110.シーラさんが大変なことに
リネスタードの実質的指導者であるギュルディ・リードホルムが王都で活動している間も、リネスタードの爆発的な拡張、発展は続いていた。
ギュルディはその持てる発言権をリネスタード合議会に委任し、この合議会議員たちがリネスタードの大いなる発展を導く。
合議会議員の半数以上は年配の者であり、基本的には保守的思考に傾きがちであるのだが、今のリネスタードではこの姿勢が正しい。
何せ否も応もなく新しい技術が次から次へとぽこぽこ生まれてくるのだから、下手に革新的統治手法なんてものに手を出してしまっては、街全体の統制が利かなくなってしまう。
ただ、ギュルディが指示したことでもある、生まれた新たな技術を寝かせることだけは絶対にやってはならない、という方針がある。
つまり新しい技術が生まれたのならこれを如何に活用するかを即座に提案し、計画を立て、実行に移さねばならないのだ。これが、とんでもなくしんどいのである。
結果として保守的な態度のみではどうしようもないぐらい仕事が増えるため、新たに、凄まじい勢いで、人員の流入を促すといった保守の風上にもおけぬような真似をするハメになる。
それこそ人口が一年で倍加するような勢いで人を増やせば、当然、治安の悪化は免れえまい。新旧住民の対立なんて話も生じるのが当たり前だ。
これを圧倒的名声にて防いでいるのが、辺境の悪夢、ぬめる剣のシーラ・ルキュレである。
いや、名声にて防いでいるだけではない。
「はいはーい、じゃあ、もっとみんなに見えるところでやろー」
剣術道場が丸々一つ、リネスタードに移住してきた。総勢二十二人を、シーラは一人でまとめて相手してやると言っているのだ。
場所はリネスタード中心部にある教会前広場。教会の神父がこれで六十通目になる異動願いを書いているのを他所に、真剣を用いた戦いが始まってしまう。
当たり前だが、刃傷沙汰はご法度である。だがこのリネスタードにて、シーラだけは別なのだ。
法制度が許しているわけではない。住民の全てが、シーラがこの法外な権限を持つことを認めているのだ。
すなわち、斬り捨て御免、である。
「シーラ! シーラ! シーラ・ルキュレ! こんなにもおいしい獲物もらえるたぁなあ! てめぇを殺れば! リネスタードは俺たちのもんだ! そうだよなあ!」
もう剣術道場という体裁も捨ててしまっている。
とはいえ暴力集団としては名の知れた連中で、そして今シーラの目の前で大声を張り上げている男は、シーラの目から見てもなかなかの剣士に見える。
「うんうん、男の子はそうでないと。コンラード、もう始めていい?」
広場の中心にシーラと、これと対峙する形で二十二人の剣士、そしてこれらを大きく取り巻く形で見物人たちが集まっていて、その内の一人に、侠人コンラードがいた。
「おう、見せたい奴は全員揃った。やっちまってくれ」
後ろを振り向きコンラードは低いドスの利いた声で言う。
「目、離すんじゃねえぞ。おめーらがどれほどのもんか、今からシーラが見せてくれるからよ」
コンラードの後ろには、ここ最近街に来た腕自慢たちが集まっている。
全員、剣術に自信はあれど問題を起こすつもりもなく、だが心の内では自身が最強だと信じている連中だ。
こういうのには早めに身の程を教えてやるのがいい。後々のトラブルを防ぐことになる。
集まっている腕自慢たちはコンラードが見込んだだけはあって、いざシーラ対二十二人が始まると、全員がシーラの技量の危険さ、異常さを理解してくれた。
シーラが真っ先にぶった斬った道場主なぞ、ちょっとした街でなら街一番の剣士を名乗っても不思議ではないほどの男だ。だからこそリネスタードに乗り込んできたのだろう。
それが全く相手にもならなかった。
