ。
斥候が伝えてくる進路の状況を聞きながら難しい顔をしている将軍に、軍師トーレはくすりと笑い声を掛ける。
「随分と、気を張っておられますな」
「ここらの領主は皆、リネスタードとかかわりのある者ばかりだ。決して油断なぞできまい」
「その通りです。事前に確認はしておりますし、密約もある。それでもなお、寸前での心変わりはありうるものです」
「大きな軍略を持ち、これに万事従いながら選択し決断する。そんな真似ができるのはよほどの大領地ぐらいのものよ。目の前のことに右往左往するのは民だけの特権ではあるまい」
この将軍のこういう言い回しをトーレは嫌いではない。
「できて当たり前。そう見られていることを万事つつがなくその通りにこなすことの難しさは、実務を担当している者でもなくば理解は得られぬものです。わかりやすい手柄に固執せぬことこそ肝要かと」
「……そう言ってくれるのは我が軍の中でもお主ともう数人ほどだ。一万人もいるというのにな。まったく、どいつもこいつも血を見ねば収まらぬと喚いておるわ」
「いずれそういった息抜きも必要になるでしょう。包囲の際に、彼らの気晴らしになるモノを確保しておくのがよろしいかと」
「おお、なるほど、その話がしたかったのか。包囲に至るまでは逆に厳しすぎるほど厳しく兵を統制するつもりだが、軍師殿の意見は?」
「さすがでございます。……こんな話を耳にしました。リネスタードでは寸前まで出兵の是非が議論されていたとか」
「何? それは野戦をするという意味か?」
「はい」
「……リネスタードはそこまで愚かなのか?」
「リネスタードの全権を委任されている集団、リネスタード合議会には商人が多数いるようで。案外ギュルディなる男も、そいつらに振り回されているのかもしれませんな」
「馬鹿をやってくれる分には大歓迎だがな。間抜けは何処にでもいるものだが、そういった馬鹿が物事を決める主流になることはあるまい」
「そうですな。将軍はそういった機微を理解されているようですが、この話を聞いた兵たちはそうもいきますまい」
ふむ、と顎を撫でる将軍。
リネスタードが野戦に傾きかけていた、なんて話が軍内に広まったなら、お調子者がまたぞろ騒いだり、リネスタード軍を見くびったりするかもしれない。
「これは、リネスタードによる攪乱か?」
「いいえ、真剣にやった結果でしょう」
「……ならば粛々と対応するのみだな」
「はい、こちらが完璧に動けばリネスタード側にできることなど何一つないのです。順当に城壁内に篭って、順当に追い込まれ、順当に破れるでしょう。それ以外を選んだのなら、滅びが加速するだけです」
うむ、その通りよ、と頷いた後で、将軍はこほんと咳ばらいを一つしてから口を開く。
「今ここでしか言えぬことだから言っておきたい。私は、お主らに感謝しておるのだ」
「感謝、ですか?」
「私はな、戦とはこうあるべきと常々思っておった。裏か表かと賭ける博打のような戦は、その本質からはむしろ遠ざかったものであろうと」
トーレは無言。だが、少し意外そうな顔をする。
「伯がああいう方なのでな、戦となればどうしても武勇を見せねばならぬ。だが今回はそちらよりの要請があったおかげで、思いもかけず我が望みが叶ったというわけよ」
なんと言ったものか、と困り顔のトーレは、将軍を慰めるように言った。
「此度の戦で、戦う前より勝っている戦を知っていただければ伯も戦を見直してくれるかもしれませぬぞ」
「はっはっはっはっは、そんな儚い夢を見るには私は年を取りすぎてしまったわ」
悲しいなぁ、とトーレは将軍と共に肩を落とす。
とはいえ、今ここにアクセルソン伯はおらず、軍の最高責任者は将軍で、これに意見ができる大きな発言権を持つのは軍師トーレである。
この布陣ならば、部下が多少やんちゃしたていどでは小動もせず勝利を掴み取れよう。
