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第13話:太陽

 翌朝、校門の前にまたあの黒バイクが停まっていた。

 視界に入れたくない。そう思って目を背けようとした時、綺麗な顔が僕の視界を埋め尽くした。

 千野先輩が僕の事を待っていてくれた、と言うよりは文句を言いに来た。


「涼太くん! あれはヒドイで。篤の言葉を真に受けてウチをアホだと思ってるんちゃうか?」

「いえ、そんな事はないですよ? ただもうそろそろ三年生はテストがあるって聞いていたので……」


 昨晩のKINEで、僕は直接先輩を罵ったりはしない。

 ただ、《遊ぶのもいいですけど、もうすぐテストですね。頑張って下さい》と最後に付け足しただけだ。

 まぁ、悪意がなかったと言ったら嘘になるけど……


「なんや〜そうか〜……ってな訳ないやろ! せめてニヤつかないでもういっぺん言ってみ?」

「っぷ。すいません。実は結構悪意ありました。でも、テスト、頑張って下さいね?」

「……当たり前や! う、ウチは頭ええからテ、テストなんてお茶の子さいさいやもん……」


 千野先輩が全力で視線を逸らし始めた。

 本当に、分かりやすい先輩だ。

 まだ、出会って二日なのに、もう何ヶ月も一緒にいるような親近感を抱ける。

 

「そうですよね。千野先輩なら……」

「いけず! 涼太くんはいけずや! 無理に決まっとるやろ! ウチくそアホなんやもん。後二週間っぽっちじゃ絶対落第や!」


 大声で言った千野先輩に、周囲のほぼ全員が視線を向けている。

 せせら笑う声もちらほらと。そして、黒バイクは嘲笑するかのように大きな音を立てて去っていった。

 香澄には視線を向けないようにしよう。


「千野先輩、落ち着いて下さい」

「落ち着けんわ! ウチ、今度のテスト落第したら留年なんやもん。推薦なのに、大学いけへんようになってしまうんや」

「え? それってかなり重要じゃないですか。誰かに勉強とか教われば……」

「じゃあ涼太くんが教えて。ウチのテスト、篤のと同じで他のみんなより簡単やから。それにみんな受験で忙しいんやゆうてな、もったいぶるんよ」


 簡単なテストとは言え、三年生の範囲は僕には無理だな。

 ここは悪いけど、断らせてもらおう。


「でも僕、高三の内容まだ分からないですし、今から勉強しても教えられるほどになるとは思いませんから、多分無理です」

「ちゃうちゃう。ウチの範囲は大体高一までなんよ。でもなんも分からんのよ。ウチ、陸上しかやってこうへんかったから」

 

 ああ、確か聞いたことあるな。

 神崎先輩もそうだけど、この私立校にスポーツ推薦で入った生徒はある程度の学業が免除されてるから、テストも簡単なのか。

 にしても、それで落第寸前の千野先輩って……


「高一までの範囲なら教えられますけど、先輩時間あるんですか? 花ちゃんに早く帰るって約束してたし、それに部活も夏の大会に向けて忙しいんですよね?」

「そんなら部活終わった後にウチの家でやればええやろ? それに涼太くんはバスケ下手っかすやから、どうせ暇やろ?」


 嘘をつかない性格なのはなんとなく察していたけど、辛辣な言葉を躊躇いもなく言われると、少々堪える。


「へ、下手なのは事実ですけど……それに暇なのも否定できません……」


 落胆の表情が出てしまった僕の背中を、千野先輩はバンバンと優しく叩いて励ましてくれた。


「そんなに落ち込むなや。涼太くんは優男やからバスケ下手っかすでも平気や思うよ。そんで、教えてくれるか?」

 

 フォローされてる気がしない。でも、バスケの事はそこまで気にする事でもないか。

 好きだけど、上手くないのは知ってるし、それに僕はただ神崎先輩みたいになりたくて入ったんだから。


「分かりました。ついでに神崎先輩も誘ってもいいですか? 僕、なんか神崎先輩も落第寸前な気がするので」

「ホンマ、涼太くんは篤が大好きなんやな。別にええで。好きなだけ呼び。ほんだら、部活終わったら体育館前で集合な」

「はい。じゃあまた後で」


 神崎先輩は僕の憧れの人だ。

 中三のあの時からずっと。

 だから、そんな人に落第なんてして欲しくない。



 今日は昨日と違って比較的平和に放課後を迎えられた。

 未だに香澄の新彼氏の話題は盛り上がっていたけど、僕に悪態をついてくる女子はいなくなっていた。


 きっと野田さんのお陰だろう。そう思って、ありがとう、と一言お礼をしたら、濁りきった瞳で何かを訴えられた。

 野田さんも複雑な心境なんだろう。事実を知りながら、知らないフリをしているんだから。



 部活終了後、部員たちが後片付けを始めた頃、神崎先輩が忙しなくカバンを担いで帰ろうとしていた。

 先輩は三年生だけど、いつも率先して片付けしてくれる。

 余程の理由があるんだろう。でも一応この後の勉強会に誘わないと。


「神崎先輩、このあと暇ですか?」

「ん? 涼太か。悪いな。ちょっと用事あんだよ。じゃあまた明日な」


 そう言って、神崎先輩は僕を避けるように去って行った。

 昨晩の件といい、今の先輩の様子といい。絶対に何かある。

 でも、先輩は僕に関わって欲しくないみたいだし……

 今はその時じゃない、かな。



 千野先輩は、体育館を出てすぐの所で待っていてくれた。

 半袖のシャツに半ズボン。昨日見た制服よりも、先輩の抜群のスタイルが強調されている。

 