お遊びのようにおちょくられ、そして子供を相手にするようにあっけなく斬られた。残る怯えた連中も、ただの一人も逃がすことなく、許すことなく、シーラは全てを殺し尽くした。
見物人たちはこれを何度も見ているのだろう、必死に命乞いをする男たちにも同情する様子は見られないし、これをシーラが一人残らず殺して回ることにも慣れているようだ。
コンラードの背後の男たちはシーラの殺し合いを見るのが初めてであり、全員、真っ青になって硬直してしまっている。
全部が終わるとシーラは血刀をぶら下げたままコンラードの下へ。
「終わったよー」
「おう、ご苦労様だ」
「次はそろそろコンラードがやった方がいいんじゃない?」
「俺にそーいう武名は必要ねえって言ってんだろ。後ろの連中がモノになってくれりゃ、俺の出る幕は更に減ってくれるさ」
ふーん、とシーラはコンラードの後ろの腕自慢たちをじろじろと見る。彼らはもうどうしようもないほどに震えてしまっている。
人を斬ったことのある奴らばかりだが、シーラと対峙するというのはそういう次元の問題ではないのだ。
「なんか、あんまりー、って感じだよ」
「おめーにビビらされて震えん奴なんざいるか。俺だって初めてお前見た時は後ろも見ずに逃げたんだからな」
「あははは、またそれー。嘘ばっかー」
シーラが初めてリネスタードに来た時、一目見てみようと物陰からこれを覗いたコンラードは、そのあまりの血臭にビビりにビビった挙げ句、がたがた震えながら気付かれぬよう必死に逃げたものだが、これを言ってもシーラは全然信じてくれないのである。
ちなみにコンラードがビビったって話をしても全然信じてくれないのは凪や秋穂も一緒であった。
コンラードが配下に指示して死体の片付けを命じると、これで見世物は終わりだと見物人たちは引き上げていく。
実に物騒な治安維持手法であるが、辺境なんていう来る者拒まずな土地柄では、とても効果的であり効率的でもあった。
また以前から無敵最強と畏れられていたシーラだが、ウールブヘジンとぶつかり千人弱の軍を相手に大暴れしたことで何か得るものがあったらしく、その威勢威容は更なる高みへと至っている。
集まった人間たちが解散していくなか、シーラは当たり前の顔でコンラードに言う。
「じゃ、今日の鍛錬いこっか」
「おいこら。今日は殺し合いしたんだからもういいだろ」
「だめだめだめー。鍛錬は毎日繰り返すのが大切ーってナギもアキホも言ってたもん」
そしてシーラは、凪と秋穂から様々な鍛錬法を学んでいた。人を殺すことでその強さを伸ばしてきたシーラであったが、日々の鍛錬にて地力を上げるということも学んだのである。
これに付き合わされるコンラードはたまったものではないのだが、基本的に付き合いの良い男であるし、強くなることに興味がないわけでもないのだ。
それに、ギュルディが居ない中でシーラが気を許せる相手がコンラードしかいないということもあり、凪と秋穂でいうところの涼太の如く、ギュルディに代わってシーラの飼い主的振る舞いを街全体から望まれているというのもある。
そんなわけで最近は商売の話にも顔を出せず、もっぱらシーラの相手をして鍛錬の日々を送ることになっているコンラードであった。
その日のリネスタードの街は、とりたてて何がどう、と説明できるような特別な日ではなかった。
何処もかしこも忙しくて、街中の皆がせかせかと走り回り、それでいて、生命の危機なんてものを一切感じていない、辺境らしからぬ、人間の領域での日常の風景だ。
昔からコンラードを慕っていた面々は、この賑やかで活気に満ちていながら、決して暴力がその主役にならない今のリネスタードに不満を漏らす時もあるが、これはコンラードの望む世界に近いものだ。人を傷つけることを、コンラードは好まない。
