忘却
俺のそばで囁かれる低く優しい声を聞く度、任務が終わり、お疲れ様とでも言うかのように肩を叩かれる度、なぜだか俺の鼓動は早くなって、気付けば俺は彼のその青い瞳に吸い寄せられるように、彼に恋をしていた。
しかしその思いに気づきながらも、俺は彼にその思いを告げるつもりはなかった。
こうして今、周りに助けられ守られてはいても、俺は既に何人もの人を殺めた犯罪者で、俺の手はどうしようもない程に流された血で汚れてしまっていたし、人の命を奪う俺には人の愛し方なんか分かるはずもなかった。
だからこの気持ちは自身の胸の奥の方に大事にしまい込み、無かったことにしてしまおうと思っていた。
しかし彼への想いは決して忘れることが出来ず、自分でもどうしようもなくなった俺は、ある日の任務後、ポツリと彼に想いを告げた。
すると彼はすぐに付き合ってもいいと返事をくれ、任務後の高揚感とクスリ切れの状態で貞操観念が抜け落ちていた俺らはすぐに身体を重ねた。
それからは愛を囁き合うこともほとんどないままに、俺らは唯々からだを重ね続けた。
そして俺らが付き合いだしてしばらくたった頃、俺はとある違和感に気が付いた。
彼と身体を重ね、揺さぶられ、快楽を与えられる度に、俺はどうしようもなく彼を『殺したい』衝動に駆られるようになっていた。
俺を抱き留める腕を絡みつく脚を切り裂き、愛しい彼の綺麗な歌声を聞きたいと何時からか思うようになり、その思いに気づいた時から俺は少しずつ壊れ始めた。
彼と会う度、声を聞く度、彼の手が身体に触れる度、その衝動は湧き上がり、正気を保つために打っていたはずのクスリも効果が薄くなり、すぐに切れてしまうようになってしまい、それまで1日6回だった注射は12回に増え、1日に1回だけでよかったはずのメンテナンスも1日3回行わなければ正気を保つことが出来なくなっていた。
そしてそんないつ壊れてもおかしくない状態が続いたある日、俺がメンテナンスを終えて、ふらふらと廊下を歩いていると、後ろから彼が声をかけてきた。
『大丈夫か…?クロード…』
不安げな顔で彼は俺の顔を覗き込んできた。
『…ザシャ…助けて…?』
俺が白衣の裾を掴み、涙を流しながらそう言うと、彼は少し何かを考える仕草をすると、俺を引き剥がし正面に立たせて、ゆっくりと切り出した。
『別れようか、クロード…私といたら君は…』
『っ!?なんでっ!?なんでそんなことっ!?』
俺は彼を手放したくはなく必死に詰め寄ったが、彼は悲しそうな顔で首を横に振った。
『私と付き合いだして、元々良くない君の精神状態がさらに悪化してる。私は君を失いたくない…お願いだ、分かって…?』
彼はそっと俺を自身から離れさせ、苦しそうな顔でそう告げた。
『いやだ、いやだ!!ザシャ、俺を捨てないで…独りにしないで!!』
俺は幼い子供のように泣きじゃくり、彼に縋り付いた。
すると彼は優しく微笑みながら俺を抱きしめ、俺の耳元に囁きかけた。
『捨てない…ずっと傍にいるよ。心配することなんかないんだ。ただ今の関係を忘れさせてあげるだけだからね?きっと前の私と君なら大丈夫だから…』
『やめて…っ!!』
『大丈夫…君が今の関係を忘れても、私は君を愛し合ったことをちゃんと覚えてるから…だから安心して…?』
そう言って、彼は俺の頭を優しく撫でてくれた。
そして俺はその優しい手の温もりを感じながらその場で意識を失った。
それからどれだけの時間が経ったのだろうか、俺が目を覚ますと、何故だかそこは見慣れたメンテナンスルームで、俺は何故自分がここに居るのかまったく分からず、戸惑いながらも、とりあえずメンテナンスルームを出た。
するとメンテナンスルームの外にはザシャが俺を待っていたかのように立っていて、俺が出てきたのを見ると、少し無理したような明るい声で声をかけてきた。
『クロード、おはよう。メンテナンス終わったみたいだね』
『…おはよう?メンテナンスしてたのか…?なんか記憶が曖昧だ』
『メンテナンス後にはよくあることだろ?さぁ、次のお仕事が決まったから、一緒に行こうか?』
そう言うとザシャは俺に優しく笑いかけ、手を差し出しきた。
『…そうだな。キーラを待たせるのはあれだからな』
しかし俺はザシャが差し出したその手を取ることはなく、少し残念そうな顔して歩き出したザシャの後ろ姿を追いかけていった。