「お疲れさん、涼太くん。篤のアホが今さっきウチの事無視しよったんよ。嫁に逃げられそうなおっさんみたいな顔しとったで」

「お疲れ様です千野先輩。神崎先輩はなんか用事があるみたいなので、今日は取り敢えず二人でもいいですか?」

「当たり前や。てか、その方がウチはいいんよ。なんてったって花がな、昨日篤の事見てから、あのイケメンのにいちゃんもええなー、って言うとったんよ。妹があんな男に誑かされるのはなんとしてでも防がなあかんのや」


 花ちゃんは確か健二くんって子が好きなんじゃなかったっけ?

 まぁ、小学生の女の子はその辺はあまり真剣じゃないのかもしれないけど。

 花ちゃん見たく、コロコロと感情を変えられたら気楽に生きれそうだな……


「それは……なんとも言えませんね。でももう行きましょうか? 花ちゃんが家で待ってるんですよね?」

「せやな。もしかしたらどっかで誰かと遊んでるかも分からへんけど、まぁ帰ろか」


 

 下校時、校門にあの黒バイクはいなかった。

 こんなに気に掛けるなんて、今はまだ、漆黒の馬を恐怖しているのかもしれない。

 僕からお姫様を攫っていった、茶髪の悪役の事を。

 

 そんな僕にもたらされた明るい太陽は、僕を一瞬だけ現実から引き離してくれる。

 神崎先輩に導いてもらって見つけたモノ。

 現実から目を背けてもいいと思わせてくれるような、明るい先輩。



 千野先輩の家は、築四十五年のアパートの一室。

 母子家庭で、お母さんがいない時は基本的に先輩が花ちゃんの面倒を見ているんだとか。

 

「お邪魔します」

「そんな畏まらんで、普通に入るでー、だけでええんやで?」

「そういう訳にはいかないですよ……」


「おお! ヘタレの兄ちゃんや。なんで、なんでいるん?」


 玄関に上がったところで、花ちゃんが駆け寄ってきた。

 夕方でまだ陽は沈みきっていないとはいえ、やっぱり一人は寂しいんだろうな。


「花、今日はヘタレの兄ちゃんがウチに勉強を教えてくれるんやで。やけん、今日はVIP対応や!」

「……わかったで! しゃーないからアレ、使わせたる」


 トタトタトタ、と元気良さそうに走って、玄関から見えている戸棚からコップを取り出した。

 ゴン、と音を立ててテーブルに置かれた蟹の模様のコップに麦茶を注いでいく。

 零さないかが心配だ。


「はよ、ヘタレの兄ちゃん、はよここ座ってーな」


 少し興奮気味で木製の椅子をポンポンと叩いている。

 靴を脱いだばかりだったけど、少女の純粋な要望に応えない訳にはいかないよな。


「わかったよ。ありがとね、花ちゃん」

「またウチの事名前で呼ぶんか。まぁええけど。プレイボーイはウチにメロメロなんやね」

「あはは……」


 つい苦笑いを浮かべてしまった。 

 でも、花ちゃんはそんな事気にしていない様子。

 表情を気にしないような誰かと話すのは久しぶりかも……あ、千野先輩も同じようかもしれないな。


「涼太くんはロリコンなんか?」


 出されたお茶に手を伸ばそうとしていた僕を、千野先輩の声が遮った。

 

「ろ、ロリコンではないですよ」

「冗談や、冗談。ウチはご飯作るから、涼太くんは花と遊んでやってくれへんか? 勉強より、花のお腹の方が重要やから」

「分かりました」


 勉強よりも大切なもの、か。

 何かを犠牲にしないと、他の何かには手をつけられないんだよな。

 子育てに限った事じゃなくて、他にも色々と。

 でも、千野先輩は部活でもトップクラスだし、妹の面倒も見ているし、勉強も頑張ろうとしているし……


 僕とは大違いだな。

 

 神崎先輩に憧れるのとは、また違った形で僕は千野先輩にも憧憬を抱いている。

 努力して、全てを掴み取ろうという強い意志。

 いつか、僕も先輩達のようになりたいな。


「なぁ、ヘタレの兄ちゃん。ウチにも勉強教えて?」


 目の前の椅子に、算数のドリルを握りしめた花ちゃんが座った。

 