そのうえで、人を傷つけることを恐れないのがコンラードという矛盾した生き物である。平穏の中にあっても、自身が命を狙われる人間であると自覚し警戒を怠らないところも、いわゆるカタギと呼ばれる人間からはほど遠いあり方であろう。
「は?」
そんなコンラードが、シーラを呼びに訪れた宿に、入ろうとしてその足を止めた。
理由はない。ただ、そうしたかったから、足を止めたのだ。
だから混乱する。理由は本当にないのだ。足を止めてから考えても足を止める理由が思いつかない。
そして、一つの情報が繋がる。以前、コンラードが因縁の敵の本拠地に乗り込んだ時、コレと同じことになった。
その時はそれでも前に進む理由があったので、足を止めた理由を探ることなく踏み出した。そして、そこでコンラードは自身の人生において最も過酷な戦場に出会った。
コンラード個人として見るのなら、ウールブヘジンと戦った時よりもよほど危険な場所だった。ちなみにシーラとやった時は、それと決心してからずっと足は止まろうとしっぱなしであったため参考にはならない。
『まさ、か』
そんな危地を、コンラードは察しているということか、と考え愕然となる。
シーラのいる宿でそこまでの危機に陥るということが、本来ありえない。そんなものをシーラが放置しているはずがないからだ。
はずがないことが起きている。
コンラードはシーラの強さを信じていたが、この世にはどんなことも起こりうるとも思っている。ある日突然前触れもなく、シーラと肩を並べて戦えるような化け物が二人も同時に街にくるなんてことも、ありうるのだから。
ここで、まず冷静な判断ができるのがコンラードという男だ。
一度引いて人数揃えて宿を囲み、そのうえで踏み込むのが上策。あくまで勘でしかないことに人数を動かすことができる、それだけの権威権限をコンラードは持っている。
そしてそのうえで、己の筋道を通すのがコンラードなのである。
道行く人間を呼び止め、コンラードは小銭を握らせ部下たちへの伝言を頼んだ後で、単身、宿へと踏み入る。
友、シーラの危機を、座して見過ごすは男に非ず。この男の持つ規範は、その寿命を著しく縮めるものである。
宿の中はいつも通りだ。ギュルディが手配した教育の行き届いた宿の人間たちは、コンラードが感じている危機の気配をまるで感じ取っていないようだ。
だが、シーラの部屋がある宿の二階に向かうとその気配がより濃密になる。
ここまでくればコンラードのような勘の良い人間でなくとも何かしら感じるところはあるのだろう。今、二階の廊下を歩く者はいない。誰しも気付いていないながらに避けている。
コンラードは剣術の達人なんてものではなく、他者の気配を察するなんて高等な技術を学んだ覚えはない。それでも、その気配だけは間違えようがない。
『シーラ、だ』
シーラが臨戦態勢にある。
いや、ここまでの気配はコンラードの記憶にもない。強いていうのであれば、戦場から戻った直後のシーラが近いかもしれない。
なんとなく空気が悪い、なんてことを感じることもあるコンラードであったが、まさかここまで明確に戦意、殺意を感じ取れようとは、とコンラード自身が驚いている。
『……そんだけ、シーラがヤバイ状態になってるってことか』
誰にとってヤバイのかはわからないが、どの場合にしてもコンラードにとって良いことではなさそうだ。
はっきりと言ってしまえば、とても怖い。震えがくる。だが、怖い中を進むことに、幸か不幸かコンラードは慣れてしまっていた。
それが何かのきっかけになってしまう恐怖を押し殺し、コンラードは部屋の扉を叩く。
「おい、シーラ。俺だ、コンラードだ。入っていいか?」
少しして、返事があった。
「……いいよ」
コンラードの全身を怖気が走る。シーラの声を聞くや全身の細胞が逃走を命じる。それほど、このシーラの声はヤバイ。これはシーラが、敵を警戒している声だ。