将軍も、軍師トーレも、これを差配したオージン王も、この戦は、既に勝利している戦だと認識していた。そしてそれは、同じ情報を得られていたのなら軍務に詳しい誰しもが同じ判断をくだしたであろう。
手を抜けば、気を抜けば勝利はその手よりすり抜けていくだろうが、将軍とトーレが為すべきことをただ実直にこなしていくだけで、博打要素絶無で勝利できる。
そのぐらい、はっきりとした勝利であったのだ。
一万の懲罰軍の動向は逐一リネスタードに届けられていた。
もちろん糧食や物資の量もリネスタードは把握している。だが、本気で隠しに動いている一万人一年分の物資の存在を、リネスタードは掴んではいなかった。
ランドスカープの国の人間でこれを知っているのは、それこそ極一部の協力者と、優れた諜報員が幸運にもこの尻尾を捕まえることに成功したボロースのフレイズマルぐらいのものだ。
自身の手首に管を通す手品師と一緒だ。
一万人もの大軍を用いておきながら、これを一年間も臨戦態勢にしておき続けるだけの物資を用意してあるなんていう、まさか、ということを、本当にやらかしてしまったからこそ相手は驚き、裏をかかれてくれるのだ。
そしてリネスタードの包囲を完成してしまった後では、これへの対策を打ちようもなくなってしまう。
だから将軍とトーレ軍師は包囲が完了するまでは一切気を抜くつもりがないのだ。
必勝の気配を悟られぬよう、常の軍が攻城の覚悟を決め押し寄せるかのように、懲罰軍はリネスタード目掛けて進軍を続ける。
途上にあるリネスタードの友好都市は、ランドスカープ国内ならではの理論により、懲罰軍よりの攻撃は免れていた。
もちろんリネスタードに協力する姿勢を見せればこれを攻撃する口実となるが、そうでなければ、この懲罰軍に与えられている権限はあくまでリネスタードに対してのみであり、これらへの攻撃は認められていない。
なのでまあ、嫌がらせのような行為はあるにしても、基本は素通りである。
だが、ただ素通りするだけでもその行軍には意味がある。
軍勢一万である。それこそ辺境区をまとめてまっ平らにしてしまうような、そんな軍量だ。
敵が来たから迎え撃つべく必死になって兵を集めた、なんてものでもない。自分の領地を離れ、遠く他領に遠征する軍で一万いるのだ。
道中これを見た各領主たちが、如何にリネスタードの恩恵を受け援護の意思があろうとも、意気が挫けるに十分なものであろう。
集まった兵たちの中には戦慣れした者もいるが、彼らもまた一様に興奮状態である。
一万の軍勢というものは滅多に編成されるものではなく、その一員になれることは有利だとかいった面以外にも、男心を刺激してやまないもののようで。
一万人ならではの行軍、ありえないほどに踏み固められた街道、何処までも続く細長い軍、莫大な糧食、従軍した英雄の数、その前代未聞の規模を彼らは行軍しながら語り合った。
兵の士気を上げる、最も簡単でわかりやすい方法だ。兵の数を増やせばいい。それができるのならば、兵数を維持できるのならば、兵がたくさんいるのが一番強いのである。
懲罰軍軍師トーレの下に、また新たな報せが届いた。
彼は報告者に対し、少し気を抜いた様子で苦笑を見せる。
「これで十二の町が降ったことになる、が。はてさて、何処まで信じられるものだか」
今越えている山を抜ければ、そこはもうリネスタードのある平野部になる。山からはリネスタードの巨大な城壁が見えると聞いている。
トーレはそれを初めて目にした。
「……これはこれは……」
自信を持つのも無理はない、と思った。辺境ならではの無骨で、しかし実戦を意識しただろう巨大な城壁が見えた。
これほどの規模の城壁となるとトーレの母国にも数えるほどしかない。これを確実に超えると言えるのは、アーサの王都にある魔導城壁ぐらいのものか。