「勉強でいいの? なんでも遊んであげるけど……」

「ええんよ。お姉ちゃんがアホやから、ウチが勉強できるようにならんといかんもん」


「あ、アホて、花、それはいいすぎやろ!」

「アホやないか。やけんヘタレの兄ちゃんがきとるんやろ?」

「……花はお利口さんやなぁ。お姉ちゃん、悲しいけど安心したわ」


 そう言って、先輩は料理を再開した。

 昨日は幼い子だと思ってたけど、実はしっかりした子だったみたいだ。


「じゃあヘタレの兄ちゃん、ここ教えて」

「ん、どれどれ……割り算か。そう言えば花ちゃんは何年生なの?」

「ウチ? ウチは今二年生や。女に年齢聞くなんて、ヘタレの兄ちゃんはデリカシーないな」

「に、二年生⁉︎ なんで割り算やってるの?」


 割り算は、僕たちの時代では四年生くらいから始めた気がするけど……

 

「ウチはお母ちゃんを楽させてあげたいねん。やけんウチは勉強してお金持ちになるんや」

 

 なんていい子なんだろうか。

 こういう子だと、無性に応援したくなるのは僕だけじゃないはずだ。

 できる限り助けてあげよう。


「分かった。じゃあお勉強しようか。でも、ご飯までね?」

「ありがとな、ヘタレのにいちゃん」



 四十分くらい花ちゃんに勉強を教えると、先輩が大きな釜をテーブルへと運んできた。

 炊き込みご飯、かな?


「どうぞ、かやくご飯やで」

「かやく? 炊き込みご飯じゃないんですか?」

「これだから東の輩はあかん。かやくご飯が正しい名前や。炊き込み、なんてどの飯も炊いてるやろ」


 そう言われるとそうかもな。

 まぁ、炊き込みご飯なのは変わらないんだろうけど。


「涼太くんもはよ食って。勉強せなあかんねんから」

「僕もいただいちゃっていいんですか?」

「何いっとんねん。当たり前やろ。涼太くんはVIPゲストなんやから」

「VIP……えー、と。じゃあいただきます」

「はい、どーぞ」


 絢香さんの手料理とはまた違った美味しさだった。

 一言で言えば荒い。でも、ハッキリとした味付け。

 まるで千野先輩の性格がそのまま現れているかのようだった。


「美味しかったです。ご馳走様でした」

「よかったよかった。ほんだら早速勉強始めよーかー? 花は風呂でも入っとって」


「なんや? ウチはお邪魔なんか? もしかしてお姉ちゃんはヘタレの兄ちゃんが好きなんか?」

「ちゃうって。ええからはよ風呂入ってき。お子様はそろそろ寝る時間や」

「お姉ちゃんのいけず! でもまぁええよ。花はええ子やから」


 そう言って、花ちゃんは着替えを持って風呂場に行った。

 それにしても、なんだか少し強引に聞こえたけど、姉妹間では普通なのかな?


 花ちゃんが部屋からいなくなると、千野先輩がテーブルに勉強道具を広げ、唐突に口を開いた。


「あんな、ちょっと重い話するけど、ええか?」

「いいですよ?」


 少しだけ部屋の雰囲気が緊迫した。

 真剣な先輩の表情。笑っている顔しか見た事なかったから、正直怖い。

 

「ウチ、次のテストダメやったら落第って言ったやんか。そんでな、もし落第したら一生大学行けへんようになってまうんよ」

「それってどう言う……」

「ウチ貧乏やろ? お母ちゃん頑張って働いてくれてるんやけどな、それでもギリギリなんよ。やけんウチは陸上で推薦もらって高校も大学も行かんとあかんの。でも、今回ダメやったら、推薦がパーになってまう。そんで大学にはいけんくなってまう」

「…………」


 なんて返事すればいいんだろうか? 

 真面目に事実を打ち明けてくれてるから、僕もそれに相応しい返答をしなきゃいけない。

 でも、僕の環境とは違いすぎて、何をどうしてあげればいいのか……


「ウチもな、自分で働いて学費稼ぐって言った事あるんよ。でもお母ちゃんがそれはアカン言うてな……折角お母ちゃんがウチらのために働いてくれてるんやから、ウチも金稼ぐ以外でお母ちゃんを楽させてあげたいんよ。やけん、涼太くん。ちゃんと勉強教えてくれるか?」


「分かりました。できる限り、いや、必ず先輩をテストに合格させます。僕も先輩に助けられてますから、恩返しさせてください」

「ん? ウチ涼太くんのこと助けたっけ?」

「助けられてますよ。今僕が普通でいられてるのがその証拠です。じゃあ早速始めましょうか? 時間は有限ですからね」

「まぁええわ。よろしゅうお願いします、涼太くん」


 勉強はそこそこ自信がある。

 何も取り柄がないからせめて勉強だけは、と思って高校から頑張った。

 香澄に良いところを見せるためだったけど、千野先輩のために役に立てるならそれも本望だ。

 

 なんたって、千野先輩は新しい道に現れた太陽だと思うから。

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