コンラードが名を名乗ったうえで、そのコンラードに向けて、シーラは警戒の声を発しているのだ。
こんなところに飛び込むのはもう命知らずとかではなく、生き死にを理解できぬ器物か既に死んでいる死の国の住人ぐらいだろう。
それでも、進まねばならぬ。
警戒されていようと、殺意を向けられていようと、アレは、コンラードたちの命を守ってくれた恩人で、友なのだ。
ドアを開き中に入る。
侠人コンラードが、一歩、下がった。
全身クソ度胸の塊と称され、恐怖を知りながらも前に進む生き方を繰り返してきたコンラードが、踏み出した一歩を後ろに戻してしまった。
部屋を開けたコンラードに見えた景色は、見知った宿の部屋ではない。
壁が、床が、天井が、苦痛を訴え涙を滴らせるように、血を流している。
むせるような血臭は、この空間そのものから発しているかのようだ。
赤黒い霧が部屋中に立ち込め、死者の手が床より伸びあがっており。
『なめんじゃねえぞクソッタレが!』
下がった足を、心中の怒声と共に再び前へ踏み出した。
「どうした、シーラ。エライおっかない面してよ」
そして、気安く、気軽に、いつもの調子で、声をかけてやったのだ。
コンラードの登場にも、シーラは自らの内に向けていた意識を全てコンラードに向けることはなかった。
「顔? 顔は、変わってないんじゃないかな」
「血塗れに見える時点で、表情どうこうはもう問題じゃなくなってんだろ。理由を話すのは嫌か?」
「……なんで、バレるのかなぁ」
「それだけ殺気ばらまいといてなんでバレてないと思ったんだよ」
「え?」
部屋中に立ち込める殺意の渦は全く収まらぬままに、シーラは怪訝そうな顔をした。どうやら自覚はなかったらしい。
敢えて空気を読まぬフリをしてコンラードは、部屋の扉を閉めると部屋の中の椅子にどっかと腰を下ろす。
「その様子じゃ俺が気に食わないって話でもないようだし、何があったのか話してみろよ。相談ぐらいなら乗ってやれるぜ」
そう言うコンラードを、シーラはじっと見つめる。
その目が言っている。お前も敵なんじゃないのか、と。そこから類推するに。
「誰か、裏切ったか」
シーラが警戒度を上げるも、コンラードは無視して話を続ける。
「にしたって、お前がそこまでになるってのは考え難い。お前、リネスタードの誰が裏切ろうとお前自身にとっちゃ大した問題にはならんだろうに。なんだってそんなに怒ってんだ?」
やはり殺気も殺意も薄れぬままで、シーラは呆れたような声を出してきた。
「コンラードってさ、やっぱり絶対どっかおかしいよ。前も、今も、斬られる覚悟決めてそこにいるでしょ。二度も私にそうしたのってコンラードが初めてだよ」
「当たり前だ。普通は一度目で死んでんだろうからな。ぐだぐだ言ってねえでとっとと吐け。どんな状況になろうと、せめてもお互い話をするぐらいには、友達だったと俺は思ってるんだがね」
シーラは、大きく息を吸って、深く息を吐いた。そして、その言葉を口にする。
「ギュルディが、私を裏切ったよ」
それはさしものコンラードも予想外だ。
最も大きなものを吐き出したせいで口が軽くなったのか、シーラは自身の思いを漏らし始める。
「こんなに、こんなにも、頭にきたのは生まれて初めてかも。昨日の夜それに気付いて、そこからはもうどうにか抑え込もうと頑張ってるんだけど、難しいよ。今すぐギュルディのところにとんでいって、事の次第をはっきりさせたいと思うぐらい」
「まだ、はっきりしてないってこと……いや、それでお前がそこまで怒るってのはありえねえ。ってことは、なんかデカイ確証があるってことか」
「うん。さんざん悩んだけど、それしかありえない。ねえ、コンラードにも聞いて考えて判断してもらっていい? もし、私の誤解だったら、私今度は喜びすぎてどうにかなっちゃうと思うから」
