第六話 救助者の目覚め
■扶桑帝国横須賀基地
横須賀は陸海軍の主力がこの横須賀に駐屯している帝国最大の軍事拠点だ。その広さは地域の7割を占めている。
それ故に英気を養う為の娯楽施設や総合病院が立地している。
その病院──横須賀総合軍病院に吹雪の乗組員が救助した女性が搬送されていた。
「救助された女性の容態は?」
「安定していますが、意識は未だに回復していません」
副官の由佳莉が答えた。
ここは中央方面軍横須賀総監部の総監室。総監の執務机の前、上座の位置にある一人掛けの椅子に総帥である俺、左右の長椅子に副官の由佳莉と中央方面軍の長である内藤國政中将がテーブルを囲って座っている。
「内藤、その後の捜索では進展があったか?」
俺の問いに内藤は俯いた。
捜索というのは海上で漂流していた女性以外にも生存者が居るのではないか、という考えから海上保安庁所属の巡視船を該当海域に派遣した。
「進展はあった、と言えますが……」
「駄目だったのですか」
「はい。お察しの通り、該当海域に漂流している二名と早朝福島県の海岸に漂着していた三名を発見。その場で死亡が確認されました」
室内に重い空気が立ち込めた。
最初の救助者を発見してから、既に五日が経過していた。これで生きていたら正に奇跡的だろう。
「彼らは一体何故漂流していたのでしょうか」
「それは生き残った女性に直接聞いてみない事には……」
由佳莉の呟きに内藤中将が答える。
「そうだな……早く回復すればいいんだがなぁ……」
命の心配は無いが、未だ不安は残っている。
「ですが、仮に意識が回復してもどの様に接触すればいいのかが問題です」
(そこなんだよなぁ……)
最大の不安要素は由佳莉が指摘したまさにそこである。
俺を含め、扶桑帝国の全ての人間がこの世界について何も知らない。
救助された女性からすれば、偶々とは言え命を救った恩人となるが、対応を誤れば向こうがどのような態度に出るかわからない。
もしも、ここが前世の地球であるなら、必ずしもとは言えないが丁寧な対応で教えてもらえるだろう。だが、ここは地球ではない。
更に言えば、相手が貴族またはそれ以上の高貴な身分であった場合、どのような話し合いになるか想像がつかない。
最悪の場合、その救助者の国を相手に開戦という展開もあり得なくもない。
例え、開戦したとしても現代兵器を有する扶桑帝国が負ける要素は無いが、ここは異世界だ。我々の知らないことがあまりにも多い。その知らないことで戦局が一気にひっくり返る事だってあり得るのだ。だから俺達が何よりも欲しいのはこの世界の情報なのだ。
「やはり、ここは丁寧対応するしかないでしょうな」
「それだけでは不十分です。どちらが上なのか毅然とした態度で対応することも必要です」
内藤中将の提案に由佳莉が付け加える。
現状、具体的な対応策が思い付かないので二人の案で対応することになった。
結局はその場で臨機応変に対応するという中身の無いものと言えるだろう。
◆◇◆◇◆
■横須賀総合軍病院 正面入口
「総帥、お待ちしておりました」
内藤中将と総監部で状況報告を聞いた後、共に食堂で昼食を取っていた。その最中に「救助された女性が目を覚ました」と病院から連絡があり、昼食を終えると、内藤中将と別れて由佳莉と共に横須賀総合軍病院に向かった。
病院に着くと、俺達を出迎えたのは病院長と部長クラスの医師達、そして──。
「お久しぶりです、黒江総帥」
陸軍の制服に白衣を纏った黒渕丸眼鏡をかけた男がにこやかに挨拶する。彼の名は石井士郎陸軍一等軍医。扶桑帝国を代表する名医であり、現在は横須賀総合軍病院に出向勤務している。
ちなみに石井の階級は大尉に相当する。
彼も前世の記憶を持つ軍人で太平洋戦争時、関東軍防疫給水部第731部隊(通称石井部隊)の部隊長をしていた軍医である。
この世界においても石井軍医には部隊を預けて、病気の研究をしてもらっている。異世界なのだから未知の病気があるだろうという目的で設立された。
また、石井軍医にはこれまで俺の身体や心のメンテナンスに協力してくれた。高校生がいきなり一国の長になって政治や軍を指揮するというプレッシャーや悩みを聞いてもらったり、アドバイスをしてくれたり、過労で倒れたときに診察してくれたりなど色々とお世話になったのだ。
「久し振りだな。早速だけど、救助された女性の意識が戻ったと聞いたが?」
「はい。三十分ほど前に意識が回復しました。今、担当医が診察を行っているところです」
「そうか。石井、彼女と話がしたい。診察が終わったら少し時間をくれるか?」
「分かりました」
石井軍医や病院長達を引き連れて院内に入り、診察が終わるまでお互いに知り得た情報を交換するために病院の会議室へと移る。
①発見された漂流者は現在のところ七名。その内一名のみ生存が確認された。
②救助された異世界人は女性。
③身体的特徴として耳が尖っていた。
「漂流者のご遺体は一応解剖して死因を調べてくれ」
「了解です」
「それにしてもエルフ、か」
「はい。我々も初めて見たときは目を疑いました。やはり、ここは異世界なのですね」
石井の発言にその場にいた一同が深く頷いた。
情報を交換していると会議室をノックする音が聞こえた。
入ってきたのは陸軍の軍人だった。多分、石井軍医の部下だろう。
「お待たせしました。診察が終わりました」
「面会は直ぐに出来るか?」
「はい!意識はハッキリしておりますので、会話も可能です」
「では、案内してくれ」
会議室を出て、エレベーターに乗り彼女達のいる病室の階へ向かう。
彼女は他の来院者や入院患者に迷惑や混乱を掛けないように最上階のVIP室に入院していた。
俺も過労で倒れたときにお世話になったフロアでもある。
案内された病室へ入ると、柔らかいベッドで上半身を起こしたエルフが目に入った。見た目は十代後半くらいだろうか。
突然大人数で病室に押し掛けたのが不味かったようだ。彼女は警戒の目を向けつつも怯えている様子だ。
(おお!マジでエルフじゃん!スッゲェー!)