これを作り上げた魔術師ダインとの確執から、ランドスカープでは『汚れた城壁』などと極めて不名誉な呼ばれ方をしているらしい。
仮にも隣国、友好国の王都に建造された王家の威信の表れとも言うべきものを、そんな蔑称で呼ぶランドスカープ人の無神経なところがトーレは嫌いでならない。
トーレはこの魔導城壁建造にまつわる魔術師ダインの詐術に関して聞き知っているので尚更だ。
傍にいる軍参謀たちに、トーレは改めて作戦内容の確認を行なう。というよりコイツらがきちんと理解しているかの確認だ。
参謀の一人が、トーレの指示に従い口を開く。
「まずはリネスタードの完全包囲とこれに伴う陣地の作成。しかる後、遊撃の任を帯びた敵軍の捜索を行ない、これを撃破、もしくは近隣に存在しない確証を得た後、リネスタード城壁外施設の破壊、となります」
「留意点は?」
「麾下兵士の略奪が可能になるのが城外施設破壊時となるため、如何にここまで兵を押さえ込むかが問題となります。そのための策としまして……」
トーレは発言している参謀以外の者の表情をじっと見るが、表情を見る限りにおいては問題はなさそうに思える。
参謀の言葉を聞きながらトーレはリネスタードのことを考える。こちらから見えるということは向こうからも見えているだろう。
リネスタード側の人間も、懲罰軍一万をその目にしたのだ。辺境に万を超える軍がきたことなぞあるまい。彼らの受ける衝撃たるや、察するにあまりある。
だからこそトーレたちは行軍を早めたりはしない。ゆっくりと、確実に、リネスタードに向けて歩を進める。
それだけで、リネスタードはこれまで経験したこともないほどの圧力を感じるであろうから。
リネスタードの街の混乱は筆舌に尽くし難い。
急拡大した人口をリネスタードの城壁内に全て納めるということ自体が、そもそも無理のある話であったのだ。
しかも新しくリネスタードにきた者がかなりの数にのぼる。結構な数の新参民が、リネスタードからの指示に従わず城壁の内ではなく近くの山などへと避難していった。
城壁の上で、ギュルディは渋い顔を見せる。
これの護衛についているシーラは、くすりと笑って言った。
「ようやく、取り繕わなくなったね」
「……不安な顔を見せるわけにもいくまい。だが、一万、本当にきたな」
「勝つのは難しくても、負けないのはなんとかなるよ」
「なんとか、か」
そう言いながらギュルディは城壁の下、街の中側を見下ろす。
人が街路にごった返しており、到底収拾がつくとは思えない。
シーラはやはり笑っている。
「こういう時は、コンラードが頼もしいね。私が出ると余計混乱するらしいし」
「一万に囲まれたうえ、お前にまで狙われたらもう何処に逃げていいのかわからなくなるだろうに」
「別に、狙ってないし」
拗ねた口調のシーラに、今度はギュルディが笑う。
笑いながら、山を下ってくる細い銀の筋を見て、そして深く大きく嘆息した。
「あぁ、これだから戦は嫌なんだ。アレ、作るのにどんだけ金と手間がかかってると思ってるんだ」
城壁の外には、農場、工房、牛舎、長屋もあれば高級住宅もある。今、目に映る施設たちだけでもこれを用いれば、数万の人口を養うことができるのだ。それらが、これより破壊され蹂躙されていく。
敵軍の目的は占領ではなく、究極的には軍を用いた嫌がらせである。生産には全く寄与せぬ行動は、根本的なところでギュルディが好まないものである。
好まなかろうとやればできてしまうぐらい知能が高いし、好まぬからとこれを表にだすべきではないと思えば取り繕うぐらいはできる。
とても疲れるので、こうして気を抜く時間を作ったりもするのだが。
ギュルディはシーラを見て、これで三度目の質問を口にする。
「なあシーラ。本当に、完全包囲の中でも、お前一人なら突破する、なんて真似できるものか?」