それはとんでもなく重大な場面であろう。だが、コンラードがこの時思ったことは別のことだ。
『俺のことも疑ってる。けど、俺のこれまでを信じてもいる。だから、こう言ってくれたのか。ははっ、だとしたら嬉しいんだけどな。ここまで怒ったシーラが、それでも俺がこれまで友達であったことを、嘘だと思ってくれていないんならすげぇ嬉しいんだけどな』
シーラはゆっくりと話を始めた。
「そもそも、だよ。私はさ、ギュルディのやってることが面白くて、それで付き合うことに決めたの。元貴族が、貴族位剥奪されて商人やってて、それでも全然くさってなんかなくって、びっくりするぐらい次々色んなこと考えるギュルディがさ、楽しかったんだよ、見てて」
話を始めると部屋中を漂う血臭は次第に薄れていった。
「最初の内は何度か試したんだけどね。ギュルディは私を裏切るようなことは一切しなかった。そうした方が絶対的に有利な状況でも、ギュルディは私を裏切らなかった。久しぶりだったんだよね、そういう人と会えたの。だからかなー、気が付いたら随分とギュルディとの付き合いも長くなってた。それは、とっても楽しい時間でもあったしね」
この辺は、実はコンラードも知っている話だ。シーラのような恐るべき存在のことを調べないなんてことはありえない。
リネスタードの有力者ならほとんど皆がそうしていることだ。
「でもね。だからこそ、おかしいんだよ。なんで、私はここに残ってるの?」
コンラードにも意味がわからないのか眉根を寄せる。
「ギュルディが面白くて付き合ってるんなら、どうして王都に一緒に行かなかったのかなって。ギュルディに、良ければ街に残ってって頼まれた時、そうした方が街にためになるからって私、リネスタードに残ることにしたんだけど、それっておかしくない? 私今でも、リネスタードがどうなろうと実はあんまり興味ないんだよ。そりゃ気に入った人もそこそこはいるけど、それは私の決まりを破るほどじゃない。ねえ、どうして私はギュルディの下を離れてリネスタードに残るなんて言ったの? どうしてそんなギュルディだけに都合の良い話を受けちゃったの?」
シーラの言いたいことをようやく理解できたコンラードは、眼光鋭くシーラに問う。
「……そういう気配、他にもあったか?」
「思い返してみると、私随分とギュルディに遠慮してた。率先して仕事を引き受けるなんて、以前の私と比較してみるとちょっと考えられないかな」
二人は、シーラに魅了がかけられたと考えているのだ。
「だが、シーラに魅了が効くか? 毒もそうだが、お前これまでに魔術で操られたことってあるのか? 王都でもそういうのと出くわさなかったか?」
「魔術を使われたことはあるけど通じたことは一度もない。だからこそ油断したんだろうね。不覚すぎて泣きたくなってきたよ」
「具体的に、もっとはっきりとわかる形で魅了されてるって話はないのか?」
「あっはっは、なっさけないから言いたくないんだけど、もういいや、ぜーんぶ話すよー」
護衛がシーラの仕事、と言ってはいたものの、実はギュルディとの最初の契約にそんなものはなかった。
シーラはシーラで好きにやる。そのうえでシーラの規範に外れぬ範囲でギュルディの頼みを聞くかどうかその時々で判断する、というとんでもなく緩い契約であったはずなのだ。
だが結局、ギュルディがやることが面白くていつもくっついて回ることに。
シーラはそこからしばらくの間、ギュルディが如何に面白い奴なのかをコンラードに語って聞かせる。中にはコンラードが全く知らない話も幾つか混じっていた。
この時点でコンラード、微かにだが、死ぬほどくだらないことが頭に思い浮かんでいた。
そして魅了の具体例である。