俺の内心どんちゃん騒ぎだった。
だが、流石に顔には出さない。全力でポーカーフェイスに勤めた。
(にしてもこの格好は………)
ゲームやアニメのキャラクターの様な外見であり、病院服を着た金髪碧眼のエルフというのはなかなか御目にかかれない格好だろう。とても似合っていた。
いつまでも黙っていては彼女に失礼なので話し始める。
「元気そうで安心したよ」
少女は困惑の表情を浮かべた。
(あれ?変な事言ったか?)
横目で由佳莉にアイコンタクトするが、彼女も首を傾げていた。
少女の反応に些かの不安を感じるが、俺は話を進めた。
「まずは自己紹介をしようか。俺は黒江剣一だ。君の名前を聞いてもいいかな?」
数秒間の沈黙の後、少女は答えた。
「あたしは、ティア。ティア・ルナ・ハーフェック」
警戒心は未だに剥き出しだが、少しは対話する気になったようだ。
「……今度はこっちから質問いい?」
「どうぞ」
「あなた達は何者?それに見た事も無い服装してるし、この建物も……いえ、ここにあるもの全て見た事無い物ばかりだわ」
「では、その質問にお答えする前に、あなたの置かれている状況について説明しましょう」
そう言って、一歩前に出たのは副官の由佳莉だ。
同じ女性という点から少しは警戒心を解いて話を聞いてもらえるだろう。そう考えた由佳莉が病室に入る前に意見具申してきたので、俺も二つ返事で許可したのだ。
由佳莉は、ティアを見つけてからここに到るまでの経緯を分かりやすく丁寧に説明した。勿論、仲間と思われる人の遺体も見付けていることも、隠すことなく全て話した。
「そっか……」
他に生存者がいない事を聞き、ティアは悲し気な顔をする。見ているこちらも胸が締め付けられる思いだ。
「……あの、見つけた人の中に私と同じエルフの女の子、いませんでしたか?」
「エルフの女性ですか?」
ティアの質問に由佳莉は首を傾げていた。
病室に連れてきた人の中には捜索を担当している海保の人間がいたので視線を向けると首を横に振った。
「残念ですが、エルフは貴女だけです」
「……そうですか」
その後、ティアは海の上で何があったのかゆっくりと話してくれた。
ティア達はクローデン王国の冒険者ギルドからのクエストで、魔の海域から現れた謎の飛行物体の調査と敵対性の有無を判別するための調査船団に乗っていたという。
未確認飛行物体の特徴や目撃した時期を考えると間違いなく扶桑帝国の偵察機・彩雲だ。
しかし、扶桑帝国が制定した領海外で何度か艦隊を向かわせたことがあったが、天候が船を破壊するほどの大荒れになったことは一度もない。
俺や由佳莉、他の軍関係者もその気象の大きな違いに内心で首を傾げた。
ティアの船には妹も乗っていたそうだ。だが、遭遇した嵐でティアと共に海に投げ出されて、今に至るという。
だからさっき「エルフの女の子いなかったか?」と聞いたのだろう。見つけたいのはこの場にいる誰もが思っていることだし、今現在も探索範囲と人員を増やして捜索しているが、海流が激しい海域の影響で成果はゼロだ。
「さて、先程の質問の答えなんだが……」
俺は建国当初に作られた扶桑帝国の設定を彼女に話始めた。
扶桑の歴史、扶桑の今後の方針など分かりやすいよう噛み砕いた説明をする。
彼女は驚きながらもそれを黙って聞いていた。