「ギュルディしつっこい。この間の戦で、単騎で敵陣に突っ込むやり方も覚えたし。夜間ならかなり楽に動けるって言ったでしょー。下手に遊撃の軍出すより、私一人の方がやりやすいんだよ」
「一万の軍相手に平気な顔でそういうこと言える奴だとは思わなかったよなぁ……ソレ、ナギとアキホもできるってことか?」
「どうだろ。隠密の専門訓練受けてなさそうだったからちょっと危なくはあるかな。ふふっ、私はね。この間ので私が戦でできることの新たな可能性を見つけたの。私は多分、戦でもっと色々なことができる。それを試せる良い機会だよ」
「リネスタードがとんでもない損害被る事態なんだからその嬉しそうな顔なんとかしろ」
不意に人の気配を感じて、二人は振り向く。
そこには群衆の混乱を抜け城壁をのぼってきたらしい、魔術師ダインの姿があった。その後ろには弟子たちも続いている。
「ダイン?」
ダインはシーラ同様、全くリネスタードの危機といった気配を感じさせぬ、上機嫌な笑顔であった。
「おうギュルディ、今、シズクから報せが入ったぞ」
「ん?」
ダインの機嫌の良さがギュルディには理解できない。その一言で通じぬことにダインは驚き、そしてやはり笑い言った。
「察しの悪い奴じゃのう。つまりだ、この戦、ワシらの勝ちじゃ」
山を下り始めてからはもうリネスタードから丸見えなのだ。
懲罰軍は決してぶざまな真似を晒さぬよう、整然とした行軍を心掛けており、その威勢が、威容が、敵軍の士気を挫くと信じ真剣に軍を進める。
だが彼らの視線の大半は、まだまだ遠く離れた場所にあるはずのリネスタードの城壁に向けられている。
攻略すべき目的地であるのもさることながら、やはり視界内に巨大建造物があれば自然とそこに目がいってしまうものだろう。
それでも幾人かはそれ以外にも目を向ける。
高級そうな住宅であったり、価値ある物を溜め込んでいそうな大きな建物であったり、土地の豊かさを示すびっしりと生えた穀物であったり。
更にそんな珍しい人間の中でも妙なことに気が向く男が、一番初めにそれを見つけた。
「あん?」
目を細める。彼が見るのは森だ。
ずっとずっと彼方にまで伸びる森が見えていて、その森が途切れ平野へと変わるそこを、じっと彼は見つめる。そして同僚に訊ねた。
「おい、お前、あれ、見えるか?」
彼に言われて同僚もそちらに目を向ける。彼の言う通り、森と、そして、妙に騒がしい森が見える。
もちろん森の音が聞こえるというわけではなく、森から勢いよく鳥が飛び立っているのが見えたのである。それは目の錯覚か、森の一部が揺れているようにすら見えるほどだ。
遥か遠くのことではあるが、視界を遮るものもないド平野であり、また森のあり方なんてものは何処の領地であろうとそうは変わらないもので。だからこそ、リネスタードの森の奇妙さが気になったのである。
森の木は、当然かなりの高さがあるだろう。あまりに遠すぎて麦粒一つ分すらないほどにしか見えぬが、森の近くに建っている小屋の大きさと比較すれば本来の大きさが知れよう。
根元に立てばわかる。両手を広げてもその幹の半分を覆うこともできなかろう。そんな巨木たちだ。
それらが群生する森が、揺れている。
木々が忙しなく跳ねるのが、この距離でもわかるほどだから近くに寄ればとんでもない大きな揺れになっていると予測できる。
男はふと思い出す。
辺境に生息していたという巨人の話だ。これが、辺境の巨大な城壁のてっぺんに手を掛けたという逸話は、ランドスカープの人間ならば誰しもが聞いたことのあるものであろう。
そしてここは辺境で、巨大な城壁もある。
男は大慌てで仲間に、そして自らの隊長に声をかけ、森の異変を彼らに告げる。
これに事前に気付いていたのはこの集団ともう二つほど。一万人の内の、総数二十人にも満たない人数が、その瞬間を見た。
森の一部が、大きく爆ぜた瞬間を。