正に魅了とも言うべきもので、やたらとギュルディのことが気になる、気が付いたら目がギュルディを追っている、時々ありえないほどギュルディのことが心配になる、危ない真似をした時はとても頭にくるんだけど顔を見ると何故かすぐに許してしまいたくなる、等々。
言われてみて、ギュルディが王都に行く前の二人を思い出したコンラードは、色々と思い出される場面もあった。
だが、一つだけコンラードは腑に落ちないことがある。
魅了の術というものは難しいものだ。だから伝承に出てくるような惚れ薬的な扱いはできないはずなのだ。むしろもっと使い勝手はよく、魅了が通れば対象の人間に対し悪意を持ちにくくなる、というのが魅了の最大の効果であったはずだ。
だから、魅了とそれ以外を見分けるには、被魅了者が魅了者に対し、悪意を伴った行動ができているかどうか、が基準となる。
コンラードはシーラに訊ねる。
「なあ、お前いつでもギュルディの指示に従ってたわけじゃないよな? 時期的には、ウールヴヘジンの後、ぐらいか。あのウールヴヘジンへの特攻、ギュルディは反対してたわけだし」
「え? あー、そういえば、そうかも。ん? でもその後も何度か……あー、うん、あった。ギュルディが怒ったこと何度かあったなー」
「ウールヴヘジンとの戦いが終わってリョータたちが街を出てから少しの間、おっまえ本当にタチ悪かったからなぁ」
「あ、あははははは、ごめんねー。新しい戦のやり方覚えたせいで盛り上がっちゃっててー。あの頃はとにかく剣振りたかったんだよねぇ」
それで悪党で強い者を探しては片っ端から斬って回っていたのである。悪い奴を斬ればそれだけで世界は平和になる、なんてことはありえないとよくよく理解しているギュルディは、思いつきでざくざく人を殺していくやり方を絶対に認めたりはしないのである。
その後も時々欲求を我慢できなくなって何度かギュルディの言いつけを破って怒られていた。
「なあシーラ、お前、魅了されてたってのにギュルディの言うこと聞かなかったってのか?」
「えー、あー、そういう魅了、ってこと?」
「…………そういう魅了って、さ。それ、魔術じゃないんじゃないのか?」
「え? 魔術じゃないんならどういうの?」
「人間として当たり前に、女が男に惚れたって話だ」
コンラードの言葉にシーラはぷっと噴き出す。
「あはは、私が? ギュルディに? ないない。ギュルディって元貴族だし、もうすぐ正式な貴族サマになるんだよ。それに、ギュルディって話は合わせてくれるし、面白いし、かっこいいところもあると思うし、けど、おばかなところもいっぱいあるんだよ。そもそもギュルディのほうが私のことそういう風に見るとかありえないでしょ」
「……お前が今挙げた全部、お前がギュルディに惚れない理由にはなってないぞ。いや、おい、待てよ。本当にそうなのか? シーラ、お前以前に誰かに惚れたことはないのか? その前例を考えれば……」
「え? え? え? いや、だって……ああ、うん、私はそういう経験はないかな。で、でもさ、コンラードはそういうけど、ほら、私が変に思ったのはね、ギュルディのこと考えた時とか、胸が苦しかったり身体が落ち着かなかったりってして、身体に変調が出るんだよ。そういうのって、やっぱり魔術だからこそじゃないかな」
コンラード、額をおさえて目をつむってしまっている。
慌てた様子のシーラは更に言葉を重ねる。
「ほ、他にもね。私、ギュルディに会えなくて泣いちゃったりしたんだよ。朝起きて、ベッドの上で泣いちゃっててもう自分でもびっくりして、ああ、もしかして魅了の術なんじゃって思ったのその時だったし……」
コンラードから完全に緊張感が失われ、今はただ猛烈な脱力感に見舞われるのみだ。
「……なんだこれ、え? こんなアホな話に俺、命賭けたのか? 俺、今日だけで何度死を意識した? どういうことだこれ? こんなアホな修羅場、俺想像すらしたことなかったんだが……」
シーラはちょっと涙目になりながらコンラードに言いつのる。
「ねえ、ねえ、違う、よね? だってほら、私、人殺したいし、剣術大好きだし、そういう、おとことおんなのうんちゃらちゃーって、そういうの、全然、似合わないっていうか……」
「似合ってようと似合ってなかろうと望もうと望むまいと、惚れたはれたは襲ってくるもんなんだよ。ありえねえ、ほんとありえねえって。お前さ、なんでそんな勘違いであそこまで怒れる……ああ、うん、怒ったってことはつまりって話で、あー、やってらんねー」
「え? え? ええええ? 何? 何か、わかったのコンラード?」
「そりゃお前、惚れた男に裏切られたなんて思ったら幾らお前でも腹も立つだろ。そうかー、お前本気でギュルディに惚れてんのかー。そうなのかー」
「うぎゃー! コンラードわざわざ言わないでよ! なんでそういういじわるするの!? わ、私まだそうだって認めたわけじゃ……」
「うるせー馬鹿野郎、とんでもねえいじわるされたのはこっちの方だ。あーもうめんどくせー。とりあえず時間やるから、ゆっくり考えて落ち着いてから改めて話するぞ。今のお前じゃまともな話にならねー」
「え、え、ええええええ! やだよだめだよ! 一人じゃ私何考えていいかわかんないしっ! コンラード一緒に考えてよ!」
「嫌に決まってんだろふざけんな。それにな、お前がそいつを認めてやれば、一つ、すっげぇ良いことがあるんだぞ」
「い、いいことってなによー」
「ギュルディはお前を裏切っちゃいなかったってことだ。いい、話だろ?」
ぴたり、と挙動不審なシーラの動きが止まる。
「……ねえ、本当に、ギュルディ、私のこと、裏切ってない?」
「ああ、お前の勘違いだ」
「じゃ、じゃあ、私、ギュルディのこと、殺さないでもいいの?」
「……ああ、ギュルディとはこれまで通り、楽しくつるんでいけるさ。一緒になって商売して、一緒になって戦して、一緒にあっちいったりこっちいったりと、いつもそうしてたようにやればいい」
いきなりシーラは、どたどたと足音も隠せぬ勢いでベッドに飛び込み、頭の上からシーツをかぶる。
そんな奇行にもコンラードはほんの少し怪訝そうな顔をしただけで理解を示し、席を立つ。
「んじゃ、ゆっくり考えろ。そんでもって落ち着いたら話でもなんでも聞いてやるよ。もし考えた結果何かをやらかそうって思ったんなら、せめても俺に相談した後にするんだぞ」
聞こえているんだかいないんだか、シーツの塊の中から漏れる音を聞き流しながら、コンラードは部屋を出た。
廊下を歩きながら、シーツにくるまって一人で、よかった、よかった、と泣いてるアレを思う。
『裏切られたら、殺すしかない。そうだよな、大切な相手に裏切られたら、お前はそうするしかないよな。はっ、恋愛の一つもまともにできねえとは、辺境最強戦士ってやつも案外窮屈なもんだ』
生まれて初めての恋を、許し難き裏切りと受け取らざるをえないような、そんな感性でもなくば生き残れない、それがシーラの生きる戦士の道だ。
とりあえずは落ち着いたようだが、シーラの思いがこれからどう影響していくことになるのか、コンラードにも全く先が読めない。
人を殺して強くなることばかりを考えてきた女と、国中を巻き込むようなデカイ仕事を企んでいる貴族男との間で、どんな恋愛が行なわれるのかなんてわかるわけがないのである。
それでも、どちらもをよく知るコンラードとしては、友達にはやっぱり幸せに、笑顔でいてほしい、と思うのだ。
『っつーか、シーラの手綱はおめーだろギュルディ。俺にほっぽりだしていつまでもそこらをふらふらしてんじゃねえっ』
二人の行く末が幸せなものであることを祈っているのも本当だが、これが一番の本音であるのもまたコンラードの真実なのである。




